11.研究好きの魔女
シーラさんは私たちの傍まで歩み寄ってきた。
金髪のストレートの髪を後ろに一束にまとめて、白衣を身にまとい銀色の細縁の眼鏡をかけていた。
眼鏡の下は碧眼の瞳で鼻筋はすらっと高く、眼鏡を取らなくても美人であることは一目瞭然だった。
彼女はセイルさんにしがみついている私を、顎に手を当てて前のめり気味にしげしげと眺める。
「なるほど。この方がマージさんが言っていた、セイルさんのこれですか」
シーラさんは上体を戻すと真顔でセイルさんに小指を突き立てる。
私はぎょっとしたが、セイルさんは「あのババァここにも顔出してんのか」と気にも留めていない。
慌てて誤解を解こうとしたが、シーラさんはセイルさんの言葉のほうが気になったのか「美容クリームを頼まれてるんですよ」と答えて、うやむやになってしまった。
誤解されたままなのは駄目だと分かっていても、わざわざ掘り下げてしまうのも変な空気になってしまいそうでどうしようかと悩んでいれば、シーラさんは私の髪の毛の束を手で掬いあげると観察するようにまじまじと見つめる。
「以前がどのような状態だったのかは不明ですが、パサつく髪に大事なのは油分です。かといって過剰に摂取するのは、逆に頭皮が荒れてしまうので加減は必要ですが。髪を洗った後は結い上げて体は洗いましたか?」
「はい。言われた通りにしています」
「背中などにかゆみはありませんか?」
「大丈夫です」
「そうですか。ならいいです」
シーラさんは私の髪の毛から手を離した。
色々と気遣ってもらって嬉しくなる。
私はセイルさんから離れて、改めてシーラさんにお礼の挨拶をしようとしたが、先にセイルさんが感心したように「へぇ」と声を上げた。
「やけに親切だな。数百年の間でなにか心変わりでもあったか?」
「当然のことを訊いたまでです。被検体の経過観察は基本ですよ?」
「アンナのことを被検体って言うな……」
私は黙って二人の様子を窺う。
会話が途切れたタイミングで、私は勇気を振り絞り声を上げた。
「あの、シーラさん。改めまして、アンナと申します。顔も知らない私の悩みにご親切に応えてくださってありがとうございました! これ、お口に合うといいんですけど……」
そう言って私は手に持っている瓶を差し出した。
シーラさんは私の顔を真顔でじっと見つめて、しばらく間を空けてから瓶を受け取った。
ど、どうしよう。特に何も言われない。気に入らなかったかな?
緊張で胸がどくどくと音が鳴り始める。
シーラさんは瓶の中のメレンゲクッキーを眺めては、リボンを指でつついていたが、ふいに顔を私に戻す。
「ほかに困ったことはありませんか? 体に対する悩みとか」
「え? ええっと、強いていえば鼻ですかね? 低いのがコンプレックスなんです」
「――なるほど。それなら私に任せてください」
「あ……いえ。魔法を使われるのは遠慮しておきます」
ご厚意は有難いが、やっぱり魔法で変えてしまうのは躊躇われる。
私の返事に、シーラさんは凛と言葉を返した。
「魔法など使わなくても鼻を高くする方法はあります」
「え? 本当ですか?」
「ええ。鼻にスッポンから取れたゼリー状のものを注射器で鼻に注入する方法です」
「す、スッポン?」
「まあ、亀みたいなものですね」
「か、亀?」
「ちなみに動物の軟骨からでも取れたりします。――ですが、失敗の症例もあるので、やはり鼻を切ったほうが綺麗に仕上がるかもしれませんね」
「鼻を切る……?」
言われた言葉が理解できないまま、復唱するとシーラさんは真顔で頷いた。
私が言葉を失っていれば、シーラさんが両手で私の顔を掴んで挟むと様々な角度から私の鼻を眺め始めた。
されるがままの私とシーラさんの間にセイルさん割って入り、彼女の発言を咎める。
「お前はまだ懲りずに人体実験しようとしてるのか……!?」
「安心してください。整形手術に関してはしっかりと実績は残していますので。実際に噂を聞きつけた貴族の女性が積極的に望んで、施術したことも幾度とあるので」
「ほ、本当に鼻を切っちゃう人っているんですか!?」
耳にした驚愕の事実に私はセイルさんの背後から顔を出した。
シーラさんは私に顔を向けて真顔で頷く。
「鼻だけではありません。ある方は目を大きくしたい、唇を分厚くしたい、指を長くしたいなど。古の時代から、女性の美に対する欲求は果てがないようですね」
「どうして魔法で頼まないのでしょうか?」
魔法で頼めばそんな痛い思いをしなくても済むというのに、なぜわざわざ危険な道を行こうとするのか。
その問いかけにシーラさんは、セイルさんの顔を一瞥してから答えた。
「魔女と魔法使いは気まぐれですので、自分に利がなければ簡単に力は貸してくれません」
「貴族の女性なら、お金はいくらでもありそうですけど、やっぱり国を動かすほどの大金じゃなきゃ駄目ってことなんですか?」
シーラさんは私の問いかけに、少し考える素振りを見せてから、誠実な表情で返事を返す。
「よく私たちは強欲だと謂われていますが、お金を受け取るのは建前に過ぎないんですよ。魔女と魔法使いが欲するのは、その場限りの快楽を得られるかどうかなんです。私の場合は知的好奇心をくすぐられるかどうか、ということになりますね。……まあ、中には例外もいますけど」
シーラさんはセイルさんをチラリ見る。
セイルさんはジト目で返し、そっぽ向いた。
「魔法で姿かたちを変えるだけなんてつまらない。だから、私は魔法を使わない方法で人体の変化を見たいんです」
セイルさんと思考が似ているが、少し変わっている方向性だ。
「ということで、アンナさん鼻を切られる覚悟はできましたか?」
「え!?」
「まだあきらめてないのかお前は……」
「いえ、なんか切りやすそうだったので」
じっと鼻を見つめられ、私は思わず片手で鼻を覆った。
するとセイルさんは「帰るぞ!」と言い放つと強引に私の手を取って、入ってきた扉に向かって歩き出した。
ぐいぐい引っ張るセイルさんについていきながら振り返れば、シーラさんと目が合う。
シーラさんは徐に瓶を持ってない手でポケットを探りはじめる。
「待ってください。――アンナさん、これを」
シーラさんの呼び止めに、セイルさんは足を止めたので、私も足を止める。
彼女は私たちの傍まで歩むと、ポケットから大きい洗濯ばさみのようなものを取り出した。
素材は木で出来ているのだが、挟む箇所は弾力のある素材で出来ていて、指に挟んでもそんなに痛くなさそうというのが見た感想だ。
「これは?」
「気休めかもしれませんが、これで鼻を挟めば一時的に鼻が少し高くなるよう感じられると思います」
「え? 本当ですか?」
「あまり長時間挟んでいると鼻を痛めてしまうので、お風呂上りとかに数分から数十分程度、挟んでもらえれば。――そして、これで物足りなくなったら、鼻を切りましょう」
「やっぱりそこに繋がるんじゃねぇか」
「ありがとうございます、シーラさん」
セイルさんは訝しんでいるようだが、私にとっては悩みの寄り添ってくれていることが素直に嬉しかった。
私が喜んでいる姿を見たセイルさんは、何か言いたげそうだったが、言葉を呑み込んで息を吐くと、シーラさんに顔を向ける。
「やけに積極的に親切だな。やっぱりなにか心境の変化があったんじゃねぇのか?」
「まあ、何か効果があれば研究の材料にもなりますし、それに――ここで恩を売っておけばまた手作りお菓子が貰えそうなので」
「……は?」
シーラさんはクスリと笑って、初めて笑みを向けた。
「脳が活性化するので、甘いもの好きなんですよ、私は」
セイルさんは隣で呆気にとられたようにぽかーんとしていたが、私はシーラさんの嬉しそうな表情を見てもっと喜ばせたいという欲に駆られて、気づけば言葉を口にしていた。
「それならいくらでも作って持ってきますよ!」
「それは楽しみです。――ふふ。体に吸収されてしまえば形などどうでもいいと思っていましたが、存外、他人の趣向を観察するのも悪くはありませんね」
シーラさんは独り言のように呟くと、嬉しそうに瓶に結んでいたリボンを指でつついた。
家に帰り、お風呂から上がった私は早速シーラさんから貰った柔らかいクリップを鼻に挟む。
少し息苦しい感じもするが、少しでも鼻が高くなればいいなと期待を抱いて部屋で過ごした。
あまり長い時間使っているのは鼻に負担がかかると言っていたので、ある程度してから外して鏡台を覗き込み鼻を確認する。
気の所為かもしれないけど、心なしか高くなってる……?
そう認識してからちょっぴり嬉しくなり、テンションが上がる。
シーラさんのおかげで、何もしないより何かしていたほうが自信が付くことが分かったのは凄い収穫だった。




