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ハッピー・バースデー・トゥ・ミー

作者: 山本 歩乃理

 増えてきた周囲の雑音を鬱陶しくは思っていた。けれど、29歳の誕生日に胸がザワつくことはなかった。いよいよ20代も最後の年か、って程度。


「アヤ、あなたにいい人いないの?」


 たまに帰省すれば、母親はすぐこれだ。


 私が中高生だった頃は、私の色恋沙汰なんて歓迎していなかったくせに。勉強の妨げになるだとか何とか、ネチネチ言われたものだった。


 それが今ではどうよ、これ?


「休日にデートに誘ってくれる人の1人や2人ぐらい、いないわけ?」


 いるわけがない。


 そろそろ中堅社員だ。それなりに責任のある仕事も抱えているし、はっきり言って忙しい。平日は単身寮と会社を往復するだけになっている。


 その分、休日は好きなことをしなければ!


 私の趣味は観劇だ。観劇の予定がない日だって、公演スケジュールのチェックに、チケット購入に、と忙しい。


 とにかくおひとり様が楽しいし、今はそれだけで精いっぱい!


 結婚に対して、決してネガティブなわけではない。


 ただ、未婚の友達も多いし、社内には30を過ぎて結婚した先輩だって何人もいる。


 だから、私にもこれから自然な出会いが待っていて、自然な流れで結婚することになるのだろうと、のんびり構えていたのだった。



◻︎



 ところが、ところが……である。そんな私が、あらら? マズいんじゃ……と初めて思ったのである。


 それは2023年の女性平均初婚年齢が29.7歳というデータを目にしたときだった。男性だって31.1歳!


 みんな、そんなに早く結婚しているの?


 私と私の周りが遅いだけ?


 私はこのとき既に、29歳6ヶ月になってしまっていた。あと2カ月しかない。今さら焦ったところで平均年齢までに結婚するなんて不可能だ。


 よくよく思い返してみれば、29年と6カ月の間に自然な出会いなんてあった?


 全くなかったわけではない。彼氏がいた時期もある。


 けれど、結婚につながる出会いは?


 ない! なかった!!


 それなのにこの先には待っていると思う?


 そんなの、もちろん否、だ。これからの方がもっとないはず。


 今はおひとり様が楽しい。でも、5年後、10年後、はたまた20年後はどうだろうか?


 そこで胸を張って、楽しい! と言い切れるなら、このままでいい。でも違ったのだ。淋しくなるかもしれない……という不安が襲ってきたのだった。


 子どもはどう? ほしい?


 結婚できるのなら、ほしい気がする。そして産むのなら、高齢出産になる35より前がいい。


 …… ……


 それなら、自分から動くしかないよね? 白馬の王子様が都合よく私の元へやって来てくれるのを待っているだけでは、何も起きないのだから。


 よし、現実的な数字目標を立てようじゃないの。


 先ず平均年齢までに結婚するという目標を掲げるには遅過ぎだ。これは端から諦めるとして…… 。


 では、35までに出産するというほうはどうだろう。こっちは今後のがんばり次第で間に合う可能性がありそうだ。


 うん、決めた!


 30の誕生日までに将来の伴侶となる人と交際をスタートする。そして31までに結婚して、それから3年以内に妊娠する!



◻︎



 しかし、しかし……である。どうしたら半年以内に将来の伴侶と出会って交際までこぎ着けられるの?


 相談するとして、私同様に結婚の気配が皆無の友人が相手では駄目だ。


「誰かいい人紹介してほしいんだけど」


「えーっ、こっちが紹介してほしいぐらいだよ」


「出会いってどこにあるのかな?」


「知ってたら、私が既に出会ってるって」


 そんな無意味な会話に終始するのが、容易に想像できる。


 そうかと言って、既婚の友人は小さな子どもの育児中だ。成人している他人の面倒なんて、見ている場合ではない。


 相談するなら……



◻︎



 週末に待ち合わせしたのは、アジア料理のお店。


「急に呼び出したのに、今日はありがとう」


 大学時代からの友人であるサヤカ。元々可愛いらしい雰囲気の子だったが、最近は大人っぽくなって綺麗になった。


「ううん、こっちこそ誘ってもらえて嬉しかった。今のうちに友達ともいっぱい会っておきたいのに、みんな遠慮してくれてるみたいで」


 サヤカは最近結婚が決まったのだ。


 先ずはサヤカの近況を聞いた。お互いの実家に挨拶を済ませ、結納の詳細が決まったところだと言う。


「式と披露宴はしたくなかったんだけど、向こうのご両親がそれは認めてくれなくて。入籍と挙式の時期をどうするか、これから協議しないといけないの」


 そうか、プロポーズされたからと言って、すぐに入籍できるとは限らないのか。


「でもサヤカと相手の方って、出会ってからプロポーズまでは早かったよね?」


「だって結婚相談所の紹介だからね。5ヵ月とちょっと。紹介されてから、仮交際、真剣交際までとんとん拍子だったんだよね」


 そうそう、これを聞きたかった!


 正直なところ、まだ28だったサヤカから結婚相談所に入会したと聞かされたときには驚いた。そこまでしないと結婚できないの? と。そして、そうまでして結婚したい? と。


 しかし、半年以内に結婚前提のお付き合いを始めるには、サヤカのことを笑ってなんかいられないことに気づいた。


「結婚相談所だったら、みんな大体そのぐらいで決まるもの?」


「決まる場合は多分そうなんじゃないかな。でも成約率は10%ぐらいしかないの。だから、がんばって活動したんだよ」


「はあ? じ、10%!? 嘘でしょ? お金を払っているのに、9割の確率で結婚できないなんて!」


「結婚できないは言い過ぎ。相談所で婚活した結果、身近な同僚の良さに気付くっていうケースもあるらしいよ」


「同僚……」


 飲み過ぎたわけでもないのに、目眩がしそうだった。


「だって手段が増えたって言っても、結婚相手と出会う場所の定番は結局、学校や職場でしょ」


 学校や職場……私の場合は今さら期待なんてできない。出会えるものなら、とうに出会っている。


「何なに? アヤも結婚したくなった?」


「あー、どうかな……いい人がいればね」


 サヤカに見栄を張ってどうするんだ、私。30目前に焦りを感じるようになったと、打ち明ければいいじゃない。


 サヤカには私の本心を見透かされていたと思う。サヤカが婚活を始めたときにこっそり鼻で笑っていたことも、今になって自分も婚活を始めたくなっていることも。


 それでも追及はされなかった。流石、結婚できる子は人間ができている。


 落胆したのを必死に隠し、披露宴に出席する約束をして、サヤカと別れた。



◻︎



 月曜、出勤し職場を見渡してみた。部長、課長以下、既婚者は大勢いる。


 部長は職場結婚。あっ、課長もか。お見合いに、大学のサークル、職場、大学時代のバイト先、職場、職場ではないけれど仕事関係(合コン)、職場、友人の紹介(合コン)、マチアプ……。


 改めて見てみると職場結婚が多い。


 いちいち嫌味なおじさんや、詰まらない話をボソボソとしかも長時間喋るおじさんですら、職場で伴侶と出会えているっていうのに。どうして私は何の出会いもないまま30を迎えようとしているのだろうか。


 今度は独身男性に目を向けてみた。


 楽しい人なんだけど水谷さんはバツイチだし……いや、バツイチでも構わない。ただ、元・奥様もこの会社の社員なのだ。フロアが違うとはいえ同じビルで働いているというのは、どう考えても気まずい。


 後輩の面倒見がいい佐々木さんは、長く付き合っている彼女がいて、そろそろ結婚を考えていると飲み会で話していた。


 他にめぼしい人は見当たらない。時代劇が大好きで、お家時間はもっぱら時代劇専門チャンネルを視聴している本田さん。それからアイドルを追いかけるのに忙しくて、彼女は要らないと宣言している栗下くん……。


 はあ、やっぱり職場にはいいご縁なんて転がっていないらしい。



◻︎◻︎◻︎



 役職付きの人間が重苦しい空気を吐き出しながら、ぞろぞろと会議室から出てきた。その中には眉間にシワを寄せた課長も混じっていた。


 ひと目で分かる。あれはヤバいトラブルでも起こったな。


 課長が自席を素通りし、こちらへ向かってくる。部署のメンバー全員がパソコンのモニターを注視しながらも、神経は課長の向かう先に集中させていた。


 課長が足を止めた!

 

「森下、至急で対処が必要な案件ができたんだが、残業頼めるか?」


 うっわー、私のところに来たよ……。


 私を除く全員の緊張が一斉に解けるのを感じる。


「今緊急の仕事もないですし、予定も特にないですからいいですよ」


 ため息が漏れそうなのを我慢して、そう返事をした。


 予定を入れられなかったのだから、仕方がない。本当に終業後の予定はひとつもないのだ、今日という日にも。


 結婚相談所に入会もしなかった。ダメ元で誰かに紹介をお願いすることもしなかった。


 この半年というもの、心の中でヤバいヤバいと言っていただけで、有限の時間とお金を相も変わらず観劇に費やし続けてきた。


 だからこれは当然の結果……。


「それは21時以降の残業も必要な仕事量ですか?」


 社内規定で21時を過ぎての残業は、上司の特別な許可が必要になる。


「あー、どうかな。それは大丈夫だと思うんだけど……」


 せめて21時になるまでには終わらせたい。


「分かりました。絶対に21時前に終わらせます!」


 そうしてラストオーダーが21:30のビストロに行って、ひとりで乾杯してやるんだ。



◻︎



「くー、課長めー!」


 時計の針は20:55を示していた。


 なんとかギリギリで仕事を終わらせられた。しかし、21時までに終わらせるために集中し過ぎてぐったりだ。


 パソコンの電源を落としながら、周りを確認した。フロアの消灯も必要だろうか?


 ……と思ったら、すぐ斜め後ろに本田さんがいるじゃないの!


「本田さんはまだ残業ですか?」


「うーん、どうしようか悩んでる。特別申請も出してないし。明日30分早出しようかなー。森下は帰るの?」


「帰る……というか、今から駅前のビストロに行きます!」


「えっ、こんな時間からあのビストロに!?」


「はい。だって今日は30の誕生日なんですよ」


「だ、誰の!?」


「私のに決まってるじゃないですか。せめて本田さんだけでも、おめでとうって祝ってくれます?」


「ち、ちょっと待ってろ。2分だけ!」


 なぜ2分待たなければならないのだろう?


 確認したかったけれど、本田さんが猛烈な勢いでキーボードを叩き始めたから黙って待つことにした。少しぐらい時間をロスしたところで問題ない。ラストオーダーには十分間に合う。


「よし、パソコンもシャットダウンした。行くぞ、森下!」


 本田さんは鞄を引ったくって、威勢よく立ち上がった。


「はあ?」


「だからビストロに行くんだろ? たっかいワイン注文してもいいぞ。今日はご馳走してやる」


「えっ、本田さんも行くんですか? でも本田さん、家に帰って時代劇チャンネルを見たいんじゃないんですか?」


 本田さんと2人きりであのビストロに行くの? しかも私の誕生日に?


「おおーい、時代劇は確かに好きだけど、あれは他にやることがないから見るもんなの。他でもない森下の誕生日より優先するもんじゃない」


 なんだ、そこまで時代劇、時代劇しているわけでもないんだ……って、んん? 他でもない私、の誕生日……? なんだか仰々しい言い回し……。


「は、はあ。それ、は光栄……です……?」


「だから、ほら、その何て言うか……」


 本田さんが照れたような顔をした。


「ああ、とにかく出発するぞ! ほら!」


「あっ、は、はい!」


 今夜のワインはとびきり美味しいに違いない。そんな予感がした。



END



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