縁結びの副神の微笑み8
メルの家に招かれて彼女からあの男、イルとどう出会ってなぜお見合いになって失恋したのか教わり、あまりにも予想外の話で茫然としている。
「サリアさんは彼の心の中で永遠に咲く桜並木です。道はこっちだよと彼を優しく導き続けます」
途中途中泣いていたメルは今は夜空を見上げて微笑んでいる。
「ルロンかもとかイルなんて偽名を付けた私はしょうもないです。桜の君と名付けられなかった時点で失恋だったんだなぁって」
「……そうですか」
想像をこえた重たい話だった。メルと同い年の女性があっという間に急死なんて恐ろしい。
俺やメルが明日そうなる可能性はゼロではないということ。いや、体の異変がないからそれはないか。
(父親が急死するかもしれないなら俺。それも頼み込んで早く……。からの向こうの仲人に提案されて迷った……。そこに横槍りでまた俺……)
俺は知らないうちに選ばれて、知らないうちに負けかけて、知らないうちに勝者。
(袖にされたけど袖にしたって、総合評価でずっと俺というか我が家を選んでいたって……。なんだこれ)
母対策の作戦や外から徐々に囲う案に乗った結果、メルを傷つけることに繋がって胸が痛かったのに、そのおかげで俺はメルを口説く好機を失わずに済んだ。
(貧乏平家学生に祝言の横入りは無理って、向こうがしようとした……)
我が家と縁が切れた短期損害分は結婚祝いだからと頼んで商品を買ってもらって補完って何だその考え。それをなせるツテコネがあるらしいのも衝撃的。
貧乏平家学生の裏に大豪家の大旦那がついているなんてそんな想像はしない。
相手が困らないようにある程度情報は伏せますと言われて本名も教えてもらえない。それは構わない。
俺と彼女の間の信用はゼロどころかマイナスだから当然だ。
しかしあれこれとても気になる人物である。
(祝言案を出したら祝言案を出されてメルの気持ちで俺の負けだった可能性あり……)
イルが俺の案に乗った可能性も高い。一先ず待って欲しい男だったようだから一年、三年文通だけでも待ったかもしれない。
敵に塩を送るところだった。俺がたまたま行けなかった土曜日にサリアの件。イルに会わなくて良かった。
(サリアさんは二人の縁を切って俺に好機をくれたってこと……。ぺちゃんこに潰れた様子のメルさんの心を奪えたらサリアさんは俺達の縁結びの副神様……)
この話から学べることはかなりある。メルと破談でも破談でなくても価値観や考え方が大きく変わる。もうあれこれ変わった。
「だから彼にこう贈りました。龍歌を知らなそうなので分からないと思って嫌味です。しひて行く人をとどめむ桜花いづれを道と惑ふまで散れ。返事という私達中流層辺りの常識も知らないだろうから……」
知らない龍歌なので百取りや有名古典龍歌ではない。
しひて? 散れは分かる。迷子になるまで散れ?
サリアは彼の永遠に咲く桜並木。桜並木ということは道だ。道に迷うように桜なんて散れ……。
嫌味だな。確かに嫌味だ。俺もその状況なら嫌味くらい言いたくなる。
「えっ。あー、伝わらなかったですか?」
「さっぱり分からなそうでした。散れまでは言いませんでした。散らないしそこまで言ったら最低なので。自分が性悪過ぎると思ったので続けて散らないと思いますと言いました」
メルは辛そうに顔を歪めている。龍歌を出したらそちらが本心と言う。人がいる中で本心を伝えたい時にこうする。
最後の散れまでは言わなかった、だから古典龍歌だ。
調べて勉強したらメルの気持ちと最後を言わなかった彼女の想いも伝わるけど貧乏平家男は調べるのだろうか。
(嫌味というよりも最後にすがってみた……。相手は分からないと思いつつ諦め気分の最後の悪あがき……)
メルはここから死者には勝てないとか自分の考察を語って最後に彼とどんな会話をしたのか話をして「これで終わりです。片想いをして失恋しました」と口にした。
「片想いをしてって、両想いだったと思います……」
「どちらにせよ恋人にすらなれないとお互い背中を向けました。私は振り返りつつで、彼は真っ直ぐ前だけを見て走り出しました」
恋人の定義ってなんだ。お互い想い合っていたらそうではないのか?
「振り返りつつ。それであの神社にいたんですね。また会いたいという事です」
「絶対に来ないと思います。卒業まで登校中に見かけるので会えます。先日目が合って、友人みたいに軽く手を挙げた挨拶をされました」
会うのか。いや会うよな。出会いの経緯を聞いたのに思いつかなかった。
「自分が居なかったら彼と上手くいっていましたよね……」
「ええ。サリアさんが生きていたら恋仲になる前に横取りされていたでしょうし、シエルさんが以前から私とお出掛けをしていたら貴方に夢中で彼を単に親切な人と思って終わりだったかもしれません」
「もしも、を言い出すとキリが無いですね」
「はい。考えてしまうけどもしもの世界はなくてあるのは現実や今です」
「神社で言われた言葉の意味がこれで分かりました。俺が盗み聞きした話についても」
「同時並行したシエルさんには誠実に話して謝って自分の欠点や改善点も話した上でしょうもない私に再度お申し込みしてくれるか問いたかったです」
この話を聞いた俺はメルどうこうよりもイルと比較される事が気になる。
出世しそうな大器晩成男疑惑だからではなくて真っ直ぐさや誠実そうなところに「桜の君」という評価にかなり引け目。
(イルってやつは俺がメルさんを見つけた理由の強化版だ)
俺は通学中に迷子を助けるか? 鼻緒をサッと直せるか? 転びかけた人の帯を持ってササッと助け起こすか?
怖いから喧嘩の仲裁には絶対に入らない。
この劣等感と向き合いながらメルの隣に立てるか考えないと……。今の俺はとにかくメルと縁結びしたいという考えなんだなと自嘲した。
「他の縁談相手にはこの話はしません。初恋について尋ねられたら恋人がいると言われて文通お申し込みを一刀両断されたと言います。政略結婚だけどシエルさんの気持ちが強めなら私は貴方に不誠実は嫌だと思いました」
イルがサリアの妄想とメルを比べたのならメルはイルと俺を比べる。
結果、俺はそのうち袖にされるのか?
メルのようにあれこれ粉砕されたら成長出来る可能性があるからそれでいいや。
シオンは引きこもりみたいになった失恋から立ち直ってミレイと結納したし、俺の隣で凛として未来を見るようなメルは美しく見える。
「俺が外堀を埋めていくように動いていたから文通したいって話も中々出来ないです。さらにお見合いしたなんて話は」
「家族にダエワ家やシエルさんにそっぽを向かれたら損失をこう埋めよう、みたいに考え中でした。家族は私の気持ちを簡単には無下にしません。今回の話でもあれこれそうでした。お話しした通りです」
人は時に損得だけでは動かない。それも商売人の基本のき。
お金の切れ目が縁の切れ目の事もあるし、縁の切れ目がお金では埋められない不義理の時もある。
自分は国立女学校ではなくて平家も多少混ざる区立女学校でもう少し揉まれて跡取り息子のいない商家の娘らしく育てた方が良かったかもしれない。自分は世間知らずの箱入り気味の娘に育ってしまった。
しかしイルが釣れかけたし俺も格上なので娘を使って格上の家狙い、娘は婿の補助役の教育方針は達成気味。
両親の望む通り自分は良家の男性に好まれそうな世間知らず気味で色々教えたくなったり癒される箱入り気味の娘に育った。
格上の親が気にいるような教養やツテコネなども国立女学校や手習で手に入れた。
メルは俺にそういう話を勝手に話し続けて途中で軽く吹き出してしまった。こんなに喋る女性だったのか。
「彼がペラペラお喋りだったので私も以前よりも話すようになりました。商売人としては良い事です」
さっそくイルの話題。メルから逃げ出すと情けなくて、彼女の横に並ぶと苦悩することになる。なんだこれ。なんの罠だ。
「俺は考え込む性格なのでつい黙り込んでしまいます。でもこうして話していると予想と違う事を色々言うのでもう少し喋ろうと思います」
「それなら私はもう少し待ちます。少し話すシエルさんと少し待つ私で丁度良くなりそうです」
このような女性は怖いから裸足で逃げ出したいのに、俺と向き合おうとしてくれているしかわゆく笑うから嬉しくなってしまう。
(メルは俺にとって悪女に変化というかこれは何かの試練か? 縁結びの副神様はそういう存在だ。気まぐれで意地悪で人を試す。俺は何かを試されている……)
「良家の男性に好まれそうなって、男性の好みはそんな単純ではないですよ。女性もでしょうけど」
「こーんなふくよかな女性でないと嫌、とても細い女性でないと嫌、ちょっとした仕草や着物の裾と足袋の間に欲情する男性もいるらしいですね」
「ぶっ。彼とそんな話をしたんですか⁈」
ここまでは誠実ド真面目、みたいな逸話ばかり聞かされていたけど何か変な話題登場。
「はい。何の話かと思ったらお嬢さんはかわゆい生き物で生きているだけで危険だから常に気をつけるようにって。彼から指一本触れられなかったのに変な話です」
メルが拗ね顔になったけど俺こそ拗ねたい。好きな人に触られたかったという気持ちは自然な事だけどそれを俺に言うってどうよ。
彼女は彼を嫌いになった訳ではない。戦意喪失して劣等感に耐えられなくて逃げたと口にした。
すがっても無駄と判断したけどやはりそうで無理だと言われて焼け野原。
戦意喪失や劣等感とは嫌な響き。俺もそうなる可能性がある。
「彼からって、触ったのですか?」
何もされないって言っていたけど確認。聞いた結果何がどうなる訳でもないけど。過去は変えられない。
「はい。ポチと散歩をして歩きにくいところで手を貸して下さいと拐かしました。成功したけどもう危なくないですねってすぐに終わりです。触れたのはその一回です」
「話してくれるんですね」
聞きたくねえ。話すな。でも尋ねたのは自分だ。俺はとても矛盾している。
「嘘かもしれないですよ。嘘つきなので。触られまくりの噂のキスをしまくりかもしれません。下街男性はハレンチ気味らしいですよ?」
軽く顔を覗き込まれて距離が近いから少し嬉しくなったけど嫉妬心も湧く。
現状、ソイス家は我が家が一番欲しいからメルは覚悟を決めて俺を口説く気なのだろう。
メルは恋心よりも父や家族が大切でそれには我が家や俺が必要と面と向かって言ってきた。
妬かせて煽って俺を引きずり込む……噂の?
「噂のって何ですか?」
メルは少し目を丸くして「あっ」と言いたげな唇の形を作った。
「文学表現や噂話でしか知らないからです。したこともないし見たこともないです」
照れ笑いされて彼女はやはり嘘が下手そうと思った。
「下街男性はハレンチ気味とはなんですか? しかもらしいって」
色ボケ系は金持ちも貧乏人も関係ない。その男性、その男性の性格で異なるし色欲まみれは女性にもいる。
「女学校での噂です。隣の教室の誰々さんの恋人は下街男性だからハレンチみたいに使っていました」
「女学校ではそういう噂話があるんですか」
「彼に最初は警戒心がありましたけど触らないし離れて座るし唐辛子入れを持てとか道の歩き方はこうとか自分に油断するなとうるさかったです。まるで父親です」
メルは柔らかく微笑んだ。恋心を粉砕されてもまだイルを好きなんだな。
まあ、こんな短期間で忘れるなんて無理な話だ。




