【現代】瓶詰の数式
「ボトルメール」というお題で書いたサキ的ショートショート。
音読動画→https://youtu.be/OzhRJ6bGv0s?si=hUXAdvConyrdLLB8
彼が行きつけのバーで安酒をあおり、仲の悪い近所の青年が珍しく来ていないことに「逃げた」だの「臆病者」だの好き勝手なことを言いながら友人たちとポーカーをして帰宅すると、リビングでは年の離れた妹がノートを広げ、退屈そうな顔で宿題をしていた。
彼女は兄が帰ってきたことに気付いても視線をちらと上げただけで「おかえり」の一言もなく、すぐに興味を失ったように視線をノートの方へと戻す。
彼はポーカーで大勝ちしていつになく上機嫌だったため、普段はあまり構わない妹に陽気に声をかけた。
「よう、こんな時間まで勉強とは精が出るじゃないか。それとも、はかどらないから遅くまでノートとにらめっこしてるのか?」
そう言って向かいの椅子に腰かけた兄の顔を見返し、小さな妹はため息まじりに応じる。
「ボトルメールを書いてこいっていう宿題が出たの」
「ボトルメール? 今や赤ん坊でも電子メールでミルクを寄こせと主張するのに、ずいぶんと時代錯誤だな」
彼は自分の言った冗談にけらけらと笑い声をあげたが、妹は疲れたようにもう一度大きく息をつくだけでにこりともしない。
そんな妹の様子を見て、たまには兄貴らしいことをしてやろうと思い立った彼は、親切そうな口ぶりで「よし、俺が手直ししてやるから書いたものを読んでみな」と言った。
彼女は最初それを渋っていたが、ついには根負けしてボトルメールの内容を読み上げ始める。
これを読んでいる誰かへ。
助けてください。私は今ひどく疲れています。
兄に言われてごみを焼いたのですが、白い骨がたくさん焼け残ってしまいました。
そのうちの一つは熱が足りなかったのか、内側に残り物がこびりついている始末です。仕方なくきれいに洗ったけれど、代わりに排水口が詰まってしまいました。
それを知ったら兄は怒るでしょう。お酒を飲むと怒りっぽくなるんです。友達ともけんかをして殴ったり……でも翌日には何事もなかったかのように忘れているんです。
私はもうこんな大仕事はこりごりだというのに。
そこまで彼女が言ったところで兄は真っ青な顔をして立ち上がり、自分の部屋へとすっ飛んでいった。携帯電話を取り出し、今日バーに来なかった青年のことを大声で誰かに尋ねているが、その詳細までは妹の耳には届かない。
彼女はノートに向き直り、最後の数字を書き込むと、やりとげた算数の問題集を満足げに閉じた。
少女は、日頃から酒癖が悪くケンカっ早い兄に対する不満に嘘をまぶして兄の顔面にぶち当てただけの、算数がちょっと苦手なかわいい子供です。
近所の青年が来なかったのは偶然。ただ兄が自分の普段の素行に思い当たる節がありすぎて焦っただけの話。