新年
結納してからポチがいれば見張りは問題ない、ということにしているので年が明けて家族以外と初詣もシエルとポチと行くことにした。
私達は三月三日、桃の節句の日に祝言予定なので年が明けたら結納後半。
年明けからは恋人同士と勝手に思っているので付き添いなんて邪魔なだけ。
何かあったら嫌だと見張りをつけるのは基本的に女性側なので我が家が良ければダエワ家も特に文句はないようだ。
家まで迎えに来てくれたシエルと新年の挨拶をして二人で近くの朝日屋へポチを迎えに行った。
「振袖とは思いませんでした。良いです。その髪飾りも」
髪飾りは振袖だから贅沢するぞと勿忘草と梅の両方にした。
「祖母が残してくれた振袖です。元服祝いで初めて着たけどもうすぐ着られなくなるので」
「それならもう数回振袖を着るようなお出掛けをしたいですね」
「はい。私もそうしたいです。ありがとうございます」
「髪型も良いです。見た中で一番。一つ結びと悩みますけど」
「えっ、これと一つ結びは同列なのですか?」
「ま、まあ。先日の二つ結びはあまり」
「髪型で印象は変わりますか?」
「はい。かなり。印象を変える為に、着物や小物に季節などに合わせて変えるんですよね?」
「それもあるし褒められたい時もです」
「コホン。とても可愛らしい髪型です。つまり本人もです」
「ありがとうございます」
これは照れる。でも嬉しい。
イルはちょこちょこ変わり者だったけど、髪型なんて気にしないとか髪飾りってなんだ、みたいなところもだろう。
今もだけど、シエルの友人達とまた一緒に出掛けた時に髪型の話題になってそう思った。
そっと手を握られて恥ずかしいけど嬉しい。私は今日決意してきた。
新年を新しい気持ちで過ごせそうで晴れ着姿で髪型も髪飾りも気合いを入れてきたつもり。
なので今日、多少なにやらないかなというか、ケイに年末に聞いてそれとなく誘う方法を学んできた。
「ポチ、あなたは誰にその椿を飾ってもらったのですか」
「本当ですね。初詣に相応しいお洒落さです」
ポチの首輪に桃色の椿が刺さっていてかわゆいことになっている。私はポチの頭を軽く撫でた。ポチを連れてシエルと手を繋いで散歩を開始。
「ポチはお得意様達にあれこれ貰う贅沢犬です。たんぽぽ冠の時もありました。子どもがリボンを結んだりもします」
「客を招く猫ではなくて招き犬ですね。そういえばメルさん。イルさんは無事に地区兵官になれたのですか?」
「えっ?」
初っ端にこの話題。最近、私はしないのにシエルの方がイル話をする。
私は真っ直ぐ前を見て澄んだ青空を見上げた。今日は雲一つない。
「祝言前なのでまだ確定していませんがサリアさんは我が家とダエワ家の縁結びの副神様疑惑なので昨日フューネ家へ行ってお線香をあげさせてもらいました」
「昨日ですか。俺も今度行きたいです」
「春に桜を持って行きましょう。それで父が桜の君は来たのか尋ねました」
「来ましたよね、きっと」
名前を知らない兵官学生に小さな事で助けられた事があった。彼は飼い犬と遊んでくれていた。
話を聞いたら家族想いの貧乏苦労人だから出世したら買ってくれと味噌おにぎりをたまに渡していた。
フューネ家の長男にイルは父の知人と話したのでそういう嘘になった。イルは私の話なんてしないだろうから勝手に関係をでっち上げ。
これは葬儀が終わって少ししてからお線香をあげに行ってフューネ家にした話なのでシエルも知っている。
「地区兵官の制服姿で桃色の花を色々持ってきてくれたそうです。お線香をあげて長く手を合わせてほとんど喋らずに帰ったと聞きました。葬儀の時と同じで」
私の予想は外れでイルは理想の女性の実際の性格を知りたい、とは思わないみたい。
サリアと比較するとか彼女を基準にして誰かを見つけるのではないってこと。唯一無二のお嫁さん探しは本能任せということ。
イルを恋穴に突き落とす女性はサリアとはかなり違う女性かもしれない。
優しいとか彼の優しさに気がつくみたいな根っこは同じで他は異なる的な。
「ほとんど、だから何かは話して帰ったんですね」
「ええ。準官は試用期間で半人前です。サリアさんとの約束もあるし家族や自分の為でもあるから励んで必ず正官になります、だそうです」
「番隊幹部候補として育成中なら既定路線のような気がしますけどね」
本当は地区本部幹部が目標。脱落していくものだけど卵兵間段階では総官も視野。それはシエルに教えていない。
イル本人は知らない話。私関係で悩んでガタガタになって将来の可能性が減ったとデオンに貶されていたから余計に。
自分は小さい男で先を見通す事は苦手だからと、尊敬する師匠に任せて言われたことをがむしゃらに励んでいくのかな。
なんとなくだけどイルはある程度登ったら出世よりも多くの人の手助けになる道を選びそう。
理由を言わないから出世に興味がないとか言われたりして。
彼の野心の火はある程度の出世以降は別方向疑惑。それを誰かと共有したり語り合うことはあるのだろうか。師匠がいるか。
「最初の担当は地元や西方面ですがこの家周辺や六番地全体に手足を伸ばせるようになります。それが何か話した、の内容です」
貸してくれた妹達の手拭いを返しそびれていたので彼はまた来るだろうと思ってフューネ家に預けた。
イルはもしかしたらあの手拭いを「妹達の手拭いなんで必ず返してもらいます」と言ってフューネ家に置いて帰るかも。
また来ます、とサリアへの約束の証として。
「ソイス家に二人地区兵官予備軍の奉公人を雇ってもらったので彼を数で追い抜かそう。一人対多数では多数の勝ちです」
シエルは地区兵官に詳しくなって我が家から輩出する地区兵官はなるべく福祉班を目指してもらうそうだ。
捜査見回り班だと逮捕や殴り込み参加で目立ったりするけど福祉班は困っている区民のお助け雑用係系。出世はあまりない側だけど彼等は花咲兵官だ。
教育班は強さや適性が必要だから望んでなるのはそこそこ難しいという。
「朝日屋地区兵官ですね。ヨンさんが早速張り切って働いてくれていて勉強には頭を抱えています」
「単に試験を受けるのもあれだと思って勉強したからこのまま続けて俺自身も軽く家庭教師になろうかなって」
「私もイルさんの勉強に少し付き合って予備知識があるので少し時間を作って家庭教師に参加します」
「年頃の男女が真面目に勉強なんて嘘っぽいけど、貧乏学生は必死でしょうしハバルさんから彼の教科書を盗み見したと聞きました」
「思い返すとイルさんって勉強しているか妹さん達の話ばっかりしていました。シエルさんの事をどんどん知っているのに彼の事はサッパリ。食べ物の好みや友人関係などあれこれ謎です」
「幼馴染が火消しの子でしたっけ」
教えていないけど火消し半見習い経験があってその組にまだ出入りしているという。
(受験遅刻者は火事で遅れた……。イルさんは火消しの仕事を少し分かる。火事に少し慣れている? やっぱり怪しいよな……)
受験遅刻者をたまに探しているシエルが彼と再会して、それがイルで私の知らないところで親しくなったら……。どんな縁だそれは。ないない。ピンッという鋭い勘でもない。
「たかがキスなんて言ったんですよ。信じられません。妹さん達にそんな男は近寄らせないって矛盾しまくりです」
……。
私は空を見上げていたけど自分の台詞でハッとして勢いよくシエルの方へ顔を向けた。
「た……」
「シエルさんはたかがキスという人種ですか⁈」
「たかがキス男が君に手を出さなかった。大切にされていたんですね」
「違います。とんでもなくかわゆい生き物という分類のお嬢さんが氷のような目をして怖かったそうです。氷の眼差しは私です。あと難癖結婚は嫌だと。それをされそうな友人がいると言っていました」
難癖結婚話は、最後までしていないのに手前の触るとかキスしまくりをして遊んだ結果、お前は俺の娘に何をしているんだ。結婚するからだよな。という話だと思う。
結婚の約束をしている恋人同士として周りに認識されていたのに、女性本人がそう認識していたのに違うとなるとボコボコにされるのではないだろうか。
そんな経緯の結婚でその後上手くいくのか知らないけど。
「メルさんが拒否したって事ですか」
「手を出された事はありません」
何度も手を出そうと思ったと言っていたな。遊んでしまえって気持ちの事だろう。そんな素振りあったっけ?
キスしそうな雰囲気、見つめ合った記憶なんてない。
「メルさんがなにやらしたと」
「はい。もう教えました。手を貸してと拐かしました。あっ、触られまくりかもしれませんよ?」
「あって、本当に嘘が下手ですよね。難癖結婚はなんですか? 彼は遊んだ結果難癖をつけられて結婚させられそうになった事があるんですか?」
「いえ、友人が難癖結婚間近と言っていました」
「反面教師にしようと思っていたらメルさんから氷の眼差し。男の好みの話といい、君達は何の話をしてるんですか」
「物の受け渡しで指先が触れただけで赤面症気味の私が照れでかなり赤くなって、お嬢さんってこんなに気をつけないといけないんですねって」
「メルさんはあれこれ顔にでまくりですからね」
「そうみたいですね。会話の流れで私が彼の言葉尻を捕まえて、そんな簡単に触るのかとか、たかがキスってなんだと言いました」
「あはは。それでメルさんに氷の眼差しを向けられたと。俺も口滑り気味ですけどイルさんもですね」
私達はこんな話を始めてしまってどうしようというのか。笑っているけどシエルは本当に楽しいのかな。
この噂のキスを新年と結納後半記念に素敵な場所でシエルにされたいというか、それこそ照れながら必死におねだりを頑張るはずだったのにこの話題。
「それでシエルさんはたかがキスの人種ですか? ケイさん達に言われました。男女は関係なくて私が乙女というか潔癖というかなんというか」
「おお。はぐらかしを無視せずに話を戻しましたね」
「イルさん話でなくても直接聞かれたらシエルさんには正直に教えます」
「俺以外には嘘つきですか?」
「時と場合によっては嘘つきです。商売人ですから」
「つまり商売人の俺に聞いても無駄です。君の好みに合わせて話すだけです」
「シエルさんもわりと分かりやすいですからそこそこ安心です。それに行動こそ証明です」
「確かに」
「私は噂のキスは恋人同士でないと嫌です。恋人は結納からです。結婚の約束が確実になってきた相手がキスしても良い恋人です。つまり結納後半です。彼にもそう言いました」
「そうですか」
「それはやり過ぎかもしれないので恋人は結納からです」
「そうですか」
「結納から恋人です」
「そうですか」
こんなに必死に恥ずかしいことを言ったのにそうですかって何⁈
私を揶揄いたいような彼のすまし顔にイラッてしたので手を離してシエルとの間にポチを移動。
「俺の考えだと両想いで恋人です」
「私とイルさんは中途半端な小さな小さな小さな両想いで恋人ではなかったから違います。すれ違っているから両片想い? 気分もずっと片想いでした」
「彼の恋人の定義はなんだったんでしょうね。恋人ではないと盗み聞きした時に俺はこの両想いのような二人が恋人でなければなんなんだって思いました」
「私と同じで将来を約束出来る相手が恋人でしょう。私はシエルさんの考えに驚きです。シエルさんの中では付き添い付きデートをしてお互い少し良いなと思って二回目のデートをしたらもう恋人なんですね」
それなら私は結納前にはもうシエルの恋人で彼には何人か恋人がいたことになる。
「ええっ! そんな価値観は持っていないです!」
「両想いは恋人と言いました」
「こう言われると両想いで恋人ってあやふやです」
「ああ。イルさんは親同士も了承している恋人は結納みたいなものって言っていました。あれっ。親同士が了承していない恋人もいる……。恋人ってなんですか?」
「ですから両想いが恋人ではないかと」
「私とイルさんは違いました。いや、イルさんは恋穴落ちかけやもどきだから私の片想いです。でもシエルさんは何度かデートした方も違うと主張しました」
「何度もってメルさん以外は同じ方とは一回目までしかないです」
「それは知りませんでした。お母上の願いもあってデートしまくりかと」
「両手の指くらいの人数です」
「思ったよりも多かったです。少人数で同じ方と何回かと思っていたらそうですか。キスしたら恋人……。遊びでする人もいるらしいのでこれも違います」
十人くらいとデートしたって少し拗ね。つまり妬きもち。年明けに初めて会った日に振袖姿で結納後半記念にキスは憧れるかもという発想といい、私はシエルに心を寄せていっていると分かる。
「余所見はしないで君だけです。お互いそう約束したら恋人ってことです。それだな。結納で恋人はそれとわりと一致します」
「結納は契約でそれを約束しているから恋人ってことです」
「結納には時に両想いが抜けています」
「そうですか。そうですね」
「来週からお互い両家の勉強ですね」
「はい」
自分達は恋人ではないと言われた気分。いや言われたのか。
シエルは私が尻軽で嫌なのかも。実際に交流してみたら家同士や妻には良いけどメルという存在はそんなになのかもしれない。
はい、次の恋! なんてハレンチとかあばずれ……いやあばずれは違う。イルがはい、どうぞと言うお嬢さんはあばずれお嬢さんなんて言うからこの発想!
乙女心付きだと違うらしいから私は断じてあばずれお嬢さんではない。それは複数人とキスしまくりお嬢さんのことだ。学校で噂を聞いた。
似たような人はいても全く同じ人間はいないようにお嬢さんだって色々だ。
年が明けて新年会が落ち着いたらシエルは料理人としての仕事を減らして一日の半分を父や叔父と過ごして我が家の勉強。
私は逆にシエルの両親にくっついてダエワ家の勉強。
改めてそういう話をしているうちに神社へ到着して、人が多くて彼と距離が近くなり恥ずかしくて喋れなくなった。
参拝を終えて人混みを抜けると少し平気になり屋台でお昼を買って座る場所で二人でうどんを食べて帰路。
シエルを誘うとか無理。行きの道で多少頑張った気がするけど不発だった。その時にやたらイル話をされたし。
「寄り道しませんか?」
「はい。門限はご存知のように十七時です」
「行き先はせせらぎ屋、つまり我が家の隣です」
「……。シエルさん。私に何か用意してくれました? 料理とか」
「勘が良いですね。俺が作ったお菓子を食べてもらいたいなぁと」
これは勘がなくても分かりそう。出店を見て回るより早く帰ろうと促された時は悲しかったけど寄り道で何かある? と期待したらこういうこと。
「それはとても嬉しいです」
お見送りしてくれた彼と縁側で二人きり作戦だったけど、もしかしてシエルの方もせせらぎ屋の個室で二人きり作戦?
私は彼に新年祝いと髪飾りと万華鏡のお礼を兼ねて本屋を何件か回って見つけた西地区料理本を買ってある。
我が家の看板味噌はしょっぱめだから同じ量だと他の味噌より長持ちして客は嬉しいけど売り上げ的には損。しょっぱめなんて思ったことなかった。でも叔父と姉もずっと悩みの種らしい。
私が懐柔しようとしていた佃煮屋は涼風屋がたまに購入していたから今度二人で味噌佃煮を開発しないか営業しよう。
そういう話をしながらせせらぎ屋へ到着。
足を拭いたポチもどうぞと通してくれた。個室と言われた時に「やはり二人きり作戦」と思った。
「琴……。弾いて欲しいということですか?」
「ええ。弾く側なんて全く興味なかったけど気になってきたから少し教えてもらおうかと。お茶とお菓子を用意してきます。近寄るなって言ってあるので」
流し目みたいな視線で含み笑いをするとシエルは退室した。
(部屋に近寄るな……。飛んで火に入る夏の虫! まあ個室と聞いても断らなかった私は灯虫……)
こんな予告みたいなのは恥ずかしい。自意識過剰かもしれない。恥ずかしいのは私の思考回路の方だ。
(贈る本を机に置いておいて、琴を弾く準備をしよう)
きっとシエルの望みはこの曲。そうだと良いと思って積恋歌を軽く練習。
遅いな、と思っていたら年配女性従業員が来て「シエル坊ちゃんは急用ですのでご自宅へ送ります」と告げられた。
「急用ですか……」
「情けないので言うなと言われましたがすぐに知られますから教えます。冷やかされて照れて廊下で転びました。さらに従業員が坊ちゃんにつまずいて少し怪我です。それからお得意様の料理だったので謝罪対応やお説教です」
……。
頼りになるし賢いのにたまにこれ。今回のように若干大事なのは私としては初めてだけどシエルを昔から知る人はまたか、かもしれない。
「少し怪我は大丈夫ですか?」
「はい。割れた食器の破片で軽傷です」
「お大事にして下さいと手紙……はコッソリ教えたと伝わってしまいますね」
教えたと言うので、と筆記用具を用意してくれたのでシエルに手紙を書いて料理本を預けてポチがいるから一人で帰れると送迎を断って一人で帰宅。
それから祝言の日まで二人きり作戦みたいな事はなかった。




