祝言
明日、私はシエルと結婚する。なので明日から我が家で暮らす最後の準備をしに来たシエルにお願い事をした。
「本当にするんですか?」
「はい。年明け前はまだ捨てられなくて、年明けからはシエルさんが心に増えていって忘れていました」
「うーん。燃やしてしまう。俺としては気分が良いような、そこまで良い気分でもないというか、なんというか。複雑です」
明日、ついに祝言なんだなと思った時に忘れていた鍵付きの箱にしまっていたイルからの手紙のことを思い出した。
鍵をあけてある箱を持ってシエルと庭へ出てお風呂の火を起こすところへ来たところ。二人で並んでしゃがんで火をおこして薪をくべる。
「忘れていたけど思い出したら手元にあるのはモヤモヤして。なんだか一人で捨てたくなくて。お姉さんと迷いました。シエルさんを選びました」
「選ばれたと言われると弱いです」
「枚数はそんなにないです」
「宛名もないんですね」
「はい。メルは偽名と教えたので偽名に慣れたくないから君とかお嬢さんと呼ばれていました」
「ポチの散歩で知り合ったと考えたのに登校中に見ていて待ち伏せしたと教わった時は驚きました」
「助けられたお礼だけ、少し話してみるだけ、お礼の手紙を一度送るだけ……。世の中の恋や浮気もそんな始まりなのでしょうね」
火がおきてきたので上から順番に燃やすことにした。
「俺もメルさんに見惚れたら兄上が調べると言い出して、家で繋がっているとか兄上が口説き中の女性と同じ琴門教室だったり徐々にです」
「知らない間に知られているなんて怖い。その気持ちがないのも私がそれをしていたからと、受け入れられた経験からです」
「わりと誰にでも大なり小なり遠くから見ていたってあるでしょうけど相手がどう思うか怖いですよね。結納翌日にメルさんに殴り込みの結婚お申し込みがきましたしね」
「驚きました」
商売系の下流華族の三男がお見合いして欲しいと予告なしの殴り込み結婚お申し込みをしてくれた。
叔父と次男が医者だったのでシエルとあれこれ話す前、結納前にお申し込みだったらダエワ家から乗り換えていた可能性もあった。
「本屋で落ちた本を直したのを見かけて、ポチの散歩で見かけて調べたってお前は俺か、と思いました」
「女性として、人として少し自信がつきました。なのでシエルさん。私の心を掴まえていて欲しいです。私はなんだかいつもシエルさんの人生に割り込むようなので逆は大丈夫なはず」
まさかキスもしないで祝言を迎えると思っていなかった。今日が婚約生活は最後なのでまだ好機はある。
私はシエルの頬をつんつん、とつっついてみた。無反応。
「メルさんは従業員さんですか? って自分宛の文通お申し込みの枝文を渡されましたからね」
「あれにも驚きです。料理人のシエルさんって経営者の息子とは知らずに意を決してお申し込み。大変気まずかったです」
渡したくなくて捨てたかったけどシエルに渡したら彼は私の隣で断り文を書いて遣いを出した。
婚約者がいるので、ではなくて将来を約束した恋人がいるのでと書いてくれたのでとんでもなく嬉しかった。
こんなに嬉しいなら私の気持ちは確信で、シエルも教えてくれた訳で、二人だと思ったけどその時も何もなかった。
頭くらい撫でてくれたりしないのかな。私はたまに背中をつつくとか何かしてみるけど無視される。
「女性が意を決してって中々ないし、親が頼んだとか打算ではないから正直少し気になりました。自分の長所を知りたいというか。いやしかし、これがメルさんとイルさんの始まりだと」
「だと? 我慢ですか?」
「メルさん経由でなかったら文通を二、三往復くらいしたかもしれません。会わないで少しくらいならって。料理の褒めとか俺の言葉とか内容が内容で他人から見た俺の長所を知りたいなって」
「食事の感想でしたから結納破棄にはならない範囲です。二、三往復は……。私も前からしていたかもしれません。他人から見た自分の長所は気になります」
「ひたすら悲しさしかなかったメルさんの泣き声を覚えていて同じにはなりたくないからやめました。文通だけなんて甘いと何が起こるやら。常に律して理性を他の人に破壊されたら離縁一択。今はメルさんが破壊中」
「……壊れてないです。そのようなシエルさんを知りません」
「そうですか?」
「はい」
手紙をどんどん燃やし続けて最後の一通。毎回贈られた順にしていたので一番下にあるのは最初の手紙。私はこれだけは開いた。
前半には彼の情報があるから手紙をすぐに半分に折って後半だけにする。
「俺の目の前で読むんですね」
「私の好みはご存知のようにたまに変なシエルさんです。格好つけではなくて。いえ、格好つけも素ではなくて私によく見られたいからだと知っているから良いです」
「俺にも手紙の内容が見えますよ」
「見せています。わりと字が下手な方でした。シエルさんの字は綺麗です」
「母にもチクチク嫌味を言われましたけど、シアド兄上に縁談でこんな字はってかなり練習させられました」
「まあ、そうでしたか」
嫉妬してキスしてくれたら良いのにという考え。私は初夜にいきなり全部は無理なので明日はあれこれ断るつもり。
父に孫を見せたいし抱いてもらいたいから子どもは早く欲しいけどいきなり明日全部は無理。
「紫陽花は確かにシヨハナと読めますね。会話を思い出すとってなんですか?」
「紫陽花と言ったらアジの祭りですかって。お嬢さんを装った魚屋の売り子がアジを売りつけにきたって」
「……。なんですかそれ。ああ、魚の集まりの花みたいな絵はアジの紫陽花」
うまそうという文字を指でなぞる。
イルも彼の家族も腹減りしてないといいな。支援者が色々いるから大丈夫だろうと両親と話したけど佃煮屋の商品をデオン宛に新年の挨拶として父の名前で贈った。準官までの三年間、新年と春と秋の年三回贈る予定。
デオン宛の手紙に理由は特に書かずにお礼文と三年間年三回贈ると父はそう書いた。
デオンなら意図を汲んで何も言わずにお裾分けとかなんとか言ってイルに渡してくれるに違いない。
彼は返せるようになったらあの佃煮屋にお礼をするだろう。
嫌がらせされる彼の荷物を預かったり、君は大丈夫かと心配した人がいるお店なので良いことだ。
「イルさん、さようなら!」
私は手紙を火の中へ放り投げた。名残惜しいけどさようなら。さよならイルさん。さよなら私の初恋。
シエルと親しいハインの家の浮絵屋でイルの浮絵を見つける日がきますように!
売れていたら花咲兵官の文字と桜の背景の浮絵を作って欲しいと頼む予定。なのでハインとはそれなりに親しくいて欲しいから私も彼とそこそこ親しくなりたい。
「えっ」
「明日からシエルさんのお嫁さんなのでこれでスッキリです」
「正直、もっと前に決別したと思っていました」
「年末の大掃除の時にするはずが我が家は順番に風邪で寝込みました。その後は新年で新生活。なので忘れていました」
「ああ。まあ、年明けから様子が違うなと思いました」
「つまりもっと前に決別したと感じたのは正解です」
「黄色い太陽の花でたんぽぽですか、か。紫の陽に花でアジサイってどこから出てきたんでしょう」
「集まるに真藍であつさい。あの陽光に映える紫色の花はなんですか? とルロン物語に出てきます。集真藍では字面がイマイチって」
「サラッとしか読んでないから覚えていなかったです」
「私はこの手紙を読んだ後になんだか読んだなと思って読み返したらありました」
「あつさいがあじさい。つとじは発音が違うけど方言で変化でしょう」
私は立ち上がって大きく深呼吸をした。
「荷物は運び込みましたし後は明日ですね」
「ええ。少し散歩へ行きませんか?」
「はい」
箱はとりあえず居間へ置いてポチの散歩道具を用意して二人で家を出た。朝日屋へポチを迎えに行って二人と一匹でいつもの散歩。
どこを歩くのかな、と思ったら年明けは一度も来ていないヤイラ小神社だった。
シエルがポチの紐を離したらポチはイルの定位置だった場所へ移動して伏せた。尻尾をぶんぶん振っている。
「前も思ったけどかなり懐いていたんですね」
「はい。私よりもポチと密会みたいと思うことは何度もありました」
「盗み聞きは社の中からです」
「えっ。そうだったのですか」
「ほらこの縁の下。狭くて結構難しいです」
シエルが少し移動してしゃがんだので私も腰を下ろした。
イルと花火をした蝋燭が残っていたけど前に見た時と違って胸はほとんど痛まなかった。
幸せな時間をありがとうという気持ちが湧く。初めて恋した相手は変だけど素敵な人だった。
しかも私に連続殺人鬼事件や男性も危ないと教えてくれた結果シエルを助けた疑惑。
シエルも命の恩人かもしれませんとか、私や我が家の変化はシエルやダエワ家の縁結びに一役買っている、不思議な縁と口にした。
「シエルさんがどんな格好になったのかなって驚いたので社の中だと……。バチ当たりな気がします」
「二人で社内だと見つからないのに。そう思ったことがあって。バチ当たりだからですか?」
「いえ。見つからないと言ったら怒られました。未婚のお嬢さんが密室で男と二人はダメ。当たり前のことだとか怒られまくりです」
「メルさんって彼にお説教ばかりされていませんか?」
「そうです。一歳違いなのに子ども扱いです。シエルさんにも怒られたり叱られる日が来るのでしょうか。今のところないですね」
「ええ、特にないです。彼って確か俺と同い年ですよね。話を聞いているとそんな気がしないです。俺は前にメルさんと密室で二人きりになってしまいました」
「付き添いなしです。結納相手です。怒られる理由がないです」
「ポチがいますよ、ほら」
ポチが散歩、みたいに紐を咥えて寄ってきたので私は紐を持って歩き出した。
「今日は散歩したがりポチのようです。ちょっ、早歩きしないで」
メルさん、と手を取られて軽く引っぱられたので振り返った。
「小さい男なのでここを俺も君との思い出の場所にしようかな、的な。そこに梅も咲いていますし」
「……。年明けの密室の仕切り直しですか?」
「うおえっ! いやあの、あれは、まあ、はい」
「期待してドキドキしながら待っていたらシエルさんは転びました」
「期待して……。間が悪い雅とは逆の男です。今の誘い方も。準備したのに違う話をしてしまったしポチが邪魔しようとしています」
その通りでポチは私の着物の裾を咥えて行くぞ、早くしろと散歩したくてウズウズ状態。
「ここはもうとっくにシエルさんとの思い出の場所になっています。何度も散歩にきて楽しい話をしたりふざけたりしたから。あれ以来何もないからここまで来たら白無垢姿か打ち掛け姿でどうかな。そんな乙女心です」
「他の日もそれなりに。気がついて無かったみたいですね」
「えっ?」
「隙だらけのようで隙なしです。俺も雰囲気作りが下手くそ」
「つまりたかがキスの人種ではないですね。一月の問いかけの答えが今分かるとは」
ポチに着物の生地を悪くされそうなので仕方ないから歩き出した。
シエルの頬と耳はほんのり赤くて私の顔は熱いから私は真っ赤な気がする。
「ええ。たかがではないです。そうではない方が格好良いか? とか思いつつ、考えた結果メルさん相手だと違うなと」
初詣からだから結構長く考えていたのね。たかがキスという人種は私は嫌だというような話しかしていないけどな。
「ルロンも一部好みです。雅なところ。私で練習してそのうち私にお願いします。最初からではなくて良いです。鈍くて察しが悪いのでまたそれとなく言われたいです」
「あー、それなら明日ですが白無垢の時と色打ち掛けになった時に雅に挑戦します」
「……。明日の夜にその場で言おうと思いましたがいきなり全部は恥ずかしいし怖いので無理です」
「えっ? ええっ⁈ えー。あー、はい」
衝撃的、みたいな顔の後に拗ねたような表情もされた。
「……。雅に口説かれまくったら分かりません。雅が無理なら直接的とか……」
「直接的⁈ いやあ、それは風情のないしょうもない男がする事です」
「そうなのですか? 憧れ的な何やら。乙女心的なそれですけど。私や友人達の間だと。道の真ん中で一言で大告白を皆で目撃してきゃあきゃあ言っていました」
「えっ? へえ。そうなんですか。そうか。しょうもなくないんですか」
「どなたに言われたんですか?」
「いつでしょう。自然とだからあちこちで聞いてきたんだと思います」
「しょうもない風情なしって言う女性もいるかもしれません。格好つけや雅が出来ないのは嫌とか」
「ええ。鼻で笑われたことがあります」
シエルが私にイルの話を聞くから私も逆にシエルのデート話を聞いたりする。
二人で夕暮れの街を歩きながら華族のお嬢様はダエワ家の経済状況に興味津々だったとか、別の商家のお嬢さんがいきなり付き添いを帰して個室の食事処へ誘われたから逃げたとか面白い。
シエルが二回目も会いたかったのは私みたいに照れ屋な女性。これは前も聞いて不愉快だったけどシエルの好みが分かるから以前よりも突っ込んで尋ねてみた。
シエルがイル話を始めるのはそれと似ているのか質問したらそれもあるけど、イル話をふられた私がシエル関係の話題にしていくから嬉しいのもあるらしい。結納前後はそのままイル話だったそうだ。無自覚!
彼と眺める街の灯りはすっかり美しく鮮やかに見えるようになった。いつからなのか境は不明。この景色も火樹銀花。
約束の冬の火樹銀花は見れていない。今年は生まれて初めて雪が降らなかったので来年こそシエルと雪を見たい。
雪がないなら霜柱だ、と二人と一匹で早朝散歩をして霜柱探しをして眺めないで踏みまくったのは楽しかったな。
翌日は桃の節句で私とシエルの祝言日。姉とハンも同時に祝言だ。
今日から三週間、朝日屋とダエワ家が営むせせらぎ屋と涼風屋とあけぼの屋は特別値段。
神社で挙式をしてせせらぎ屋を貸切にして家族親戚、友人やお得意様なども集まる宴会の予定。
家族親戚で短い小宴会をして、その後は確実食事に来てくれた方達が私とシエルだけの部屋に入れ替わり立ち替わり。
家族親戚は大広間にいてそちらにもおそらく人が入れ替わり立ち替わり。
お前の祝言だから仕切り案を考えろと言われてかなり悩んだシエルは提案締切日に「しょうもないからシアド案でいく」と父親に踏み潰された後に軽いお説教でしばらく落ち込んでいた。
祝言の他のことでもシエルはそんな感じである。やれば出来ると期待されているから大変。
勉強になるから私もシエルと考えなさい、にはならなくて私はシエルの母と私の母と祝言するからお祝いをよろしくと営業勉強の日々だった。
緊張で記憶のあまりない挙式後にシエルに誘われて神社の敷地内の梅の木を見上げた。もう咲いていない。
それで移動したら雪が降らないくらい温かい年だからか桜が一輪咲いていた。
「万年梅のはずが万年桜です」
「はい。旦那さん。末永くよろしくお願いします」
「……。シエルさんでお願いします。名前がええです。コホン。本日はとびきりかわゆいです」
「……。ありがとうございます」
「間違えました。名前が良いです。とびきり可愛らしいです。こちらこそお願いします。夫婦も家も末永く仲良くいられるようにお互い励みましょう」
「南地区言葉を直さなくても嬉しいです。私も使います。南地区言葉……他地区ではなんて言うんでしょうね」
「メルさん。それです。そのように喋るというか会話が進むのでタイミングを逃します。俺がダメなのもあり、メルさんも鈍いし慣れていないからこのようにグダグダです」
……。
黙ってにっこり笑って目を閉じるだった!
前に本を読んで妄想とケイ達にこそっと順番に尋ねて恥ずかしいけれど先輩は参考になると思ってミレイにまで聞いて予習したのに失敗。
黙ってにっこり……無理。恥ずかしい。目は閉じられる。
目を閉じたらいつ触られるか気になるから無理!
今度は目が合って恥ずかし過ぎて思いっきり目を閉じて唇も強く結んだ。
肩に手を置かれてなんだか触れた気がしたけど唇に力を入れ過ぎたし一瞬だったのでよく分からず。
「行きましょうか」
「……。はい」
噂のキスはよく分からなかった。これが噂のたかがキス?
私は幸せな気持ちがあるから嬉しかったけど、このなんだか分からないことをして遊ぶのって楽しいの?
それが色欲なら色欲とは意味不明。
皆でせせらぎ屋へ移動して予定通り家族親族で小宴会。
父の体は基本は元気で片目は視力落ちでお金があるから眼鏡を作れたので私と姉の晴れ姿を見せることが出来て感無量。
あらかじめ教えられた作法はこなせたし、笑顔が溢れているから嬉しさ倍増。緊張であまり食事が喉を通らないからかなり少なめにしておいてもらって良かった。
小宴会後は私達新米夫婦と姉夫婦はそれぞれ移動して来客に振る舞いや挨拶時間。
綿帽子を外して母に髪型を整えてもらって色打ち掛け姿になって、最初の来客が来るまでシエルとしばし二人きり。
(今度は無言。喋らない。見つめる、笑う、目を閉じる)
そう思っていたけどシエルの片手が私の頬に触れて驚きとくすぐったさで軽く身をよじったら、あっと思った時にはもうキスされた。
(最初と感触が違う!)
これがおそらく噂のキス。最初のキスは私が緊張し過ぎて固くて私のせいで失敗だった気がする。
最初のキスは着物の香の匂いで良かったけど今のシエンはシアドとシオンに既にわりと飲まされたからお酒臭い。
(ん? 二回? 三回? ん?)
息の仕方が分からない! 窒息する!
失礼致します、と案内係の声が聞こえて私はシエルの胸を押して離れてそっぽを向いた。
(これは、これ以上は今日は絶対無理……。心臓が止まってしまう)
似たことはされたい。色欲とは意味不明は少し撤回。私の場合は恋心付きだけど本物キスは気持ちが嬉しいだけではなさそう。
招待客、特に友人に飲まされ続けたシエルは酔い潰れて寝たのでせせらぎ屋へ置いて帰ることになった。
シエルの代わりだとシオン夫婦が我が家へ宿泊に来てくれた。
私達は寝る前に三人で花札遊びを楽しみ二人が知っていて私の知らないシエル話をまた聞かせてもらえて愉快だった。
嫁入りではなくて婿取りだからこれからも毎日両親と一緒なのに、寝る前に二人と話したらなんだかしんみりしたので両親と就寝。
翌朝、父の呻き声で目が覚めて、父は完全に失明した。先日、特に悪化の兆候はないからまだまだ元気だろうと言われた矢先なのに。
イルでないと嫌だと思っていてもそれよりも父、と感じたあの時の私は父の失明を予感していたのかもしれない。




