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【現代】炎と氷の婚礼

すべてを凍り付かせる霜神と、炎のような気の強さを持つ努力家な女の子の話。

「神々の伴侶」という企画用に書いた短編小説。「霜神」「季神」という名前と何を司る神かということだけ企画概要であらかじめ決められていました。

それ以外はすべて私の創作です。

 泥のように重く頭の中によどむ眠気の中、少女がぼんやりと目を覚ますと、染み一つない真っ白な上着をまとった男が彼女を見下ろし、無感動な声音(こわね)でぽつりと言った。

「あなたが選ばれました」

 その言葉が少女の思考に染み渡り、小さな口から返答を(つむ)ぎ出すのには数秒の間を(よう)した。

「選ばれた……何に……?」

 寝起きのせいか、(くちびる)から滑すべり出た声はかすれて弱々しい。

 だが、しんと静まり返った(せま)い部屋の中で、その声は確かに男の耳に届いたようだった。

 彼は置物のように微動(びどう)だにせず、感情のない表情のまま言葉を返す。

「十二の神が召したる花嫁に」

 その言葉に睡魔までが飛び起きた様子で、少女は驚愕(きょうがく)のあまり目を見開いて男の仮面のような顔を見返す。

 十二の神の花嫁――それはこの国で()(にえ)を意味していた。


 月が本来の位置に戻る年、十二神の伴侶(はんりょ)が一人選ばれる。それは決まって若者で、神の国に招かれた彼らが帰ってきたという話はない。つまり神々との婚礼はこの国における死であり、神の伴侶とは贄だった。

「信じられない! どうしてあたしが死ななくちゃいけないの?」

 少女はそう言って抵抗したが、彼女を射抜いた白羽の矢は止める者なき光陰(こういん)のごとく、途中で折れることは決してなかった。

 誰もが少女の門出を祝う言葉を口にし、逃げ道などないのだと彼女に知らしめる。

「お前は冬生まれだから、霜神様のもとへ行くんだよ」

 誰よりも少女の幸せを願い続けた母でさえ、そう言って微笑(ほほえ)んだ。

 母親の再婚相手である義理の父親は、曖昧(あいまい)面持(おもも)ちで口を閉ざしたまま妻の肩を抱くばかり。その足下で幼い腹違いの弟が不思議そうに少女を見つめていた。

「あたしに味方なんていないんだ」

 絶望に似た思いで少女は心の中で(つぶや)いた。

 だが、自分の命を簡単にあきらめることなどできはしない。何の抵抗もなく、易々(やすやす)と生け贄にされてたまるものかと少女は思った。彼女はいつだって、できる努力は()しまずやってきたのだ。それが小さな少女の唯一(ゆいいつ)の誇りだというのに、最後の最後で手を抜く理由などあるわけがなかった。

「霜神は雪と氷の神様なんでしょう? そんなもの、溶かしてしまえるくらいの火を用意して。あなたにならできるはずよね」

 少女は息が詰まりそうなほどの激しい思いを込めて白い服の男にそう言った。

 その時、初めて彼は『戸惑(とまど)い』という表情らしい表情を浮かべたように見える。

 そんな彼が人を従わせるある種の権力のようなものを持っていることを、少女はちゃんと知っていた。そして彼が事務的な無表情を(くず)した時、小さな女の子の最後の頼みくらいは聞いてくれると彼女は確信したのだった。

 白服の男は渋りながらもそれを承諾(しょうだく)し、贄となる者を(ささ)げる丘の上の祭壇(さいだん)周辺に無数のかがり火を用意した。その炎で夜の空は赤く燃え、天に浮かぶ月は丘の上から立ちのぼる黒々とした煙にいぶされてくすんでいる。

 パチパチと乾いた木のはぜる音だけが国中に響き、神の近づく足音さえ飲み込んでしまいそうな勢いだった。

 そうすれば霜神が自分を連れ去ることもできないと少女は思ったのかもしれない。

 しかし実際のところ、かの神は足音一つ立てることなく純白の服の(すそ)を引いて、炎の中をためらうことなくやってきた。

 網膜を焼くほどの輝かしい白で織られた長い服の裾は、なでた地面を(またた)く間に凍りつかせていく。そのかすかなパキパキという薄氷が張る音に混じって、薄く長いベールと髪の先からシャラシャラと降る雪の結晶の音がたおやかに少女の鼓膜を打った。

 順にろうそくの火を吹き消すようにかがり火の輝きが一つ、また一つと失われ、丘の上に完全な闇が落ちる。その時、ふうっと冷たい冬の夜風に似た吐息(といき)が少女の頬にわずかにかかった。

 それが合図であったかのように少女が目を開く。

 すると、凍いてついた人形のような白い顔が無表情に少女のことを見つめていた。その生気に欠けるさまは、あの時彼女をのぞき込んでいた白服の男の顔がもはや表情豊かな道化師に思えるほどだ。

「火なんて無駄だったというわけね」

 あきらめとも失望ともつかない声音で少女が呟くのを聞いて、霜神はゆっくりと静かに背後を振り返る。煙すらも消え失せ、すっかり冷え切ったかがり火の残骸(ざんがい)に視線をめぐらすと、純白の雪の神は吐息をこぼすようにそっと言葉を吐いた。

「私のそばにあるものは、何もかも凍ってしまうから」

「そうみたいね。だから冬は嫌い。暗くて冷たくて、色も音も雪で飲み込んで退屈にするんだもの」

 いまいましげな少女の文句に霜神は(こた)えなかった。

 ただきびすを返して小さく息を吐き、祭壇の上の彼女にひやりとした視線を向ける。ベールの端から音もなく雪の結晶がひとひら舞い落ちた。

「あなたなんて大嫌い」

 痛いほどの孤独を感じさせる沈黙と闇、そして無音のままに押し寄せる冷気に少女は小刻みに体を震わせながらも、炎に似た怒り混じりの目で眼前の神と呼ばれる存在を(にら)む。

 夜のもたらす黒の中で、霜神だけがうっすらと輝きを放っているように見えた。

 圧倒的な黒一色に(おお)われた視界に、唯一とらえることができるものがあることに少女は不本意ながらも少しだけ安堵(あんど)を覚える。

 しかし、あらゆる色を反射し、鮮明な白銀の光をたたえる霜神の瞳をとらえた瞬間、少女は自分の頭や胸の奥で燃え盛っていた感情の火が弱まったように感じた。それと同時に冷静さが思考の向こうから顔をのぞかせ、少女の言葉から熱を奪う。

「ねえ、あたしを帰してくれない?」

 先ほどよりもいくらか穏やかに聞こえる音吐(おんと)で少女がおずおずと尋ねると、霜神は黙然(もくぜん)とただ首を横に振った。

「どうして? あたし、まだ死にたくないの」

「何故?」

 問いに問いで返され、少女は「何故ですって?」と、再び心にくすぶる炎を(たけ)らせ、剣呑(けんのん)さを()びた声音でくり返した。

「何故かなんて、そんなの決まってるじゃない、まだ何もできていないからよ。これからだったの。母さんが再婚して、弟ができて、知らない人がお父さんになって……これから本当の家族になるところだったの。ちゃんとなれるはずだったんだから」

 そこまで矢継(やつ)ぎ早ばやに言った少女は、ふいに自信を失ったように、あるいは夜風を受けてロウソクの火が細く不安げにゆれるように勢いをゆるめ、足下に視線を落として「あたしはいい子だもん」と独り言のように呟く。

「お父さんの言うことはちゃんと聞いたし、小さな弟にも優しくした。母さんはあたしにはすごく優しいけど、弟にはちょっとだけ厳しかったから、あたしがお母さんの役をしたの。不器用でお裁縫(さいほう)の針に糸を通すこともできなかったから、何度もコツを教えたわ。お父さんは、男の子はお裁縫なんてできなくてもいいと言ったけど、自分の着ている服のボタンが取れるたびに母さんや姉さんを呼ぶつもりなの? 自分で直せた方が絶対に良いわって反論したの。お父さんの言うことを聞かなかったのはそれだけよ。お父さんも、確かにその通りだって納得してくれたし……」

 そこまで言ったところで少女はついに口をつぐみ、小さな両手で顔を覆った。

「……こんなのやだ。頑張って勉強だってしたのに、何も意味がなかったなんて」

「意味がない?」

「そうだよ」

「どうして?」

 感情のかけらも感じられない平板な語調で尋ねられ、少女は顔を上げて冷ややかな冬の神をもう一度睨んだ。

「あなた、神様なのにバカなの? 死んじゃったら全部終わりなんだよ。もう何もできないの。まだ何もしてないのに」

「弟に裁縫を教えたんでしょう?」

「そんなの、何の意味もないわ」

 吐き捨てるように少女は言い、(くや)しげに唇をかむ。

 真冬の月と見まがう二つの瞳が、さらに『何故』と問うかのごとく少女の目をとらえると、彼女はまぶたの中に突風が飛び込んできたように感じて短くうめき、ぎゅっと目を閉じた。

 目が痛い。眼球の裏側まで凍りつきそうな冷気が少女を(さいな)み、全身にまで痛みが広がってくるように思える。

 それに()えられなくなったのか、はたまた悲しみからか、少女は声をあげて泣き出した。

「こんなの嫌だ。帰りたい。あたしがいたかったのはここじゃないもん。あそこにもういられないなら、意味なんて何もないじゃない」

 氷のように冷たい祭壇の上に座り込み、(なげ)く少女の声は涙でにじんでいた。

 声と肩を震わせ、「まだやりたいことがあったのに」と()()えにうめく。

 そんな彼女をじっと見下ろし、霜神は「たとえば?」と静かに(たず)ねた。

 その問いに少女は顔を上げることもなく、手の平の中にこもった声で答える。

「家族になりたかった」

「それから?」

「勉強して偉くなって、母さんに楽をさせたかったの」

「他には?」

 霜神は同じ問いを淡々(たんたん)とくり返す。

 しかし、そのすべてに少女は()きぬ思いと言葉を返した。

「たくさんの人の役に立ちたかった。みんなにほめられて、尊敬されるような、立派な人になりたかったの。そのために勉強も頑張ったし、もっと努力するつもりだった。できないこともまだまだいっぱいあったし、頑張っても望んだ通りにはできなかったかもしれない。でも……こんな風に中途半端で試す機会もなく、何の成果も残せないまま終わるなんてひどいよ」

 その少女の悲痛な声は、他に聞く者がいたら誰もが胸を()めつけられたことだろう。それが神と呼ばれ、万能の力を持つ存在であったなら、あるいは彼女に手を差し出して「失った生の続きを生きなさい」と慈悲(じひ)をかけたかもしれない。

 しかし、()()えとした純白の衣をまとう霜神は、感情のない声音で「でも、私には君が必要なんだ」と呟いた。

 その言葉に少女はキッと顔を上げ、吹きつける寒さの痛みも忘れて霜神の目をとらえる。

「神様に必要とされることが、あたしの望んだすべてのものより価値があるとでも言うの?」

 だから我慢しろと言うのかと、少女は激しく燃えるような視線を容赦(ようしゃ)なく霜神に投げかけた。

 そんな彼女の目からこぼれ落ちた涙のしずくが、地面に()れるより先に凍りついて小さな氷の粒となる。そのあとをもう二つ、三つとしずくが追って頬を滑り落ち、同じように氷の粒となって所在(しょざい)なげに大地の上を転がった。

 それはまるで受け入れを拒否されたかのようにも、目的地にたどり着く前に力を失って倒れ伏したようにも見える。土に染み込むこともなく、カラコロと地表をさまようちっぽけな氷の粒は、今の少女のように孤独で非力だった。

「私は、ただ君が必要だと言っただけ」

 長いまつ毛の下にわずかな(うれ)いを落とし、霜神は静かに反論する。

 だが、神の伴侶に選ばれた少女は「あなたの都合なんて知らないわ」と、吹きすさぶ寒風のように鋭く言い放った。

「あたしは帰る。そうよ、帰っちゃえばいいんだわ」

 屹然(きつぜん)と言って少女は立ち上がり、丘を降りようと足を踏み出す。

 しかし、その足は霜神を追い越すより先に地面に張りつき、凍って動かなくなってしまった。

「やめてよ。なんでこんなことするの?」

「私のそばにいると、そうなってしまうんだよ」

 ほんのわずかな申し訳なさを感じさせる口調で発せられたその言葉は、霜神が望んで彼女の足を止めたのではなく、ただ彼女が自分に近づいたから凍りついてしまったのだと告げていた。それは神自身にも自在に制御できるものではないらしい。

 霜神が長い純白の裾を引きながら数歩後ずさると、少女の足をとらえていた冷気が引いて彼女を解放した。

「あなた、とても厄介(やっかい)な神様ね。友達なんていなさそう。それとも友達が欲しくて贄を求めているの? でもこんなんじゃ、せっかくできた友達も氷漬づけになるんじゃない?」

 足が動くようになったことにほっとしながらも、少女は思わず皮肉めいた問いを口にした。

 だが、それに霜神は答えを返さない。表情のない顔でただ少女を見つめるばかりだ。

 そこには何の意思も読み取れず、あるのは(うつ)ろな冬のぬけがらだけのようにも思える。

 少女はそんな霜神に一縷(いちる)の望みを(たく)すように尋ねた。

「今のがわざとじゃないなら、あなたにあたしを邪魔するつもりはないのね?」

「私の意思がどうであれ、君は帰れない。申し訳ないけど」

 少女から少し離れたところに立ち()くしたまま、冬の夜風がコトコトと木戸をたたくように静かに霜神が応じる。

 その返答に少女はいぶかしげに眉を上げた。

「どうして? あなたがついて来なければ、あたしは歩いて帰れるはずよ」

「私がそばにいなくとも、君はもう帰れない」

「なんで?」

「君が選ばれたから」

「あなたが選んだから、でしょ?」

 苛立たしげに少女が問うと、霜神は人形のように凍りついた表情のまま、温度のない語調で言葉を返した。

「私が選んだわけじゃない。君は選ばれ、私のところへ来た――それだけのこと」

「もういいわ。あなたと話してもすべてが無駄そう」

 会話を打ち切るように少女はそう言って首を振る。

 霜神から返ってくる言葉は、どれもこれも無機質な白一色で塗りつぶそうとする深い雪の虚無感(きょむかん)に似ていた。

 少女が嫌う、長く退屈な冬。色鮮やかな世界が持つ意味をすべて覆い隠す、何もない白。

 それは命と共に未来を奪われようとしている少女の、運命の末尾につけ加えられた空虚さに通ずるものがあるように思えた。

 そのことがなおさら、少女には(にく)らしく思える。

 だが、それを眼前の神とやらにぶつけたところで、おそらく意味はないだろう。

 どうせ空っぽの言葉しか返ってこないに違いないと思い、少女は再び歩き出そうとした。何度足が凍ろうが、やめるものかと。

 しかし、そんな彼女の足をもう一度止めさせたのは有無を言わせぬ冷気ではなく、冷え切った冬の夜のように粛然(しゅくぜん)とした霜神の声だった。

「無益か有益かを決めるのは人の心で、物事はただ物事にすぎない。あるのは無駄にするか(いな)かの選択。価値を見出すか否かの問題だ」

 その言葉は、初めて彼女にとって意味のあるものに聞こえた――少なくともこれまでの他の言葉に比べれば。

「それはつまり、あたしがあなたの価値を決めてもいいということ? あなたがあたしにとって無駄だと言ったら、あなたはあたしの前からいなくなるの?」

 少女がそう尋ねると、霜神はベールや髪の先から降る雪の結晶と共に視線を足下へと落とし、冷たい雪混じりの息を一つついて呟くように答えた。

「君だけじゃない、いずれ誰もが神と呼んだ存在を忘れ、否定し、私たちは消えてなくなるだろう」

 それは正確に言えば少女の質問に対する答えになっていなかったが、彼女には充分な回答だった。

 目を丸くし、少し好奇心の混じる声音と表情で声をあげる。

「神様も死ぬの?」

「いずれは」

 その返答に、少女はふいに自分の胸の内にこの霜神に対する同情にも近い感情、あるいは共感に似たものがわき出るのを感じた。うつむき、独り言でも言うようにぽつりとこぼした言葉の中に、今まさに彼女が抱えているような『まだ死にたくない』という気持ち、『まだこの世界から消えたくない』という思いが垣間(かいま)見えた気がしたからだ。

 しかし、安易(あんい)にその感傷(かんしょう)に身を預けることはせず、少女は慎重(しんちょう)に問いを重ねる。

「あたし一人でも、あなたを消すことはできる?」

「君は私を殺したいの?」

 問い返され、少女は一瞬言葉に詰まる。

 自分の命のためとはいえ、神の死を願うのにはためらいが生じた。

「それはきっと、とても恐ろしいことね」

 そう呟いて少女は大きく息をつく。再びこれまでの怒りや(いきどお)りが冷め、冷静になったことを彼女は自覚した。

「あたしなんかより、あなたの命の方がきっと大切だわ」

 自分の心の模様をなぞるように、少女はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「何もできなかったし、何もしなかった。だったら、あたしがいたって何の意味もないもの」

「私には私を必要とする君が必要だ」

 静かにそう言った霜神を見上げ、少女は一呼吸の間何かを考えたあと、尋ねるというよりは一つの確信を口にするように言った。

「あなた、誰かにいて欲しいと思ってもらわないと生きていけないのね。そうでしょ?」

 神の存在を信じる者がいて初めて、神はそこに存在できるのだと少女は気づいた。だから人々が神のことを忘れた時、彼らはこの国から消えてなくなるのだ。

「だから贄が必要なんだわ」

「その通り」

 隠そうともせず、物静かな冬の神は少女の言葉にうなずいた。

 その素直さに少し動揺(どうよう)したのか、少女はばれた(うそ)の言い訳でも探すようにどこか必死な様子で言葉を(つら)ねる。

「それでも、あなたはとても立派なことをたくさんしてきたんでしょうね。神様だもの」

「人の歴史には残らない」

「それでもよ」

「人は誰も知らない」

「でも何かしたんでしょう?」

 なおも食い下がる少女の目と、霜神の目がぴたりと合う。

 それをお互いそらすことはしなかった。

 霜神はまばたきもせず、少女のことをじっと見つめている。そしてそのまましばらく黙っていたが、やがて「冬を紡ぐのが私の仕事」と言葉を返した。

「風を(かな)で、雪を()る。私はそれをいつも変わりなくこなすのが好きだけれど、移り気な季神は時に、いたずらに冬を長引かせて遊びたがるんだ。だから私がさっさと手を引かなければいけないこともある」

「規則正しく冬が巡ってくるのは、あなたのおかげというわけね」

 少女はそう言って霜神に微笑みかけた。そしてお世辞(せじ)などではなく真実として、続く言葉を口にする。

「長い冬は困るわ。でも、冬が完全になくなるのもダメ。寒くないと生きていけないものもたくさんあるもの」

 暖かい冬と涼しい夏では作物が豊かに実らないこと、冬の力が強い土地にしか住めない動植物がいることも少女は知っていた。

「大事なお仕事をしてるのね」

 そう言って少女は無意識に霜神に歩み寄ろうとしたが、その身から伝わるすべてを凍らせるような冷気にあらがえず、足を止める。

 少女と霜神の間に横たわる近くも遠くもない距離は、人と人の姿をした神との違いに似ているように彼女には思えた。数歩(あゆ)み寄れば届く距離――だが、踏み出さなければ決して届くことのない、確かにそこにある径庭(けいてい)

「私の仕事のことなど、人間は誰も知らない――君以外は」

 二人の隙間(すきま)をうめるように霜神は一言そう呟いた。

 しかし、それに少女は不思議そうに小さく首をかしげてみせる。

「他の人にも知ってもらいたいとは思わないの? 冬の神様は嫌われがちだわ。もっと怖い神様もいるから、それに比べたら(した)われている方だろうけど……あなたが人から好かれれば力も強くなるんでしょ? そうすれば長く生きることもできるでしょうに」

「長い冬は困るんでしょう? 厳しい冬も」

 そう言って霜神は吐息と共に雪の結晶を一つこぼし、言葉を()いだ。

「だから、私には君一人だけが必要だ」

 ただ一人分の、冬を願う存在が必要なのだと。

「でも……あたしはただの人間の女の子だし、あなたみたいにすごいことは何もできないよ。これまでだって、何もしてないんだもの」

 少女は自信なさそうに言って視線を足下に落とす。

 自暴自棄(じぼうじき)な激しい感情が冷めた今、少女は自分の無力さを強く感じていた。何かを()()げたという手応(てごた)えもないまま、雪と氷を(つかさど)る神を前にして自分に何ができるのだろうかとむなしさを覚える。

 そんな彼女に、相変(あいか)わらず感情の感じられない淡々とした語調で霜神が尋ねた。

「君は新しい家族と、きちんと家族になろうとしたんでしょう?」

「そんなの、あたしの家のことだけだし……」

「勉強も頑張った」

「勉強ができるのはあたしだけじゃないもん。それに勉強ができたって、結局まだ何も成果を残せてない」

 (こうべ)()れたまま、少女は力なく言葉を返す。

 それに対し、霜神はまっすぐに彼女を見つめたままで「人の歴史に残るようなことを?」と尋ねた。

「足跡などどこにもなくとも、人が誰も知らなくても、私の仕事を大事だと言ったのは他でもない君なのに」

「それは……だって、あたしは神様じゃないもん」

 人間の中で生きる人間は、他の人間に評価されなければ意味がないのだと少女は思った。そこが神と人との違いなのだと。

 しかし、霜神はどこか不思議がるような口調で言葉を返した。

「君が君に()じない君でいたなら、それは何より君にふさわしい、素晴らしい成果だと私は思うけど」

 その言葉に少女はためらう。

 確かに彼女は自分に恥じるようなことはしてこなかったつもりだ。そしてやるべきことはいつもきちんとやったし、できることはしようと努力した。人の歴史に残るほどの(はな)やかな成果こそあげてはいないが、ささやかな成功を積み上げて満足を得ることは嫌いではなかったし、そんな小さなものならやらなければ良かったなどと思ったこともない。

 彼女はいつだって何事にも真剣で全力で、そうあることが彼女の誇りだった。

「そうね、だからあなたへの嫌がらせで火も用意したんだったわ。意味はなかったけど」

「あれほどたくさんの火は初めて見たよ」

「びっくりした?」

「そうだね。私をあんな風に驚かせた人は他に誰もいないよ」

 あの無数のかがり火の中を歩いてきた時も、そして今も霜神の無感動な様子に変わりはないように思えたが、少女は小さく苦笑を浮かべて「それはちょっとした成果かもしれないわね」と自分をほめた。

「あなたって、全然驚いたりしなさそうだもの」

 それに霜神は黙然(もくぜん)首肯(しゅこう)する。

 すると霜神の長い前髪の一房から雪の結晶が一つこぼれ落ち、シャラリと(すず)やかな音をたてた。

 その余韻(よいん)が消えても霜神は黙ったまま、無表情に少女のことを見つめている。

 そんな霜神を見上げ、「あなたはどうなの?」と少女が尋ねた。

 そのまっすぐなまなざしと問いに、霜神はわずかに戸惑うような様子で彼女から視線をはずす。そして数秒の沈黙をはさんだあと、ぽつりと答えを返した。

「私は自分の仕事を恥じたことはないが、誇れるものだと思ったこともない。君の言った通り、冬は嫌われているから」

 冬の夕暮れのようにどこか憂いのある語調で霜神は言い、また一つ吐息と共に結晶化した雪をそっと落とす。

 そのひとひらの雪が地面に触れるより先に少女は霜神のそばへと歩み寄り、銀色に輝く二つの瞳を見据(みす)えて言った。

「確かにあたしは冬が嫌いだけど、なくなればいいと思ったことはないわ。あたしたち人間にはまだ冬が必要だよ」

「君がそう言ってくれるなら、そんな君が私には必要だ」

 パキパキとかすかな音をたてて凍り始めた少女の足下からそっと裾を引き、霜神はまた少し歩を下げる。

 その様子を見て少女は凍った自分のつま先に視線を移し、無造作(むぞうさ)に足を振って氷の束縛(そくばく)から抜け出すと、疲れたように大きなため息をついて言った。

「そのセリフを聞くのは何度目かしら。何だか、もういいやって気になってきちゃった。あなたに腹を立てていたはずなのに、いつの間にかお互いに同じことを言い合ってる。あたしたちはよくやったし、お互いに必要なんだって」

 そして彼女はあきらめ混じりの微笑を浮かべ、「あたしはもう、どんなに頑張っても戻れないんでしょう?」と霜神に()いた。

 それに寡黙(かもく)な冬の神がうなずく。

 そのことに少女はもう怒りも嘆きもせず、代わりに願い事を一つ口にした。

「じゃあ、あなたについて行くことにするけど、最後に家族のことを見に行ってもいい? どうしてるか心配だわ」

 霜神はそれにもう一度うなずいた。


 少女の母親とその再婚相手、そして彼の血を引く幼い少年が真新(まあたら)しい墓石の前にたたずんでいる。

 傷一つない墓石には少女の名前と生まれた年、そして死んだ年と『病死』という単語が一つ刻まれていた。

 神の伴侶となった者が贄であったことは、決して墓石や歴史には刻まれない。

「お姉ちゃん、こんなところで寝てるの?」

「神様のところへ行ったのよ」

 弟が不思議そうに言い、少女の母親が涙のにじむ声で答えた。

「どうして神様がぼくのお姉ちゃんを横取りするの?」

「月が元の位置に戻ったからだよ」

「元の位置ってなあに?」

 次々とくり出される少年の疑問に答えた両親は、その最後の問いにはどちらも言葉を返さなかった。

 少年はそれが不満だったのか、すねたような口調で「ぼくのそばにもっといて欲しかったな」と呟く。

「お姉ちゃんにも見せたかったのに。せっかく上手に糸を通せるようになったから」

「きっとたくさんほめてくれただろうね」

 少年の父親、そして少女にとっても新しい父親となった男がそう言ってかすかに笑ったが、言葉の最後の方は少しだけ不安定に()れていた。

「僕も父親の顔をして、あの子のことをもっとほめたかったよ。血のつながりのない弟にも本当に良くしてくれた。あんな体で」

「先生もおっしゃっていたわ。あの子はよく頑張ったし、最後の最後まで運命に(あらが)うつもりだった、その気迫に負けたんだって」

 少女の母親がそう言うと、父親は「あの火はすごかったね」とうなずいた。

「一生忘れないよ」

「私もよ。ええ、何もかも忘れることなんてないわ。あの子がいたからここまで来られたんだもの。あの子ではなく私自身が決めたのに、上手く母親になれずにいた私の代わりにあの子が頑張ってくれた。あんなに苦しかったのに」

 そこまで言ったところで、母親はついに耐えられなくなったかのように顔を手で覆って泣き出した。

 そんな彼女の肩を抱き寄せ、「もう大丈夫だよ」と夫が言う。

「それが唯一の救いじゃないか。だから君も最後は泣かずにあの子を見送ろうと頑張ったんだろう?」

「私が泣くとあの子が心配するんだもの」

 温かな涙でぬれた声で彼女はそう言った。

 すると少年が新しい母親の顔を見上げ、「ぼくもパパも心配するよ」と小さな声で言う。

 そのひかえめな主張は、彼女の家族がもはや小さな娘だけではないことを語っていた。


「君はとても大きな偉業をいくつも成し遂げたみたいだ」

 三人で手をつないで去っていく彼らの後ろ姿を見ながら、霜神がぽつりと雪の結晶を一つ落として呟く。

「彼らは家族となり、君の弟は針に糸を通せるようになった」

「あんなに不器用だったのに、奇跡って起きるものね」

 少女は苦笑しながらそう言うと、隣に立っている霜神の手をぎゅっと握った。その手は冷たくも温かくもなく、冬の日差しのように柔らかだ。

「冬の神様の手って、ちっともひんやりしてないのね」

「それは君の体が冷たいからだよ」

 小さな水たまりに張った薄い氷のようにかすかな笑みを浮かべ、霜神が言う。

 確かに彼女の中にはもう、怒りの炎も命の炎も残ってはいなかった。

「なるほどね」

 少女はそれだけ呟くと小さく肩をすくめ、伴侶となった冬の神の手をもう一度ぎゅっと握った。

少女は「病死」。

若いうちに死ぬのはあまりに気の毒だから、せめて神様が必要としたから召されたのだということにしよう、というある種の宗教に近い世界観。

「月が元の位置に戻る」というのは企画概要にあった設定ですが、どういうことなのかはまったく書かれていなかったため、「適当な理由付けをするための決まり文句」のような形で作中では使用しています。

つまり、子供の問いに返す大人の適当な(死をごまかすための)言葉。

真っ白な上着の男は、白衣を着た医者。


霜神を含め、この作中では神々は人間の信仰心がないと存在できない。

信仰心が強くあると神々も強くなれるが、霜神が強いと冬が長くて人間に嫌がられるので、一人分の信仰心だけを霜神は欲している。つまり、今回はこの少女だけが必要。

霜神の仕事のことを人間は何も知らない。でも存在しないと困るし、人間と世界に必要な冬を作る仕事をしている。

少女の功績についてもほぼ誰も知らない。でも弟は少女のおかげで針に糸を通せるようになったことを誇らしく思っているし、家族は前よりも家族らしくなれた。

お互い、他人には認められていない功績を確認し合うだけの話。

そして霜神がひたすら同じ言葉で口説き続けるだけの話。

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