縁
走って歩いて走って歩いてなるべく走って噴き出る汗を手拭いで拭いながら私はヤイラ小神社へ到着した。
「イルさん!」
彼は切れ目縁に腰掛けて手紙を読んでいた。私の手紙を受け取った日に彼はこうしてすぐ目を通してくれている。
「ああ。あの、読んでいました」
「それは後です。あの、忙しいのは知っていますが、多分急ぐ話です」
息を整えながら彼に近寄ってどう話したら良いのか悩んだ。
「急ぐってどうしました? ポチポチ犬は? 一人で来たんですか? この時間に一人で出歩くなんて何を考えているんですか! 送るから帰りますよ!」
衝撃的なくらい恐ろしい声で怒鳴られた。体がすくんで微かに手足が震えた。彼はこんな風に怒るんだ。前の叱責より怖い。
「来て欲しいところがあります。勘がそう告げ……」
「メル! 帰って来ないと聞いて探しにきた。もしかしたらと思って来てみれば!」
こんな時に限って父登場。イルが父の方を向いて深々と頭を下げた。
「大変申し訳ご……」
「君は謝らなくて構いません。聞いていました。帰るぞメル。反省したんじゃなかったのか? お前は彼に……」
「うるさい黙って! 私の事じゃないから黙ってて!」
近づいて来る父に思わず大声をぶつけてしまった。私がこんなに大きな声を出す事は珍しいからか父は目を丸くして固まった。このままの勢いで話してしまえとイルの方へ体を向ける。
「お嬢さんが、イルさんに助けられてお礼を言いたいお嬢さんがイルさんに話しかけられなくて、もうあまり歩けなくて、多分このままだと絶対に悪いから一緒に来て欲しいです」
私は思わずイルの着物にしがみつきそうになった。
「えっ?」
「いつも、いつも見ていたんです。恋敵だから話しかけるなっていつも思っていて。でもさっき佃煮屋の近くで見かけて聞いて……。一生懸命声を掛けたけどイルさんは気がつかなくて……。もうあまり歩けなくて……」
私はあのお嬢さんが嫌いだから、彼女がイルひ歩けなくなると知られたくないかもしれないという考えは無視する。
イルを彼女のところへ連れて行くから敵に塩。彼女に許されなくても他人だから知らない。
嫌な予感がこんなに酷い事はないからとにかくイルを連れて行く。
「えー。俺、話しかけられたんですか? 歩けなくて? 病気って事ですか?」
「分かりません。家や事情やイルさんに会いたいのか調べようと思って後をつけて家を突き止めたけど、とても嫌な感じがするからお姉さんとポチに任せてここに来ました」
「それでポチポチ犬が居ないんですか。嫌な感じ?」
「見かけた時は歩くどころか軽く駆け足も出来たのに今は支えがないと歩けなくて。だから変です。とても変です。急いだ方が良い気がするんです。大泣きしてとても辛そうでした」
イルは手紙をしまって父に会釈をした。
「そうらしいので付き添いしてもらうことは可能ですか?」
「えっ、ああ。はい」
「一走りして稽古に出られないと道場に伝えて戻ってくるので荷物を見ていて欲しいです。あと屯所にも、もしかしたら遅れるかもしれないと報告するので少し時間が掛かります。失礼します。何も知らずに娘さんを怒鳴ってすみませんでした!」
言うやいなやイルは駆け出した。いつもは軽く走り出すのに今日は全速力のようでかなり速い。
(あんなに足が速いんだ……)
私の隣に父が並んだ。
「あれがイルさんか。そうか」
「お父さん。お姉さんが盗み聞きして教えてくれました。体の調子が少し悪いそうですね。噂の石化病は老人の病なので少し早いです」
「なっ! 追い払ったのにニライはまた盗み聞きか。それでお前にもなんて。中途半端な年だから余命は分からないと言われたけどまだまだ大丈夫だ。心配するな」
「気持ちは水もの。イルさんの私への気持ちは同情心が強い。ダエワ家の奥さんは怖め。シエルさんは私をかなり気にかけている。イルさんは将来的には大儲けかもしれない。それも全部踏まえてうんと我儘を言っていいから尻拭いを家族にさせろと言われました」
「そこに病の事まで……。ニライは本当に余計なことを」
「いえ。私はもう嘘や不誠実で失敗するのは嫌です。お姉さんもそう言いました。これで良かったです。なのでお父さん」
「すまないメル」
「私の今の気持ちもイルさんの話も沢山聞いて欲しいです。その上で私と彼が幸せになる方法を一緒に考えて欲しいです。二人ではなくても別々にでも幸せになりたいです」
私は父をイルの定位置へ座らせて自分はいつもの場所へ登って腰掛けた。
昨日は話していない話を勝手にどんどんしていく。父は無言で返事をしない。
チラリと覗くと父はイルの教科書を開いて読んでいた。使い込んでいるし書き込みも色々あるから彼が努力家だと伝わるだろう。勝手に人の物に触るなと思うけど無視する。
ひたすらイルとの思い出を語り続けていたら汗だくの彼が戻ってきた。想像よりも早い。
「お待たせしました。すみません。道案内をお願いします」
イルの声がしたから私は切れ目縁から降りて父の方へ移動した。父はもう立っていた。
「娘が偽名をつけたそうなので名前を教えていただきたいです。貴方について調べようにも調べられません」
「すみません。こちらを代わりにします。娘さんと彼女の両親が存在を認めたら教えると約束していますので」
イルは懐から紐で結ばれている身分証明書らしきものを出した。
「メル。どうする。もう彼に偽名は必要ないだろう」
「メルさんって本名だったんですか。それなら呼べば良かったです。偽名で呼び慣れたら嫌だしうっかり声を掛けるのもと思って名前を呼んでいませんでした」
「イルさん。いえ、もうイルさんではないですね。メル・ソイスです。お名前を教えていただきたいです。以前助けていただいたお礼をしたいです」
彼は少し目を丸くした後に優しい笑顔を浮かべてくれた。
「ようやく言えます。竹細工職人レオの長男ネビーです。他のことは知っていますね。助けた記憶がないけどお礼とは嬉しいです」
「ちなみにイルは現皇帝陛下の次男、皇子様の名前です」
「……うえええええ! それは俺にはまるで似合わない偽名ですよ! なんつう名前をつけたんですか! うわあ。似合わない」
私は彼の驚きように思わず吹き出してしまった。
「その前はルロンと心の中で呼んでいました」
「ルロンって前に教えてくれたルロン物語のしょうもない男ですね。いや皇居ではしょうもなくない男でしたっけ。行きましょうか。お父上は間でお願いします」
それは多分父が言うべき台詞だ。
私、父、荷物を担いだネビーの順に並んで私達は歩き出した。
「師匠にザッと話して稽古を休むと言いました。半見習いは休まないのでそれまでには帰ります。玄関先で家族に話を聞くくらいの時間はあるはずです」
父が返事をしないので「それが良いです。お嬢さんはイルさんと話したいけど足のことは知られたくなかったかもしれません」と私が返事をした。
「休めないではなくて休まないなんですね」
しばらく無言だった父が口を開いた。
「稽古は睡眠時間を削って自主鍛錬をして補完しますけど半見習いは給与が関係しています。知らない女性の為に家計を削る気はありません」
「知らない女性の為に睡眠時間は削るのですね」
「その方は気の毒ですけど赤の他人の為に睡眠時間を削りたくないです。疲れます。でもメルさんが必死に走ってきて泣き顔で今だと頼んだので行きたいです」
私なの⁈
イルは優しいから病気疑惑のお嬢さんの為だと思っていた。
「私ですか?」
「勝負してメルさんが勝った商品、小さい簡単な願い事が残っていましたからね」
「これは小さい簡単なお願い事ではないです」
「明日なら時間が多少あるのでメルさんの家を訪ねてその方の家の場所を聞いて明日行こうと思いました。でも急ぐと言うたので今日にしました。稽古も半見習いのことも知っているのに必死だったから余程です」
そうだった。イルは線引きしたり天秤に乗せて選ぶ人。
えっ、私が必死にお願いしたからって貴重な睡眠時間を削るの?
それから私達はしばらく無言で歩き続けた。
「あの、師匠に手紙を預けました。明日時間を作ってもらいます。話し合いはその後でお願いします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
父が返事をした後からまた無言になって私達はひたすら歩き続けた。
空気が重いのは湿気のせいではなくて私としてはお嬢さんの様子がかなり変だったからだと感じる。
それから気になるのは父の病気はどうなのかということ。
石化病は五十代くらいから発症しやすい不治の病だけど手足が多少痺れるとか痛むまま他の病気で亡くなる事の方が多かったはず。
ひたすら歩き続けたらお嬢さんの家の塀の端に姉がしゃがんでいてポチを撫でていた。
「お姉さん?」
「ニライ。かなり待たせたのか。いやなぜ待っていた」
姉の表情はこわばっている。
「いえあの。メルさんが待っててと言いましたので勝手に帰ると探されてしまいます」
「ポチがいても夜なので先に帰ってもらえば良かったのにすみません。慌てていました」
「あの。制服姿ですしメルさんが訪問すると良いです。学友だと思うと思います。お父さんと二人で。それで多分彼女のお兄さんをここへ呼ぶと良いです」
「分かりました」
「行こうかメル」
「はい」
父と二人でフューネ家を訪問。看板やつくばいなどで茶道の家だと分かる。
(豪家……。お兄さんがいるみたいだしイルさんと並べる疑惑……)
我が家程は政略結婚を望まれない家業な気がする。他に兄弟姉妹がいたら彼女は嫁入りも可能だ。
イルのお嫁さんになって通勤すれば稼ぐ側になれる。なので彼女は貧乏暮らしに耐えられればイルの出世や妹達の成長を待たなくたって良い。
お嬢さんが婿取りならイルはここから通勤して空き時間に妹達を気にかけてこの家に頼んで何か交換条件を出して実家に給与を入れると良い。
妹達の心配がなくなったらとか稼ぐようになったらお金を入れるとか。
茶道なら地道に稽古を続けていればいつか家業も背負えるしイルは既に少しだけ茶道の知識がある。
(ずっと思っていた通りイルさんとお嬢さんは縁がありそう。イルさんと別れの予感ってこれ?)
貧乏暮らしが嫌ならお嬢さんはイルを信じて待っていれば良い。結納して妹達が大きくなってイルも出世してから祝言。
結納条件にその出世を入れたら良い。お嬢さんは十六才以下なのでたとえば五年後なら二十一才以下だからお嬢さんにはまだまだ他に縁談があるから待てる。
つまり一回くらい二人は大手を振ってお出掛け可能。
(イルさんはお嬢さんが好みだからかわゆいお嬢さんならきっと一度くらいお出掛けしたい。そこから親しくなる気がする)
お出掛けを重ねて恋人みたいに気持ちを積もらせたら結納話になる。イルが茶道を習うのと出世を条件にするれば良い。
茶道の手習は週一、二回でも年月を重ねたらかなり違うから地区兵官の仕事の邪魔にはなりにくい。二人の結納条件はとても敷居が低そう。
(恋人でもない私とはお別れ……。でも足……。治る? 治って欲しい。恋敵に取られるのは嫌だけどそれは別として治って欲しい)
父が玄関の鐘の音を鳴らすと使用人らしき年配女性が迎えてくれた。父は自分の身分証明書を見せて私の名前と学校を告げて兄に用があると告げた。
それから街中でお嬢さんを見かけて心配で来たという話もした。
私をお嬢さんの友人と思ったようでお嬢さんのお兄さんを連れてきてくれた。それで改めて父が挨拶をして私の事も紹介。
「自分に話と聞きました。上がって下さい。その上でサリアに会うか、会えるか聞きます」
お嬢さんの名前はサリア。少なめの光苔の灯りの下でも分かるくらい彼の顔は蒼白だ。
「私は彼女の友人ではないです。一方的に知っているだけです。今日街中で見かけて人に会おうとして無理だったのを見ました。それで姉と後をつけてこの家を知りました」
「えっ? あの。その話を聞かせて下さい! いや、教えようと思って来てくださったのですね。中へどうぞ」
「いえ。こちらへお願いしたいです」
父と共に彼とイルと姉のところへ移動。地面に道具袋を置いて竹刀袋だけを担いでいるイルは姉と反対側にしゃがんでポチを撫でていた。二人とも私に気がついて立ち上がった。
「彼はサリアさんが会おうとした方です。父の知人です。サリアさんの様子がかなりおかしかったので事情を話したら来てくれました」
「こんばんは。話しかけようとしてくれたのに気がつかなかったそうで、かなり泣かれていたとか歩けなくなるという会話を聞いたと言うので何か事情があるのかと思ってうかがいました」
「さ、探そうと、探そうと思っていました! ありがとうございます! わざわざ来てくださるなんてありがとうございます! 聞いて、聞いてきます! あまり良くなさそうで……」
涙声を出すとサリアの兄は慌てた様子で家へ戻っていった。
「あまり良くなさそう……。メルさんの勘が当たりって事です。歩いていたのにかなり歩けなくなってあまり良くない……。えー……。そんな病気は知りません」
「なんだか胸騒ぎがすると思っただけですが必死に走ってイルさんに頼んで良かったです。あっ、ネビーさんでした」
「ほら、やっぱり呼び慣れるとそうなります。俺は現在練習中。残り時間が少なくても沢山呼んでおこう的な。あはは」
屈託無く笑った後にネビーは寂しげな目をした。口元は微笑んでいる。それでしばらく私達は全員無言。サリアの兄が戻ってくるまで待った。
「お待たせしました。すみません」
「いえ。謝らないで下さい。俺は自分が来たくて来ました」
「そのようにありがとうございます。あの、こちらを。こちらを読んで欲しいです。妹に尋ねる前に頼まれて、心当たりのある場所があるからそこに渡して欲しいと頼まれました。こうして直接渡せて良かったです」
手紙を待つサリアの兄の手は震えている。ネビーはそっとその手紙を受け取った。私の位置からでも宛名が見える。
(桜の君へ……。桜の君)
桜がひらひら舞う中、私はイルと出会った。花びらが光った気がした覚えがある。彼女も春にイルを発見。私はそれを見ていた。
「返事は要らないと。お願いします。何が書いてあるか知りませんが返事を下さい。出来れば早く。早いと数日で亡くなります。今日病気が分かったのにあっという間疑惑です」
「えっ? 数日? 数日⁈ 今日病気が分かったのに数日ですか⁈」
「長ければもう少し。良くなって悪くなって悪化するそうなので。でも急にかなりで……。いきなりで……お願いします。昨日まで元気だったんです。返事は必ず欲しいです。今日は寝るようなので……」
泣き出して頭を下げようとしたサリアの兄の肩を掴むとネビーは彼の体を起こさせた。
「必ず持ってきます」
「優しい人はきっと人が亡くなるのは悲しむから言うなと言われました。かなり強く言われました。亡くなるとか死に際と絶対に言うなと。でもやはり会いたいと言うかもしれないから……。すみません……」
サリアはネビーに会う気がないのか。サリアの兄はネビーに縋りついた。
「いつも楽しそうな笑顔が好きだったから悲しませたくないと。誰かを助けた後の笑顔も好きだったから。いつも見ていたから、笑っていて欲しいからやめてと……。でも気が変わって会いたいと言ったら会って欲しいです。お願いします……」
土下座しそうな勢いのサリアの兄の腕をネビーは掴んで支えて立たせた。
「あの俺……。今日会わない方がええのか会う方がええのか分かりません。どうしたら喜ぶとかありますか? 俺のために言わないでって……」
「俺にも分かりません。顔つきが変になっているから、うんと綺麗にした姿しか見られたくないから会いたくないとも言いました。だからお見舞いも返事も要らないと。でも一言返事を下さい。きっと欲しいです」
「すみません。灯りを下さい。先に読みます。本当はお見舞いが欲しいとか、少し何かあるかもしれません」
「持ってきます! いや、家の中……。いや俺よりも両親が泣き崩れていて……。持ってきます!」
暗いけど辛うじて桜の君へ、という文字は読める。ネビーはその文字を指でそっと撫でた。
「メルさん」
「はい」
「俺が彼女を助けたのっていつで俺は何をしました? 知っているんですよね」
彼は私を見ないで手紙を見つめ続けている。
「私と同じ春です。サリアさんが転びかけてイルさんは帯を持って助けました。彼女がお礼を告げたらイルさんは笑顔で去りました」
「帯……。記憶にないな。メルさんは良く覚えていますね。あと、まあ、イルさんでええです。かなり慣れましたし」
「あっ、またつい」
「まさかこんな出会い方をするとは思いませんでした。桜の君……。春に会ったからですよね……」
少ししてサリアの兄が戻ってきた。まずは一人で読んで、教えても良さそうな内容だったら中身を知りたいとサリアの兄はそう告げた。
サリアの兄が顔を背けて灯りを掲げて、その灯りでイルはサリアからの手紙を読み始めた。私と父と姉は遠巻きでそれを眺めている。
私達は帰る方が良いのか、居た方が良いのか私には分からない。父も姉も何も言い出さない。
「あの、見舞いはしません。乙女心は大切です。何も書いてないので先程教えられた通りにします。彼女の気が変わったら会います。もう一回読み返してから返事を書きたいので今日は持って帰ります」
ネビーはしかめっ面。とても丁寧な動きで手紙を懐にしまった。
それから彼はもしも会いたいと気持ちが変わった時の連絡先はここ、と教えてどこにいるのはいつという時間帯まで説明した。
「分かりました。すみません。会ったこともないのに夜分にわざわざ来てくださった上にこのように」
「いえ。来て良かったです。必ず返事を持って来ます。人伝で俺に伝言をして来ないなと思っても俺は必ず返事を持って来ます。必ず」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
サリアの兄が家に帰るとネビーは私達に会釈をして父に「頼みがあります」と告げた。
「大変申し訳ありませんが道具袋と竹刀袋を預かって下さい」
「どうしたんですか?」
「桜を、桜を探しに行きます! 変な時期に咲く花があるから桜もどこかにあると思うので! 探しに行かないと! お願いします!」
桜の君だから桜?
来た道を走り出したイルはみるみる見えなくなった。
「お父さん、私が持ちます」
父がイルの道具袋を持とうとしたけど姉が先に担いだ。
「いや、持てるから気にするな。桜の君だから桜か? こんな時期には桜は咲いていないだろうけど、手紙にもう一度桜が見たかったと書いてあったのか? 会いたいという話ではないなら一緒に見たかったでは無いだろうし」
「メルさん。竹刀袋を持って下さい。私が大きい方を持ちます」
「どうしたニライ。ずっと様子がおかしいから気になっていた。まぁ、メルくらいの娘さんが急変なんて俺も肝が冷えて胸が痛い」
「石化病だそうです。お父さんと同じ! 聞こえたんです! 今日発覚したのに、よろよろでも目の前を歩いていたのに、家に着いたらもう歩けなくて……」
私の足はカタカタと震え始めた。
「余命は分からないって、年寄りではない中途半端な年齢だと様々だから余命不明ということは彼女みたいな事もあるという事です!」
それで姉の様子がおかしかったのか。私は思わず父の手を掴んで握りしめた。
(終わりだ。私達は譲り合えない。教えてはいけない。イルさんにお父さんの事は教えてはいけない……)
帰宅中、気がついたら私は父にしがみついていた。姉も同じくかなり父に寄り添い。
翌日、ネビーは我が家に道具袋と竹刀袋を取りに来なかった。
それで気になって私は月曜日は学校を休んだ。日曜に家族とかなり話し合って足りないと思ったのもある。
昼過ぎにネビーは我が家を来訪。呼ばれたのは父だけど私も玄関へ出た。
彼は汗だくで土曜日と同じ着物姿だった。
「すみません。荷物はまだそのままでお願いします。無くて。桜が無くて。デカイ山と思ってコダ山まで行ってみたけどなくて、バカだから遅くなったけどよく考えたら賢い人に聞けば良かったと思って、知りませんか? 師匠も先輩達も知らなくて!」
彼はあれからずっと桜を探していたの?
コダ山って南西農村区にあるあの高い山?
「君はあれからずっと探していたのか」
「早いと数日って間に合うか分からないけどどうしてもと思って。何か知りませんか?」
「もうすぐ秋なのに桜なんて……。秋に桜。秋桜です。本物の桜は知りませんけど代わりになりませんか?」
父の発言に言われてみたらそうだと思った。夏が終わって秋になったばかりだけどコスモスはもう咲いている。
「えっ? コスモス? アジサイみたいな事ですか⁈ 秋の桜でコスモスって!」
「紫陽花? えっ?」
「そうです。イルさん。秋の桜と書いてコスモスと読みます」
「あーっ! コスモスならコダ山の手前に物凄く咲いてました! それに同じ桃色です! 失礼します!」
えっ。そこまで行くの⁈
コスモスなら探せば近くにもありそうだけど。「あの」と手を伸ばしかけた時にネビーは我が家の玄関を飛び出して行った。
「今からコダ山の方まで行くのか……。あの手紙はどんな手紙だったんだ? いや桜の君だからか? メル……」
「はい」
「出掛けようか」
「はい」
私は両親と共にネビーの通う剣術道場へ出掛けた。




