14.愛
泣き腫らした瞳が見開く。
「アンナ大丈夫か?」
顔を上げれば屈み込んでいるセイルさんの困惑した顔が映った。
彼は私の体を仰向けにすると背中に腕を回し、上体を抱きかかえる。
そして手を取ると自分の掌で指を重ね合わせるように握りしめる。
大きな手の平に包まれた瞬間、指の間に伝わる温かな光が全身に広がって痛みが和らいでいく。
光が収まるとセイルさんは私に優しく笑いかけた。
「どこか痛いところはないか?」
「……」
私は感極まって何も答えられなかった。
何が起きて、どうして彼がここにいるのか分からない。
リボンも解いてないのに——。
だけど唯一わかることがある。
繋がっている手の温もりが、私の寂しさを埋めてくれている。
瞳に映る彼の姿が、私の心を揺らし——愛おしい。
何も答えない私の顔をセイルさんは不思議そうにしていたが、口元の笑みを絶やすことはなかった。
「クソがっ! ふざけんな!」
ベルベの声がして、顔を向ける。
彼は中腰になり頬を片手で覆っていて、鼻血が出ている顔でこちらを睨みつけていた。
「ふざけてんのはテメェだよ! 女に対してなんてことしやがんだ!」
セイルさんが怒鳴り声を上げ、握っている手に力が入る。
耳に響くが、今はその声が胸を締め付ける。
ベルベは一瞬呆気にとられていたが、小馬鹿にして笑う。
「女ぁ〜? ハッ! ブスが女気取ったところで笑いにしかならねぇよ。そもそも、そいつがブスじゃなければ俺だってこんなことしなかったんだよ! 爵位が欲しいからってセルフィとの婚約に出張ってきやがって! 強欲ブスを隣に立たせて夜会に出たら俺の品位が地に落ちるだろ!」
そんなに私が嫌なら最初から断れば良いのに……。
それをしないのは、やはり父の鉱山が目当てだったからだろう。
私が呆れたようにベルベをジト目で見つめていれば、セイルさんの手が私の手から離れる。
思わず彼の顔を見上げれば、今までに見たことがないほど顔に青筋を立てて、ベルベを見据えながら立ち上がった。
体が開放された私は上体だけ起こして、セイルさんを見上げる。
「そんなにブスが嫌いなら、お前を国一番のブサイクにしてやるよ」
セイルさんはニヤリと笑うとベルベに歩み寄り、鼻先に人さし指を突きつけた。
ベルベは怪訝な表情を浮かべたが、急に顔の肉が膨れ上がり始めると、皮膚が溶けるように崩壊していく。
「あ……ああ……?」
顔が変形しているため上手く喋れないようでベルべは一文字の声を上げて感情を表していた。
何が起きているか把握していないが、顔の形が変わっていくことは分かっているようで彼は必死に顔を押さえるが、魔法の効果は容赦なく続いている。
ようやく変形が止まり、セイルさんはまじまじとその変化を確認すると、ベルべを指さし、腹を抱えて笑い出した。
「だーっはっはっは! 国一番じゃなくて世界一の不細工になっちまったなぁ! 性格にあったいい面になったじゃねぇか!」
指摘されたベルべはなにが起きたか確認するように両手で顔を触り始めた。
セイルさんはニヤニヤと笑い、どこからともなく取り出した手鏡をベルベに手渡した。
ベルベは瞼が腫れ上がって上手く目が開かないのか、細い視界で鏡に顔を近づけて、凝視するように確認すると、手がぶるぶると震えだして持っていた鏡を地面に落とした。
叩きつけられた鏡は、音を立てて割れて、破片が地面に無造作に散らばったが、彼は気にすることなく大通りに向かって駆け出した。
遠くから女性たちのの甲高い悲鳴が聞こえてくる。
恐らく、変わり果てたベルべを見て化け物だと思ったのだろう。
ベルべが去ってほっと息をついた私を見て、セイルさんは嬉しそうに顔をほころばせた。
「おお! アンナ、いい顔してるな!」
「え?」
そしてハッと気づく、自分の顔がニヤついている。
ざまあみろと思ってしまった感情が抑えきれなかったようだ。
ブスの上に性格まで悪くなったのかと少し落ち込んだが、セイルさんは笑顔でウンウン頷きながら私の頭をぽんぽんと手で叩いた。
「よしよーし! いい傾向だ! 俺の好きなポジティブになってきたじゃねーか!」
「こ、これってポジティブなのかなぁ……」
「嫌なやつだったんだろ? じゃあ当然の報いだろ!」
セイルさんは胸を張り腰に手を当ててガッハッハと大声を上げて楽しそうに笑う。
あまりにも豪快に笑うものだから、なんだか私も釣られて笑ってしまった。
それから、袋と生地もセイルさんが汚れを落としてくれて、私たちは帰路についた。
その間、セイルさんがここに来た理由を教えてくれたが、単純に私の帰りが遅かったからだったようだ。
そして私がベルベとの関係を話せばセイルさんは一瞬の間をおいて、顔を顰めながら不愉快そうに声を上げた。
「つまり、なんだ? あいつが例の殺そうとしてきた奴だったってことか!? しかも性懲りもなくまた現れて暴力振るっただと!? ……もう少し殴っときゃよかったな……」
「いえ、十分です。セイルさんが来てくれただけですごく嬉しかったです」
伝えたかった本音。
恥ずかしがることなく口にできた。
恐らく、私の中で恋が愛に変わったからだろう。
少女のような激しい感情が穏やかになり、セイルさんの幸せを願う存在になりたいと心から思ってしまう。
穏やかな気持ちに包まれ、顔を伏せていれば頭に重みを感じ、撫でられたので顔を上げれば、セイルさんと目が合った。
彼は明るく笑う。
「あんなやつの言ってたことなんて気にすんな。万が一、世界中でアンナを助けるやつがいなくても、俺が助けてやるからな。安心しろよ」
「……はい」
私が微笑んで返事をすれば、頭を何度も撫でられるが、急にピタリとその手は止まった。
首を傾げれば、セイルさんの凄んだ顔がずいっと近づいた。
「というか、あいつに会った時点でリボンを解けよな」
「あ……すみません。気が動転しちゃって忘れてました」
「もう少し普段から俺を頼らせないと駄目みたいだな」
「十分頼っていますよ」
「本当か〜? ならなんで忘れるんだよ?」
「だから、気が動転してて……」
「そうなった時に俺の顔が出ないってことは、普段頼ってない証拠だ」
「そんなことないですよ」
「いーや。ある」
リボンを解かなかったことを相当根に持っているようで、セイルさんは歩いたまま顔を背けた。
私は苦笑しながら、胸元のリボンにそっと手を触れて、セイルさんの優しさを感受した。




