鬱と私
その日は突然やってきた。
「ママ、心が助けてって叫んでる様な感覚がする」
朝食の食器を片付ける娘が、困惑しながら私を見つめていた。
「そうなの?じゃあとりあえず今日は学校休んで、ママとお話しようか。」
中学1年生のまだ寒い時期のことだった。
小学校の6年生、後半の頃から段々と学校にいかなくなり、娘は不登校となった。
それまでは、学校で表彰される事も度々ある娘だった。成績は特別良いというわけではなかったが、それでも理科の実験が好きな、穏やかな女の子だ。
ところが、小学校の卒業式が近づいてきたある日。
「ママ、お腹痛い」と、登校時間間際にトイレにこもるようになった。
それは、一度にとどまる事なく、連日続くようになった。
夫は甘えだと思い、トイレのドアを蹴り、出てくるよう怒鳴り散らした。
その日は、娘は顔面蒼白でトイレからでてきて、学校へ向かった。
しかし、娘は度々休み、とうとう卒業式が間近になった頃、学校から、娘に卒業式の練習をしなければならないので、学校まで連れてきてください、と連絡がきた。
嫌だ嫌だと泣く娘を引っ張り、仕事を休んで学校まで連れ出した。
その時の娘は、人の目を恐れ、近くに人がいるのを見るだけで違う道から行きたいと駄々をこねる状態だった。
どうにかその日、娘を学校まで送ったが、卒業式を迎えるまで、仕事を休んで連れて行く日々は続いた。
そして、無事、卒業式を迎えることができた。
そこまでは、まだよかった。
中学にあがった娘は、好きな部活に入り、小学校の時の不登校が嘘のように、快活に学校生活を楽しんでいた。
夏休みの部活も、元気に行くようになった。
その様子に、私も夫も安心し、仕事に専念できるようになった。
ところが、その年の冬、徐々に学校を休むようになっていった。
いじめがあるわけでもなく、むしろ学校側が心配して、温かい言葉をかけてくれているにもかかわらず、休む事が、増えた。
そして、それに追い打ちをかけるようにコロナにかかり、コロナから回復しても学校を休むようになった。
夫は娘を放おっておいて、仕事に行くようにと私に言った。だが、娘を放おって仕事をするのは気が引けて、その頃から、私も度々仕事を休んで娘の話を聞く日々がはじまった。
このままでは良くないと思い、私と娘は、スクールカウンセラーに相談する事にした。
ところが、娘はスクールカウンセラーの前では、ハキハキと話をし、笑顔で将来の夢や、学校生活が楽しいと話し、スクールカウンセラーも、娘さんは頑張っていますよ、と返されてしまった。
本当の娘の姿がわからなくなった。
外と内で自分を使い分けている娘の姿に、私は混乱するようになった。
だが、外で着けていた仮面は、本当は脆いものだったということを、私はこのあと知った。
娘と会話を重ねていくうちに、娘は小学生の中学年の頃には涙が突然流れる様になっていた事を知った。そして、次第に自傷行為にはしり、近くにある風邪を大量に摂取すれば死ねるのかなと考えたり、私の前で泣きながら、「頑張れない自分」を許せない怒りと、それでも頑張り続けようともがている今の状態を話してくれた。
そしてその日はやってきた。
「ママ、心が助けてって叫んでる様な感覚がする」
もう、私が話を聞くだけでは、娘にとっては限界だった。
急いで未成年を診てくれる心療内科を探した。
けれど、どこも予約でいっぱいで、なかなか見つからなかった。正直、未成年が沢山心療内科にかかっている現状に、驚いた。
それまで静観していた夫も協力してくれて、1軒だけ心療内科を見つけることができた。
私達は早速、その病院へと向かった。
医師は、時間を長めにとって、娘の状況をじっくり聞き、顔色を診て、これからどの様な治療をしていくか、説明をしてくれた。
診断名は「鬱」
お薬をもらい、家につく頃には、どっと疲れがでた。
薄々、鬱ではないかと思っていたが、医師の診断を聞いて、曖昧なものが明瞭になり、娘と共に鬱と向き合っていく覚悟ができた。