決戦へ向かわんとする者達
「アイボリオ様⁈ 」
僧侶が驚愕の声を上げる。
「我が忠実なる僕ホイットニーよ。そして我が庇護する勇者と、その仲間の者達よ…。」
「おお…、アイボリオ様が直接姿をお見せになって、わしに語り掛けておられる!」
さっきまでとはまた違う興奮状態の僧侶ホイットニー。目には涙まで…。
「我が身を案じてくれた事には礼を言う。そして我の為に命を捨てる覚悟で、戦いに赴かんとしたその献身にも、最大限の感謝をする。だが、今その者達と戦う必要は全く無い。」
静かに、だがきっぱりとした神の声が響く。
「この者、エボニアムの言っている事は偽りでは無いと?」
勇者が未だ剣を構えたまま神に尋ねる。
「エボニアム…此処に居るこの者が其方等を謀る理由は無い。」
「理由が無い…とは? エボニアムを始め、魔王四天王の面々はここまで我々人族と血で血を洗う争いを続けて来た仇敵であります。中でもエボニアムは残虐非道な殺戮や破壊の限りを尽くして来ており、卑怯な行いも数知れません。そのエボニアムが、我々人族の尖兵たる勇者パーティーを謀る理由が無いとは、どういう意味なのでしょうか?」
未だ神の真意を測りかねるのか、勇者が質問を続ける。
「それは、この者が其方の言う残虐非道で卑怯なエボニアムとは別人であるからだ。」
神の口から別人という言葉が出た途端に、どよめく勇者パーティー。ジンとビオレッタはさほど驚いた様子も無い。
「別人? って、影武者とか? 偽物とか?」
「双子の弟? ただのそっくりさん?」
俺の正体をめぐって混乱が広がる勇者パーティー。
「エボニアムの本質が"神"だという事は伝えたと思うが。」
「ホイットニーから聞いております。」
と、神の言葉に頷く勇者。
「神の本質は"精神体"だ。肉体は現世への物理的な影響力を得て世界に直接干渉する為の装置に過ぎない。我もそこは同じだ。従って肉体の滅びは神自身の滅びでは無い、肉体を失えば神は現世への介入手段をほぼ失うが、神そのものは人々に忘れられない限り消え去るという事は無い。」
「神の理として我等神官の間にはその様に伝えられておりますね。」
と、今度は僧侶。
「だがエボニアムが自ら用意した肉体は。体力、魔力、筋力、知覚全てが破格の性能であったのはもちろんだが、肉体そのものに本来神だけが持つ特徴である"不滅"の性質が持たされておるという極めて優秀な装置だ。恐らくエボニアム自身にも二つとは作れない、奇跡の産物とも言える代物だろう。」
「確かに、絶望的に強かったな。結局倒し切れなかったし。」
長身戦士が呟く。
「そう、奴の肉体を滅ぼすのは事実上不可能だった。神の肉体は、肉体としての生命維持が不可能な程損耗した時点で神の本質からは離れ、そのまま滅びてしまうものだが、奴の肉体は本質である神と分離して尚"不滅"であり、滅びる事が無いのだ。」
「そそそ…そんな事まで話されてしまっては…」
神自ら神の滅びについて言及するに至り、僧侶が心配の余り慌てふためく様子を見せるが、神は話し続ける。
「先日のエボニアムとの決戦の際、奴の肉体は其方等の働きによって一旦は完全に死滅し、その本質のエボニアムの精神も肉体から分離された。だが"不滅"の特性故肉体は勝手に復元されて行った、其方等も見た通りな。あのまま放っておけば肉体が復元し切った頃に元の精神が戻って来て、何事も無かったかの様にエボニアムが完全復活する筈だった。」
「はい、一度は跡形も無く吹き飛んだあ奴が、間を置かずして見る見る復元して来たのを見た時には絶望感に打ちひしがれましたな…。」
遠い目をして語る僧侶。俺はこの世界に来た最初の瞬間に目に入って来た彼の"打ちひしがれた"顔を思い出す。
「奴の完全復活だけは何としても阻止しなくてはならなかった。そこで我は、全く別の者の精神を呼び出し、元のエボニアムの精神が戻る前に、復元しかけのその肉体に押し込んでしまったのだ。」
「…………」
「………え?」
「………えっと…」
「……それって…」
「別人って…そういう?」
やっぱり…、俺がこうなったのにはこの神様が絡んでいた…、と言うか張本人だった! 当然嘘など言う訳もない神の口から飛び出したこの驚愕の事実を俄かには飲み込めない勇者パーティーの面々。
「つまり今ここにいるエボニアムは、肉体は間違いなく本人だが、中にいる精神はたまたま連れて来られた全くの別人と言う事か⁈ 」
「人が変わったみたいだって言ってたけど、人、変わってるんじゃないよ!」
やっと理解が追いついて声を上げる魔術師と女武闘家。
「正直、今このエボニアムの中にいる魂の主にとっては、騙し打ちも同然であった。本当に申し訳ないとは思っているのだ。」
俺が複雑な現状の中でかなり四苦八苦して来た事を見てとったらしい神。俺に対し頭を下げて来るが…。
「全くの別人に生まれ変わりたいと神様に願ったのは確かだ、騙されたとは思っていない。ちょっと…いや、大分思っていたのと違ってたのは間違いないけど…。」
俺はそんな風にそれに答える。
「すまぬ、異界に居た其方の魂を普通に生きている体から抜き取って、強制的にこの世界に連れ込み、未だ生命維持も満足に行えぬエボニアムの復元しかけの肉体に無理矢理押し込む…という仕事で力を使い果たしてしまったのだ。半分賭けであった魂の植え付けが思いの外しっくりと定着したのを最後に確認して、それきりコフィンに籠る事を余儀無くされた為、後のフォローが一切出来なかった、本人や、勇者パーティーの其方等への説明も、見知らぬ世界にいきなり投げ出された新たなエボニアムに行く道を示してやる事も。」
「そして気付いたら今であった訳ですか?」
その魔術師の問い掛けには首を横に振る神。
「断片的に、我の身の周りで起きた事だけは感じていたのだ。やむ無くその時居たこの地に程近い場所の異空間に潜んでコフィンとなったのだが、その場所をエボニアムに発見されてしまった。…魂の主よ、其方にはもう一つ詫びねばならん事が有る。其方の"元"の身体だが…、コフィンとなった我のすぐ傍らに置いて保管していたのだが、その時にエボニアムに乗っ取られてしまったのだ。」
そう言って改めて俺に頭を下げる神。
「あ? ああ…。」
「ん?」
「んん?」
ここまで何となく予想した通りだったという顔で聞いているだけだったジンとビオレッタが、神のこの発言に反応し、微妙な表情で顔を見合わせる。
「何っ…と…、最早跡形も無く四散してしまったと?」
あ、そうか。神様にはこっちが思い浮かべただけの事が伝わってしまうんだったなぁ…。
「…まあ、お陰で色々と踏ん切りが付いたけどね…。」
「うう…、すまない。其方の元の身体に入ったエボニアムにより我は魔王殿の奥深くに幽閉された。人々の祈りが一切届かない異空間の底で、我は神の力を回復する事も叶わず、どうする事も出来なかったのだ。あのままあの場所で永遠に封印されるところであった、其方等にあそこから助け出され無ければな。」
「何と…、で…では、お主等が最初此処へ来たのは…。」
「ああ、コフィンを魔王殿から持ち出して、その帰りだな。」
僧侶が差し挟んだ疑問に俺が答える。
「で…では…」
「今此処に居るエボニアムは言わば神様の恩人、悪い言い方をすればあたし達の目的の為の尊い犠牲者…ね。」
神妙な顔でそう断ずる女武闘家。あ…、僧侶と、神様もちょっとショックを受けてる。
「つまり我々が、そして我等が神が、このエボニアムの願いを聞き入れる義理なら充分過ぎる程有るって事になるな。…ただ、魔王を救えと言うのはさすがに…」
剣を鞘に収めながら勇者が困惑を示す。
「ちょっと待って、魔王様があんた等の思う様な諸悪の根源であるのかはもう分からないわよ! その理由を今、こっちの方のエボニアム…、ああもう面倒くさいっ! 此処に居る方は今後"ボニー"って呼ぶわよ。ボニーが説明した通り、魔王様のご意思なんてここ何十年も反映されて無かったのよ。」
焦れて来たのか思わず口を出すビオレッタ。それに対し未だ迷いがある風の勇者達だが…。
「先程其方の語った"魔王の現状"は、確かな事なのか、それに対し我に何を望む?」
と、神様自身は案外話を聞いてくれる気配なので、俺はそこを頼りに話を続ける。
「魔王様が枯れてしまったミドナ火山の代わりに自ら瘴気を生み出し続けているお姿は実際にこの目で見たばかりだ。本物の方のエボニアム…その正体は竜神ブラックドラゴンだったんだが、奴がその側に居て"死"の魔法を撒き散らすので、魔王様に近付く事が出来無い。しかも魔王様は常時気を失っている状況なので、声も届かない。唯一可能性が有るとすれば"念話"しか無いんだけど、魔王様の存在が高次元過ぎてこちらから発した念話は弾かれてしまう。だから、同じ高次元の存在である神様に魔王様とコミニュケーションをとってもらいたい。瘴気を吐き出すのを一旦止めていただいて、話し合いの場を持ちたいんだ。今のままでは魔王様は永遠の苦しみの中で瘴気を生み出す装置も同然だ。そしてこの魔大陸はブラックドラゴンの好き放題に運営され続ける事になってしまう!」
俺は必死に神に訴えかける。稾にも縋る様な気持ちで。
「ああ、了解した。其方の提案通りにしよう。」
これをあっさり了承の神。こっちがまごついてしまう程だ。勇者一行はやはりざわつくが、さっきまでとは明らかに旗色が違っている。
「しかし義理は有るとは言え良いのか、神様に魔王と直接話をさせるなんて?…。」
と、長身戦士が意見を言うが、もう真っ向否定では無い。
「いや、この者…ボニー…か?の頼みが無くとも、我はゴルダとは話をしなくてはならないのだ。」
と、それを受けての神の回答…だけど、
「ん、ゴルダ?」
「それは…魔王様の御名だ! 神は、魔王様の事をご存知なのか⁈ 」
ここまで黙って成り行きを見守っていたジンが声を上げる。魔王様、そんな名前だったのか…。
「ゴルダは我と祖を同じくする者、人で言えば、"妹"と言う事になる。」
「な…」
「何ですとっ⁈ 」
「…で…では、魔王というのは…」
「神…だ。」
またしてもこの場に巻き起こる衝撃。今回は神以外の全員がその坩堝の中だ。暫し声も無い一同。
「我々の魔王討伐という目的は、大幅に軌道修正する必要が有りそうだ…。」
絞り出す様に呟く勇者。
「すまんな。伝えておくべきだったのかも知れん。だが、ゴルダとの連絡はもう大分前からぱったり途絶えてしまっていたのでな。ゴルダ自身の気持ちが変わってしまったのかも知れんと疑ってもいたのだ。実際魔大陸界隈の状況がどんどん悪くなっているし、人族と魔族の対立は激化する一方だ。妹とはいえ何かしらの罰は免れられないだろうと思っていた。今回ボニーがもたらしてくれたゴルダの現状に関する情報は本当に有り難いものだ。妹が悪に染まった訳ではないと言う希望も出てきたし、一刻を争うほど悲惨な状況だという事も知れた。」
言葉や表情から神の感情は推し量れ無い。だけど、絶対今すぐ助けに行きたくていても立ってもいられない気持ちであるに決まってる! だって兄弟だもんな。クリムとジン、クリムとミント、そしてペールとコイーズ。仲の良かった兄弟達の姿が次々と思い浮かぶ。ただ最後に思い出したのは俺自身の兄の顔…、いやいやそんな事は無い、心配に決まってるじゃないか、…多分…。
「話が決まったのであれば、早速出発したいのだが。」
ジンの言葉に否やを言う者は最早無い。ジンの号令で空へ飛び立つジン、ビオレッタ、そして俺。神は自力で飛んでついて来てくれる。今回は勇者パーティーも付いて来たいという事で、丁度入れ替わりで到着したジュウベイに載せて来る様にお願いした。まあかなり嫌そうな顔をされたが…。
その話をジュウベイとしているついでに、俺は一つだけ気になっていた事をちょっとドラゴン語で質問してみた。この時側にいたのは懐のネビルブだけだ。
『…なあジュウベイ、お前も持ってるドラゴンの"アバター"って奴、ドラゴン本体が死んだり居なくなったりしたら、どうなるんだ?』
『…そりゃあ…、消えるね。本体有ってこそのアバターだからね。本体の死と共に…消えて無くなる…。』
『やっぱり…、そうか。』
そりゃあそうだろうな。俺は極力"そんなの分かってたさ"という顔でその話はそれで切り上げる。ジュウベイも、懐の中のネビルブも、その後はもう何も言わない。
そうこうする内に、最後の決戦の場、相変わらずもうもうと黒い煙を吐き続ける魔の山は徐々に大きく見えて来るのであった…。
ー第10話 終了ー