縁結びの副神の微笑み9
俺の機嫌を取りたいなら相手を気にかけているような言動や褒め話をやめて欲しい。
「この話の前から思いましたけどとても誠実な男性ということですよね」
なのに自分から火に飛び込んだ俺はアホだ。こういうのを確か灯虫と呼ぶ。
俺はこれからメルの言葉で殴られる。やめてくれ。彼女はこれに気がついてなさそう。
教えて逃げるのは簡単だけど、洗いざらい話してしまって俺に何も隠さないメルが消えてしまう。忍耐力や包容力を磨けってことか?
「いえ。下街男性は噂通りハレンチそうというか彼は火消しと仲が良いそうです。幼馴染だと」
「火消しとですか? あー……」
火消しの浮絵を集めるミレイに腹を立てているシオンになぜイライラするのか聞いたから少し想像出来る。
(天然人たらしって火消しの子と遊んで育てばそうなりそう。その過程で女性と交流を持つしそもそも下街は男女の距離が近め……)
素直な自分はお見合い前に恋をしても破局になるからお見合い相手以外の男性にはあまり近寄るな、という話を間に受けていた。
実際は多少揉まれないと異性関係の常識や価値観の違いや男心が分からなくて困った。
恋が気になる年頃に俺と文通開始で他の男性に興味なかった。メルはこう話した。
「お嬢さんは誠実な男性を好むようだから方向転換だそうです。私が氷のような目をして恐ろしかったと言われました。お嬢さんに選ばれなくなるって。評価が下がらないように時期が来るまで女断ちだそうです」
「お嬢さんに選ばれなくなるって自分はそのお嬢さんを……あっ、すみません」
俺の悪癖、口滑り。
「あの方、お嬢さん狙いなのにそこから選ぶ気ですよ。天然人たらしらしいので理想のお嬢さんがいるから大勢泣くかもしれません」
メルは特に俺を責めなかった。イル話はもう嫌だから俺に文句を言って欲しかったな。
「あっさり別のお嬢さんにうっかりかもしれませんよ。それかやはりって戻ってきたり」
俺がメルから離れられない間は戻ってくるな。絶対に戻ってくるな。とっとと理想のお嬢さんを発見して惚れてしまえ。
(っていうかイルはメルさんと堂々と街中を出掛けたらメルさんのさり気ない優しさを知った。惹かれ合っただろう、はサリアさんだけではなくてメルさんもだ)
イルは勘も良いのかよ!
でも逃げた。メルはサリアに横取りされた感じで語るけど彼は逃げ道を見つけたから逃亡。
自分は何もしたくない。譲れない。他のものがとても大切。イル視点と聞いた感じの彼の性格だとこれを認めたら自己嫌悪が酷そう。
理想を支えにするということは自分自身を鼓舞し続けるということだ。
サリアはイルの永遠の恋人、ではなくて恋人もどきや自制心の一部になったのではないだろうか。ある意味常世だけど女性としてとか恋人や夫婦ではない。
会いたくないから会わないので質問出来ないからこの推測の正誤は一生不明だ。
「約束をしたら返すと言った髪飾りを他の女性の右手の薬指に贈って恋人だから悔しいので嫌です。石を投げそうです。あはは」
メルは心底嫌、というような少々怖い顔をした後に軽快な笑い声を出した。
(メルさんの初恋には常に敗北感、劣等感、自己嫌悪がつきまとう。イルもそうだろう。師匠に自尊心を踏み潰されたようだから。しかも説教で追撃)
縁がないと口にした通り縁のない二人だ。少し何かが違っていたら恋人になり、やがて夫婦になったかもしれない。
そのかもしれないとか、もしもはこの世に存在しない、か。その通りだ。
二人には恋や愛の縁はなかったけど人生の糧になるという大切な縁があったということ。
「お互い自分の嫌な面を暴かれたような感じですしね」
「シエルさん。私も今似たような事を考えました。お嬢さんだからみたいな事とかもイライラです。メルという存在には何かないのって」
「……」
多分あった。それなりにモテる男が他の女性からはひらひら逃げているのにメルからは逃げられなくてあのような苦しそうな声を出したのだからきっとある。
メル自身に対して何かないはずがない。
(その何かを言うと口説きになるから気を引いたり傷つけると考えて言わなかった? 関係が次に進んだら言ったかも。これは俺の好機、隙な気がする……)
隙につけ入り傷を治す。つまり俺はそういう話をして口説く。
俺は茨道みたいなメルに飛び込みたいか、と自分に問いかけてみた。
「うん」という返事である。失恋を乗り越えて変わろうとしているメルが悲しくも美しく見えるから俺もとりあえず火の海に飛び込んでみたい。
「私はその前にうんと口説かれて次の恋をして初めての恋人を作りたいです。気持ちは水もので失恋後は狙い目なので誰かに狙われたいです」
ゲホッと咳が出そうになった。メルは突然何を言い出すんだ。いや、我が家獲得のための駆け引きか。
彼女は真っ赤な顔になって目を閉じて太腿の上で手を握りしめた。
(やはりメルさんはあれこれ顔に出るな)
今日あれこれ話してみたメルは俺の目や耳で知っている彼女や、家族が調査した結果や父達と考察した人物像とそんなに変化がない。
「桃の節句のお祭りのことです」
「はい」
なんの話? みたいにメルは首を傾げた。
「もう三年前です。いや二年半前です」
「はい」
「友人と歩いていて子どもが転んだな、と思って近寄ろうとしたら出店から女性が出てきて子どもを助けて味噌田楽を渡しました」
メルは目を丸くして瞬きを繰り返した。
「思わずその出店で味噌田楽を買って、彼女は売り子ではなくてどうやらで店の視察に来たお店の旦那の娘さんのようだなと。ニコニコ笑っていました」
「……私ですか?」
「あの。そんな風に話をしたいです。家族と話し合いというか破談になった時の被害が減るように下準備をしてから俺に彼との話をした後はどうするつもりですか? つまり、まあ、あの、今ですけど」
「……。一目惚れなのか何か分かりませんが理想化したような初恋相手は現在まだまだ未熟でしょうもないので私との縁談はシエルさんの為に再検討した方が良いです。そう言う予定でした」
(後から言おうと思っていたらメルさんの私という存在には何かないの? という隙に入り込めそうってなんだこの運……)
メルは黙って俺を見つめている。夜空の星を閉じ込めたように煌めいているのは気のせいだろうか。
期待顔だと感じられるのは俺の願望だろうか。そうだろう。人は都合の良いように世界を見る。
「思っていたのと違うな、とか今回の事で変わったのかなと感じるところはありますけど……。理想や妄想とか、見た目が好みのお嬢さんだからではないです。いや普通に好みですけど……。メルさんという存在になにかないのかと言われたら言い返せます……」
目をさらに大きくするとメルは視線を泳がせて困り笑いを浮かべて俯いた。近いから分かる。耳が赤い。
嫌だから困惑を伴う笑顔、という以前見た表情とは違うように感じる。
「父は知っていますか?」
「ちょこちょこ……。そもそも無難に嫁取り要員だったけど婿入りで高望みもありだぞと今の学校に入りたいとゴネてみたり……。兄の教育優先で俺の教育費はあまりとかそこそこ色々まあ」
尻を叩かれたとか、メルを餌に励まされただと情けないのでとりあえず自分発案にしよう。もっと親しくなってきたら情けない話をする。
「破談でなければ学生同士なのでなるべく毎日散歩をして雑談したいとお申し込みする予定でした」
「家にも自分にも都合が良いのに風向きが悪くなるような話をするつもりはないです。今日聞いた話の時点では」
「シエルさんは秘密の男性ではないので家族に今の事を全て話します。そちらの希望に私の希望を加えて……。どう交流なのかとか……。私が嘘つきでないか父に確認してもらったり……」
「なるべく毎日は前向きです……」
失恋後は狙い目ってその通りだ。正直者のメルは今の隙がなんなのか教えてくれた。
メルの隣に立つと茨の道とかイルと比較されて辛いみたいな考えは少し違そう。
俺のためにメルをぺちゃんこにしてくれてどうも。理性を少し失くして街中を二人で散歩したら理想に近い女性だと気がついたかもしれないのに損したな。
俺のために外から囲った父や兄達の作戦勝ちってこと。
戻ってこなそうだけど戻ってきてもメルは背中を向けるだろうし、その前に俺がメルの中からイルを追い出す。
他人の失敗から学ぶのは大事。俺は三男。上二人は優秀だけど失敗もするからそこから学べて教えてもらってきたので要領は悪くない。
「失恋後は狙い目らしいです。なので他の方に口説かれたくないです。現在結納が既定路線ですし……」
「……」
「掘り出し物がいるかもしれないと他も調査していたけど結納が既定路線で今日気持ちがさらに変化しました……。音楽会などは後からでまずは沢山話しをしたいです……」
「……。調査ですか。俺は今日聞いた話なら親に言う必要は無いと思いました。理由はなんであれ俺は結果として選ばれた側です。しかもずっとと言われましたし」
「なんだかんだずっとそうです……。いつもシエルさんと縁結びみたいに話が転ぶと話した通りで今日もこのタイミングでとか、単に雑談や勉強ではないあの日を目撃されたんだと思いました……」
話を聞いて俺もそう感じた。縁結びの副神様はイルとメルの恋愛の縁は結ばないとそっぽを向いていたと思う。
その理由はなんなのか分からない。俺よりも大きな器そうな男を俺の恋の当て馬みたいにした縁結びの副神様の意図はなんだ。
(桜の君……。花咲ジジイだ。君は今はひたすら仕事に励みなさいってお告げ。勝手にそう思っておこう。当て馬って俺がメルさんに袖にされたら俺も当て馬だ)
俺とメルには縁があるとこれまでそう感じてきてたけど今日さらにそう思った。
その話で追撃したら彼女の関心はさらに俺の方へ向くかもしれない。
「俺は何度も君のことは別にもういい、と思いました。なのにそのたびに偶然見かけてきました」
「えっ?」
「君があれこれ話してくれたので俺も俺のしょうもないところを話したいです。龍歌はまだまだサッパリですし池に落ちたし練習で美人と出掛けたら浮かれたり。……あっ! あーっ! 仕事! 何も言わずにここへ来たからマズイです!」
坊ちゃんはどこだと探されているかもしれない。俺は慌てて立ち上がった。
「帰ります。話したいけどまた今度」
「帰りが遅くなるかもしれない事は家に着いた時に母に頼んで遣いを出してもらいました」
それは機転がきくな。
「機転に感謝します。ありがとうございます」
「連続殺人鬼が捕まっていないので今夜は我が家にお泊まりの方が安全な気がします。今日は土曜日なのでお互い明日は学校が休みです」
……。
泊まり⁈
「……えっ!」
「父に泊りはどうかと聞いてみます。今のは気になる話ですし、父とも色々話して欲しいです。あと単に今から帰るのは嫌な感じがします」
「嫌な感じですか」
「はい。ふとあの連続殺人鬼はまだ逮捕されていないなと頭に浮かびました」
「連続殺人鬼ってメルさんが手紙で教えてくれた。女学校は話が早いんだなと驚きました。あの後少しして瓦版が回覧板で回ってきました」
「連続殺人鬼のことは本当は学校ではなくてイルさんが教えてくれました。男性も夜道は危ないなんてあまり考えたことがなかったです」
シエルさんも唐辛子入れを持ちましょうと笑いかけられた。
無邪気な笑顔をかなり近くで見た俺はよろめいて障子の角に頭をぶつけた。
「大丈夫ですか?」
「これが俺の本性です。ルロンにはなれません」
「それは朗報な気がします。私はルロンは嫌いです」
メルはきっと姉に似たところもあるなと後頭部を軽く撫でながら俺は笑った。
後日、俺が帰ろうとした時間帯にソイス家と我が家の道の途中で連続殺人鬼が若い青年を殺してその直後に地区兵官に逮捕された事を知り、メルの勘はかなり当たるのではないかと衝撃を受けた。




