手紙
隣の部屋でデオンはイルに何を問いかけるのだろう。イルが何の話をしにきたのか分からないのに盗み聞きをして良いのだろうか。話題誘導をしてくれるとはいえ。
挨拶後にデオンは彼に稽古を休んだ理由を問いかけた。
「稽古代が支給されているのでいつものように理由を提出しないと自腹になる」
「そうでした! 寝る時間を削って屯所で鍛錬をして誰か偉い人に証明してもらって免れるとか出来ますか? 金が惜しいです。助けて下さい」
「分かっているから理由を話しなさい」
返事をするとイルはわりと小さめの声で話し始めた。
土曜日に稽古前に勉強をしていたら知人が来た。自分に話しかけた人がいたけど気が付かなかったと教えられて、様子が明らかに変で急ぎだろうから行って欲しいと頼まれた。私の事とか相手が女性とは言わないみたい。
「日曜なら時間があると思ったけど急ぎな気がすると強く言われて、この人が言うなら稽古休みは無料だし寝る時間を減らして自主鍛錬で焼石に水をしようと思いました」
「理由書の事はいつものド忘れをしたんだな。それで?」
いつものド忘れ?
イルは忘れっぽいのか。口癖がバカってそれかな。今日で良く分かった。私は彼について知らない事ばかりだ。
「皆で家に行きました。本人が俺と会いたいのか不明な状況だったのでお兄さんと会いました」
「この感じだと女だろう」
「はい。俺は知らなかった人です」
「知らない女性だけど大事な知人がどうしても今日と言うから行ったのか?」
「はい。そうです。行って正解でした。先生。石化病って年寄りの病気じゃないんですね」
「石化病? それで年寄りじゃないのか」
「女学生さんみたいなので多分ルカやリルくらいの年齢です。土曜に病気だと知ってその日に歩けなくなりました。近いうちに亡くなります。そんなに早いなんて……」
「学校と半見習いは休めないから休んでも無料で自分で鍛錬を増やせば良いと思った稽古時間に見舞いか。桜はなんだ」
「いえ、学校も半見習いも全部無視して桜探しです。先生。俺は色々いるからその女性を覚えていないんですけど、俺は春に転びかけた彼女を助けたらしくてそれから彼女はたまに俺を見てくれていたそうです」
「そうか」
「手紙にはそう書いてありましたけど知人には彼女はいつも俺を見ていた、と言われました」
「お見舞いをして手紙を受け取った。それで桜をどうしても贈りたかったってことか。学校も半見習いも休んだなんて知らなかった」
デオンはしれっと嘘をつける人なんだな。今も知っている事を知らないフリしている。
「お見舞いはしていません。病気の顔を見られたくないそうです。そもそも俺はきっと優しいから人が亡くなると悲しむから教えないでと言ってくれたそうです。彼女はお兄さんに返事は要らないから手紙を渡してと頼みました」
「家族に返事を頼むと言われただろう。俺ならそう言う。会いたくない気持ちは汲むな」
「あの、先生。読んで欲しいです」
カサカサという紙の音がしてしばらく沈黙が横たわった。
「先生に相談しようとしていた縁談話にも関係あります。先生。これを読んで俺は初めて金稼ぎとか親のためとか見栄とかその他もろもろ以外で地区兵官になりたいと思いました。中身は同じだから警兵でもええです」
サリアからネビーへの手紙はそういう内容の手紙なんだ。
「俺が人を助けて俺も相手も笑うから、ずっと春で桜が咲いていました。面と向かってこういう評価をされたのは初です」
桜探しの時期に出会って桜の花びらが印象的だったから桜の君ではなくてそういう意味。
「地区兵官になったら沢山笑顔を作ると思います。安心します。皆が幸せになります。貴方も幸せになると思いますか。そうだな。腕も立つからついつい違う事を言いがちだが俺もお前にはこういう道を望んでいる」
デオン達、周りが望んでいる道はこれまでイルに伝わっていなかったのにサリアのたった一通の手紙が彼の心を変化させたって事だ。
「だから桜の君みたいです。ここ。二度と見られないって。だから見せてあげたくて。字がどんどん書き辛そうになっています」
「あったか? あったから来たんだよな。お前なら桜を見つけるまで探し続けるだろう」
「バカだから知らなかったんですけど賢い方が秋に桜でコスモスと読むって教えてくれたので色もそうだから探して持てるだけ持って返事と一緒に相手の家の使用人に渡しました」
父を見たら少し微笑んでいた。
「コスモス。そうか。その発想は無かった」
「桜がないかコダ山まで行ったけど無いから人に聞けば良かったと思って、そうしたらコスモスで、そういえばコダ山の手前にあったなと。それで帰ってきてからそこらにもあったなって。俺はいつもバカです」
「コダ山まで行ったのか。それで格好がわりと酷いのか。焦りもあるし頭の中がそれだけになっていたんだろう。直しなさい。深呼吸しろ。ったく。間に合ったなら良かったが……」
「バカを直したいです。汚いから使用人らしき女性さんに拒否顔をされました。返事なのでとか渡せば分かるって手紙とコスモスを押し付けてきました」
「こういう地区兵官になりたいですか。望んでいると言った通り似合うぞ」
「沢山笑顔を作る。先生。俺はそういう道に進みたいです」
地区兵官にあまり興味がなくて自分の将来像も無い。自分は家族のために稼げれば良いと言っていたイルに人生の目標が出来た。
サリアがネビーに近寄って欲しくないという勘はこれもってこと。手紙一通でこうなるなら本人と話したらあっという間に惹かれる。
元々好意のあるサリアもイルの人柄に惹かれる。
彼女の家としてもイルは問題なさそうだから元気なら彼女は初恋成就だった。
なのに世界は残酷なようでサリアはもう亡くなってしまう。
「今は言われるまま成長していればその目標へ続いていく。準官になったらもっとだ。ずっと見てきたけど日頃の行いはずっと同じだから自分が出来る範囲で誰かに手を差し出していたらどんどんそうなる」
「なれますか? なりたいです」
「この彼女の手紙風に言うとお前が励み続ける限りずっと毎日桜が咲いている。前へ進んで進んで振り返ったら桜吹雪だ。今の気持ちを忘れなければ」
「振り返ったら桜吹雪……」
「一人では一本の桜の木だけど人を育てる程増えるから似たような者を増やす工夫や教育に参加するのも良いだろう。私はこの道場で少しはそれをしているつもりだ」
デオンはしれっと自分が弟子に進ませたい道へ誘導した。イルが抱いた目標と一致しているから何も悪くないけど。
「おお。先生みたいにもなりたいので同じ道なのはええ事です。大豪邸は建ちますか?」
「現状ならこのまま励めば家族で困らないくらいの大きさの家を借りれたり建てられる。お前の言う大豪邸ってそれだろう。本当に大豪邸希望なら番隊長になれ。それはいつも言っているだろう」
「はい。番隊長は今のところ無しじゃ無いからそれを目標にしつつ人を育ててうんと区民の小間使い便利屋をします。先生。上に立つ奴がしていたら下の奴も小間使い便利屋をしますよね?」
「そうだな。自然とそうなる事もあるが上に立ってそういう指導をしたら良い」
「よく考えたら番隊長も副隊長もこういう人達な気がします。荒くれバカを蹴落とすとか追い出すのも仕事な気がしてきました」
「そういうのも使い方次第だから現場の上司達から学びなさい」
「はい!」
サリアの手紙でこうなったのは悔しいけど彼をサリアのところへ連れて行ったのは私だ。でも私が居なくてもイルにサリアの手紙は届いただろう。心当たりがある場所に渡して、とはあの佃煮屋のことだろうから。
「この龍歌は知っているか? 変えてあるし途中だ」
「それも聞こうと思っていました。今年の春に会った君に。俺になんですか? 俺に何かなと思って」
「去年の春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも。そういう龍歌がある」
「こぞ? こひにてし? けらしも? サッパリ分からないです」
「去年の春に逢った君が恋しいから桜は今年も咲いて貴方を迎えしました。そんな意味の龍歌だ」
「えーっと、それが今年で、今年の春に会ったのは俺……」
「今年の春に逢った君に恋をしたと書こうとしてやめたのかもな。去年を今年に変えてあるから恋をしているから私は来年も咲きます。笑います。自分と貴方に来年が来ますように、かもしれない」
「俺はこの手紙を読んでこうなりたいと思ったから彼女が評してくれたような花咲ジジイになったら彼女も一緒に花咲ババア……お嬢さんだから花咲お婆さんですよね」
……。
それはなんだかかなりサリアが羨ましい発想だ。
同じ年頃で初恋の相手と喋る事もなく亡くなるのは悲しくて可哀想だけど会ってもいないのに手紙一つでこんなに彼の意識を変えて一緒に花咲お婆さんって。
「お前がそう思うならそうなんじゃないか?」
「俺はもうすぐ亡くなると言われてこういう感謝の手紙を書ける気がしません。俺は優しい人だから悲しむので病気だとか死に際だと言わないで欲しい。そう言ってくれたそうです。彼女こそ優しい人な気がします」
「ああ。突然転がるように悪くなった時にこの手紙は私も書ける気がしない。そうか。石化病は若いとそんなに急変するのか。治療薬がないしな……」
「俺は彼女と話をしてみたいです。顔なんて気にしないけど乙女心は大切です。なので諦めました。彼女の気が変わるのを待ちます」
「そう頼んでみたらどうだ。襖越しとか。花咲ジジイと花咲婆さんか。どおりで何もかも放棄してコダ山まで桜を探しに行く訳だ」
「襖越し。それだ。そうします。俺としてはご家族に見せたいけど彼女は嫌がると思いますか? 俺はこれを見せて彼女の家族に胸を張ってこうなります。ありがとうございます。そう言いたいです。本人には言うのは当然として」
「娘さんの気持ちは分からないが親としてはそう言われたら嬉しいと私はそう思う。その時はさっきの花咲ジジイと花咲お婆さんの話もしてこい」
「明日の夕方、稽古前に家を訪ねてみます。あと彼女が俺に会いたいと家族に告げたら連絡が来るからその時はすぐに行きます」
「念のため明日の朝にしたらどうだ。学校を休むなら私が後始末をする。桜探しで休んだ分も」
「登校前に訪問して放課後会いたいから検討して欲しいと頼むつもりでした。襖越しも思いつかなかったのでありがとうございます」
「またコスモスを持っていくと良い。エレナに頼むから今日帰る前に庭のコスモスを摘んでいきなさい」
「ありがとうございます。この絵はとても綺麗です。咲いている桜が一輪と蕾が一つ。読み返したけどどういう意味かなって。一輪咲いたから天下の春でしたっけ? もうすぐ春ですみたいな言葉。先生は何か思いつきますか?」
絵も添えられていた手紙なのか。イルは一花開いて天下の春のことを言いたいのだろう。
「うーん。どうだろうな。先に咲いてこれから咲くお前を待つとか、逆に自分は咲かないとか。二輪だからお前と彼女な気はする。彼女に尋ねてくると良い」
「待ってくれる。これから咲く俺。それがええです。聞く前に本人にそう言います。それで先生。これを踏まえて縁談相談があります」
これを踏まえて、か。彼の中で戦場兵官になってお金を稼いできてどうこうの道は消滅した気がする。
しかも彼は私の為にその道を選ばない事を傷つくよりも胸を張りそう。
これは譲れないと口にするだろう。それはとてもホッとする。サリアに対してとても悔しい気持ちがあるけど嬉しい。
(連れて行かないとって勘は彼女どうこうだけじゃなかったって事かな。イルさん、じゃなかった。ネビーさんの未来が違う)
同じ春に出会って同じ人に恋をして私の方が彼と沢山交流したのにサリアは手紙一つでイルの心を大きく動かしておまけに一緒に花咲お婆さん。凄いな。
サリアは明日イルと襖越しに話すだろうか。私なら話す。イルは放課後の少ない時間を今後はサリアと過ごすのではないだろうか。
サリアの病気の事はもう分かったのに妙な嫌な勘はまだ終わっていなくて胸がザワザワするのはなぜだろう。




