13 「夕食に作っていたスープだ、飲むと良い」
「えっと……」
頭の中が真っ白だ。
そんな事いきなり言われすぐに答えを出したくもないし、簡単に頷ける程グスタフの事を知らない。
でも。
この人は今までの大人とは違う。直感で思った。
触ってこないし、殴ってこない。
ゆっくり喋る、少しぶっきらぼうな声に悪意はない。
目付きは悪いけど、それだけだ。
「……」
信じても良いのだろうか、この人を。
信じてくれるのだろうか、自分なんかを。
「…………い、嫌になったらすぐ逃げますからね」
結局ここではハッキリと言えなかった自分に、けれどグスタフは満足そうだった。
「それで良い」
フッと笑い筋骨逞しい男は早々に背を向け、行き先も告げずに自宅と思しき場所に歩き出してしまった。
「あ、待て、待ってグスタフさん!!」
すぐに自分も追いかける。
その時の声は、夜の帳が下りている空に良く響いた物だった。
「夕食に作っていたスープだ、飲むと良い」
あの後グスタフ宅に上がって温かいスープを出して貰った。
父は自分に目を光らせる事はなく驚いたのを覚えている。もし自分が窃盗目的だったらどうするつもりなのだ、と。
「グスタフさん、床に物置かないで!」
だから心配になって、逆に自分が生活に無頓着なグスタフの世話を焼き始め、少しずつ少しずつ親子らしくなっていった。
3年もすれば父の牧場の仕事にもすっかり慣れ、店とは自分が交渉するようになった。
偶に数日居なくなる父の代わりに牧場を守ってきたし、牧場体験に来た城下町の学生の面倒も見られるようになった。呼び方も何時の間にかすっかり「父さん」になった。
(雨風凌げる家があって、3食腹に入れられて……自分には勿体ないくらいの楽しい暮らし。ただ……)
1つだけ嫌な事があった。
それはクワバ村が戦争の被害をもろに受けた村で、村民も荒れていた事。
意地悪な村民ばかりだったのだ。
村で一番高い所に行けば湖の向こうにマクドールが見えるし、飛空制限──ロンガ以外の国の領空で自由に竜を飛ばしてはいけない、と言う制約──だかで上空がうるさい事が多いので、まあ仕方無いのかもしれない。
(割り切れはしなかったけど……)
クワバ村の人達は、元々フラッと現れて村に住み始めた物静かなグスタフを良く思っていなかった。
それが突然浮浪児なんかを養女にしだしたのだ。周囲のマイナス感情を更に煽った事は想像に難くない。
農村で一度買った不信感は早々消えず、自分達親子は村の中に居ようと商売の時以外は無視されたものだった。
それだけに。
自分とグスタフは本当に仲が良かった。
学問や動物の世話から、一般市民には縁の無い竜の乗り方まで得意先の男爵家で教えてくれた。
『父さんって貴族? 竜の乗り方を知ってるなんて』
『仕事で縁があれば、平民だろうと知ってる事だ』
『ふぅん……?』
父と出会わなければ、きっと自分は何気ない会話の楽しさを忘れていた。
どこかで犯罪に手を染めていたし、暖炉の温もりも思い出せずに野垂れ死んでいただろう。
養父はサテラ・クェンビーの人生を一変させてくれた恩人なのだ。
だから。
だからこんな下らない理由で死んで欲しくないのだ。
***
「っは!」
ゴツ、と枝が足に落下しサテラは夢から目を覚まし顔を上げた。
このタイミングで父の夢を見たのは、もう必然なのだろう。
少し休んだおかげで体はうんと楽になったし、クワバ川の方角が分かる程周囲も明るくなっていた。
「これならいける……っ」
手応えを感じ朝露で喉を潤してから山を下っていく。
上空や周囲を意識しながら下山するのは大変だ。熊に会うのは避けたい。
──そう思いすぎていたのが裏目に出たのか。この急斜面を下ればクワバ川だと油断してしまったのか。
「っ、きゃあ!」
ズルっとぬかるみに足を取られてしまったのだ。
急斜面で足を滑らせては抗う術も無い。枝や石による凹凸を感じながら、川原まで滑り落ちていく。
「いたっ!」
その際グキッと足を捻ってしまったのだ。
「いったぁ……っ」
泥だらけのスカートから覗く、足の痛みに眉を顰めながら周囲を見渡す。
杖代わりの枝を何処かにやってしまった今、流石に立ち上がれない。
何か手頃な枝はないかと見渡していた時だった。
「──見付けた」
今一番聞きたくない青年の声がしたのは。
「っ!」
「そんなボロボロの体で良くここまで来られたよ。そこは賞賛する、凄い」
ゆっくりとした足取りで自分に近付いてきたカイは、ランタンと剣を退け小さい拍手をしている。
不味い。
こちらは動けないと言うのに。
ギシリと歯を軋ませながらカイを見上げる。脱走した時と同じ黒い服を着たままだったが、あの時よりもずっと目が腫れている。
「どう、して」
「叫び声が丁度聞こえてさ。竜じゃなくて馬で探しに来て良かったかも。どうやったら脱走なんて出来るんだよ」
カイは近くの岩の上にランタンを置くと、しゃがみ込んでこちらの顔を覗き込んでくる。
「……カイ様はもっと私の拘束を厳重にするべきでした。立ち上がる事が出来れば、燭台を引き寄せて布を焼き切る事くらい造作ありません。元浮浪児の生き汚さを舐めないで下さい」
どうしたら逃げられるか考えながら、少しでも時間を引き延ばそうと喋りかける。首筋を汗が流れた。
「火事は、大丈夫でしたか?」
「お陰様で。父上や兄上の部屋には火が回らなくて良かったよ」
「そうですか。あの執事の方は──っ」
大丈夫でしたか?
と聞こうとしたが出来なかった。
カイの剣が、己の首に突き付けられたからだ。
「なあ、もう一度聞くけどどうして兄上を殺した? ドブネズミって言われてたくらい生き汚い元浮浪児は、マクドールから金をチラつかされて我慢出来なかった?」
冷ややかな鉄の温度が伝わってきて、背筋も冷えていきそうだった。
でも。




