30 (浴室にも窓があって落ち着かない……)
第2王子のままでも十分恵まれていると言うのに、どうしてこれ以上の地位を望むのか。自分には少しも分からなかった。
次にカイが呟いたのは、自身の愛竜への心配だった。
「……アンド、今どこに居るかな」
「何処かに保護されていると思います。明日フィー様に聞いてみましょう」
愛竜を大切に思う目の前の青年に、ミックに腹立たしさを覚えていた気持ちも少しだけ凪いだ。
そうだよな、と自分に言い聞かせるようにカイは呟き、こちらにペリドットのような瞳を向けてくる。その瞳は洞窟にいる時よりもずっと和らいでいるように見えた。
「お風呂。頼めば沸かしてくれるから入ったら?」
「はい、頂きます」
その事に嬉しくなり気付けば声が弾んでいた。
「俺は奥の部屋でもう寝る」
何時の間にかカイが残りのサンドイッチも全て平らげていたので、場に出ている白い食器達を片付け着替えを持って部屋を後にする。
夜空だろうと相変わらず上を見ている使用人達は、厨房に入って来た自分をチラリと見ただけで何も言わなかったし、だからこそ居心地の良さを覚えている自分がいた。
逃亡の身であるとは言えカイは王子。流石にここの人達も風呂は沸かしただろう。
だが自分はドブネズミ。厨房での反応から察するにお客様気分では居られないだろうから、風呂は自分で入れる事にした。
(浴室にも窓があって落ち着かない……)
夜空がこうも堂々と見えるのは恥ずかしいが、この要塞に風呂を覗く人は居ないだろうと割り切り、久しぶりに汗を流した。
フィーが用意したという薄水色の麻の服は、腰紐で留めるタイプの通気性の良い物。
これに七分丈のパンツを履くと気分も涼やかになる。
部屋に戻ったら、宣言通りカイの姿はもう無かった。もう奥の部屋のベッドの上に行ったのだろう。
(私も寝れる内に寝ておくか)
隅に置いてあるベッドに潜り込み――気が付いた。
(流石……朝になったら眩しそう……ってかこの位置にこんな大きな天窓あるとか……)
ベッドの真上には、必要以上に大きい天窓。
この部屋に居る限り、決して生活リズムが不規則になる事は無いだろう。
同時に思う。
フィロレッタ家の人は、飛空制限を起きた瞬間から気にしなければいけないのか、と。
「あたた……っ」
久しぶりに感じるシーツの柔らかさに忘れていた体の痛みがじわじわ蘇って来たが、もう眠りを邪魔する程の痛みではない。
(まあ……起きたらここから動けば大丈夫か。竜騎士も流石にここで私が寝ているとは思わないだろうし)
ゆっくりと目を閉じ深呼吸を繰り返していく内に、気が付けば眠りに落ちていた。
***
──良い? イリアなんかの子に、ディアスやカイなんかに、王位を渡しては駄目だからね。私は貴方にやって欲しい事があるのだから!
──で、ですが母様……僕は……。
──お黙り! 母親に口答えする気っ!?
──痛っ! ……ご、ごめんなさい……。
──カイは第3子だから優先度は低いけど、ディアスが邪魔なら機を見て殺しなさい。使える物は何でも使って、いっそ土砂崩れを起こす気概でやるのよ!
──は……い……。
思い出すのは戦時中に交わした母との会話。
あの時の母は、端正な顔を悪魔のように歪めて自分を叱りつけたものだった。
あの頃の自分──ミック・ミカエラ・ロンガ──はまだ、動かなくなった動物を見て涙ぐむような純粋無垢な少年だった。
それが今やすっかり優美王子として人々を欺き、異母兄を殺しドブネズミに罪を擦り付けるような大人に育っている。
(私も少しは母上の期待通りに成長出来たと言うわけか)
日も上りだした早朝。
第2礼拝堂に向かって歩いているからか、母の事を良く思い出す。
母イリアは元々6合目の町の酒場の娘で、その美貌から彼女目当ての客も多く、城のメイドになる前は評判の看板娘だった。
機嫌が良い時はとても良く笑うが、少し気まぐれなところがある野心的な人だった。
美人なだけではなくそういう性格だったから、メイドながらに父の恋心を擽ったのだろう。
「ミック様、お早う御座います、こんな早朝からお疲れ様です!」
と。
物思いに耽っていた自分は、なかなか大罪人が捕らえられぬ苛立ちもあり、何時もよりもずっと険しい顔をしていたようだ。
廊下の向かいから歩いてきた若いメイドに、励まされるような笑顔を向けられる。
「第2礼拝堂、ピカピカに掃除しておきましたからね!」
ハキハキとしたその声に現実を思い出し、急いで優美王子の仮面を取り付ける。
「有り難う御座います、グロシアーナも喜んでいると思います。勿論、私もですが」
柔らかい作り笑いを向けながら、使用人を味方に付けていく言葉も忘れない。王城と言うのは、味方が多ければ多い方が良いのだから。
「そ、そんなっ……勿体無いお言葉ですわ」
自分を励ます、と言う目的はすっかりメイドの頭から抜け落ちてしまったらしい。
頬を赤く染めたメイドは一礼して去ると、すぐ近くにいた同僚とキャッキャとひそひそ話を始める。
「ミック様はやっぱり素敵ね」
「傲岸王子じゃなくミック様が王位を継ぐ事になって、却って良かったのかもね」
調子の良い女達の言葉を背に、静かな廊下を歩いて第2礼拝堂に向かう。
その時。
「どうしてロンガの王子ってそうなの? バッカみたい」
後方から女性に鼻で笑われたのだ。
この声はフィーか、と振り返る。
そこには思った通り、サラサラの赤い長髪を靡かせている女性が立っていた。白地に赤いラインが映えている竜騎士団の制服を着ている辺り、夜勤明けなのだろう。
「そう、とは?」
「女に変に気を持たせる女の敵、って意味ぃー。ミックちゃんも父親みたいに、第2王妃どころか第4王妃くらいまで作る気かなぁ?」
「ロンガを発展させる為に必要ならそうしましょう」
「うっわ」
青い瞳を不機嫌そうに窄め、フィーが軽蔑の眼差しを向けてくる。
誰も居ないとはいえ、ここは揺れる数本の燭台と発光する光石がある為明るい廊下。
赤き舞姫が軽々しく浮かべていい表情ではない。
「フィロレッタ侯爵令嬢、文句なら礼拝堂でお聞きしましょう。着いて来て頂けますか?」
「良い人ぶって気持ち悪いなぁ。折角良い知らせを持って来たのに、教えてあげないよ?」
むっと露骨に頬を膨らますフィーがそう言ったのは、扉に付いている真鍮製の持ち手を触った時だった。
竜騎士団の制服を着ているフィーが持ってきた、良い知らせ。
それは今一番聞きたかった大罪人達の話ではないのか。
「教えろっ!!」
そう思うと思わず声を荒げていた。怒号が反響する。
この声はきっと広間にも届いていて、先程のメイド達の耳にも入ってしまった事だろう。
「っ」
何という失態だ。
大声を出すなんて誰にでもある。
こんな時期だ。優美王子もそれは例外ではないとメイド達も思うだろうが、口の中に苦い物が広がる。
「……失礼。何か教えてくれますか?」
こほんっ、と何事もなかったように咳払いをして言うと、そんな自分を見たフィーがおかしそうにフフッと唇を歪める。
嫌な女だ。
こんな女性に声を掛けたのは失敗だっただろうか。
「じゃあ教えてあげる。サテラちゃんとカイちゃん、今うちで匿ってるんだよ」




