10 「すぐ戻る」
「う、なっ……ん、で…………っ」
そのまま壁に突き飛ばされ、立っていられなくて床の上にへたり込む。
苦悶の表情を浮かべながら、何処か冷ややかに自分を見下ろしているカイに尋ねた。
「なんで、って。やっぱりお前が兄上を殺したとしか思えないからだよ! マクドールと通じてたらしいじゃん。兄上からの手紙で聞いた話じゃお前はそんな事しそうにないタイプだったから、何かの間違いかもって一応助けたんだ。放蕩王子に罪人を助けられる権力は無いから、こっそりと。でもお前は魔法使いとか変な事言って、マクドールに逃亡しやすい麓まで行く気で……そんな奴許すかよ」
カイの憮然とした口振りに目の前が暗くなる。
「なっ……!?」
確かに荒唐無稽な話だとは思うが、これは得意気にミック自身が言ってた確かな事。
この人は自分の言葉を信じてくれなかったのだ。先程執事と話していたのもこの話の信憑性についてだったのだろう。
通りでディアスが言う程明るくなかったわけだ。自分をずっと値踏みし、静かに怒っていたのだから。
せっかく脱獄出来たと言うのに、結局疑われている。再び瞼が熱くなる。
「ちがっ――」
否定の言葉を続けたかったが、喉元に銀色に光るカイの剣を突き付けられ遮られた。冷たい刃の感覚に息が止まる。
「俺、兄上を殺した奴を許したくないんだ。だからお前を殺さないといけないんだ……!」
ギシリ、と決心を固めたような歯軋りの音がして、同年代のこの青年が本気で自分を殺そうとしている事が伝わってくる。
「ちが、だから違うんです! 話を聞いてっ! 私はそもそもマクドールと──」
「うるさいっ!! だから誰が信じるっ!」
一際大きな声が食堂に響き、薄皮にプツリと切っ先が刺さる。
確かな痛みと、心臓が止まりそうな心地と、肩から広がる全身の痛み。
そんな中、キッと緑色の目を見返すしか出来ずにいた。
その時。
「カイ様っ!!」
廊下から突然、慌てふためく執事の大声が響いたのだ。
少々異常に聞こえる声。
自分しか見ていなかったカイも流石に視線を外す。喉から剣が離れ、先程よりも息がしやすくなった。
「どうした?」
「今使者が来ておりましてっ! 国王が亡くなられたと! 詳細はカイ様に直接お伝えするとの事です!」
「へっ?」
突然の事に面食らったらしく、目を丸くしたカイから年相応の声が漏れた。
「申し訳ありませんが、それは後にして一旦こちらへ来て下さいますか? どうせ脱走なんて無理ですから!」
「それは、行く。行く、けどっ……」
少年のような顔に戻ったカイは、動揺したように執事と自分を交互に見る。
(この人こんな顔も出来るのか……確かに、素直な雰囲気。ディアス様が可愛がってたのも少し分かるかも……今は鬼人みたいだけど)
肺一杯に空気を送りながら場違いな感想を抱く。
青髪の青年は一度深呼吸した後、白いテーブルクロスを細長く切り裂いた。
「すぐ戻る」
「っ」
片膝をついて自分に囁き、カイは細長い布で自分の手足を拘束する。手を動かされズキリと肩が痛み、息が詰まった。
「行くぞ!」
準備は終わったと執事を促し、カイは一度こちらを睨んでから慌ただしく食堂を出て行く。
「たす……かった?」
閉まる扉を見てホッと息をつき──けれどすぐにカイが戻ってくるだろう事に思い至る。
この隙に逃げなければ。殺されてしまう。
「クソっ」
そう決心し、まずは手足の布を外そうと考えた。焦っていたので「もしかしたら拘束が緩いんじゃ……」と期待したがそんな事無かった。
食堂とは言えナイフは出ていない。他に使えそうな物は無いか……と周囲を見渡すが、布を切れそうな物は無い。
いや、あった。
煌々と揺らめく燭台が。
(火で布を燃やせば……っ!)
拘束を解き食堂の窓ガラスから脱出出来る。ここは1階だから先程よりもずっと安全だ。
膝立ちでそろそろとテーブルに近寄り、意を決してテーブルクロスに噛み付く。
「んー……っ」
ズキッと肩が痛み視界が滲んだが堪え、燭台やコップを落とさぬよう慎重にテーブルクロスを歯で引っ張っていく。
ギリギリまで燭台を近付け椅子を使って立ち上がる。もう汗だくだ。
少々の火傷は我慢だと火に手首を近付けた。
「っぅ」
直接触れてはいないと言うのに、近くにあるだけで熱を感じ声が漏れる。
「いけた……っ!」
手首を拘束していた布を焼き切れ、上半身が楽になった。急いでコップを取り、焼け落ちた布の火が広がらない内に水をばらまいて消火する。
「ふぅー……」
これで第一関門はクリアだ。
安堵の息を吐きながら床にへたり込む。ぼた、と顎から汗が流れ落ちた。
このまま横になれたら満身創痍の体は喜ぶだろうが、まだまだやる事が残っているのだ。それもカイが戻ってくる前に。
「父さん……っ」
一度目を閉じて今一番会いたい人の顔を思い浮かべる。交渉下手な顔を思い出し力が湧いてきた。
「待っててよ」
ぽつりと呟き深呼吸をした後、歯を食いしばりながら足首の拘束を解く。
浮浪児時代「目の前を横切ったから」という理不尽な理由で、酔っ払いに腕を脱臼させられた事がある。その時は浮浪児仲間に聞いて自力で治した。
「またあんな痛い思いするのかぁ……うぁ!」
苦悶の表情を浮かべながら、壁に背中を預けひとりごちる。
肩の痛みに耐えながら腕をゆっくりと前に押し出した瞬間、「ゴキッ」と鈍い音が響いた。激痛が走ったものの、肩が元の位置に戻った感覚があった。
「はっ……こんな経験がまた役に立つなんて」
唇を自嘲気味に歪めながら呟く。
しかしこれでもう脱走出来る。少しでも時間稼ぎになるようテーブル上の燭台を倒していく。
白いテーブルクロスが焦げる臭いが食堂に充満していく。
眉を顰めたくなる臭気を背に食堂の窓に近付いた時――庭に停まっていたカイの愛竜と目が合った。
あ、と思った時には遅かった。
「ぶあああああああああ!!」
主に火事を知らせるかのようにアンドが吠えたのだ。大気が震え、窓ガラスがカタカタ揺れる。




