33 「サテラ……ごめんな……」
青い瞳から滲んだ涙は、やがて筋となり白い頬を伝い落ちていく。
フィーはそれを手の甲で拭い、もう止められないとばかりにまくし立てていく。
「私が王位を継いだら飛空制限を撤廃するから協力してくれないか、って。ミックちゃん実は性悪で驚いたけど、元々深く知らない子だったし、利害が一致しているから良いかって」
その言葉にカイがぴくりと反応を見せる。
今も呆然としていたが、気になる言葉があったようだ。
「飛空制限を!? 何でそんな事を」
「さー? 本人に聞いたら良いじゃん」
ふいっと拗ねたように突っぱねるフィーに、その理由を教えてくれるつもりは無さそうだった。
「透明になったミックちゃんがさ、サテラちゃんと一緒にあの部屋入ったの。それでまたサテラちゃんが出て行った後、着替え中にぐさっ! ふふっあいつが死んで清々した──」
「っ黙れ!!」
フィーがディアスの死を喜ぶ光景なんて見たくなかったのだろう。青褪めたカイがフィーの声を遮るように怒鳴った。
「っ!」
その声に叱られたかのようにフィーがビクついたかと思うと、ジロリとカイを睨んだのだ。
「……フィーね、ディアスちゃんだけじゃなく、ロンガから逃げてばっかのカイちゃんも嫌いだったのよ! 兄弟仲も良くてさ! なんでここはギスギスしないのよ、しかも何でこの子だけ亡命を許されるのよズルいでしょ、って腹が立って仕方無かった!! 嫌いっ嫌いなんだから!! フィーの為に死んでよ!!」
「っ」
──フィーの態度が変わった。
今までただただ吐き捨てていたと言うのに、まるで地団駄を踏む少女のように叫び出したのだ。
実戦経験の無い自分でも分かる。
槍を持っているこうなった人が、次に取る行動を。
「カイ様!!」
なお呆然と立ち尽くしている王子の名を叫ぶ。
何処を見ているのかいまいち分からないカイは、それでようやく我に返ったようだった。
「っ!」
直後、ビュッ! と風を切る音がした。
自暴自棄のように顔面に迫って来た槍を、カイが弾き返した音だ。
「だからっ死んでって言ってるじゃんっ!!」
廊下でこんなに騒いでいると言うのに、誰かが止めに入ってくれる事もない。何処までもここはフィロレッタだ。
「フィーっ! だからっ!!」
「きゃっ!!」
赤き舞姫の叫び声と同時に、硬い物が落下したけたたましい音がした。
どうやらカイがフィーの槍を弾き飛ばしたらしい。赤い槍が狂った秒針のように少し離れた床の上で回っている。
「フィー……! っそんなの……聞いてくれっ!!」
憔悴した表情のカイは、こんな状況で、フィーの慟哭を聞いた直後だと言うのに。
今も義姉と話し合えるのではないかと思っているのだ。
そんな訳、無いのに。
「本当仕方無い王子様!!」
カイにフィーは傷付けられない。
フィーから槍が離れた今しか、逃げるチャンスは無い。
「カイ様っ!!」
気付けばカイのチョーカーを引っ張って玄関に向かっている自分が居た。
「っ! サテラっ!?」
予期せぬ出来事に動揺を隠せぬカイの声がするが、構わず玄関扉を開けて外へ飛び出す。
逃げなければならない事は、カイも何処かで理解していたのだろう。動揺している事もあるのか、その体は思っていたよりもずっと無抵抗だった。
湖が近いからか、朝日の下は初夏の割に涼しい。
「逃げないでっ!!」
槍を拾ったフィーの悲痛な声が廊下から聞こえてくるが、それから逃げるように中庭に走っていく。
「……っ」
カイが何も言わず着いてくるのが、余計にいたたまれない。
はあっ、と庭園を突っ切るように逃げると、そこにはフィーの竜──コリーが休んでいた。
自分達の騒ぎは余裕で聞こえていただろうに無視していた辺り、彼女は主人の事があまり好きではないのかもしれない。気が強そうだし、アンドとは随分違う。
「お願いっ、逃げたいんだ! 乗せて!」
突き飛ばすようにカイを鞍に押しやり、自分は運転席に座って手綱を掴む。
「ぶあああー…?」
「お願いっ!」
眠そうなコリーは自分の声に反応が薄かった。
「ちょっと!」
なかなか飛ばないコリーに焦っていると、槍を拾ったらしいフィーがこちらへ駆け寄ってくる。
「お願いっ!!」
「ぶあっ!」
それを見てコリーは目が覚めたらしい。
一度主人を見た後、フィーの手が届く前に上昇する。
建物を越え太陽に近付いた分気温が少し上がった気がした。
「えっ何で人の竜で簡単に飛ぶのよ! ってか平民の癖に竜乗れたの!?」
「うっさい! フィー様が、アンタがこの子に信頼されてないだけだろっ!! 私は嵐騎士ギルベルト・レーベンハイトの娘! 竜くらい乗れる!!」
竜の影が落ちている地面で飛び跳ねながら文句を言っているフィーに、負けじと文句を返す。
その際、すぐ後ろに居る青髪の青年をチラッと盗み見る。
「……」
未だ俯いているカイは、遠ざかるフィーを横目で見ているようだった。
「カイ様…………」
呟きながら、中腹に向かって隠れるような飛行を続ける。
「昼間に動くのは危険です。とりあえず一度身を隠しましょう」
確かこの辺りに身を隠せそうな森があった筈、と思った時。
「サテラ……ごめんな……」
羽ばたきにかき消されそうな程小さな声が、鼓膜を掠めたのだ。
「……いえ」
微かに首を横に振りながらその声に応える。
振り返らなくてもカイが今どんな表情をしているかが分かって、無意識の内に唇を噛んでいる自分が居た。
「……」
それからはどちらも口を開く事が無く、他の竜の目を盗むように静かに崖っぷちに着陸した。
「お疲れ様、乗せてくれて有り難うね」
大樹の下に広がるちょっとしたスペースに隠れ、ふううう、と息を吐く。そのまま胸を膨らませると、初夏の森の蒸れた匂いが肺を満たしていった。
一先ず、少しならここで身を隠せるだろう。
「カイ様、大丈夫ですか? ……ふう」
鞍から地面に降りて振り返り──そうだよな、と息を吐く。
いつの間にかカイは運転席に移動しており、意識の無い人物のようにぐったりとコリーの首に抱き着いていたのだ。顔はこちらを向いていない。
別荘の従者達に裏切られた時、カイがこれ以上裏切られたら持たないだろうな、と思った通りになった。




