12.街へお出かけ
セイルさんの家に居候してから、三ヶ月が経った。
セイルさんから街の情報を聞いてみれば、両親は私の捜索願いを取り下げたらしい。
そして想像以上に父の事業がうまくいっているらしく、新聞でも鉱山の金の採掘量が大きく取り上げられている。
噂では男爵家には私の件を引き合いに、婚約の件を白紙にしたらしい。
ベルベを危険視しているのもあると思うが、妹の縁談もより上を目指せるのではないかと踏んでの決断だったのかもしれない。
三ヶ月で外の世界は私など必要ないように止めどなく色を変えていく。
だけど、毎日が充実しているせいか、なんだか家族と過ごしていた日が遠い日の出来事のように感じてしまい、悲壮感はない。
寧ろ、他人事のようにも思えてしまう。
セイルさんの手を借りながらも私主導で製作しているマージさんの洋服は完成間近なのだが、どうしても波のイメージを出すためにソフトチュールの生地が欲しくなった。
悩んでいればセイルさんが、気を利かせて買いに行こうかと提案してくれるが……。
首を縦に振らない私に、セイルさんが苦笑する。
「自分の目で見て決めたいよな」
「……はい」
自分でイメージしているデザインはあるのだが、直接見て生地の手触りや重ねた時の色合いを確認したいと思ってしまった。
「隣国なら知り合いもいないんじゃないか?」
一応私の捜索願いが出てはいたが、行方不明者はそんなに珍しい話ではないので、埋もれてしまっている可能性もある。
重要人物が同時期に事件に巻き込まれていたりすれば、私の存在なんて世間の片隅にも残っていないだろう。
そして、最近の新聞記事で議員の不祥事が取り上げられていて、警察はそちらの方でてんやわんやらしい。
「そうですね。それじゃあ、久しぶりに街を歩いてみます」
「よし! 決まりだな!」
セイルさんが嬉しそうにニカッと笑みを零すので、私と一緒に出かけたかったのかな、なんて、都合の良い勘違いをしてしまいそうになる。
まあ多分、マユケと一緒にお散歩に行く時と同等くらいの感情なんだろうな、と尤もらしい解釈をした。
早速、外行きの服に着替えて、セイルさんと隣国の仕立て屋に訪れた。
ショーウィンドウには貴族女性が着ていそうなウエストから柔らかく広がっている白いドレスが飾られて、ふんだんに使われているレースについつい、視線を奪われてしまう。
店内に入れば目の前に、胸開きの下のサテン生地に金糸の刺しゅうが施された赤色のドレスが展示されていた。
妹はよく両親につれて行かれていたが、私は初めて仕立て屋に来たので店内に新鮮な関心を抱く。
きょろきょろ見回していれば、セイルさんは女性店主に話しかける。
「生地を見せて貰いたい」
「承知いたしました。奥の方へどうぞ」
店主のあとについていけば、広い室内に通される。
大きい木製のオープンラックが置かれており、中に丸められた色とりどりの布地が敷き詰められていて、他の場所にもサンプルの衣装や、帽子などが飾られていて見ているだけでも目の保養になる。
お目当てのソフトチュールは在庫がなかったようで、サンプル品として切れ端が貼ってある木板を渡される。
在庫がない場合は、仕立て屋を通して外部に依頼するので、予約注文になるらしい。
「うーん。予約だとマージさんを待たせてしまいますね……」
「何も問題なくないか?」
私の悩みに、セイルさんはけろっとして答える。
心待ちにしている中、待たせてしまうのは申し訳ないとも思ったが、妥協してしまうよりはいいのかもしれない。
私はサンプルをじっくりと眺めては、青色の布地に合わせてみたりと、試行錯誤しながら生地を決めた。
セイルさんが店主に注文依頼をお願いし、予約の受付票を書いて受取票を貰うと、店をあとにした。
すぐ帰宅すると思っていたが、セイルさんはそのままレンガの店舗通りを歩き始める。
「帰らないんですか? あ、もしかして何か他に入り用が?」
「……アンナ、久しぶりに街に来たのにババァの用事だけで済ませるつもりか?」
セイルさんは振り返ると心底呆れたような表情を私に向けた。
どうやらこのまま街をぶらつくようだ。
私はセイルさんの隣に駆け寄ると、彼は口元を緩めて歩き始める。
「折角街に来たんだ。何か欲しいものはないのか?」
「え? ないです」
「即答かよ……。よく考えたか? 欲しいものの一つや二つあるだろ?」
言われて私は悩む。
洋服はセイルさんから作ってもらったのがあるし、本は家にある分がまだ読めていないので増やさなくていいし、三か月生活したが今のところ何かがないということで困ったことはない。
私が悩んでいればセイルさんが、息をつく。
「好きなものとかないのか?」
「好きなものですか?」
やっぱりすぐには答えられない。
昔はそれなりにあったような気がするが、手に入らないと悟ると諦めぐせがついてしまい物欲がなくなってしまった。
私がうーんと悩んでいれば、黙って返答を待っていたセイルさんは口を開いた。
「……なるほど。よくわかった」
「何がわかったんですか?」
「アンナが物欲がないってことだよ。——よし! 今日の目標はお前の欲しいものを見つける、だ! 片っ端から入っていくぞ」
「え!? あ、ちょ、ちょっと!」
セイルさんに強引に手を取られ、すぐ近くの店舗の中へと引っ張られて連れていかれる。
どうやら私に拒否権はないらしく、入ってはセイルさんに「これはどうだ? こっちはどうだ!?」と色々な商品を勧められ、私が首を縦に振らなければ、次の店へと連れられる。
嬉々としてセイルさんは私を連れ歩き、色んな物を私に提案してくれるので、それだけで私の胸は弾み、欲しいものが見つからなくても、セイルさんといられるだけで心がとても満たされていた。
何店舗目になるのか、次の店舗はどんな店だろうとショーウィンドウをのぞき込めば、ガラス越しにふと女の子の人形が目に入る。
「あ」
あまりの可愛さに思わず声を上げてしまえば、セイルさんが目ざとく反応する。
「お! 何か欲しいものが見つかったか? ……へぇ。人形か」
「いえ、欲しいわけではないのですが……ただお人形の洋服作るの、楽しそうだなって思って」
「おお! 良いじゃねぇか! よし買おう!」
「ええ!? いいですよ! ただ思っただけで欲しいわけでは——」
「絶対楽しいぜ! 俺が保証する!」
「でも——」
「だって、俺が作った服をアンナが着てくれた時がそうだからな!」
明るく言われた言葉に一瞬思考が停止したが、徐々に意味を理解する。
やっぱり楽しく思っていてくれていたんだ。
私が喜んで享受していたことは、間違いではなかったらしい。
安堵していれば、セイルさんは私を置いて店の中に入っていくので駆け足で追った。
ここはアンティークのお店のようで人形の他にもオルゴールや、時計、お皿など様々な商品が並んでいる。
セイルさんと共に人形が飾られている棚に足を運べば、陶磁器や木、布でできた人形が多く飾られていて、私は自分と同じ赤い髪の色をした布の人形が気になった。
洋服も地味で、継ぎはぎのワンピースを身にまとっている。
可愛いと感想を抱きながら、私は人形についた値札の紙を見てぎょっとする。
た、高い……。
一般市民の平均的なお給金の三分の一がこのお人形一つで吹き飛んでしまう。
さーっと寒気がして唖然としている私の横で「お! これがいいのか」とセイルさんが機嫌よく言い放つ。私は慌てて彼の腕を掴んだ。
「セイルさん、やっぱり高いのでいいですっ!」
「遠慮するな! 店主、これをくれ!」
掴んだ手が振り払われ、制止など無意味なようにセイルさんは店主に呼びかけ、購入手続きが行われてしまう。
その背後であわわわ、と顔を彷徨わせていたが、気付いたときには赤毛の人形が入った木箱を抱いて店から出ていた。
「楽しみだな、洋服のデザイン考えるの」
「本当に……ありがとうございました。このお金は一生をかけてお返ししますので……」
「心配するな。金なら有り余るほどあるから、寧ろ少しくらい使えることが増えて助かるくらいだ」
そうは言ってもらえるものの、居候してから金銭面は頼りっぱなしなのだ。
どうにかお金を稼ぐ方法を工面しないといけないかもしれない。
「女性でも働ける場所といえば……綿工場とかでしょうか?」
「もう俺の家で働いてるようなもんなんだから、気にすんなって」
「でも、セイルさんにも手伝ってもらってますし……」
「働く事業主、ってことで問題ないだろ?」
うーん。セイルさんは返しが上手い。
確かにパン屋とか牧場主などはそういう形態だったりする。
それならば、私がお返しできることと言えばセイルさんの欲しいものを購入することだ。
「セイルさんは何か欲しいものはなかったんですか?」
「ん? 俺はこいつだよ」
セイルさんは穏やかに笑いながら、私の抱いている木箱に手を置いた。
私は瞬きをして、セイルさんの顔を見上げる。
「アンナが欲しいものが俺の欲しかったもんだよ」
その言葉を耳にした私は何も言えなくなった。
瞳が奪われる。
セイルさんが向けてくれた笑顔がやけに眩しく見えて、胸が締め付けられた。




