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返事

 早く手紙を読みたいと思いながら帰宅して自室に飛び込んで少し震える手で手紙を開いた。胸が破裂しそう。


(佃煮のお礼……。家族で食べました。そうか。家族。なんだか一人暮らしみたいに思っていた。ああ。そうだった。妹達って言っていた。彼はお兄さんだ。えーっと……)


 字があまり綺麗ではない。文章も拙い。でもそんな事はどうでも良い。

 この文字を見ても幻滅しないでシエルの文字は美しいから素敵な人なのかも、という気持ちの方が吹き飛んでしまっているのは本当に不思議。


 お嬢さんの思い出作りの散歩は光栄でこちらは癒されそうだけどあなたの家族が怒りそうです。許可を得て下さい。


(許可は出ないと分かっているのにこの返事という事は散歩は嫌だってこと……)


 でも素性が書いてある。南三区六番隊捜査見回り班八班ダルタ預かりの地区兵官半身習い。

 父は商家ロブソン家が営む日用品店ひくらしの竹細工職人。手習先はデオン剣術道場。学校は私の予想通り。

 まさか偽名をつけられるとは驚きました。両親の許可を得られたら名前を伝えます。

 名前を尋ねられない限りは家族に隠す存在だと思っておきます。

 居ない存在にするけど俺は存在しているからイルですか?

 

(問いかけがあるということは返事をして良いの? 光栄で癒されそうは建前ではなくて本心?)


 結婚するようなので浮かれたり勘違いしないようにするし許可が得られないとか見張りがいないなら会わないようにします。

 しかし知られざるお嬢さんの生活に興味があるし、今年は去年よりも目が回りそうで息抜きが少ないから返事があると疲れが吹き飛びそうで嬉しいのが本音です。ついすぐに返事を書いてしまいました。

 どういう教育をされたらあのように慎ましく淑やかに育つのかなど、妹達の将来の参考にしたいです。

 軽い知識しかないので女学校で何を習うのか気になるし、お嬢さんも洗濯をするんだと驚きました。お嬢さんの洗濯場所はきっと洗濯場でしょうけど川で洗濯でまさか蛇投げをしますか?


(蛇投げってなに⁈ 平家の娘さんは洗濯で蛇投げをするの⁈ おまじない⁈)


 月曜日から土曜日までは起きてから寝るまで学校、稽古、半身習いです。日曜は稽古か出稽古で空き時間は勉強、鍛錬、家の力仕事や食材探しや日銭稼ぎをしています。

 

(とても忙しそう。食材探し? どこに何を探しに行くの?)


 学校終わりから稽古時間まで鍛錬や勉強をする場所の一つ、十七号地のヤイラ小神社にアジサイが沢山生えているから咲いたら綺麗な気がします。

 同じ日の別の時間にそれぞれ同じ場所の紫陽花を見て感想を言い合うのは一緒に見るのと少しは近くなりますか?

 それで良ければしばらく放課後の時間が許す限りヤイラ神社で過ごしてアジサイが沢山咲いたら教えます。

 アジサイって紫陽花って書くんですね。

 紫陽花をシヨハナと読んで会話を思い出すとなんだか違う気がすると思って、コイツはもしや特殊な読み方をするのではないか? と賢い人に聞きました。

 青いアジサイは青陽花? 赤いと赤陽花?

 俺は黄色が好みだけど黄色いアジサイは見たことがないです。

 黄陽花だとなんだか太陽みたいで字面がええのにないし、陽はアジサイの花と結びつかない気がするので変な感じがします。

 黄陽花だとたんぽぽが似合うけどたんぽぽはたんぽぽですか?


(絵が描いてある。ちいさな魚が沢山で葉っぱがついてる。釣りに行かなくてええ。うまそうだって。これはきっとアジだ)


 雅な文は何もなくて、むしろ紫陽花の漢字を知らないなんて驚き。でも発想がなんだか愉快。

 わりと下手めの絵がなんだかかわゆい。たんぽぽの話で終わり。とても予想外の終わり方。質問があるから返事が欲しいという意味なのは分かる。


(……許可とか見張りってきっと誠実な人。いや違う?)


 よく考えたら学費免除されているド貧乏兵官学生が犯罪をしたら学費返還要求が起こる上に逮捕や裁判になる。

 努力して這い上がろうとしている人はそのような破滅する道を選んだりしない。


(彼の立場でお嬢さんを無理矢理は論外。私や我が家が難癖をつけたら怖い。許可とか見張りってきっとそういう事)


 私への手紙だけど私の名前は一度も出てこなかった。


(私というか、これは多分お嬢さんに興味がある。私ではない……。悲しい……。見張り……。叔父さんのポチじゃダメかな。犬は彼の為に証言出来ない……)


 シエルからの短くて風雅な手紙と全く違う。

 両親の許可は降りないし見張ってもらうのも無理。

 私は明日から手習稽古日以外はポチの散歩をする。ヤイラ小神社へ行く下準備だ。同じ日に別々の時間ではなくて勝手に会いに行くことにする。

 私は悪い子になる。なにせ会いたいし喋りたい。紫陽花を一緒に見たい。私からすると奇想天外な話をまたしてくれて楽しそう。

 

(誰も居ないからポチを連れてきたって言って彼が保身の為に逃げたら終わり。逃げなかったらポチが見張りで良いという意味。そうしよう。もう一回会話したら諦める。それを思い出にする)


 よし。普通に返事を書いてポチと共にヤイラ小神社へ突撃すると決定。

 大事にしたい手紙だけど誠実そうな彼に迷惑がかかるのは困るので証拠隠滅。彼の素性は頭の中に保存しよう。


(墨で軽く塗って破る……。それで燃やすゴミに混ぜる。嫌だな……)


 嫌だけど女友達とは言い張れない字だから手紙を消し去るしかない。せめて絵だけは残そう。

 手紙の内容的に私の家族が許すなら普通に簡易お見合いなどの縁結びをしてみたい、みたいな感じがする。

 今はド貧乏でも将来が明るいから調べられて私の家族に縁を切られなければ周りにいない憧れのお嬢さんと文通をしたり会って話してみたいと思うのは自然な気持ちだ。

 名前を尋ねられない限りは家族に隠す存在だと思っておきますだからいつか名前を明かしてもらえるかもしれないという期待の現れ。

 許可がないなら会わないようにするけど文通はしたいだから、私側が自分を調べてくれたらもしかしたら会えるかもって期待されている。

 それまでコソコソ文通しましょう。自分の事を親に話して調べて下さい。これはそういう手紙。


 実際は彼どうこうではなくて我が家の条件的に彼は許されない。

 これは私の我儘(わがまま)片想い。思い出作りだから絶対に彼に迷惑をかけてはいけない。だけど会いたいから突撃するという迷惑はかけるつもり。私はとても矛盾している。 

 彼も矛盾している。私は結婚させられると言ったのにコソコソ文通しよう。私の家族に許されたら結婚話は関係なくなるって事だから矛盾していないか。

 顔を覚えていなかったから私の見た目は彼の好みではなさそう。

 待ち伏せ自体はされる人だから女性慣れしていない訳ではない。

 女性に不自由しなそうな気配なのに私を即座に切り捨てなかったのは私だからではなくて彼の世界では縁がないお嬢さんだから。


(あのかわゆい女学生が話しかけたり手紙を渡したら同じことになる。彼女にしがらみがなかったら恋仲になるかも。こんなの絶対に教えてあげない)


 勇気を出したのは私。敵に情報は流さない。イルにも他のお嬢さんも貴方を気にかけていますよ、なんて絶対に教えてあげない。

 それにしてもお嬢さんと遊ぶつもりならこの手紙の内容にはならない気がする。

 

(油断させた後に遊ぶとか……。恋は盲目腐り目ってこれかな。正直な人、誠実な人だと信じたくてならない。未来はないのに……。この内容は嬉しくてこれで終わりは無理……)


 私はしどろもどろだったし待ち伏せというハレンチ行為に出たのになにが「とんでもなくかわゆい生き物」なの?

 女学校で男心という授業が必要な気がする。良くも悪くも知らないと今の私みたいなバカで危険な事をする。


(謎だけど待ち伏せして良かった)


 沢山文通したいけど、佃煮屋通いをしょっ中は出来ない。お小遣いが足りなくなる。

 用もないのに「佃煮屋へ寄ります」とは言えない。手紙を渡しているとバレてしまう。

 

(シエルさんにやんわり嫌がられるか彼に良縁が来て、私は一人で家業を背負るくらい励んで、彼は警兵は遠いから地区兵官。それなら未来はある?)


 それはとても細い細い細いあるかないか分からないような道。

 やらないといけないことが沢山ある。ダエワ家三男シエルと家業に不利がないような破談。これは絶対条件。解決策が思いつかない。

 それからイルと深い仲になる。今は警兵半見習いではなくて地区兵官半見習いだけど学校で推薦状を取得出来たら彼は警兵になれる。

 地区兵官を選んでもらわないと王都中央街外配属なんて遠い。

 それから私が当主になれるように励んで婿は家業にあまり関与しなくて良いようにする事。これもイルと縁結びなら絶対条件。

 幸いな事に他の家業の職人と違って区民に慕われる地区兵官は宣伝担当や営業担当になれるのでそれは悪くない条件。


(私は私の為に励める。今のイルさんは私の為には励まないし進路も変えない。彼の事も知らなすぎる。シエルさんの事はどうしよう……)


 イルに失恋したらシエルはまた私の最優良縁談相手。単に他に候補がいないだけだけど両親がおすすめしていて縁結びを望んでいて私も今のところ彼に嫌悪感はない。


(初恋はきっとシエルさん。会って話してみたい、だったからなぁ……)


 家業の事もあるからシエル関係は動くに動けない。


(つまり私はシエルさんを保険にして初恋のイルさんを口説き落とそうってこと。彼との未来がほぼないのに……)


 絶対にない、ではないから諦めがつかない。彼に事情を教えない私は卑怯者。彼はわりと誠実な返事をくれたのに私は不誠実。


(これが噂の二股の始まり)


 事情を教えたらイルはきっともう私に手紙をくれない気がする。

 交流しないと何も始まらなくて、ほんのわずかな希望すら完全消滅。


(あのかわゆい女学生さんは私とは違って縁を結べる家かもしれない……)


 彼は下街男性だからかお嬢さんという生き物がまず気になる。私が諦めて彼女が勇気を出したら仲良くなってしまう。


(そんなのズルい。絶対に嫌)

 

 私が先に見つけて私が先に勇気を出したのに横取りされてしまう。また似たような考え事をしてしまった。


(彼女が勇気を出して手紙を送ったりしたらイルは同時並行してお嬢さん比べをしたりするのかな……)


 文通くらいは二股なんて不誠実ではない。私は結納していない独身女性だから自由の身。

 イルと結婚ではなくてシエルとの結婚前の遊びや思い出作りと考えれば良い。

 そうだった。こんなに真剣に将来について考えなくて良い。私はイルと思い出作りをする。


(単に会いたい。喋りたい。手紙も送りたい。また返事が欲しい。鍵付きの箱! そこに隠そう!)


 稽古に行く時間なので返事は後にしようとケイとナナとしている交換日記をしまっている鍵付きの箱に手紙を大事にしまった。

 よく考えたらこの手紙はイルの誠実さを証明する証拠になるかもしれないから破棄してはいけない。

 両親の許可や見張りをと書いてある。無許可や見張りなしなら紫陽花は別々に見ましょうと書いてある。

 結婚するようだから私ではなくてお嬢さんについて教えて欲しい。そうも書いてあってしっかり素性も明かしてくれている。

 

(こんなの間違っているからシエルさんからの手紙を読み返そう)


 心が動くかもしれないので試しに挑戦。途中で飽きて私は鍵付きの箱からイルがくれた手紙を出して読み返した。


(両親に言っても無駄とか許可は出ないから散歩は諦めます。そういう返事を書こう)


 机に向かって挑戦したけど頭の中で文章を考えても断り文が出てこないで放棄。

 勉強しないと、と思ったけど手紙を何度も読み返し。夕食中は心ここにあらず。

 両親や姉が何か言っているから「はい」と答えておいた。

 入浴中も心ここにあらずで湯船に沈みかけた。寝る前の予習復習も放棄してまたしても手紙を読み返して畳の上をコロコロ転がる。

 私はシエルからの数々の短い手紙を読み返してまた途中で放り投げた。

 目を閉じたらかわゆい女学生とイルが笑いながら散歩して紫陽花を眺めて照れ笑いという妄想。

 

(そんなの断固阻止! でも意地悪は嫌い。勇気を出すな、話しかけるな、手紙を書くな、近寄らないように念じ続けよう)


 しばらく念じてから私はまたイルからの手紙を読んだ。

 

(サボっていたら私は当主みたいになれないから紅葉草子みたいに悲恋になる! やっぱり勉強!)


 こう思うと逆にやる気満々。学校の予習復習に三味線の稽古を始めて母に励むのは偉いけど夜遅くにやめなさいと叱られた。

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