7 「正面の木に飛び移ってくれ。出来るか? 出来ないなら良いけど」
不味い。見付かった。
今日はもう誰も来ないと思ったのに。靴音すらしなかったじゃないか。
(やっぱり何か勘付かれてたっ!?)
緊張と強烈な違和感が同時に襲ってきて頭が真っ白になる。
「ぇ、いやっあの」
慌てて振り返ると、光石の微かな灯りに人影が浮かび上がっていた。
青色の髪をした同世代の青年だった。
全身黒く、しなやかながら鍛えられた体のラインが出たタイトな服を着ている。
それ以上は暗くて良く分からなかったが、こんな人知らない。
謎の人物の登場に内心動揺する。
「お前がサテラ・クェンビーか?」
「そう、だけど……」
一体この人は誰だ。聞いた事のない声だ。
疑問に思っていると鉄格子越しに人影が動いた気配がし──ガチャリ、と牢屋の扉が開いたのだ。
「ぃ!?」
ここ数時間ずっとどう開けようか悩んでいた物がいとも簡単に開き、目を見張って牢屋に入って来た人物を見る。
鍵を持っていたので看守なのかと思ったが、黒ずくめの男性はどう見ても看守ではない。
「あの……?」
「静かに」
一体何をする気だ、と聞きたかったが止める。騒ぎ立てて解決する状況とは思えない。
すぐ近くまで男性が来た気配がした一拍後、ゴトリと足枷が地面に落ちる音がした。
「え」
「話は後だ。今は逃げるぞ、きっともうすぐ看守が来る」
理解する。
この青年は、何らかの理由で自分を助けようとしてくれている事を。
看守は先程、闇に隠れたこの青年の気配を訝しんだのだろう。
そして何故か先程の看守が戻ってくるかもしれないのだ。
「廊下の突き当たりに窓があるだろ? あそこの外に俺の竜が待機している。そいつに乗るぞ」
自分の竜を持っているとは、どうやらこの青年は貴族階級のようだ。
そのような者がどうしてこうコソコソ自分を助けるのか分からないが、まずは逃げる事が一番だ。
コクリと頷き青年の後を追い牢屋の外に出た。大人しくしていたとは言え節々が痛み眉を寄せる。
窓が開いている廊下には、微かに夜風が吹き込んで来ていた。
月明かりのおかげで先程よりも青年の存在を感じやすい。
窓の前で青年は立ち止まり振り返る事なく言う。
「正面の木に飛び移ってくれ。出来るか? 出来ないなら良いけど」
正面の木はこの窓から少々離れている。
青年のように背の高い男性なら太い枝の上に渡るのは簡単だろうが、自分だとこの距離は難しい。
助走を付けなければ地面に落ち、6階故に確実に死んでしまう。
「ここを、ですか……申し訳ありません、全身に痛みが残っている今の私では出来ないかと思います」
「分かった。じゃあ竜を持ってくる」
目を伏せて伝えると青年は「だよな」と頷き、窓枠に乗り軽やかな身のこなしであっという間に木の幹を降りていく。
まるで大陸を巡回しているサーカス団員のよう。
どうやらこの青年は、体を動かすのが得意なようだ。
「ふう……」
貴方は誰、と言う疑問は残るが。
これで脱獄は出来そうだ。後は父の村に行けないか青年に交渉してみよう。
そう一息ついた時。
「──ラッ! サテラ・クェンビー!!」
階下から自分を呼ぶ女看守の切羽詰まった声が聞こえてきたのだ。
(もうっ!?)
青年が「看守が来る」と言ってはいたが、それがこのタイミングで来るとは。
カツカツカツッ! と迫って来る靴音に頭の中が白くなる。
窓の外、竜はまだ来ていない。
しかし靴音はどんどん近付いてくる。
「なっ何をしているっ!? 待てっ逃げるなっ!」
光石の微弱な光と月明かりで自分を把握したのだろう。慌てふためく声が後方から聞こえる。
(仕方ない、待たずに飛ぶしか……っ!)
窓枠に足をかけ深く息を吸い――決意と共に蹴り出す。ズキリ、と足が痛んだが、それは無視した。
メイド服のスカートがぶわりと膨らむ。枝の上に着地出来るかと思ったが――無理だった。
「待てっ!!」
「ああっ!?」
追い付いた女看守にスカートの裾をぐいと掴まれ、跳躍に失敗したからだ。
一瞬の浮遊感のすぐ後、襲って来るのは落下に転ずる不安定な感覚。
「あぶなっ!」
このままだと落ちる――掴める物を求めてあがいた手は、ざらつきささくれ立った枝を掴む事が出来た。
「はっ……!」
が、枝に宙ぶらりんになっただけの事。
このままだと地面に叩き付けられる。
「っ……大罪人は脱獄に失敗して窓から落ちたんだ! 私のせいじゃない……! 私はっ、私は、そうだっ、先輩達が気絶しているのを助けに戻らないと……!」
飛び降りの邪魔をし大罪人を殺した自覚があるからか、自分を正当化するかのような看守の声が窓からし、すぐに遠ざかっていく。
「まず……っ!」
このままでは落ちる。腕1本では長く持たない。
監獄棟は城内の一等外れにあるので、偶然誰かが通りかかる可能性は低い。
そもそも、通行人に助けを求めたところで解決する事態とも思えない。
こんなところで木にぶら下がっている人間なんて、脱獄に失敗して命を落としかけてる馬鹿な囚人なのだから。
「早く……っ!」
あの青年が来てくれる事を祈り、爪を食い込ませる程強く枝を掴む。
──と。
「っ何してるんだよ!」
すぐに待ち望んでいた声が聞こえホッとする。微かに風が強くなったのも、近くを竜が羽ばたいているからだ。
しかしホッとしたのも束の間。
「っ!」
パキッ! と言う音が、しがみついている枝の根本から聞こえたのだ。
同時にその分だけ体が落ち――弾みのついた枝がパキパキとどんどん折れていく。
「やっ」
「危ないな!」
目を開けているのが怖くてぎゅっと目を瞑った時、一際風が強くなり胴体がふわりと浮いた。青年に手を回されたのだ。
枝から手を離すとドスッと革の上に落ちた。すぐに竜の鞍だと分かったので、安堵の息を吐く。
「はっ……有り難う御座いました。危うく地面に落ちかけるところでした」
「生きてて良かったよ、お前に死なれたら俺は困るんだ。どうしてあんな状況に?」
「あの後すぐ看守が来まして、捕まる訳にはいかないと枝に飛び移ろうとしたのですが失敗しああなったと言う訳です。看守は仲間が気絶していると言っておりましたが、もしかしてそれは貴方が?」
この若そうな竜は夜戦用の黒い軽鎧を身に着けていた。すぐに掴まれるところを探し姿勢を安定させる。
流石に素性が分からぬ青年の背にしがみつく勇気はなかった。
「俺だな。お前の牢屋と足枷の鍵を貰う為にやった」
何て事無さそうに言う青年は少し素っ気無い。
(……本当に誰だ、この人。竜が臭いを嗅ぎ付けて来ないって事は、指名手配犯ではないのかな)
こんな真似をして助けてくれたと言うのに、その素っ気ない態度に違和感を覚える。
「あの……貴方は誰で、この竜はどこへ向かってて、どうして私を助けてくれたのでしょうか?」