火樹銀花恋物語
家族の元へ戻ると父の様子が明らかにおかしかった。
ああ、やはりと感じた。それでも片時も離れない、ではなくてお祝いに参加して気になる人には話しかけると思ったのも正解。前向きに生きたいからそうやって悪いことも良いことへ繋げて考えていきたい。
「メル、シエルさん、お父さんが手が動かないと言うの。ご迷惑になるからこのまま病院へ行きましょう。何も出来なくても家まではもしかしたら……」
泣くのを耐えて笑う母にそう告げられて私は父の両手を取って握りしめた。
「大奥さん。許されるなら病院ではなくて屯所がええです。朝日屋兵官は大旦那さんに会わないと。こんな急に様子が変になるなんて……」
父が病院で出来ることは死亡確認だけなのでまだ死ななそうだから可能なら会えるか分からないけど屯所へ行きたいし家族とヨンで散歩したいと口にした。
死亡確認なんて口にしないで欲しいけど私達家族は長年ずっと明日急に、は覚悟してきた。急変もある話を知らないヨンは取り乱し気味。
シエルが父の前なのもあるしヨンを安心させようと軽く話しかけた。
「お父さん。シエルさんとデオンさんに会いました。お父さんの話を聞いたので歩きながら話しますね」
「ヨン。行けるところまで俺が背負う。帰りはそうしたいと思っていた」
「分かりました。見張りは任せて下さい」
シエルが父を背負ってくれた。少しハンと言い合いになって交代制。義息が父の取り合いとは私達姉妹も両親も果報者。
私達は後片付けをしようとしたけど断られたので神社の人達に任せて神社を後にすることにした。
途中、ルーベルの父親と義兄二人が酒屋が祝言時にする縁起酒撒きへ寄り道。父が楽しそうだぞ、と呟いたので。
「——……ありがとう! 一人飲んだらロイさんとジンが撒くぞ! 縁の無い方も来福酒を飲んで下さい! 夜明け酒屋の酒は絶品です!」
人が集まっていて歌って踊りながら「お前が飲んでこい!」みたいに人を前へ押し出す。
「ネビーのお兄さん! こっちにお願いします!」
「ジン! お前はこっちだ!」
「縁起酒をかけろ!」
皆で軽く濡れてみた。父はお酒が目に入った気がするけど、父はしみないとシエルの背中で笑顔。
「あの。具合が悪いですか?」
女性に話しかけられたと思ったら服装からしてルーベルの妹。顔でも分かる。なにせかなり似ている。
リス顔のルーベル同様にリス顔だ。背が小さいから余計にそう思った。子どもが二人彼女の手を握っている。
三、四歳くらいの男の子は母親似だ。女の子は似ていないから父親似だろう。酒撒きをしている男性の一人とどことなく似ているからそうだ。
(男の子は小さいルーベルさん。幼い頃はこういう顔だったのかな)
「ありがとうございます。父は足が悪いだけです。ご親族の方ですよね? ありがとうございます」
「足が……少し待てますか? 今日、兄夫婦は神社の井戸水に西の方でする魔除けをしたのでご利益があるかもしれません」
「リル。ジオを見てて。私の方が足が速いからネビーに桜茶を頼んで持ってくるよ」
「ありがとうルカ」
ルーベル似のリルがあのピーピー音が鳴る巻き戻しをふいたという次女。もう飲みましたと告げる前に、リルに子どもを預けてすぐに走り出したのが長女。
妹想いの優しい姉二人はやはり優しいようだ。両親も妹三人もそうだった。
(ルーベルさんは突然変異ではなくてご両親が優しい気遣い屋だから子ども達も全員そうだってこと)
別々の場所でルーベルの妹達全員に親切にされるとは驚きである。
シエルの背中で父がヨンに小声で「この酒はきっと縁起良しだから飲みにいけ」と笑いかけた。ハンが自分も行くとヨンを連れてお酒を飲みにいく。
「言いそびれてしまいましたが舞台前で挨拶をした時に新郎新婦。その後に歩いていたらご両親と妹さん達が同じ事をして下さいました。ご親切にありがとうございます」
「それなら三回目なので縁起数字でさらにええ予感です」
リルがにこりと笑ったのでまるでルーベルが目の前にいるみたいだと感じる。
きらっと光るような桜の花びらが私達の顔の合間を横切った。
(あっ。今のはイルさんの時と似ている。忘れてたけど思い出した。懐かしい)
つまり、私はこのリルともしや縁がある?
「新郎のルーベルさんは父と昔少し顔見知りで色々あってこうしてお祝いにきました。我が家の味噌が家庭の味と知れたのでそれでお礼をします」
「料理屋も営んでいますのでご馳走します」
「……味噌ってポチポチ屋ですか?」
また登場、ポチポチ屋。
「はい。場所は覚えてくれているのに店名は忘れるようです。上を見上げて看板ではなくて、下にいるポチを見ていたのでしょう。ポチポチ屋こと朝日屋です」
「我が家は別の味噌を愛用していますが味噌汁以外で使っています」
ルーベルや他の家族と比較してのんびりした喋り方だな。
「それはありがとうございます」
「切らすと兄に買ってきてもらわないといけないし噂のかわゆいポチポチ犬さんに会いたいのに場所が不明でした。遠いから説明が面倒だから見回り時に買ってくると言って」
ポチは噂のポチポチ犬なんだ。縁があるのに見回り時のルーベルに会ったことがないのは不思議。
「ポチポチ模様のポチは昨年天寿をまっとうしました。以前ルーベルさんが朝顔を沢山と御守りを持ってきてくれました」
リルは衝撃的、みたいな顔をした。この表情もルーベルで見たことがあるな。
「会えないとは残念です。ド忘れする兄のせいです。夜空屋も朝餉屋もないし日の出屋は味が違くて看板猫でした。ポチ屋やうさぎ屋はおかしいと思って無視です。朝日屋でした」
夜空屋はどこからきたの。私はお店の場所を教えた。
リルはニコニコ笑顔ではなくて「そうですか。私は行きません」みたいなすまし顔。兄任せってことかな。これはルーベルとは似ていない表情。
「朝顔……。義母の朝顔です。贈りたい大切な存在がいるからと言うから恋人だと思ったのに誰も見当たらなかったです。ポチさんだったのですね。大切な人ではなくて大切な存在? と思ったら犬でした。ポチさんです」
本人に誰に朝顔って聞かないのかな。
「昔々、十年程前に彼は妹達と作ったという七夕飾りを父とポチに贈ってくれました。朝顔で飾られた小さな竹です」
「……ああ。多分私と末っ子です。昔しました。珍しい事に洒落た七夕飾りを作れって言われました。数日前に作ったのにまたと思ったし、かわゆくしろと言われたから覚えています」
……。妹達に作らされたって。えっ、私のために妹達に作らせたってこと。嘘つきだ。いや口説きだ。散歩にも誘われたからそうだ。
まだシエルが本命になった話をしていなかった時期でその日に暴露。あなたに気があります、みたいな時にシエルとお出掛けした話……二股みたいと思って嫌だったかも!
私とルーベルは噛み合わなかったとまた感じた。結果、良縁がわんさかに命の花も咲きまくりなのでこれで良し。男心を見抜けない鈍感おバカで偉かった私。
「父はポチが元気でいますようにとサッサの葉に願いを書いてくくって川に流したそうです」
「お礼に貰ったって玩具はお父上からですか。その頃は玩具なんて珍しかったので覚えています。妹達と沢山使いました。ありがとうございます」
リルは父に笑いかけてくれた。ルーベルみたいな優しいホッとする笑顔。父に見えたら良いのに。
ルーベルは自分で稼いで買ったのにリルは彼にそう言われたのか。もしかしたら玩具花火もそうかもな。やはり彼は時々嘘つき。
両親に聞いてから一緒に遊んだのなら両親が買ったと言ったかもしれない。正直者で嘘が下手なのにたまに嘘つき男。
大狼襲撃事件も私の存在もサリアの事もずっと誰も気が付かないということは隠すのが上手いのかもしれない。
ルカが帰ってきて湯呑みごと持ち帰って下さいと言われた。
リルがネビーとウィオラ、両親達も同じ事をしたと言いそびれたと言われたとルカに話をしたら彼女も「三回目なら縁起数字なのでええですね」と笑いかけてくれた。姉妹で同じ発想。ルーベルの家族は皆こういう考えをするかもしれない。
「んっ……」
またしてもお腹がグニグニして、これは本当かもと思って嬉しくなった。
「……大丈夫ですか?」
「すみません。お二人のお母上にもしかしたらおめでたでは? と言っていただきました。約十年なかったので驚きました。期待しておきます」
リルがカッと目を見開いた。何? 少し怖い。
「母に触られましたか⁉︎」
「えっ、ええ」
そんなに大きくない声で品良く話していたのにいきなり食い気味でのけぞりそうになった。
「それはええです。母は安産の副神様疑惑です。難産時に呼ぶとええです。ポチ味噌のお店には顔を出しそうです」
「ポチ味噌……。えっ、リル。ポチポチ屋の方達なの?」
また登場、ポチポチ屋。
「うん。そうなんだって。お礼に安くしたりするって。遠いって遠かった。兄ちゃんに頼んだ方がええ」
「セイラさんがどこだどこだって探してるのに仕事疲れで忘れてばかりで、行かないと分からないって言うから良かったね」
「うん。今日教えるつもり」
「あの、妹さんのルルさんからその話をされて今度かめ屋へ商談にうかがいます。ありがとうございます」
セイラは老舗旅館かめ屋の女将だと教わった。
「お店を営んでいると聞きました。味噌料理ですか?」
「夫の実家が料亭四軒と我が家で夫が料理人もする我が家の味噌と醤油を売り出すようなお店です」
リルはまた目をカッと開いて「料亭……あの味噌の料理……」と呟いた。
「料理長さん達と今度食べに行きます。商談時にかめ屋の女将さんにお店の話をして下さい。私も言います」
「気になって仕方ないのですがかめ屋さんとルーベルさんはどのようなご関係なのですか?」
「女将さんと私の義母が幼馴染でとてもお世話になっています。妹が料理人です。我が家はこき使わ……なんでもないです」
「教えて下さりありがとうございます」
今、こき使われていると言おうとしなかった。リルは視線を彷徨わせて私から目を逸らした。
(……この感じ。覚えがある。口滑りみたいなところやこの仕草。イルさんみたい!)
さすが兄妹。ルーベルの妹レイが厨房、と口にしたのは料理人だからなのか。
「そうなんですよ。我が家はこき使われています。油断すると安く安く使われるから交渉時に気をつけて下さい」
「えっ、言うのルカ」
「リル、あんたが口を滑らせたんでしょう。いつになったら直るの」
「前より直ったよ」
「それに女将さんにしてやられるたびにテルルさんに怒られてるからもっと気をつけな」
(リルさん、少し拗ね顔。これもイルさんで見たような表情……)
「あっ、お兄さんの鼻に花を刺して、それで下の妹さん達がカタツムリ……」
このリルがそれをした。思い出したらおかしくてつい口にしてしまった。これは私も口滑り。
「えっ」
「えっ。リル、あんたの悪戯激怒を知ってる人にたまたま会うなんて面白いね。そうです。口で言えないから草鞋や草履を隠したり。そういえばリル、今夜はいびきがうるさいって顔に濡れた布を乗せてネビーを殺しかけなかった? それだよね、確か」
「あった。暑いと可哀想だと思って濡らしたら逆に悪くて殺す気かって怒られた。説教はともかく悪口と足くさふざけをしたから花をさした」
なにしてるのこの兄妹!
「また説教されたよね」
「関係ないルカもね。あれ、八つ当たりでしょう。あの頃貧乏もだけどジン兄ちゃんに恋人がいるって誤解してイライラしてたから」
「あんたもそうだよ。貧乏最盛期でやることが増えて仏頂面とか陰湿なこととか」
……。貧乏最盛期。ルーベルの学費や半見習いのお礼代などだろう。二人の優しい姉はイライラしたり……それで花火や玩具?
(家が大変、稽古は厳しい、学校と半見習いと家のことに日銭稼ぎ、学校ではいびりがあった疑惑、屯所もって言ってたな。将来への不安……)
だから私を最初に切れなかった。勉強もかなりしていたけどポチととても楽しそうに遊んでいた。
(言えない。言わない。サリアさんのことが悲しいとか自己嫌悪もあるけど気遣い屋さんのルーベルさんは密会などが家族のせいみたいに伝わるのをきっと嫌がる。ルーベルさんは愚痴はあまりだった。いつも前向きに考えて……)
大狼襲撃事件についてウィオラには話して、秋くらいにはサリアのことも私のこともという感じだったのでウィオラには心配をかけても良いと甘えるのだろう。
(祝言前から生涯の宝物だから婚約中もうんと大切にされてそう。それで幸せなウィオラさんの幸せは全部ルーベルさんへ還る。約十年待って良かったですね)
私達家族がその幸福作りに参加して、シエルによれば悲しげだったというウィオラも幸せそうに笑っているとは素晴らしい。
家出人なのに今日親族がいるなら和解したってこと。結納お申し込み前は長屋へ引っ越しだから和解前? それならルーベルが和解に一役買ったかも。それならウィオラ側もきっとルーベルの肩書きどうこうではなくて彼への気持ちが大きい。家同士もきっと結びついた。だから東地区の実家家族があのような素晴らしい演奏を披露してくれた。
私は新郎新婦の方へ顔を向けた。火消し達が沢山いる!
(あっ。義理のご両親とルルさん。火消しさん達と話してる。ルルさん照れてる? なんか様子がとんでもなく可愛い。ん? 火消し? ルーベルさんって火消しを許すのかな)
ここへ並んで順番がきて終わったハンとヨンが戻ってきたのでお礼と挨拶をして神社を後にすることにした。
「ああ。目が悪いのでしたら顔を拭くとええ気がします。怪我や病は気持ちも大切なので私はそういうことをしています」
去り際、リルにそう告げられた。歩きながらこの縁起桜茶は従業員一同に振る舞おうと決めている。験担ぎはなんでもしたいから手拭いを少し濡らしてリルの親切心通りにしてみた。
私は母に頼んで他の者に離れてもらって父とシエルと三人以外に話が聞こえない少し離れた距離と小声でデオンが言ってくれた事や彼とルーベルの話で出たという父の話をした。父はずっと無言だ。どんどん様子がおかしい……。
「……える。見……える……」
父が息も絶え絶えのようや掠れ声をだした。
「メルの顔が……。シエルさんも……。大人びたな……。空が……光っている……」
驚いて父の顔をしっかり覗き込んだら瞳の色がかつてのようだった。
なんで?
目に触れた何かはお酒か桜茶だ。お酒やお茶ではこんな奇跡は起こらない。病状の変化が良い方に起こるなんて予想外。
(魔除けの……まさか)
桜の花びらに混じって養殖光苔が事故なのかなんなのか混じっている。青白い光でとても幻想的景色だ。
強い風が吹いてどこからこんなにというくらいの花びらが飛んできた。桜なのに銀花でもある。こんなことってあるの?
「綺麗……。見える! 見えるなら家族を見てお父さん!」
青白い光はやがて虹色みたいに変化した。桜と虹色の光で煌めく世界の中、父は孫の顔を初めて見られて私達家族の顔も十年振りに瞳に映した。
「シエルさ……ん」
「なんですかお義父さん」
メルは男を見る目があった。妻もニライも反対しなかったからやはり見る目がある。全員でルーベルと比較してシエルを選んだ。
だからずっと安心していて日々信頼信用を積み重ねてその気持ちはどんどん強く深くなった。
シエルが選んだ兵官候補者達も素晴らしい人格だから自慢の息子だ。
今と真逆で理由が思いつかないけど万が一店が潰れようが借金まみれでも朝日屋はきっと蘇る。
味はニライとハンが守るし経営と人たらしは私とシエルで要はシエル。大黒柱の当主はシエル。かなり時間をかけて父はシエルにそう告げた。
昔から何度も改訂している遺書があるのは知っているけど中身は知らず。内容はこういうことだろう。
「メルは……足りん……」
「はい! 元々そのつもりです!」
「お父さん! 私はとても不満です。シエルさんから当主の座を奪い返します」
「いやぁ、職人頭は俺って。痛いニライさん。痛い痛い。コソコソ太ももをつねらないで下さい!」
「うるさい! 私達はまだまだ半人前だから自慢顔をしないの!」
「俺が守ります! その為に近くに住んでいるので雨槍雪に台風に強盗からも俺が守るんで安心して下さい!」
父の様子を見たヨンが急ごうと告げて彼に父をおぶってもらい紐で軽く固定して私達は早足で屯所へ向かった。
途中でハンが「朝日屋兵官も大事だけど朝日屋一同も大旦那さんに会いたいです!」と気がついてくれて、シエルは連絡先に実家家族も追加して飛脚へ依頼。
そうして屯所へ到着するとヨンはたまたま近くにいた副隊長を捕まえて名乗ってしどろもどろ事情を説明した。
「全員注目!」
ヨンの説明の途中で副隊長は笛を鳴らしてから叫んだ。
「ヨン。誰だ朝日屋兵官は」
ヨンが伝えるたびに副隊長は班名と名前を告げて本人と同じ班の者と見回り捜査班に集まれと告げる。
今年から地区兵官になったアルタと一昨年地区兵官になったシガラが慌てた様子で近寄って父に声を掛けてくれた。
二人とも珍しく屯所へ来る用事があった。きっとこの為だと口にした。
「教育班七班はトイ、福祉班九班はゴドを連れてきてくれ! 彼等を応援して俺達の同僚にしてくれたお方の尊い命の灯火が小さい。勤務明けなら叩き起こして働いていたら代わってくれ。見回り捜査班は同僚に伝言するように頼む」
「自分はトイと親しいです! トイなら準夜勤だからルーベル先輩の祝言を観に行くと言っていたのでそろそろ出勤すると思います!」
「後輩のゴドは夜勤明けで家を知っているから行ってきます!」
「全員こちらで勤務を変えておく。ご自宅は遠いようですし家族が揃っていて店に飛脚を出したなら宿舎を使って下さい」
副隊長に感謝して彼が指定してくれた兵官に案内されて私達は宿舎へ移動。
何をどうして良いかなどはヨンが全て先輩兵官——多分幹部——に言われて動いてくれた。
布団に横になった父は目を擦って眠いと告げて今日は朝日屋の恩人の祝日だから絶対に死なないと眠りに落ちた。
寝ている父は微かに息も脈も温もりもある。眠っている間に亡くなったら嫌なので起き続ける。長年明日かもしれないと覚悟はしてきたけど辛い。
本当に懐妊なら父に我が子を見せたかったし抱いて欲しかった。
やがて朝日屋兵官が集合。店からも奉公人達が来てくれて、更にはシエルの家族も父の友人も来てくれて人が増えたなら道場をどうぞと親切にされて眠っている父を今度は自分だとハンが運んだ。
翌日の昼前、父は目を覚ました。帰らないで残っている者達を見渡して父は「見えます……」としわがれ声を出して微笑んだ。
だんだん不自由になることもなく突然だし先に失明だったのに死に際に視力が回復するなんてこの病は滅茶苦茶だ。
父の年齢だと予測不能ってもう一般的な発症年齢になったのにこれ。よくある症例と全然話が違う。
父の手は二つしかないので一つは母に譲って私と姉で半分こ。
空気を読まないシエルとハンに横取りされかけたので死守。他の人には譲れない。
「息子が七人になるとは……」
この発言で父の手の取り合いになりかけた。でも譲る。母と姉と三人で片手にするとこにする。
応援するなら真面目な苦労人。地区兵官になれなかったらずっと奉公人なので家族になれそうな者を探そうとシエルに提案したのは父だ。ルーベルという見本を知ったから探せると。
朝日屋地区兵官は出世して大宣伝は無理そうでも優しい幸せになって欲しい者達ばかり。ヨンみたいに顔が怖くても人に好かれるからきっと幸せになる。
荒んだ顔で近寄るのが怖くて奉公人達からも不満めなシガラに寄り添ったのは父だ。戦場兵官よりも、と試験会場で見つけてきたのはシエルだけど。
「願はくは……」
「お父さん。メルさんの結納日、目が見えなくなった時にくたばるかと気合いをいれたら息子が沢山ですね」
母は涙を浮かべて父に笑いかけた。
「妻も娘……安泰……。花の……もとにて……春……死なむ……」
出来ることなら春に花の下で死にたい。春の桜で花の下なら桜だ。
「桜の……木がある……。ここは並木だ……」
この場にいる者達ならこの意味が分かる者が多い。私は誰よりも分かる。だから笑った。
「お父さんが作ったのよ。お父さん……。桜。桜。舞い散る桜。見渡す全て桜、桜。ああそうだ。お父さん。千年万年命は巡り巡りて終はなし」
私は泣きながら小さく歌った。それで気がつく。千年万年命は巡り巡りて終はなし。
この時の旋律は万年桜に良く似ている。多分あの歌はあの場で誕生した。
彼女は名曲にして喜劇で終わる大団円の万年桜を使って長寿の願いと永遠の幸福を込めた曲を作成。とても優しい贈り物。
父は小さく「ありが……。終はなし」と息も絶え絶えに口にして胸を掻きむしって苦しんだ後にこと切れたように黄泉の国へ連れて行かれた。
——十五年後——
息子はまだまだ素直で可愛い年頃なのに私の娘は最近反抗期。
文通お申し込みの手紙を書いていたのを発見して親を通せと叱ったら不貞腐れ顔。
顔立ちはシエルなのにこの不機嫌顔は私そっくりな気がする。
「サリアさん。私は学生の頃に親に隠れて文通お申し込みをしたら初恋の皇子様を逃しました」
「袖にされたのではなくて逃したのですか?」
「そうです。嘘をついたり密会を繰り返した結果他の縁談を断れなくなって自分が大変でした。相談相手がいないから誰かに役に立つ言葉をもらえず悪い方へ流れていきました」
「……えっ。お母さんが密会したのですか⁈ それはハレンチです。ええっ。生真面目なお母さんが密会ですか?」
「今よりも不誠実で嘘つきで苦労知らずの甘ったれ。親を侮辱されても言い返せなかった頃です」
娘の背筋が竹のように伸びた。最近話をろくに聞かないけど耳を傾けそう。
「おまけに覚悟も気持ちもないのに我儘娘。しょうもない娘だから彼とお見合いさせてもらっても袖にされて失恋しました。始まりは今サリアさんがしようとしている勝手な文通お申し込みです」
「密会していたのにお見合い出来たのですか?」
「そうです。たまたま相手が良くて清い密会で両親が聞く耳をもつ娘想いだったからです」
「……。お母さんは……聞く耳を持ってくれるの?」
サリアは少し期待した眼差しを浮かべた。
「サリアさん。本気で文通お申し込みをしたいなら私とシエルさんに話して調査後に話し合いをした方が得です。我が家は商家。使えるものはなんでも使います」
サリアは私から目を逸らした。そろそろ見張りなんていらない。まずは練習でベルと散歩をしたい、ベルはしっかり番犬になると言い出した時にピンッときた。
私に似た小賢しくも若くて世間知らずの愚かな娘だ。あれこれ教えるのにぽやぽやお嬢さんなのはなぜなのか。
「思いがけない優良物件かもしれないので貧乏だろうが捨て奉公人や元犯罪者でも調査します。私の初恋の人はド貧乏大家族平家の長男でした」
「……えっ。貧乏平家?」
ふーん。貧乏平家ってこと。私とシエルの娘なら見る目があるだろう。なにせ朝日屋関係者には良い男性が多いから人を見る目は養われているはず。
私もシエルも親の背中を見て育った。娘もどうかそうでありますように。初恋の君が貧乏平家疑惑とは血は争えない。私は娘に笑いかけた。
「今は成り上がって雲の上の人のようでそうでもない我が家のお得意様です。シエルさんとたまに飲んでいます」
「初恋の人とお父さんが飲んでいるってなんですか⁈ どなたですか⁈」
サリアには名前は異国で桜や皇女様という意味だと教えたけど、名前に込めた素敵な女性に育って欲しいという願いは十六歳元服時に教えるつもりだった。
本当の失恋話は抜かす予定だったけど今全部話そう。忘れたことも沢山あるけど大事なことは覚えている。
しかしサリアはなぜ彼の息子に惚れないのだろう。
少し幼馴染でかつての彼のようなのに。向こうもサリアに興味なさそう。私もシエルもあの家を欲しいので不満。
「交換条件です。気になるならどこの誰でなぜ文通お申し込みなのか教えなさい。でないと私のように失敗しますよ」
駆け引きは成功。やはり血は争えなくて、名前のせいなのかおかげなのかサリアの初恋はあの兵官学校の生徒。荷物や登校方角で推測して待ち伏せして確認。身なりで貧乏と予想。
(あれほど待ち伏せはダメと言ったのに、しかも話しかけられないからずっと物陰……。頭が痛いけど私もこんなだったんだろうな)
それで理由は転んだ際に助けられたあとに見つめるようになったからだそうだ。
出会った季節は春でサリアはその名前を知らない彼の事を桜の君と呼んだ。
☆★
私の小さな秘密の火樹銀花恋物語は桜の木の栄養になった。次の大きな堂々とした火樹銀花恋物語は万年梅へ進み途中。
桜は根っこで続いていないのにどんどん増殖しているからいつか国中に桜の花びらが降るだろう。誰かにどんどん切られてもきっと決して終わらない。
命や生活はどこまでも繋がっていて始まりも終わりも存在しないという言葉を桜の君夫婦に教わった。
千年万年命は巡り巡りて終はなし——……。
☆★
このお話にお付き合いいただきありがとうございました。
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