ミドナ火山での邂逅
魔王殿を飛び立った一行は、真っ直ぐに今迄もずっと見えていた火山に向かう。ここからならそこ迄遠い訳では無い。
程無く見えて来たミドナ火山の火口、もくもくと黒い煙が立ち昇っているが、あれが全て"瘴気"なのだろうか。ジンとビオレッタは何かマスクの様なものを装着して凌いでいる。俺もここ迄は大して影響無かったが、さすがに少し気持ちが悪い。
「この火山、死んでるな。」
俺達の方の調子が上がらないので今回はついて来れているジュウベイがそんな呟きを発するのが聞こえた。
「は、死んでる? 死火山って事か? でも正に今火口からはあんなに煙が吐き出されてるんだぞ。」
「この山の地下ではマグマが活動している気配が無い。グランドドラゴンの名誉にかけて、この山は死んでいるよ。」
そこはきっぱりと言い切るジュウベイ。確かに地下活動についてはこいつに勝る専門家は居ないだろう。となると、これは火山活動では無いと言う事だ。まあ灰でも炎でも無く瘴気を吐き出す火山なんて聞いた事無いが…。
「またとんでもない事を…。山からは私が生まれる前からずっと黒煙が上がり続けている、それはこの大陸で暮らす者全てが日々目にしている事実だ。それが全て幻だとでも言うのか…。」
ジンが反論めいた事を言うが、嘘だとは思っていない様だ。
「それで、ブラックドラゴンの気配とかはどうだ?」
「うーん…」
俺がそう聞くと、暫し目をつぶって感覚を研ぎ澄ます様子のジュウベイ。
「居るね。隠してるけど、火口の辺りに大きな存在が二つ有る。一つはドラゴンだ。」
「もう一つは…、魔王様か!」
その会話を横で聞いていたジンが俄かに色めき立つ。瘴気にあてられ調子が出ないのもなんのその、火口に向かってスピードを上げる。それについて行く格好になるその他の者達。やがて一行は山の火口の濃い黒煙の中に飛び込んで行く。
そしてそこにそれは居た。隠そうとはしている様だがそれでもだだ漏れている負のオーラ。岩肌にも見える黒々とした表皮は立ち込める黒煙の中に有って全く目立たないが、良く見ればその規則的な凹凸は鱗で有る事が分かる。
そしてそれは俺達の接近に合わせて首をもたげ、目を開く。4つの、ギラリと真っ赤に光る目が、俺達を睨みつける。頭の存在がはっきりした事でその全身の姿も見てとれる様になる。余りに巨大なその姿、ジュウベイが子供のドラゴンだというのを納得せざるを得ないそのサイズ感。そしてその大きさと共に醸し出す威圧感が近寄るものにプレッシャーを与えて来る。我々はその巨体を空から見下ろす格好なので少しましでは有ったが、地上でこいつと対峙する事になったらさぞ絶望的な気分だったろう。
そして、奴が首をこちらに向けた事で、その奥の"瘴気の発生源"が見える様になる。それは地下から湧き出して来る訳では無く、ある一箇所、正に"発生源"から噴き出してもうもうと空へ上がって行く。その為発生源そのものは見る事が出来無い。だが此処まで来ると俺にも分かる、ジュウベイが感じた"二つの大きな存在"のひとつがその"発生源"だ。
「お前が、エボニアムの正体か⁈」
巨竜に向かって問い掛けるジン。4つの目の一つがジンを睨んだ。
「…もう今更誤魔化しても仕方あるまいな。ああ、その通りだ。」
割とあっさり肯定するブラックドラゴン。まあ、遂に"本体"が見つかってしまったんだしな。
「それで…、そちらで瘴気を発し続けておられるのが、まさか…」
瞬間、奴の赤い目が少し笑った様な気がした。
「ああ、我等が魔王様が魔族の楽園を守る為、自らの身を用いて瘴気を生み出して下さっているのだ。」
やはり、あの瘴気が溢れ出て来る中心に魔王様が居るって訳か…。
「魔王様っ! おおお…なぜこんな事に…?」
ジンがその瘴気の出所に向かおうとするが、乗っている飛竜が嫌がって近付けないでいる。
「ダメよジン、あんな濃い瘴気の中に突っ込んだら防瘴マスクくらいじゃ防ぎ切れない、いくらあんただって数分で朽ち果てるわよ!」
ジンを引き止めようとするビオレッタ。
「いや、しかし…、だったらそんな瘴気の只中におわす魔王様はどうなる? このままでは魔王様が朽ちて死んでしまう!」
妹の時でさえ見せなかった様な狼狽えぶりのジン。それを嘲笑うかの様な巨竜の言葉。
「魔王様は不死身であらせられる、死ぬ事は無いよ。どんなに一度は朽ちたとしても、直ぐ元通り再生なさるのだ。ただその分生きたまま身体が朽ちて崩れて行く苦痛や激痛が永遠に続くという事になるのだが。もう何十年になるか、魔王様は余りの苦痛に気を失われ、目覚めたと思えばまた直ぐ気絶されを延々と繰り返されている。もう常時気絶されていると言っていい状態だな。」
「そんな…、気を失う程の苦痛を常時? もう何十年もか? 」
「…生き地獄ね…。」
鎮痛な面持ちのジンとビオレッタ。魔王がどんな方かも知らない俺は今一つ親身になり切れないが、その境遇には同情を禁じ得ない。
「何故、魔王様がこんな目に遭わなくてはならない? 」
「噴火が治ってしまったからさ。知っての通りこの魔大陸を覆う瘴気はここミドナ火山の火山活動の副産物だ。魔族にとっては無くてはならないこの瘴気だが、その火山活動が数十年前からぱったりと治ってしまった。魔王様はこれを大いに憂えた。このままではこの世界で唯一の魔族の楽園である魔大陸が、いずれ繁殖力で勝る人族に侵食され、魔族社会は縮小の一途を辿るだろう…と懸念されてな。」
「…知らなかった、ミドナ火山がこんな状態とは。魔大陸の生態系が激変するかも知れない大事じゃないか!」
「とは言え、どうするの? これじゃ魔王様に近付く事も出来ないし、コミニュケーションだって取りようが無いわ、だって気絶してるんでしょ?」
我を失いかけのジンに比べ幾分落ち着いた状況判断が出来る様子のビオレッタだが、打つ手無しで動けないでいるのは一緒だ。
「だからと言ってこのままでは…。エボニアム! 貴様は一体何十年も魔王様のお傍で何をしていたんだ、お助けする事を考えなかったのか⁈」
更に興奮状態のジンだが、巨竜は涼しい顔…に見える。
「我は魔王様のなさる事を見守っておるよ。魔王様がご自分で判断してなさっていること故お止めするつもりも無い。山の瘴気が枯れた件は魔大陸の存亡に関わる大事であるし、それに関しては我にはどうにも出来無いしな。」
「貴様…抜け抜けと。魔王様の振りまでして好き放題していたくせに!」
「あん、あの影武者の事か? 我なりに魔王様の言い残された理想や方針を忖度して運営していたつもりだが?」
「この期に及んでそんなお為ごかし信用出来る訳無いわよ!」
ビオレッタもそろそろキレて来た様だ。ジンと二人で巨竜を睨みつける。俺はその少し後ろにいて二人のフォローに回る態勢を取る。
「ほう、実力で我に抗議しようと言うか、面白い…」
そう、低〜く唸るような巨竜エボニアムの声がした、その直後、突然目の前が真っ暗になったかと思うと、ぼんやりと幼い頃に死に別れた父親が俺に"来るなっ!"と叫んでいるのが見えた様な気がする。
そして次の瞬間、目の前の景色がいきなり変わっているのに気付く。空に浮かびながらジンとビオレッタの背中を見ていた筈なのだが、今俺は仰向けに地面に倒れ、俺の顔を覗き込んでいるネビルブ、ビオレッタ、そしてジュウベイのデカい顔が目の前だ。
「クワッ! 生き返ったでクワッ!」
そんな事をネビルブが叫ぶ。
「…おいおい何だよ、俺がまるで死んだみたいに…。」
「いやいやあんた、今間違いなく1度死んでたわよ!」
ビオレッタからの少し強めの突っ込み。
「は、死んだ、俺が?…何言って…」
突っ込み返そうとしながら上体を起こそうとして、俺は何やら体の節々が痛いことに気が付いた。
「あれ、アタタタタ…、何だこれ?」
「兄貴、空中で突然生気を失って真っ逆さまに墜落したんだよ、人形が落ちてくみたいに。キャッチしに行こうとしたけど、オイラ飛ぶのは苦手で…」
すまなそうにジュウベイが説明してくれる。気付けば今しも落下ダメージらしき身体の傷が治りつつある、落ちたのは本当らしい。死んだのも多分本当だ、そしてまた即"不死身"の能力が発動して生き返ったのだ。さすがに死んだのは初めてだが。しかし何だって急に…。
「ボニー、復活したのか、直ぐ退却するぞ、急げ!」
ジンの声が響く、ハッとなって立ち上がり、俺の手を引いて飛び上がるビオレッタ、先を行くジンの飛竜に追随する。未だ訳が分からないながら、あのジン・レオンが退却を選んだ事からヤバい状態なのは分かったので、俺も自分の翼を本気で動かし始める。
火口から出たか出ないかの所でジンが突然スピードダウン。
「しまった!」
ジンが呟くのが聞こえる。そんな彼を追い抜きざま、ビオレッタが何かの魔法を発動させると、ジンの体がフワリと飛竜を離れる。あっ、これ、"浮遊"の魔法! これが発動した場面を見た事が有る俺は、とりあえずジンの腕を掴み、そのままジンを引っ張って逃走を続ける。
「すまんっ!」
見るとジンの騎乗していた飛竜が枯れ葉の様に落下して行く。
「あんたもさっきはあんな風だったわよ。」
ビオレッタが俺に向かい告げる。何だあれ、いきなり死んだのか?
「ブラックドラゴンは"死"を司るのが最大の能力でクエ! 問答無用の"死"が与えられるクエ!」
そんなとんでもない情報がネビルブからもたらされた直後、またしてもあの目の前が暗くなる感覚に襲われる。が、今度はこれがそれか!と分かった為、何とか気を持ち直す。そしてどうにか山からある程度離れたところまでやって来た。あれはヤバい、分かっていても百パー抵抗出来るかは怪しい。て言うか"不死身"の有る俺以外の者は一度抵抗に失敗したらそれで終わりだ。あのジンが撤退を即決したのも無理からぬ事、むしろファインプレーと言える。
「ふう、ヤバかったわね、あれを何十回も喰らったらさすがに全部跳ね退ける自信は無いわ。あんまり短期間に連発出来なさそうなのが不幸中の幸いね。」
「ああ、あれは何か対策しなくては、あっという間に全滅だ。問答無用で死を与える力…、あれは魔法なのか?」
俺に手を引かれたままのジンとビオレッタが対策を練り始める。
「冥府魔法ってやつね。生者の命を強制的に冥府送りにしたり、死者を操ったり、所謂死にぞこないを作ったり…。あんな風にね。」
そう言って後方をあごで示すビオレッタ。「ん?」と振り向く俺とジンの目にこちらへ向かって来る飛竜の姿が映る。さっきまでジンが乗っていたやつだ。だが、明らかに異常な光を放つ目と、全身の落下ダメージ跡が、それがまともに生きている存在で無い事を窺わせる。
「…くそ、あれで私達をどうにか出来るとは考えていないだろうが、嫌がらせのつもりだろうな…」
と言って歯噛みするジン。実際死に損ない飛竜はビオレッタが「あんまり得意じゃ無いんだけど」と言いながら放った炎の魔法の一撃で消し炭となり、そのまま落下して行った。