29 「これサテラが作ったのか?」
「あ」
扉の開閉音でこちらに気が付いたらしい。緑色の瞳が向けられる。
今まで着ていた黒い服が体のラインが出ている物だったので、カイの体が鍛えられているだろう事は分かっていた。
が。
実際に綺麗に割れた腹筋や、1つ違いの青年の素肌が描く体のラインを目の当たりにし、頭の中が一気に白くなる。
「もっ申し訳ありません! まさか着替え中だったとは思っていませんでしたっ! 何しているんですかっ!?」
出す声が裏返っていたし、つい怒鳴っていた。
慌てて体の向きを変える。
スープや水を零さなかった自分は偉いと思う。
浮浪児時代、浮浪児仲間の裸を見る事はよくあった。
しかしギルベルトに引き取られてからはそんな機会は無くなり、異性の裸を見る機会などギルベルト以外皆無に等しかった。ギルベルトの裸だって異性として見た事は無い。
「っ……!」
今自分の顔は、きっと林檎より赤い。
「あ、サテラか。良かった、合流出来て」
心臓がバクバク言っている自分とは逆に、朗らかな声が返ってくる。
「それはそうかもしれませんが、私が聞きたいのは今カイ様がこの部屋で何をしているかですけどっ!?」
「何って着替えだが。さっきお風呂入ったんだけど、上がった後にフィーが着替えくれたんだ。サテラの分もあるぞ」
「フィ、フィー様が!?」
自分と違い落ち着いているカイが憎らしい。
茶色い扉に彫られたグロシアーナの文様を見ながら深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせようと努める。
が、気になる名前が飛び出してきて結局それは出来なかった。
(それで着替えるカイ様もカイ様だけど、フィー様もフィー様だ! 騙されないように〜って言っておいて、こういう事するか!?)
席を外している自分と着替え中のカイが鉢合うだろう事は、容易に想像ついただろうに。
こんな悪戯じみた事をするとは。
「やっぱあの人、油断ならねー……何考えてるんだか……」
口から小さく零れ落ちた文句は、何時も以上に口が悪い。
「サテラって結構口が悪いよな」
耳聡くそれを拾ったカイが、フッと笑いを堪えたようだった。
「申し訳ありません私は動揺すると育ちの悪さが滲み出てしまうようです」
「ふーん、動揺。俺の着替えで?」
後方から聞こえる何処か意地の悪い声に返事が出来ない。
(何でそう堂々と聞いて来るのかな!)
間を誤魔化すようにトレイを持ち直すと、反応が無い事にかつまらなさそうに息を吐いた王子が続ける。
「別にそれくらい良いって。俺もサテラの背中見たし」
「は!?」
背中を見た。
鳥を見た、とばかりにサラリと告がれ、またも育ちの悪さが露見した。
「っ」
驚きの余り今回は振り返ってもしまった。
不味い、と思ったが、カイの着替えはもう済んでいる。
ゆったりとした半袖の茶色いシャツは、裾に紺色のラインが走っていた。今までタイトな服を着ていただけに、表情までリラックスしているように見える。
首元には黒いチョーカーが相変わらず輝き、襟ぐりから覗く白い肌とのコントラストに気を抜くと目を奪われそうになる。
「いいい一体そんな機会が何時っ、あ、馬車でですか……っ!?」
「あ、ああー…………そう、それ、その時」
早口や声量は一向に治まらない。
カイもようやくやり過ぎた事にでも気付いたのか、頷き方が何処か申し訳なさそうだ。
思い出すのは、マクドール人夫婦の馬車に乗せて貰った時の事。
着替え中に竜騎士団員が入って来て固まってしまった際、カイが機転を利かせてターバンを被せてくれたのだ。
あの状況なら当然自分の背中を見ている。
寧ろ、今まで見られていないと思い込んでいた方がおかしい。
「お見苦しいところをお見せして、も、申し訳ありませんでした……えっと、食事、カイ様の分もお持ちしました。有り合わせの物で作ったのでお口に合うかは分かりませんが、これしかありませんのでどうか我慢して食べて頂ければと思います!」
気を取り直すように落ち着き払って言ったつもりだったが、後半はそうでも無かった。
それが情けなくて、また顔に熱が集まりそうになる前に俯き向かいに座って配膳に徹する。配膳するや否カイがサンドイッチを手に取る。
「スープの皿が4つあるのは作り過ぎたからですので、宜しければそちらもどうぞ」
「これサテラが作ったのか?」
「はい。フィロレッタの皆さんは空にしか興味が無いようですので私が。ここは変わった家ですね、驚きました」
「飛空制限を見逃したら良くて解雇悪くて死罪らしいしな。戦時中もここは要だったと聞くから、異質にならざるを得なかったんだろ。上さえ見ておけばペリンいっぱい貰えるらしいし」
自分の話に頷いていたカイは、次にスープを飲んで頬を緩める。
「あ、サテラこれ美味しい」
こちらを向いて嬉しそうに言うカイの声は弾んでいる。
持ち上がった頬が擽ったくて、すぐに視線を反らしながら返す。向かいに座ったのは失敗だったかもしれない。
「……久々の温かい物でしょうからそう感じるのだとは思いますが、嬉しいです。有り難うございます」
「久々じゃなくたって美味しいぞ?」
肩を揺らして笑うカイの言葉には、気恥ずかしくてつい無視してしまった。
カイもそれ以上何か言うのは止めたようで、ふうと息を吐くように笑ってからは部屋は静かになった。
カン、カンッ、と食器の音がするだけで、いっそ気まずい。
先程まで取り乱していただけに余計に。
「…………フィー様はどちらへ?」
無音の居た堪れなさに耐え切れなくなり、スープのおかわりを食べているカイに話し掛ける。
「王城の竜騎士団本部に戻った」
水を飲んで口の中を綺麗にしたカイは、そうそう、と改めて切り出した。
「さっきフィーから聞いたんだが、兄上が殺され父上もすぐに息を引き取り俺が大罪人と共謀したとか言う一連の流れ、土砂崩れ認定されたようだぞ」
土砂崩れ――それはロンガの歴史書で度々使われる言い回し。
山にあるこの王国では、国を揺るがす事件が起きた時「土砂崩れが起きた」と歴史書に書くのだ。
「うわっ……」
眉間に皺が寄る。
そんな大層な事をやった犯人にされたのかと思うと、とても腹立たしい。
「実際土砂崩れを引き起こしたのはミックなのに、間違った事実が書かれるかと思うと腹立たしいですね」
「だな。やっぱりミック兄上は許せない。こんな事までして玉座に座って、何が楽しいんだか」
ふう、と息を吐くカイの言葉に頷く。




