11 ──サテラ、ここに居たのか。そろそろ帰ろうか?
不味い。気付かれる。
早く逃亡しなければ、と窓ガラスに手をかけた時。
アンド? と窓ガラス越しにカイの声が聞こえて来たのだ。
(窓から逃げちゃ駄目だっ!)
慌てて窓枠から手を離し、火が広がり始めて来た室内に駆け戻る。
「っ逃げるな!」
アンドの視線を追って部屋が燃えている事に――自分が逃げようとしている事に気が付いたのだろう。カイの声が鼓膜に突き刺さる。
「火事だっ! 犯人はメイドだ、捕まえてくれっ!」
パリンッ! と音が聞こえたのは廊下に飛び出た直後。
カイが窓ガラスを割って食堂に入って来たらしい。
(こうなったら玄関を突破するしかない……!)
剣を持ったカイの方に逃げるのはリスクしかない。
だったらと、玄関に走る。途中、廊下にある壁掛け燭台を幾つか落とすのを忘れずに。
「待て! っ」
廊下には、グロシアーナの紋章が描かれた白い絨毯が敷かれている。
そのおかげかすぐに火が広がりカイの足を阻んでいる。
既に玄関扉が開いているのは、急に扉を開けた際の延焼に館やカイを巻き込みたくないからか。
「そこを退けええええええ!!」
星空を背に自分を待ち構えている執事に向かって叫び、先程失敬したロウソクを執事に投げつけた。
ぽんっ、と軽い音で当たったそれは、けれどすぐに執事服を燃やしていく。
「うわあああああああああああっ!」
「っ、転がれ!!」
執事の隣にいた使者が、ぎょっとした顔で指示を飛ばす横を通り抜ける。生暖かい風が吹く夜空の下に飛び出した。
「たっ大罪人!?」
その時自分の顔が見えたようだ。使者の声が裏返っていた。
「カイ様っ! ここは堪えて、消火を手伝って下さいっ! 王やディアス様の思い出の多いここを燃やしてはいけませんっ!」
路地に出て獣道に逃げようとした時慌てふためく使者の声が響く。
火事はどんどん大きくなっていってるようで、この辺り一帯が煙臭い。
「っ、すぐに追いかけるからな!!」
後方から忌々しそうに吐き捨てるカイの声がした。
「はあ……はぁっ……」
その声から逃げるように離れていき、麓のクワバ村に向かう。
転ばぬよう気を付けながら月光と勘を頼りに獣道に消えていった。
「っ……と…………さ……」
ロンガはトゥルバ山にしか国土のない小国とは言え、山頂から麓まで行こうと思ったら半日近くかかる。
生えている草木や星の位置を頼りに、野生動物を刺激しないようそっと動いていく。
館から逃げた時は暗かった空は何時の間にか明るくなっていた。
きっともうすぐクワバ村なのだろう。森しかないとは言え、この辺りの風景には見覚えがある。
なのに。
「疲れた……っ」
麓に向かう途中拾った枝を杖に、足場の悪い道を歩くのはもう限界だ。
肩も体も心も、全てが悲鳴を上げている。
「きゃっ!」
杖のバランスが崩れたと思ったら、ズッと地面に膝を擦っていた。
「いたっ……」
メイド服のスカートがあった為直接擦ったわけではないが、そう言う問題ではない。
「痛いよ……っ」
今まで我慢していた涙がぶわりと頬を流れていく。
「ふっ……うぇ」
一度熱い物を感じてしまうと、堰を切ったように涙が溢れる。
もうその場から動けなかった。
早くカイから逃げた方が良いと言うのに。
「どうして、こうなったの……っ」
口を告いだのは、己の現状を嘆く言葉。
ドブネズミ、と同僚に馬鹿にされる中ディアスと言う気の合う人物と会い、これからまだまだ頑張れる気がしたのに。
なのにどうして、自分はこんな暗いところで頬を濡らしているのだろう。
その時。
チュンチュン!! と鳥の鳴き声が木の上から聞こえてきたのだ。
「鳥?」
まだ空は暗いと言うのに。それに少し切羽詰まって聞こえる。
一拍後にはバサッと翼をはためかせる音も頭上から聞こえてきた。
何故こんな時間に……と涙を溢れさせながら空を見上げ、気が付いた。
「もしかして……!!」
ハッとした。
普段竜は高いところを飛んでいるが、犯罪者を探している時など、偶に木に接触しそうな程低く飛ぶ事がある。そう言った時、鳥は竜から逃げるべく夜中だろうと鳴き逃げていくのだ。
これはそのパターンととても似ている。外で寝ていた頃この声に何度も起こされた、間違いない。
(この量……何匹も麓に竜が到着してるって事か。クソッ、もうミックの手が回ってきたのか!)
ギシリ、と歯軋りする。
このままクワバ村に行くのは危険だ。
父は如何なったのだろうか。間に合わなかったとは思いたくないが、この状況で確かめにいくのはリスクが高い。
「……父さん」
父も当然自分が捕まった事は知っている筈。
マクドールに良い感情を持っていない自分がこんな馬鹿をするわけがない、とも思ってくれているだろう。
となると、父だってクワバ村に謂れ無き捜査が入る事は分かっていた筈。
だったら父も自分が脱獄するだろう可能性に賭けて、どうにか自分と接触しようと思ってくれているのではないか。
きっとそうだ。
天気の悪い夜、父とチェスをやった事が何回もある。あの人は何時も先を読んでいたじゃないか。
(……クワバ川!!)
頭に浮かんだのは小さな川。ひっそりした澄んだ川は今の時期蛍が光る。
この川で自分は良く泣いていた。
村の子供に虐められた時も、鹿を売る交渉が上手く行かなかった時も、山中で行き倒れた浮浪児の死体を見付け悲しくなった時も。
蛍が幻想的で人気のないこの川は、何時も自分に優しかったから。
──サテラ、ここに居たのか。そろそろ帰ろうか?
そして、父がその度自分を迎えに来てくれた場所でもある。
父と確実に合流出来るかは分からないが、可能性に賭けるなら自分達にはクワバ川しかない。
「その前に……」




