縁結びの副神の微笑み18
私達とイルは衝撃的過ぎる再会を果たすことになる。ヨンにイルさんとはなんですか? と問いかけられた。
「あー。イルは皇子様の名前で名前が分からない初恋の皇子様に私が付けた名前です。十年程前、彼が兵官学生だった頃に私も女学生で登校時間が同じで一方的に見ていました」
新郎新婦は舞台中央で向かい合い、イルがウィオラの手を取って舞台前方へ移動してきた。イルはまるで新妻に支えられているみたいだ。
「皆様、本日は自分達のお祝いに集まっていただきありがとうございます。日頃の感謝を込めて本日は小祭りにしましたので振る舞い物や野点など楽しんで下さい」
この声はやはりイルだ。何年経っても忘れてない。ネビーの名前を一度忘れたので見回りするイルに気がつかないかもしれないと思ったことは何度もあるけど顔も声もしっかり覚えていた。
イルが挨拶をしてウィオラも会釈。彼女はみるみる顔を赤くしてイルの陰に少し隠れた。芸披露中とは別人だ。照れ屋なの?
「初恋の皇子様ってそんなことがあるんですか⁈」
「ありました。あの顔はイルさんです。私は非常に衝撃を受けています。シエルさんの命の恩人になったなんて」
本当は彼とお見合いをして袖にされたし袖にしたんだけどそれは言わない。教えない。
イル話はしても良いけどサリアの話をしたくない。特に同じ病気の父の前では。
ヨンに彼に二回軽く助けられてそれから眺めるようになっていつも人を助けているなとか、楽しそうに笑っている、そう淡い恋心を抱いた話をした。
「ルーベル先輩が若奥さんの初恋の人なんて世間は狭いです。まあルーベル先輩に泣かされた女性は多いそうです。女心には氷のようだって。前に女嫌いって噂を聞きました。結婚したから嘘でした」
へぇ、そうなんだ。あちこちで人助けをしていたらモテるのは当たり前だけど女嫌いになったのか。でも結婚したな。今まさに祝言中。
「文通お申し込みをしたくて両親に言って調べてくれたので当時の情報はあってもその後のことは知りません。シエルさんも彼を知っています。失恋したから口説いてと頼みました……」
「えっ⁈ 口説いてって若奥さんはそんなことを言ったんですか⁈」
「あー。ヨン。俺が君にした花咲兵官は彼の事だ。メルさんから彼の話を聞いて敵対心を抱いて俺も人を助けたり笑顔を増やす男になるぞと思って君の支援みたいな事を考えついた。自分が出来ない事を人にさせようと思って……」
「えええええ! つまりルーベル先輩も俺の恩人です!」
「そうなる。敵視した顔も知らない男と試験会場で会って数年後に命を救われたってどういう事だ⁈」
母や姉も茫然としているけどシエルが一番放心して見える。
(大尊敬する人に立派と褒められて舞い上がりそうだった。情けなかったのにってはしゃいでいたのにイルさんだった……。シエルさんの心境はいかに……)
密会現場で盗み聞きしたイルの声はシエルの中で記憶に残らなくて顔は分からなかったと言っていたから本人と会っても結びつかず今日ってこと。イルはイルでシエルを見たことがない。
「メルさんの男を見る目が良いと分かって嬉しいです。俺も良い男ってことです。あはは」
「当たり前です! 若旦那さんは良い男ですよ!」
放心から一転、シエルは楽しそうに笑い始めた。
親族席にいた親族達に演奏者の一部も混ざった。それで順番に新郎新婦へ挨拶を開始。
「ハンさん。演奏者の一部は親族だったので音楽系の豪家のお嬢さんです。琴と三味線奏者達だから琴門豪家ですかね。なのに新婦さんは歌に鈴舞の披露とは謎です」
「新婦は何者って感じですしあの演奏はそこらの琴門ではない気がします」
「桜の君が桜の君と結婚したか。お嬢さん狙いの方がお嬢さんと結婚。有言実行ですね」
姉とハンの会話というか姉の発言を聞いてイルへの私の初恋話に興味がありそうなヨンに姉はのらくら雑に説明した。
(十年後くらいにお嬢さんってお姉さんの言う通り有言実行。花咲ジジイも順調。南西農村区でも働いて桜を咲かせてるなんて凄い)
笑顔どころか命の花を咲かせている、と私はシエルを上から下まで眺めた。サリアの命はここにも繋がっていた。
(何も残してないって残しまくりですよサリアさん……)
桜の精を演じ終わった新婦はわりと普通というか平凡というか地味なイルと似合う地味系の顔立ちに見える。
絶世の美女の桜の精から可愛らしい凡人。でも所作はとても美しい。遊霞の顔や品の良さはこんなだったかも、と少し思い出した。
(振袖は三人。イルさんの妹さん? あっちの夫婦は新婦側。あの男性もそう。こっちの夫婦二組がイルさんの妹さんと旦那さんだ。妹が確かに五人いる)
老人は新婦の祖父。新婦の両親。そこに姉か兄夫婦と桜を撒いていた男の子。弟か兄と思われる男性。
演奏者ではなかった親族席にいたのがイルの家族。祖父母。もう一人祖母。両親。妹夫婦が二組と子ども三人。振袖だから独身と思われる妹が三人。
(祖母一人は聞いたけど祖父母? 昔は疎遠だった? 養子だから両親が二組だから祖父母ではなくて義父母! 子どもがいないから養子……いやネビー・ルーベルは次男だ。長男は中央裁判所の裁判官)
その義兄はどなた。新郎側の男性は二人いて夫婦で子持ちのようだけどそうなると妹の数が足りない。妹は一人欠席? 義兄が欠席?
新郎新婦の親族達への挨拶が終わると私達特別席の者達。案内係に誘導されるから招かれた特別な者達ではないのに私達も一緒になってしまった。最後にしてもらったけど。父の事は再びヨンがおんぶしてくれている。
それで私達家族の順番が来た。心臓が爆破しそう。そもそもイルは私の事を覚えているのかな。
新郎新婦は私達を見て少し不思議そうにしてから二人して笑いかけてくれた。
「本日はお祝いに来て下さりありがとうございま……おお、モンさん。なぜ前の方にいる」
「ネビー先輩本日はおめでとうございます! 福祉班十一班のヨンです! 恩人の大旦那さん、俺のもう一人の親父さんを見て親切な方が前へどうぞと言ってくれました!」
「ヨンさんか。なぜモンさんなんだろう。バカで悪い。本日はお祝いに来て下さりありがとうございます。ウィオラさん、後輩のヨンさんと後輩を応援して地区兵官にしてくれた商家の方々です」
イルはウィオラの方を向いて優しく笑いかけた。記憶の中の私に向けられた笑顔と少し似ているけど、シエルが私に向けてくれる甘い笑みの方が良く似ている。
「もみあげが印象的なヨンさんなのでモンさんなのではないでしょうか」
「おお。多分それです。あはは。悪いヨンさん。バカだからまた多分モンさんとかモンって呼ぶと思う」
喋り方もバカだからも変わってない。幸せそうなのと新妻と仲良しそうで心底嬉しい。
失恋直後はあれこれ思ったのに時が過ぎて思い出が薄れてシエルに夢中の日々を過ごしてきたから悔しいみたいな感情が一粒もない。
どうしたものかと思っていたらシエルに促された。彼と共にイルの前に立つ。
「商家ソイス家、味噌と醤油の朝日屋若旦那のシエルと妻のメルです。本日はおめでとうございます」
「ポチに御守りや朝顔をありがとうございます」
「……」
イルは瞬きを何回か繰り返して目を大きく大きくした。
「えっ? ええっ⁈ お久しぶりです。ウィオラさん。我が家の味噌の……朝日屋? 朝餉屋じゃなくて朝日屋! 朝日屋さん家族です」
「ネビーさん。この間は日の出屋と言っていました。いつもお世話になっています」
「そうでしたっけ?」
我が家の味噌って何⁈
何、じゃなくて買ってくれているんだ。知らなかった。名前を名乗って買わないし名前の記録も残らないし私達家族は売り場には殆ど出ない。
昔少し助けられた家族とひとまとめにされるのか。
「昔食べて美味しくて、その後に他のお店の味噌をもらったりお店で味噌を口にしても変えられないから遠いけど買っていると聞いています。毎朝お世話になっていますが美味しいです」
今日祝言だけど毎朝って婚約者に我が家の味噌を贈ってくれたの?
「学生の時の腹へりの俺は美味い味噌の握り飯をたまにもらっていました。腹へり時に食べると美味さ倍増だからその分が上乗せされています」
「ネビーさんだからきっとお嬢さん味の思い出分も上乗せな気がします。噂の美人お嬢さん姉妹のニイルさんかメイさんが握ったと思ったのに違くてガッカリの日と嬉しい日があったって前に言っていましたよ」
「あはは。俺のことだからどうせそれもです。今はウィオラさんが屯所で味噌汁を作ってくれた時の味噌だからです。その元お嬢さんのニイルさんとメイさんがウィオラさんに会わせたかったポチポチ犬の飼い主です」
(とんでもないデレデレ顔でサラッと惚気られた! ウィオラさんは……真っ赤で照れ笑い。これはとても可愛らしい。幸せそうでなにより。私とお姉さんの名前を間違えてる)
さっきシエルが妻のメルと言ったけどな。ニイルってイルは貴方のことですよ。
約十年経つしメルとニライとイルが混ざったのだろう。私も彼の本名を忘れたし。
ウィオラもイルはお嬢さん好きって知っているんだな。
「先程ポチさんとおっしゃいました。ポチポチ犬さんの本名はポチさんでしたか。会いたかったです。もう少し長生きされていたらお会い出来たので残念です」
「そうだ。ポチポチ模様のポチです。ポチポチって言うとなんか楽しいし歩きもポチポチだからついつい」
ポチポチ模様だけではなくてポチポチ歩きだからで楽しいからポチポチ犬と呼んでいたのか。それは知らなかったか忘れた。
「それでネビーさん。先程メルさんと紹介されました。メイさんではなくて。すみません。疲れや緊張です。よくあります」
「えっ。えー……。すみません。モンさんといいバカです。顔は忘れ……忘れますね。前髪や年月の経過で分からなかったです。大旦那さんは元気と聞いていましたが足を悪くされました?」
買い物時に父の事を聞いてくれていたってこと。
「ええ少しだけ。私達は偶然というか別人だと思って来ました。夫の命の恩人、朝日屋地区兵官のきっかけになったルーベルさんをお祝いしにきまさた」
「ウィオラさん、この若旦那さんは大狼から子どもを守ったんですよ。ようやく見つけたって会いにきてくれてこの間のあの美味い味噌、時々浮気しようかなって言うた……同じ店!」
イルは私とシエルを何度か交互に見て「えー!」とわりと大きめの声を出した。大狼の話はウィオラにはしているんだ。
「へぇ。えー。大狼お父さんがポチ味噌の旦那さん。おお、変な凄い縁です」
我が家の味噌はポチ味噌なのか。
「大狼ってあの事件ですか。同じお店とは縁があるのですね」
大狼襲撃事件を家族に教えたくなくてもウィオラには話しているみたい。
私はここに遊霞さんですよね、と追加したい。貴女も私達と少し縁がありましたと。
「実家の料亭用に作っている味噌を彼に預けて渡してもらったので店頭のものとは違います。本日は誠におめでとうございます。命を助けていただきありがとうございます」
シエルがお祝い金入りのお礼の手紙をイルへ差し出した。それで全員でお礼を告げた。
「こちらこそ学生の時に大変お世話になりました。食事でもお世話になっています。ありがとうございます」
「あの、ルーベルってなんですか⁈ だから同名の別人だと思って来ました!」
私の声は裏返った。
「正官になった年に次女の嫁ぎ先の養子になったからです」
卿家の養子になったの。そうなの⁈
大人しい学のなかったはずの次女が卿家のお嫁さんってとんでも玉の輿!
義兄が欠席か妹が一人欠席ではなくて夫婦は二組のうちのどちらかが次女と義兄の夫婦ってこと。
「ネビーさん。お話ししたいですがこれ以上長々と話すと後ろの方々と会えなくなりそうです。ありがたいことに列が増えています」
「そうですね。若旦那さん、朝日屋地区兵官と今度飲みにでも。勉強指導とか知り合いの商家で似たこととかあれこれ気になっているんで」
「は、はい! 是非」
手伝い人の少女達が桜茶かお酒をどうぞとおちょこが沢山乗ったお盆を差し出してくれた。
「ああっ。君の名前はなんだっけ。桜茶を湯呑みで頼めますか?」
「ヒナです。あい、ネビーさん。すぐに用意致します」
頼まれたヒナが屏風の裏へ去っていった。
「旅医者の友人がいて、西の方で魔除けに使う珍しい実を見つけたって贈られて、井戸に入れるものだから家を建てたら使う予定です。削って使って良いそうなので半分今日の振る舞い酒と桜茶用の水に入れました」
イル……もうルーベルだな。初恋の君だけどシエルの命の恩人ルーベルさん。
偽名を呼ぶ関係はとっくの昔に破綻して、今は名前を呼び合う仲ではないしルーベルさんはシエルとの会話で何度も使った約四年間で馴染んだ。
ルーベルは父に笑いかけた。目が悪いのは見た目で明らかなのでルーベルにもウィオラにも分かるだろう。
「ご利益では奇跡は起こりませんけど気持ちです。わざわざ来て下さって家族を守ってくれてありがとうございますとは果報者です。多めに飲んで下さい」
ルーベルは父の病気のことを覚えているのか、忘れたけど父の見た目で何かを察してくれてこの親切。シエルを助けてくれた時の話といい昔と変わらず優しい人。
ウィオラは長いと次が、と後ろを気にかけたけたのにふと見たら彼女は三味線を手にしていた。
「白髪漸く交ゆ還暦の寿。古稀獲得して更に欣然」
後ろの人達を待たせたり全員と会えないと悪いと配慮の発言をしたのに、何かを察して歌ってくれるんだ。知らない歌。
甥っ子がルーベルに浮絵を見せて「記名して欲しいです」と頼んだ。
「おお。ありがとう。今は筆がなくて無理だけどまた会えるから約束しようか」
ルーベルは甥っ子と指切りしてくれた。
「齢喜米に昇るは天恵に依る。遂に是歓び迎う百歳の年」
ヒナがやってきてルーベルに湯呑みを渡して彼は私に「いつかのお礼です。湯呑みごとどうぞ。座れる場所をあちこちに用意しているのでゆっくり飲んで下さい」と差し出してくれた。
「こちらこそ鼻緒を直して下さりありがとうございました。ポチにお守りや朝顔も」
どこかで道が交わるかもって交わりまくりだ。
「帯のお嬢さんにもお礼を言われて張り切って励めました。教えて下さりありがとうございます。大旦那さんに応援されたようにずっと励みます」
帯のお嬢さん……。彼は今もサリアにお線香をあげて手を合わせているだろう。これからは妻を連れて行くかもしれない。
他人になった、いや知人になった私と共有はおかしい。家族に言いたくない大狼襲撃事件の話をしたようだからきっとウィオラには話す。
今こういう発言をしたから隠す気はないのだろう。
「千年万年命は巡り巡りて終はなし」
百歳を迎えることができるならば本当に喜ばしいし、命は永遠に終わらないなんて素敵な歌。
「桜吹雪の演奏と歌で娘達のかつての晴れ姿が目に浮かびました。今もまた。ありがとうございます。末永く、それこそ千年万年睦まじくお幸せに」
父の言葉に新郎新婦の二人は「ありがとうございます」と破顔してくれた。
前の人達は短かったのに長居してしまった。これで私達は去って次の人達。
去り際にシエルはルーベルに内緒話みたいなことをして二人は少しヒソヒソ耳打ちしていた。
舞台から離れるとシエルは私にだけその内容を教えてくれた。
「全て知っていますって言いました」
言ったの。
「えっ、奥さんと俺のことですか?」
「密会から花咲ジジイに花咲お婆さんまで全てです」
「師匠以外の誰にも言うてないです。色々思うところがあるので。特に花咲お婆さんのことが悲しくて。いつウィオラさんに言うか考え中です。秋かなって。ウィオラさん以外にはなるべく言いたくないです。秘密でお願いします」
「花咲ジジイに対抗しようと思った結果、朝日屋地区兵官誕生です。増やしたいのでこちらこそ相談をしたいです」
これが二人の会話だそうだ。ルーベルはやはりウィオラには話すのか。そうなるとウィオラはルーベルに遊霞の話をするのか気になる。
「奥さんには話すつもりなのですね。そんな気がしました。気遣いの出来る優しい女性のようで心底嬉しいです」
「先程の歌は知りません。あの場で作ってくれたか自分達よりも音楽知識が豊かな女性です。まあ元芸妓さんですし」
「謎人物のままですが……卿家のお嫁さんだから義両親がしっかり調査済ですね」
「イル……ルーベルさんは私達以上に彼女のことを知っていますね、きっと」
「ええ」
シエルがまた彼と会うしヨンや他の朝日屋兵官がいるからそのうち分かる。父の体調が気になるしヨンも疲れてしまう。
歩きながらこの後どうするか軽く話し合い。姉夫婦に楽しんでもらって私達は父がいるから帰宅にしようとか、父は私達も残ったらどうかと言ってくれたり、ヨンなんて「大旦那さんの事は俺がずっと背負っているから楽しんで帰りましょう」と口にしてくれた。
父が背もたれのない椅子に腰掛けるのが無理そうなのはもう分かっている。足が上手く曲がらない。
支えがあれば長椅子に座れるか挑戦してみようという話になった。
家族と外出は最後だろうし恩人のお祝いだから少し居られたら嬉しい。父は家族やヨンに助けてもらえると嬉しいと微笑んだ。
「すみません」
私達に美女が声を掛けてきた。
(ん? この振袖はネビーさんの妹さんだ)
似ていない。まるで似ていないけどこの振袖と柄は彼の妹だ。親族席をジロジロ見たから覚えた。
妹だと衣装で分かるけど彼の両親に下の妹二人も登場。
妹の一人はルーベルとわりと似ている。妹三人はとんでも美女、わりと美女、普通の女性だ。
両親といて並んでいると母親似か父親似の違いだと分かる。ルーベルはどう見ても父親似だ。この顔で義父ではなくて実親だと分かるので彼が竹細工職人さん。
「私達新郎の家族なので社の壁のあるところに座れるか頼んでみますか? 支えがあれば座れていたとか色々聞こえました」
「ルル、そんなの尋ねる前に用意して要らなければ帰ってもらえばええだろう。頼んできます。息子夫婦を祝いにきてくれて嬉しいです。ありがとうございます」
母親は素早くてもう私達から離れていった。私も行く、とルルも後を追っていく。親切なルーベルの母親も妹も親戚ってこと。
「お父さん。今日の桜茶って西風の魔除けをしたって言うていたよね。神社の井戸水を汲んで。体は治らなくてもきっと気分がええよ」
「おう、そうだったなロカ。家族分頼んで来る」
「私が行ってくる」
「私も手伝う」
「妻達があそこにいるのでそちらへどうぞ。行こうかレイ、ロカ」
ルーベルの父親は娘二人を連れて私達から遠さがっていった。舞台の方へ向かっていく。もう大丈夫です、と言うよりも三人は早かった。
「シエルさん。ルーベルさん家族も彼の家族ですね。とても親切です」
「ええ。そうですね」
竹細工職人だからかルーベルの父は猫背気味で顔は似ているのに雰囲気はかなり違った。でも笑い方や優しい眼差しはそっくり。
喋り方やせっかちそうなのは母親似で妹達も似てそう。
舞台は見えないけど社の外側部分の廊下、舞台前を眺められるところに座れる事になった。
座布団が用意されて父の様子を確認してくれたので大丈夫ですと伝えてお礼を口にした。
「んんっ」
最近たまになるけどお腹が変な感じ。痛くはないけど内側が少しぐにぐに。
「メルさん。腹痛ですか?」
「いえ、痛くはないです。最近なんだか変な感じがします」
「失礼ですけど奥さん、最近太りました? 特にお腹周り」
「えっ、ええ。正月後からお祝い続きで徐々に太って反省中です」
ルーベルの母親に「失礼しますが触りますよ」と言われて下腹部を両手で触られた。
「月のものってありますか? 懐妊では?」
「十年程恵まれないのでないかと。月のものも不順で無い時はしばらく無いです」
「んー、この感じは胎動な気がします。年末年始に具合が悪かったとかありますか?」
「はい。疲れて風邪を引いて少し寝込みました。熱や吐き気……。まさか。前もガッカリしました」
「おめでただとええですね。私はおめでた系はわりと勘がええです。でもガッカリは嫌ですね」
……。
「ぐにぐにしますか? 最近時々変な感じです」
「お腹の張り出し方とか産婆さんに見せて聞いてみて下さい」
……。
私はシエルと顔を見合わせて首を横に振って縦に振って「まだ期待しません」と小声で呟いた。
私は妊娠しない人種と思うようになったから衝撃的!
そこにルーベルの父親と妹達がお盆を持って戻ってきた。
ロカが運んでくれたのは人数分のお猪口に入っているのは桜茶に見える。レイはお餅を持ってきてくれたようだ。
「息子が何をしたか分かりませんが恩人とは嬉しいです。ありがとうございます」
ルーベルの父が「お父上用です」と差し出してくれたのは湯呑みで桜の花びらがそこに舞い落ちた。
「あんた。奥さんがおめでたかもしれないからもう一杯。いや私が行ってくる」
「お母さん、私……。いつもせっかち。大騒ぎしながら餅つきをしていたのでもらってきました。どうぞ。餅はもうつき終わっていたんで」
「一皿だけ細かくしておきました」
家族がなんだか騒がしい気がしていたけど父の事や親切にされた話に私の懐妊疑惑で大騒ぎ。私は茫然というか不安と期待が入り乱れ中。
舞台前を眺めたら舞台から降りたルーベルが杵を持っていた。彼の近くに臼がある。
ルーベルが杵を素振りみたいに扱ってくるりと回して肩に乗せた。
(あはは。イルさん格好つけをしてる。はっ、またイルさん。これはなかなか直らなそう)
間違えても文通お申し込みを一刀両断された、と言うから良いか。名前を知らない初恋の皇子様をイルさんと呼んでいました、だし。
この格好つけには拍手喝采でお祝いの言葉に冷やかしや黄色い声が飛び交う。
「あはは。兄ちゃん格好つけしてる」
「ようやく動くようになったね。何回も転びかけるし手足が一緒に出るしさあ。格好悪かったからこれがええよ」
「塀にぶつかったしね」
「盃も落としたよね」
「ルル、レイ、ガントさんが兄ちゃんにわさび餅を食べさせるから見ててって言うてた」
「それは見ないと!」
「兄ちゃんは絶対に気がつかないよ!」
三人が手すりに並んだ。私の位置からも少し見える。
その通りなのかルーベルは何かを口にして、血相を変えてむせて何か叫んで慌てた様子で舞台上に戻っていった。
「あはは。成功してる」
「私達もしようよ。披露宴の時にさ」
「それなら私が厨房に行って頼む」
「ウィオラさんにもしたら兄ちゃん怒るかな」
「怒って逆襲されるね。でもしよう。ウィオラさんは怒らないで笑いそうだから。あはは」
レイが「プライルドさんを探して根回ししてくる。あと私は浜焼きのバレルさん達と会わないと」と手すりから離れた。
根回し、だからウィオラの家族の誰かだろう。戻ってきたルーベルの母に桜茶を渡された。
「手元にあるって言うから魔除けに使う実を多めに削ってもらって神主さんに軽く祈祷してもらいました。おめでただと命懸けですから」
「まあ、祈祷まで。ありがとうございます」
湯呑みは返さなくて良いと言われた。この湯呑みに魔除けと祈祷と祝い日のご利益がついたかもしれないから験担ぎ。本当に親切!
帰る時は腕章をつけている係か神社の人に声を掛けて食器や座布団を頼んで下さいと言われてルーベルの家族が去ろうとした。
「あの、味噌をご贔屓にしていただいている味噌と醤油の朝日屋です。本人に手紙を認めますが購入の際は店員にネビー・ルーベルさんの家族だと名乗って下さい。色々とご親切にありがとうございます」
シエルの後に私も挨拶をした。
「息子が味噌は俺が買ってくるってお店の方だったんですか! 学生の時に飼い犬とちょこちょこ遊んで疲れが癒されていたって。ありがとうございます」
「腹が鳴って同情されて味噌の握り飯を貰っていたと。息子に良くしてくれた大旦那さんでしたか。お世話になりました。ありがとうございます」
「朝日屋ですか。それは我が家は毎日お世話になっています。店名を聞くたびになんだっけ。朝屋に朝餉屋に日の出屋って同じ味噌なのに別の名前を言うんです。遠いし重いから見回りついでに俺が買うって。バカな息子ですみません」
ヨンはモンで私はメイで姉はニイルだったしな。
「お母さん。兄ちゃんはポチポチ犬の店のポチ味噌って言うよね。疲れてる日だとポチ屋とかポチポチ屋だよ。それは犬の名前って言うたらうさぎ屋とか。お世話になったのに忘れっぽい兄ですみません。他のお店もこんなです」
シエルがルーベルさんは自分の贔屓の味噌屋の名前をうろ覚えだった。場所で覚えていて看板をあまり見ないそうだ。商売敵の日の出屋はどこだろう。そう言っていた。
きっといつも店先でポチを見たり触っていたからだ!
「うさぎを飼っている店なのか聞いたらうさぎは娘さんが似てるからかもって。ああ二人とも似ているような似てないようなですね」
うさぎはどこから出てきたの? と思ったけど私の顔なんだ。似ているかな。初めて言われた。
飴細工のうさぎは私の顔立ちをうさぎっぽいと思ったからなんだ。
ルルが呆れ顔を浮かべた後に「妹が働いているお店で兄祭りをするので家庭の味、味噌が欲しいけど兄は忙しいから何度言っても忘れています。お店が分かって良かったです。どこの朝日屋さんですか? 女将さんに伝えます」と口にした。
「ルル、あんたは気が利くね。セイラさんに頼まれていたけど私も忘れてたよ」
「兄の忘れっぽさは母似です。ド忘れは父似です」
美女ルルの笑顔にヨンもハンもかなり見惚れているように見える。男ってしょうもない。
私は少しルルと話をして、その後にルーベル家族とお別れになった。
「シエルさん。これって注文の可能性大ですよね」
「ルーベルさんは俺というか朝日屋のなんなんですか! どういうことですか!」
私はルーベルの母が持ってきてくれた桜茶を飲みながら「一口飲んだ時と違って少し苦い」と思いながら、なんなんだは私の台詞と心の中で呟いた。
ルーベルは私とシエルの縁結びの副神様ではなくて朝日屋自体の副神様疑惑。
「ルーベルさんは忘れっぽいんですね。贔屓の味噌屋なのにポチ屋ってなんだ。ポチ味噌の旦那。お父さんではないと言ったのに大狼お父さん。モンさんだし日の出屋って言ったし愉快な人ですね」
「男性と交流が増えた今振り返ると彼は変人です。アジの祭りですし」
「ああ、確か紫陽花」
私もおかしいのにシエルの方が大笑いを始めてお腹を抱えた。私達家族も皆笑顔。
(見渡す限り桜、桜。ここは桜吹雪の景色と同じ世界だ。あちこちで笑顔の桜が満開)
フューネ家の家族はここに居るのかな。居ると良い。娘の初恋の人、永遠の恋人が花咲ジジイになるようにきっと応援しているから彼が教えなくても知ってそう。
何も為せなくて何も残せなかったと嘆いたサリアの命はあらゆるところへ繋がっている。私の小さな失恋はその仲間。下腹部に手を当てて私はまた笑った。




