16.スッポンを探して
セイルさんは何を言っても無駄だと諦めたのか、疲れた様子でロンシェンさんの胸ぐらを離した。
そして頭をガシガシと掻きながら、深いため息をつく。
「……ったく。からかいたくて呼んだだけなら、もう気は済んだだろ? 帰るからさっさとスッポン寄越せよ」
「それは出来ない相談よ。ここにはないから移動しないといけないのよ」
「……俺たちも行くのか?」
「当然」
ロンシェンさんは口元に不敵な笑みを浮かべながら頷く。
亀と言っていたから海にいるのかな?
私が姿のわからないスッポンを想像しているのを余所に、セイルさんはすぐに受け取れる算段だったからか、予想外の話の流れに頭を抱えていた。
それをロンシェンさんはニコニコと見守っている。
「——で、どこに行くんだ?」
「街よ。ここから歩いて三時間くらいだから、すぐに着くよ」
「……歩いて山を下るのか?」
「当然」
「ちなみに断れば?」
「残念だけどスッポンは渡せないね」
即答だった。
それから私たちは下山を余儀なくされた。
最初のうちは登るのではなく下るのであれば楽なのではと考えていたが、実際に歩いてみると傾斜で前に倒れないようにするのにつま先や足に負荷もかかるし、バランスも大事みたいだ。
しかもそれだけではなく、空気の関係かすぐに呼吸が乱れてくる。
だけど二人に迷惑をかけないように弱音を吐かずについていれば、前を歩いていたセイルさんが振り返り労わるように声をかけてきた。
「大丈夫かアンナ? 少し休むか?」
「い、いえ。大丈夫です」
とは言ったものの、胸が膨らんでいて苦しい。
だけど、三時間もかかるなら、私のために休んで時間を使ってしまうのは申し訳ない。
膝に両手をついてふうっと息を吐けば、セイルさんの眉が不安げに曇る。
「ロンシェン、ちょっと休憩するぞ」
セイルさんが先を下っているロンシェンさんの背中に声を掛ける。
ロンシェンさんは足を止めて振り返ると、咎めるように眉間にしわを寄せてセイルさんを見上げる。
「はー。これくらいでへばるなんて、セイルは運動が足りてないよ」
「俺じゃなくてアンナが疲れてるんだよ。慣れない山下りで——」
「それは大変よっ! 僕がすぐに街まで連れて行くよっ!」
「は?」
「え?」
あきれ顔が一転して、ロンシェンさんは厳しい表情を浮かべて私の前まで駆けあがると流れるように両手を掴まれた、と思ったら私の視界が暗転した。
気づけば人の話し声が耳につき、人が行き交っている露店街の中央に立っていた。
天蓋付きの店や、戸を開けていて家屋の中が見える店など自分がいたところとは違う風景に呆気にとられれば、目の前のロンシェンさんが掴んでいた両手を私の口元まで上げて、顔をずいっと近づける。
「大丈夫!? 気分は悪くない?」
「あ、有難うございます」
凄い勢いで心配されるものだから、私は無意識にお礼の言葉を口にする。
急なことではーっと呆けながらも、セイルさんはどうなったのかとハッとして周りを見回す。
「せ、セイルさんは?」
「あー。しまったよ。置いてきてしまったよ……まあ、魔法使えるんだからあとから来るよ!」
ロンシェンさんは申し訳なさそうに肩を下げたが、一瞬で立ち直った。
……悪い人ではなさそうなのに、どうしてこんなに嘘くさく見えてしまうんだろう。
話し方のせいかな?
とはいえ、彼の言う通りセイルさんもすぐにここに来るだろう。
そう納得すれば、ロンシェンさんは私の両手を一度離すと片手だけを掴み、身を翻してはぐいっと引っ張った。
「それじゃあ、二人っきりになれたし行こうか」
「え? セイルさんを待たないんですか?」
「大丈夫大丈夫。セイルは魔法使いなんだからすぐ来るよ。それよりも早くスッポンを見つけてあげたほうが、早く帰りたがってるセイルのためになるよ」
「そ、そうなんですかね?」
「絶対そうよ!」
半信半疑の私の迷いを一蹴するように、ロンシェンさんは力強く頷くと急に駆け出した。
転ばないように走りに集中しつつも、頭は混乱する。
「え!? 急がないといけないんですか!?」
「そうよ! 時間との勝負よ! 早くしないと恐い人来るよ!」
「こ、怖い人が来るんですか!?」
「そうよー!」
足を動かしながら問えば、ロンシェンさんは鋭く返す。
さっきは街まで三時間と言っていたので余裕があるように思っていたが、実のところ切羽詰まっていたのかもしれない。
どう怖いのかは想像がつかないが、スッポンの受け渡しを阻止するような人であれば、確かに困る。
シーラさんとの約束も果たせないし、セイルさんも骨折り損は嫌だろう。
「ロンシェンさん、スッポン絶対に手に入れましょうね!」
「スッポン? ——ああ。スッポンね」
振り返ったロンシェンさんは一瞬眉を顰めたが、合点がいったのかにこりと笑った。
ようやく足が止まった先は、木箱から湯気が上がっているお店の前だった。
店先には甘くていい香りが溢れている。
ロンシェンさんはそこの店主の男性に喋りかけ指を二本立てて、お金と品物を交換していた。
スッポンかと思えばそれは丸くて薄いピンク色で可愛い形をしている。
「ロンシェンさん、それはなんですか?」
「桃饅よ。ここの店のは特に美味しいよ。はい」
ロンシェンは私にそれを差し出して渡してきた。
私が戸惑いながら受け取れば温かく、口にいれるよう促される。
少し迷いながらも恐る恐る食べてみた。
外側は柔らかく中は少し固い歯ごたえを感じて咀嚼してみれば、口の中で甘味が広がり私は瞳を大きく開いて口元を手で押さえた。
「美味しい」
「ね? 美味しいでしょ?」
「はい!」
ケーキとはまた違う美味しさで、周りの舌触りがしっかりしている生地と中の甘い塊が口の中で合わさり、噛んでいると美味しさが増していく感じがする。
美味しいから全部食べてしまったが、これが何かスッポンと関係があるのだろうか?
「お。ロンシェンさん、その子今のこれかい?」
お店の人がロンシェンさんに人さし指を立てる。
えーっと、この地域の人さし指の意味は何って言ってたっけ?
小指の意味は違いが衝撃的すぎて小間使いだと覚えたのだけど……。
私が記憶を辿っていればロンシェンさんは迷いなく「そうよ」と答えていた。
店主は笑う。
「よくもまあ、飽きもせず女の子を捕まえるねぇ」
「僕は来るもの拒まず去るもの追わず、よ。まあ、近づいてくる女性は僕のあまりの甲斐性のなさに幻滅してすぐに去っていくけどねー」
「へぇ。お嬢さんも近づいてきたのかい?」
「え? あ、はい。そういうことになりますね」
ロンシェンさんの家にこちらから出向いたのは間違いないので私は頷いた。
店主は感心する様に私を見たあと、ロンシェンさんに顔を移して悪戯な笑みを浮かべる。
「今度の子は愛想尽かされないようにしないとね、ロンシェンさん」
「手厳しいね〜」
よく交流があるのか、二人は仲良くやりとりをしている。
そんな様子を眺めていれば、私はここに来た目的を思い出す。
「あ! そういえばロンシェンさん、早くスッポンを取りに行かないと怖い人が来るんですよね!?」
「そう! そうよ! よく思い出してくれたよ! それじゃあまた食べに来るよー!」
「ああ。またな、ロンシェンさん」
ロンシェンさんは店主に挨拶をすると、私の手を握って再び走り出す。
結局今の店はスッポンとは関係なく、ただロンシェンさんの行きつけの店に寄っただけみたいだ。




