お見合い6
デオンは稽古に去って、イルが戻ってきたら会うけど二十一時の鐘が鳴るまで待って彼が戻らなかったら帰宅の予定。出前をご馳走になってしまった。
デオンとイルの声がしたので私達は声を出すのをやめた。挨拶が終わるとイルは「先生……」と震え声を出した。
「葬儀は明日の夕方だそうです。参列してええと許可を得たので行きたいです」
「幸せ刻送りか。それならまたその着物を貸すから稽古時間内に行ってきなさい」
「幸せ刻送り……死の時間に幸せを、ですか? 葬儀に参列なんてした事がなくて無知です。申し訳ないのですが軽く教えていただきたいです」
「ああ。エレナに頼むから一緒に行ってきなさい」
「奥様にですか? それは申し訳ない気です。でも可能ならお願いしたいです」
「他の弟子関係でも色々している。大事な弟子の将来像を決めてくれた女性だ。私がこうしたい。妻もそう言ってくれるだろう」
「重ね重ねありがとうございます。ただ奥様に深い話はしないでいただきたいです」
「そうか。分かった」
あまりにもイルの声は小さい。
「先生。お兄さんに先に相談してからご両親と祖母君に手紙を見せました。それから花咲ジジイの事とか感謝も……」
「なのにその酷い顔はどうした。何か言われたのか?」
「酷い顔ですか? 俺に対しては感謝の言葉です。手紙を届けた時にはもう目が見えなかったそうで……。見えなくなるんですね。母親が俺からの手紙をくれたそうで、ギリギリ間に合って良かったですけど臨終間際の彼女の言葉が……」
ますます彼の声は震えて小さくなった。デオンは彼に何も声を掛けないで続きを待つみたい。
目が見えなくなる……。父も死に際はそうなってしまうのだろうか。
「秋なのに桜の中で終われるなんて果報者とか、最後まで家族に感謝したり幸せだったと……。俺には言えない気がします。十五歳だったそうです。突然人生が終わりなのに最後まで……。優しい……」
同い年。同じ学校なら私とサリアは同じ階の教室で生活していたってこと。見つけたら意地悪しそうで怖いから私は彼女を探したことはなかった。
鼻をすする音が聞こえてきた。ここに居るのは悪い気がする。しかしデオンはイルを連れて部屋を移動しないから私達に会話を聞かせようって考えているってことだ。
「待てるのにと、私ならずっと待てるのにと言ったそうです。信じて待ち続ける……。私なら紅葉草子にならない……。何のことかと言われました。言いたくないから逃げてしまいました……」
「よく君のことを見ていたから何か知っていたのか」
私は大きく目を見開いた。私達を神社で見かけたとか?
(サリアさんは土曜にあの佃煮屋さんの言葉も聞いていたしたな……)
私とイルの間に横入りしようと考えていたら病気が発覚したのだろうか。
「分かりません。先生。花咲ジジイの前から俺は皆に応援されている道を進みたかったです。自分の進みたい道を応援してずっと信じて待てる。ここ最近ずっと欲しかった言葉です。それで花咲ジジイで……」
足元が崩れるような感覚、とはこのことを言う気がする。
(あの日、あの苦しそうな日に、私は何も言わなかった。彼を信じて父に会わせるとか、今までの努力を無駄にしないで欲しいとか、イルさんの将来なら安心だから待ちたいとか……。何も……)
おまけにサリアは彼の優しさや人を助けるところを高評価して彼は幸せを作る人とかそれで彼も幸せになるみたいにこれまで彼の周りにいた者達とは異なる応援の仕方をした。
危険な地へ行かないででも、将来有望だからでも、地位や名誉やお金が待っているからでもなく、皆が安心する地区兵官になって欲しい……。
イルは戦場にそんなに恐怖心がない。家族の為にお金を稼げれば仕事はなんでも良くて出世欲もなかった。出世の芽がなくなる火消しでも構わないだからそうだ。
強いから戦場で駆け上がっていっそ皇居守護兵みたいな地位や名誉も望んでいない。中央区や皇居へ家族を連れて行きたいみたいな願いはない。多分父親の仕事だろう。
奉公先で信用されて頼られている父親をそのお店から引き離す気はなくて自分も家族から離れたくない。
いつも何かで努力していてそれは他のことにも生きるから地区兵官への道をやめても、みたいなところもあった。
少ししか交流していない私でさえ考察したら気がつく判断材料はあるのに彼の心を動かす事を告げたのは十七年間で一人だけ。
元々応援されたいところに皆が安心して幸せになる。サリアは優しく優しく彼の背中を押した。
「その顔は彼女に生きているうちに会いたかったし話したかったという事か。まあ当然だ……」
「手紙を持っていった時に顔は見ないからと言って襖越しで会えないか頼めば良かったです。思いついていたら……。小汚い格好だったので手伝い人になんだお前は、みたいな目をされたけど無視して頼み込んで……」
「そうか。私もすぐ行けと言えば良かった。明日の朝なんて言わずに。すまなかった」
「いえ、決めたのは俺なので謝らないで下さい。幸せだったけど何も為していないし何も残していないとそう言ったそうです。だから手紙を見せた事や今後俺が励みたい道の事を感謝されました。彼女に直接言いたかったです……」
私は父を見て手を伸ばして父の手に手を重ねて握りしめた。
見知らぬ他人でもこのように胸が痛む。時間をかけて心の整理や覚悟をしてもきっと何かしらの後悔する。
「為したし残したな……」
「振り返ったら桜吹雪ならそこはコスモス畑にもなりますよね?」
「ああ。お前がそう思うならそうなる」
「それで……」
彼女はどんな風に笑って何が好みで何が嫌いで自分とどんな会話をしたのか。
ずっと信じて待ってくれるならその間はどう応援してくれただろうとか、自分は逆に彼女に何を返せただろう。
今はもうそういう事しか考えられない。彼はそう口にした。
(ザワザワ嫌な予感ってこれ。亡くなったのもだけど私がゴネてももう無駄だ。そうか……)
目の敵にしてイルに近寄るなと念じ続けていた私の女の勘は正しかった。
「先生。以前メルさんに握り飯のお礼に飴細工を贈ったんですがたまたま髪飾りになる組紐付きでした。約束を交わせる仲になったら渡すと預かりました」
ここで私の話。でもあの髪飾り?
「なんだ急に。たまたま? 自分で選んで買ったのではないのか?」
「予算内なら安物よりも高そうな方と選んだ結果なので偶然です。飾り物とか興味なくて。あんなに色々必要ですか? 種類も沢山で使い道も分からないし。でも女性は好むから頭の中が違うんでしょう」
「そうか。何にせよメルさんは喜んだだろう」
「ええ。かわゆく笑ってくれたから、髪飾りってこういう笑顔の為に買うものなのか? と少しだけ売っている理由が分かりました」
「それでその組紐の髪飾りがどうした」
「今日サリアさんに贈りました。気がついたらそうしていました。ご家族に尋ねて何ならしてええかって。俺の今の気持ちも伝えて」
この発言に軽い目眩がした。きっと彼女に何かの約束として贈ったという意味だ。花咲ジジイになる。貴女は自分とずっと一緒にいる。
多分そういう気持ちを込めてあの髪飾りを彼女へ贈ったのだろう。
「そうなのか。それ程彼女の手紙や残した言葉は君の心に響いたのか」
「はい。先生と話した理想の女性みたいな人がいたんだと思いました。それも俺を気にかけてくれていた人です。俺を応援してくれるうんと優しい彼女を心の支えにして、恋人だと思って時期がくるまでひたすら目標に向かって進みたいです」
亡くなったから同情した、ではなくて一通の手紙と少し垣間見たサリアの性格でイルはあっという間に心を掴まれたってこと。
これはイルは辛くてならないのではないだろうか。私は彼を恋穴に半分落としたような感じみたいだけど、本格的に彼を穴に落としたような女性と会えずに死別って……。
「ひたすら目標に向かっては花咲ジジイか?」
「家族で大豪邸で楽しく今よりも楽しく暮らすみたいなこれまでの目標も全部です。花咲ジジイと花咲お婆さんなので約束だと思って組紐を右手の薬指に結んでもらいました。左手の薬指は俺の結婚相手用なのでそこは譲りませんでした」
凛とした声が響いた。私の予想は正解。でもまさかその指に結んできて恋人って……。
(私がずっとあのお嬢さんが彼に近寄りませんようにって願っていた理由はこういうこと……。やはりわりと当たるな。私の勘は……)
私の宝物。生まれて初めて贈られた好きな男性からの髪飾りを別の女性にこのような意味で贈られた。悲しいし悔しくてならない。
いや、あの髪飾りは私に対しては贈られていない。単なる偶然の産物だった。
「メルさんから浮気です。恋人ではなくてお申し込みすらしていないから浮気ではないですけどきっと色欲無関係の浮気はこういうのです。未熟でバカで人を頼りまくりの今の俺の荷物は軽い方がええです。人としてもっと成長したいです」
「そうか」
「生きていく中でまた変わるでしょうけど初恋もどきと初めての恋人を合わせた女性が俺の理想像です。恋人扱いは勝手にだけど優しい女性だから怒らないで笑って色々頑張れって応援してくれると思います」
初恋もどきって何。デオンは彼に君の気持ちはもどきではない、とは言わないようだ。
私なら言わないし言って欲しくない。この会話を聞いていると私はサリアに完敗でどちらにしても失恋だ。
(私の恋の縁はサリアさんにことごとく切られた……)
諦めたくないし諦め癖を直したいけどこれは気力が湧かない。私との約束の髪飾りをサリアへとても大切な意味で贈られてしまった。
(手元にあったってことは持っていてくれた……。いつもだったのかな……。なのに……)
恋人ではないから浮気と言わないけど浮気された気分でとても嫌。
(荷物をまとめて彼の家へ飛び込んだら、今の彼の気持ちだとこないで欲しいの方だ。少しタイミングがズレていたら何か変わったのかな。たとえば約束して心と体の距離が近寄った後にサリアさんの件とか……)
花咲お婆さんの時点で彼女に気持ちが負けていたところにこれ。
縁結びの副神様の嘲り笑いが聞こえような感覚。誠実でありたい彼に不誠実な会い方をした瞬間から良縁にはしないと決められたのかもしれない。
早い段階で私が変わっていたら応援されただろう。縁結びの副神様はそういう存在だ。
(サリアさんは優しい優しいかわゆい女性だから龍神王様に気に入られて連れて行かれてしまった? 岩贄乙女みたいに……)
なぜ彼女。なぜ今彼女。彼女も辛いしこんなのイルは辛い。せめて二人が会って話せたら良かったのに……。
病気は残酷だけど、もっと幼い頃に亡くなる物達も沢山いるけど……。
「人生は何があるか分からないとうんと知ったし明日死ぬかもしれないけど生きていると信じて十年後くらいにサリアさんのようなお嬢さん狙いをします。しょうもない男では手に入りません。選んでもらえないです」
「昨日も次の縁談は十年後くらいと言っていたな。それか正官以降と」
「俺に理想のお嬢さんは無理とか理性が限界になっても目を閉じたらもう少し、もう少しって頑張れる気がします。時期ではなくても彼女のような女性を見つけたらきっとなりふり構わない気がします」
「そうか。そんなにか」
「はい。先生は厳しいので今回の件で俺に言いたい事が山程あると思います。時間がある時に大説教をお願いしたいです」
「ああ。ソイス家との縁談が終了したらする」
「心の恋人がいたら色々励めそうです。辛い時に笑って頑張れと言ってくれる人がいるのは大安心です」
「恋人だと思って励む、だからそれ以上だと思う実在の人物が現れるまで誰とも縁結びしたくないって事だよな」
「はい。今現在はそうです。いつ気が変わるかは分かりません。なにせ気持ちが大きくなる可能性ゼロではないからメルさんにお出掛けお申し込みする、からの浮気です」
「まあ、引っかかるとかサリアさんはメルさんと違うと言っていたからな」
「ええ。人生は何が起こるか不明だと良く分かったし煩悩にやられるかもしれません。それでも自分を信じて時期を待ちます。理性に負けるかもしれないけど俺はわりと理性人間です」
「一人だと励めないけど二人三脚だからきっと励めるだろう」
「はい。大手を振って憧れの女性のような人をお嫁さんにする。花咲ジジイにしっかりなれそうなら彼女のような女性に見つけてもらえます。お嬢さんってだけでまたうっかりしても途中で深みにハマるか分かります」
隠れて聞いているとちょこちょこ酷い。私は辛い時に彼を応援しなかったみたいに聞こえるし、お嬢さんってだけとは何。以前から思っているけどメルという存在自体には何かないの。
(あったら本格的に惚れられていたか……。二人三脚と言ってもらえたのに私は私の言動でこうなった……)
お世辞だろうけどデオンは私を褒めてくれたけど彼にはないのかな。
父に「どうする?」と問いかけられた。
「人生の目標を提示して恋人の座に居座った女性に勝てません。道がないからではなくて単に敗北宣言です。諦め癖を直すと言ったけどこれは悔しくて……」
私はなるべく小さな声を出した。私の方がサリアよりもイルを知っているのに彼が私の為に進路変更をすると悩んでくれた時に何も言わなかった。
彼は相当嫌そうな顔をして自分は地区兵官を目指す、その理由があると口にしたのにそれに対してほとんど何も。私は捨てられないと突っぱねただけ。
捨てられない私に対して彼は学校からデオンへ話がくる程かなり悩んだのに私は捨てられない彼に対してほとんど悩んでいない。
時間が欲しいと逃げ回っただけだ。現実逃避をして終わり。
諦めると決めてここへ来て希望があるようだから縋りたい気持ちが湧いて諦め癖も直したいと思ったけど結局諦め。
私は面と向かってイルに断られる。泣こうが喚こうが縋りついて頭を下げても断固拒否される。分かる。彼はそういう性格だ。
優しい言葉や気遣いはしてくれるだろうけどキッパリ拒絶される。
「そうか」
「お父さんも家もシエルさんも何もかも無関係です」
「せめて最後に散歩と食い下がりもしないのか? 諦めない性格になると話したばかりだが」
「あの髪飾りは私の宝物になる予定だったので許せません。謝罪とお礼だけを伝えます」
デオンはいつ襖を開くだろう、と思っていたら「先生?」というイルの台詞が聞こえてきた後に襖が左右に開いた。
「えええええ! 居たんですか⁈」
目を丸くしたイルと目が合う。私はずっと泣いていて視界がぼやけている。彼の顔色は悪くて目が赤い。
「ずっと居た。向こうから謝罪に来て下さった。そこへ君が来たので話が早いからずっと聞いてもらっていた」
「ずっとですか?」
「手紙の話からずっとだ」
どうぞ、と招かれたので両親と私は隣室へ移動。それで下座にデオンとイルが腰掛けて私達は上座。今度は逆なんだ。それで全員で挨拶。これで本当にお見合い状態だ。




