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話す

 シエルに家まで送ってもらいながら夕焼けに染まる街並みを眺める。街の灯りが輝く様子や夜景も火樹銀花と呼ぶけどそうは見えない。とても色褪せた世界だ。

 彼もイル……じゃなかった。いやイルでいいや。慣れないし最後の最後も彼の本名を呼んでいないからもうずっとそう呼ぼう。

 シエルもイルと同じようにポチの紐を持ってくれてポチを私達の間にした。それなりの豪家の息子なので当たり前だけどやはり常識的な男性って事。


「忘らるる身をば思はず、と言いますが何も誓い合っていないので彼に天罰は下りません。残念なようなホッとするようなです」


 私とイルでは出来ない会話は可能なのかな、とふと思って口にしていた。彼は私が投げつけた龍歌での嫌味を知ったかな。

 分からないか調べないからこの間私に向かって屈託なく笑って手を挙げてくれたのだろう。

 それとも龍歌の嫌味の後に否定の言葉を続けたからそれをそのまま素直に受け止めたか。

 龍歌に何かしらの返事をする事は私達中流層以上では常識。でも私は彼には返せないと思って口にしたから単に言い逃げ。


「誓い破りで龍神王様に天罰を下してもらいたいくらい傷つけられたのですか?」


 シエルとならやはり龍歌をもじっても会話になるな。


「逢ふことの絶えてしなくは。そういう気持ちはありません。シエルさんとこうして話をする前に彼と出会っていなかったらシエルさんについて理解出来ない気持ちや感情があると思うからです」


 こんなに辛い思いをするなら出逢わなければよかった、とは思わない。私はこの失恋で大きく成長する。いやしたい。

 誓い合って心も体も通じ合った仲だと恨みつらみが激しそうだけど私達は友人以上恋人未満の仲で二人して壁を作っていた。

 ああ、そうか。だから彼は清々しそうなのだろう。私も眠れない夜があるとか泣き続けるのかと思ったけどそうでもない。

 図太いだけなのかサリアに大敗北で恋の火が燃え尽きたのかイマイチ分からない。

 今の自分の感情に合う古典龍歌はサッパリ見つからない。

 

「……俺ですか?」

「外堀から埋めようなんて酷い。誠実に真正面から会いたいと言ってくれれば問題ないのに。以前の私ならそう思って腹を立てたり悲しんだりこの方は誠実ではないと思いました。今だと真逆です」

「真逆……。なぜというか今ならどう思うのですか?」

「母親に反対され気味ならコソコソ根回しするし、恥ずかしいとか怖いから近づくのに勇気がいるし、好まれたいから作戦を立てるよな。私でもそうするか似たような事をしそう。そんなところです」

「あの彼に対してそういう事をしたという事ですか?」

「はい。待ち伏せしたり騙し打ちしました」


 街を歩きながら私は自分の初恋について話始めた。出会って彼を見つめるようになってそこからどうなっていったのか。

 忘れられない思い出はシエルは面白くないだろうから省いて勉強していたり雑談した事だけに止める。話に必要そうな会話の内容は教える事にする。

 話の途中で我が家に到着したので少し家の前で待ってもらって家族探し。

 母がいたので母に「散歩中にシエルさんと会って番犬がいるけど危ないから家まで送ってくれて話し足りないです」と伝えた。


「ポチを見張りにして二人で話したいです。縁側にします。楽しいのもあるけど大事な話もしていました」


 楽しい話なんてまるでしていないのに私はまた嘘つき娘だ。


「それは桜の君と関係ありますか?」

「桜の君は私が付けた名前ではないから使わないで欲しいです。憎らしくなるので。私はずっとイルさんと呼ぶことにしました。お父さんの病気の事です」

「……。分かりました。話せると思ったら話して下さい。家族や家に不利になる嘘や行動は続けられないと知ったので」


 嘘つき娘、と指摘されたのと同じだ。私も親も前と関係が変化したしこれからも変わるだろう。

 素直で良い娘のメルさんは両親の幻想だった。私と自分の事をそう評していたのに実際は違った。私は母に向かって歯を見せて笑った。


「シエルさんも似ているかもしれません。秘密を感づいたのに自分で飲み込んで考察をして私と話をしてから親に、と気遣い屋で優しいです」


 私は母の返事を待たずに背を向けてポチの足を拭く濡れた手拭いを用意しに行ってから玄関前へ戻った。その時は母に再度声を掛けた。

 玄関でポチの足を拭きながらポチがやたら尻尾を振っているなと不思議に思う。


「あっ、ポチ。シエルさんの着物を汚します」


 まだ足を拭き終わっていない。


「あはは。ポチ。いつもやめてくれって……」

 

 ……。いつも?

 私と目が合ったシエルは「店先のポチとたまにです」と気まずそうに笑った。


「ポチも懐柔しようとしていたんですか」

「そのうち一緒に散歩して飼い犬に嫌われたら悪い男と言われそう……的な。ソイス家はお店と家が別だから会えないと思いつつ。そこから単にポチ好きです。ポチ目当てに変化です。元々犬は飼いたいけど兄が嫌いで……」


 シエルもイルみたいに正直に話すんだな。


「今ならその作戦は分かります。まずはポチと仲良くとはなんだか良いです。ポチはかわゆいからポチ目当てから常連もいるそうです」

「気持ち悪いという顔をされなくてホッとしました。その、黙っていようと思いましたけどメルさんが話し合いは大切みたいに言ったので」


 家族で話し合いをかなりしている。前はしていなかったけど大切な事だと思うようになったから。その話をしたからこうして話してくれたのか。

 母もいるからシエルはとても恥ずかしそう。私もこれは恥ずかしい。

 母二人でシエルを出迎えて居間で挨拶。私は母にまた似た台詞、楽しかったのと父の病気の話をしていたからまだ話したい。そう伝えて縁側で良いか確認。シエルもしっかり頭を下げてくれた。

 それで許されたので二人で並んでポチを近くに座らせた。


「続きは、花火大会ですね。どうしても花火大会を彼と見たくて夜に家を抜け出すから一緒に見られないかと手紙で尋ねました。日曜で半見習いがないので夜は自主鍛錬や勉強や家の事だったなと思って」

「それで自分は断られたのですね。抜け出して楽しかったですか?」


 シエルは不機嫌そうな顔でため息を吐いた。前なら怖かったかもしれないけどデオンが恐ろし過ぎたのでわりと平気。

 あの雷はやり過ぎで恐怖だったけどこうなると感謝なのかな。


「怒られました。抜け出すなんてとんでもない。絶対にするなと怖かったです。怒られてシエルさんと行けと言われました」

「えっ? そうなのですか?」


 私はシエルと出掛けてこういう事を確認すると良いみたいな話をされた事などを語った。

 具合が悪いと言って家に残って抜け出そうと思ったけど本人に強く叱責されて断念。

 そこからシエルが花火大会に来ると言われて彼に相談してどういう会話をしたという話。


「それで音楽会ですか。結局流れていますけど」

「今はあまり喋らない音楽会よりも今日みたいに散歩したり今みたいに沢山話したいです」

「……」


 怒っているか考えている。シエルは思慮深くて自問自答する男性。ネビーは話しながら考える感じだったな。


「大事な話が終わって私と向き合ってくれる気があるなら雑談や大切な話を沢山。音楽会など楽しそうな思い出になるデートはその後です」

「それでどうなったのですか? 花火をしたんですよね。そういう会話を聞きました。メルさんは失恋と言いました」


 どこまで話そうと悩んでいたけど父の病気に対する自分の気持ちも伝えたいので、花火をした事、飴細工を贈られてそこに彼としては偶然髪飾りになるものもあって預かると言われたとか、その後どうなったのか全て話す事にした。

 サリアの話をしないと私とネビーの話は終わらない。

 なのでシエルと違ってネビーと同時並行にはならない別の縁談話の時には初恋話もサリアに完敗したことも言うつもりはない。

 同い年だったサリアの死が悲しくて辛いし、あの浮気——恋人ではないから浮気ではないけど——やサリアに初恋を潰された悔しさ——これも彼女がいなくても怪しかった——などに加えてデオンの指摘や自己反省や考察から自分が嫌になるからだ。

 私の初恋は甘いけど苦くて腹の立つものとして定義された。

 本人も我儘と言ったけど全部捨てて飛び込んだら大事にするし他ならいらないみたいな上から目線の横柄さや傲慢さやそうやって気持ちはなくて私の気持ちも信用していないのに期待させるような台詞……デオンが説教しそうだな。

 沢山怒られてしまいなさい。私が両親にデオン風に叱り直すと言われて怒られたように。

 私とイルはお互いに背を向けてお互いに捨てたんだなと改めて感じた。

 デオンが自分が案を出す前のイルの気持ちを確認したけど私を捨てるような結論だった。家族や地区兵官優先。私も家族と家業優先。


 途中からあらゆる事で胸が痛くて泣き出したけど最後までなんとかシエルに話せた。シエルは途中で私に小さな手拭いを差し出してくれた。

 失恋は悲しいしサリアが憎たらしくてならないけれど彼女の終わりは悲し過ぎる。

 私は気になるからサリアについて調べて実際はどのような人物でイルと縁があったのか軽く確認したという話しもした。そのまま私が知った情報や自分の考察も教える。

 

「サリアさんは彼の心の中で永遠に咲く桜並木です。道はこっちだよと彼を優しく導き続けます。ルロンかもとかイルなんて偽名を付けた私はしょうもないです。桜の君と名付けられなかった時点で失恋だったんだなぁって」

「……そうですか」


 シエルはずっと相槌しか打たない。感想を述べないし私に話すように促し続けるだけ。

 いやそうして私に心の整理をさせてくれているのかもしれないし、自問自答したり考察しているのかも。


「だから彼にこう贈りました。龍歌を知らなそうなので分からないと思って嫌味です。しひて行く人をとどめむ桜花いづれを道と惑ふまで散れ。返事という私達中流層辺りの常識も知らないだろうから……」

「えっ。あー、伝わらなかったですか?」

「さっぱり分からなそうでした。自分が性悪過ぎると思ったので続けて散らないと思いますと言いました」

 

 死者には勝てなから悔しいという話をして最後に彼とどんな会話をしたのか話をして「これで終わりです。片想いをして失恋しました」と口にした。

 もうすっかり日が暮れて夜になっているし夕食時間も過ぎているだろう。時告げの鐘の音はもう十九時を告げた後だ。


「片想いをしてって、両想いだったと思います……」

「どちらにせよ恋人にすらなれないとお互い背中を向けました。私は振り返りつつで、彼は真っ直ぐ前だけを見て走り出しました」

「振り返りつつ。それであの神社にいたんですね。また会いたいという事です」

「絶対に来ないと思います。卒業まで登校中に見かけるので会えます。先日目が合って、友人みたいに軽く手を挙げた挨拶をされました」

「自分が居なかったら彼と上手くいっていましたよね……」

「ええ。サリアさんが生きていたら恋仲になる前に横取りされていたでしょうし、シエルさんが以前から私とお出掛けをしていたら貴方に夢中で彼を単に親切な人と思って終わりだったかもしれません」

「もしも、を言い出すとキリが無いですね」

「はい。考えてしまうけどもしもの世界はなくてあるのは現実や今です」

「神社で言われた言葉の意味がこれで分かりました。俺が盗み聞きした話についても」

「同時並行したシエルさんには誠実に話して謝って自分の欠点や改善点も話した上でしょうもない私に再度お申し込みしてくれるか問いたかったです」


 返事を待ってみるけどすぐに決められないと思うので彼が黙っているなら続ける。


「他の縁談相手にはこの話はしません。初恋について尋ねられたら恋人がいると言われて文通お申し込みを一刀両断されたと言います。政略結婚だけどシエルさんの気持ちが強めなら私は貴方に不誠実は嫌だと思いました」

「俺が外堀を埋めていくように動いていたから文通したいって話も中々出来ないです。さらにお見合いしたなんて話は」

「家族にダエワ家やシエルさんにそっぽを向かれたら損失をこう埋めよう、みたいに考え中でした。家族は私の気持ちを簡単には無下にしません。今回の話でもあれこれそうでした。お話しした通りです」


 人は時に損得だけでは動かない。それも商売人の基本のきだ。

 お金の切れ目が縁の切れ目の事もあるし、縁の切れ目がお金では埋められない不義理の時もある。

 私は国立女学校ではなくて平家も多少混ざる区立女学校でもう少し揉まれて跡取り息子のいない商家の娘らしく育てた方が良かったかもしれない。私は世間知らずの箱入り気味の娘に育ってしまった。

 しかしイルが釣れかけたしシエルも格上なので娘を使って格上の家狙い、娘は婿の補助役の教育方針は達成気味。

 両親の望む通り私は良家の男性に好まれそうな世間知らず気味で色々教えたくなったり癒される箱入り気味の娘に育った。

 格上の親が気にいるような教養やツテコネなども国立女学校や手習で手に入れた。

 シエルにそういう話を勝手に話し続けて私は思わず軽く吹き出してしまった。


「彼がペラペラお喋りだったので私も以前よりも話すようになりました。商売人としては良い事です」

「俺は考え込む性格なのでつい黙り込んでしまいます。でもこうして話していると予想と違う事を色々言うのでもう少し喋ろうと思います」

「それなら私はもう少し待ちます。少し話すシエルさんと少し待つ私で丁度良くなりそうです」

「良家の男性に好まれそうなって、男性の好みはそんな単純ではないですよ。女性もでしょうけど」

「こーんなふくよかな女性でないと嫌、とても細い女性でないと嫌、ちょっとした仕草や着物の裾と足袋の間に欲情する男性もいるらしいですね」

「ぶっ。彼とそんな話をしたんですか⁈」

「はい。何の話かと思ったらお嬢さんはかわゆい生き物で生きているだけで危険だから常に気をつけるようにって。彼から指一本触れられなかったのに変な話です」


 複雑そうな顔をしていたシエルの眉間に皺が出来た。この顔はこれまでの困惑ではなくて嫌悪な気がする。


「彼からって、触ったのですか?」


 シエルは言葉尻に気がつく人なんだ。


「はい。ポチと散歩をして歩きにくいところで手を貸して下さいと(かどわ)かしました。成功したけどもう危なくないですねってすぐに終わりです。触れたのはその一回です」

「話してくれるんですね」

「嘘かもしれないですよ。嘘つきなので。触られまくりの噂のキスをしまくりかもしれません。下街男性はハレンチ気味らしいですよ?」


 シエルはさらに嫌そうな顔をした。嫉妬心が作った表情だろう。

 イルでないと嫌だ、という気持ちが終わったら私の気持ちはずっと文通してきたシエルに興味があるだ。今日予感がしたしダエワ家とは現在事業で共栄関係。

 失恋に傷ついたところを手当てされるなら父が彼なら性格が大丈夫と評価したシエルが良い。

 少し待っていたらシエルは表情を軟化させた。


「噂のって何ですか?」


 やはり言葉尻に気がつく人なんだな。これはイルも指摘したけど。


「文学表現や噂話でしか知らないからです。したこともないし見たこともないです」

「下街男性はハレンチ気味とはなんですか? しかもらしいって」

「女学校での噂です。隣の教室の誰々さんの恋人は下街男性だからハレンチみたいに使っていました」

「女学校ではそういう噂話があるんですか」

「彼に最初は警戒心がありましたけど触らないし離れて座るし唐辛子入れを持てとか道の歩き方はこうとか自分に油断するなとうるさかったです。まるで父親です」


 私は少し愉快になってきて微笑んだ。私との縁談は貴方の為に再検討した方が良いでと言うつもりだったのに雑談になっている。

 佃煮屋へ醤油や味噌を商品作りに使ってみないかという営業をかける準備や散歩しながら挨拶や宣伝にイルとの雑談でこうしてシエルと上手く喋れる。以前な私なら聞き手役で口数も少なめだっただろう。


「この話の前から思いましたけどとても誠実な男性ということですよね」

「いえ。下街男性は噂通りハレンチそうというか彼は火消しと仲が良いそうです。幼馴染だと」

「火消しとですか? あー……」


 あーって説明しなくても伝わるんだな。私の友人周りは特に知らなかった。

 生粋火消しは生粋火消しの娘と結婚と教わってきたから縁を結んではいけない存在な気がしていたけど蓋を開けたら違そう。

 遊び人モテ男が多いから痛い目を見る事が多いので女性も遊ぶか、本気にさせるか、腹を括って尻に敷くとからしい。

 浮絵になるようなきゃあきゃあ女性に人気が出た花形兵官や役者や大工もそうらしい。全員が全員ではないけどモテるから遊び人が多いそうだ。

 いわゆる未成年のお嬢さん達が近寄らないようにされている人達。

 素直な私はお見合い前に恋をして破局破談になるからお見合い相手以外の男性にはあまり近寄るな、という話を間に受けていた。

 実際は多少揉まれないと男心が分からなくて困る、である。恋が気になるお年頃にシエルと文通開始で他の男性に興味なかったようだ。その話もシエルにしてみた。


「お嬢さんは誠実な男性を好むようだから方向転換だそうです。私が氷のような目をして恐ろしかったと言われました。お嬢さんに選ばれなくなるって。評価が下がらないように時期が来るまで女断ちだそうです」

「お嬢さんに選ばれなくなるって自分はそのお嬢さんを……あっ、すみません」

「あの方、お嬢さん狙いなのにそこから選ぶ気ですよ。天然人たらしらしいので理想のお嬢さんがいるから大勢泣くかもしれません」

「あっさり別のお嬢さんにうっかりかもしれませんよ。それかやはりって戻ってきたり」

「約束をしたら返すと言った髪飾りを他の女性の右手の薬指に贈って恋人だから悔しいので嫌です。石を投げそうです。あはは」


 口にしてみて私は彼と再度関係をやり直したいとか溝を埋めたいという気持ちが無いと判明。そうなのか。

 彼もそうかもしれない。自己嫌悪の伴う初恋もどきなので嫌な気分になりそう。私が良い思い出でほっこりした後にこうして嫌な気分になるように。


「お互い自分の嫌な面を暴かれたような感じですしね」

「シエルさん。私も今似たような事を考えました。お嬢さんだからみたいな事とかもイライラです。メルという存在には何かないのって」


 親想いとか気遣い屋みたいな事は言ってくれたけどシエルには言わなくていいや。嘘は駆け引きで使うので嘘つきを完全に直す気はない。


「……」

「私はその前にうんと口説かれて次の恋をして初めての恋人を作りたいです。気持ちは水もので失恋後は狙い目なので誰かに狙われたいです」


 なぜこんなに恥ずかしい台詞が口から飛び出したのだろう。自分でもびっくり。私は太腿の上で重ねていた手をギュッと握りしめて俯いた。


「桃の節句のお祭りのことです」

「はい」


 なんの話?


「もう三年前です。いや二年半前です」

「はい」

「友人と歩いていて子どもが転んだな、と思って近寄ろうとしたら出店から女性が出てきて子どもを助けて味噌田楽を渡しました」


 ……味噌田楽? まさか私? うっすら記憶があるな。


「思わずその出店で味噌田楽を買って、彼女は売り子ではなくてどうやらで店の視察に来たお店の旦那の娘さんのようだなと。ニコニコ笑っていました」

「……私ですか?」


 返事がない。


「あの。そんな風に話をしたいです。家族と話し合いというか破談になった時の被害が減るように下準備をしてから俺に彼との話をした後はどうするつもりですか? つまり、まあ、あの、今ですけど」

「……。一目惚れなのか何か分かりませんが理想化したような初恋相手は現在まだまだ未熟でしょうもないので私との縁談はシエルさんの為に再検討した方が良いです。そう言う予定でした」


 先程の話だと理想化とはなんだか違そう。


「思っていたのと違うな、とか今回の事で変わったのかなと感じるところはありますけど……。理想や妄想とか、見た目が好みのお嬢さんだからではないです。いや普通に好みですけど……。メルさんという存在になにかないのかと言われたら言い返せます……」


 シエルはとても恥ずかしそう。私もかなり恥ずかしい。


「父は知っていますか?」

「ちょこちょこ……。そもそも無難に嫁取り要員だったけど婿入りで高望みもありだぞと今の学校に入りたいとゴネてみたり……。兄の教育優先で俺の教育費はあまりとかそこそこ色々まあ」


 ちょこちょこ。だから父はずっとシエルに前向きだったのか。性格調査もしただろうけど行動力とか親を説得出来るとか私への気持ちなど。前の私はシエルの手紙を喜んでいた。

 父が私に教えなかったのはシエルに頼まれたとか勝手に言わないという気遣い? 父に要確認だ。


「破談でなければ学生同士なのでなるべく毎日散歩をして雑談したいとお申し込みする予定でした」

「家にも自分にも都合が良いのに風向きが悪くなるような話をするつもりはないです。今日聞いた話の時点では」

「シエルさんは秘密の男性ではないので家族に今の事を全て話します。そちらの希望に私の希望を加えて……。どう交流なのかとか……。私が嘘つきでないか父に確認してもらったり……」

「なるべく毎日は前向きです……」


 恥ずかしいけどえいっ、と彼の様子を確認したら少し嬉しそうな顔をしていた。

 初恋のしかも両想い疑惑の女性に恋人がいたのか! からの恋人ではなかったりだから許せるの? 嬉しいの? 

 私なら単純に好きな人が自分に前向きなら他の気になる事では後で悩むことにして、そもそも悩む事を忘れて浮かれる。今のシエルはそれかな。

 サリアに大敗北で戦う気力とともに恋心も燃え尽きて灰になったからかもうさっそく次の恋の気配ってどうなの。


(尻軽女……で何が悪い。イルさんもあっさり私から浮気した! 尻軽男! 恋人前は皆ふらふらするから同じだ同じ! 文通を掛け持ちとか簡易お見合いを掛け持ちと同じ!)


 開き直ろう。イルとは何も約束していない仲だったしお互いの気持ちも小さかったと発覚したので問題なし。


「失恋後は狙い目らしいです。なので他の方に口説かれたくないです。現在結納が既定路線ですし……。掘り出し物がいるかもしれないと他も調査していたけど結納が既定路線て今日気持ちがさらに変化しました……。音楽会などは後からでまずは沢山話しをしたいです……」

「……。調査ですか。俺は今日聞いた話なら親に言う必要は無いと思いました。理由はなんであれ俺は結果として選ばれた側です。しかもずっとと言われましたし」

「なんだかんだずっとそうです……。いつもシエルさんと縁結びみたいに話が転ぶと話した通りで今日もこのタイミングでとか、単に雑談や勉強ではないあの日を目撃されたんだと思いました……」


 私達はしばらく無言で俯き続けた。月としては夏が終わって秋でもまだまだ暑い。

 夏特有の少し気持ちの悪い汗に爽やかで涼しい風が吹いて少し気分が良くてずっと続いていた暗い気分が晴れた気がした。

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