運命の歯車
放課後、門の脇に姉とポチが迎えに来た。今の私はイルと会うのは禁止されている。
都合をつけて彼と話し合いをしてお互いの要求が合わなければ終わりだと父に言われた。
両親が形だけでもイルと話し合いをしてくれると言ってくれるとは思わなかったし、親に話した事を自分の口で伝えたいだろうと姉が私にコッソリ肩入れしてくれるとも思わなかった。
私にはイルと話し合いが終わるまで下校後に一人で外出禁止令が出ている。
その私に姉は「下校時間に迎えに行くからそのまま彼と会いましょう」と言ってくれた。
いきなりだと怪しまれるので女学校が半日しかない土曜日に決行。
姉が塞ぎ込んでいる私と気晴らしをする。そう言って下校時間に合わせて私を迎えにきてそのまま時間を潰してヤイラ小神社へ行く前のイルを捕まえる作戦である。
迎えに来てくれた姉に教わったけど、父は今日イルに手紙を出した。今日の午前中に父が遣いを出して佃煮屋へ預けたそうだ。
イルが親にではなくて師匠に話すか悩んでいる話をしたので父はその師匠宛の手紙も書いただろうとは姉の推測。私もそう思う。
イルの素性は彼に迷惑をかけないという約束をして両親に教えた。手紙は渡さない。
証拠も目撃者もいないのに彼に難癖をつけるなら私の発言が必要だ。絶対にイルの味方をする。なにせ何もされていない。
父はイルに手紙を出すまで母と話し合っただろうし彼関係の調査も少ししただろう。
ただしっかり調べようにも彼の本名が不明なので調べられるのは彼の父親の勤め先や剣術道場についてだけだ。
六番地は広いのでそこを見つけられるかも不明だけど。
そんな話をしながら姉と並んで歩いて彼が必ず通る道にある茶屋の外椅子へ腰掛けた。
食欲はないけど腹が減っては戦は出来ないから食べなさいと姉はあんみつを二つ注文。
下校前にケイ達と食べる昼食は無理矢理口に突っ込んでなんとかお腹に押し流した。
食べたくても食べられない人が居ることを噂や文学ではなくて身近な人から学んだから食欲がなくても食事を残したくない。食事量は減らしてもらってある。
「単に貧乏な方なら良かったのに厳しいですね。学費全額免除なんて余程です。進路を変えるなんて煌護省が許さないのでは?」
「えっ。その考えは無かったです」
兵官と火消しを管理するのは煌護省。だから学費支援にはきっと煌護省が関係している。
そのことは知識から推測可能だけど役所が進路変更の許可をしないなんて発想はなかった。
「奉公人のアシュさんの息子さん。かなり賢くて学費免除で高等校へ行けって。かなり強迫的らしいです。この国はそういう国です。国に得があるなら個人や家なんて吹き飛ばすし逆なら得や富か手に入ります」
「知りませんでした。視野の狭い子どもです。いえ、学校で似たような事を学んでいるのに……。そんなに脅迫的になるのですね」
「迷うって事は彼も自分の事なのに分かっていないのでは? それか彼が悩む進路変更は許される範囲ってことです」
「イルさんは進路変更をしてはいけません。させられません」
「毎晩コソコソお父さんとお母さんの話を盗み聞きしています。頭を抱えていました。メルさんの気持ちは水ものなので別として、シエルさんとイルさんの価値の方です」
今日私達がしていることもだけど、盗み聞きってさすが姉。私もそのくらいすれば良かった。
私は当事者なのに蚊帳の外に置かないで欲しい。お前は子どもで考えが浅はかだからとか今回で信用がないとか毎日両親と喧嘩中。
「えっ。水もの……。どこの家の娘も折り合いをつけてそれなりにもがいて我慢して、持っている幸せを見つめて生きていますものね」
「娘も息子もです。なのでとりあえずメルさんの感情は無視。ド貧乏大家族の平家の長男。まぁここまでだと門前払いです」
「その通りです」
「ただ彼は学費全額免除で将来有望そうです。金を貸すとまで言われるとは余程です。かなり期待されています」
「私はその期待を彼に踏みにじらせたくないです」
それから、と私はイルの親への気持ちを伝えた。一応我が家の旦那でもいつかそうなると言われた話をする。
「それがなぜいつかそうなる、なのか私には良く分かりません」
「応援されて励んで学費支援までされて学校に通っている実績は努力家の裏付けです。そこらの方が励みます、と重みが違います」
「ええ。話を聞く限り彼はかなりの努力家ですよね」
「その下地を作ったのはご両親です。実績があるからこそ許されて一奉公人から旦那へ成り上がりを為したら彼はご両親の素晴らしさを証明出来ます」
「ああ。その通りです」
「彼は稼げてそれを為せたら仕事にはこだわりがないみたいです。お金の問題と妹さん達が大きくなるまでの時間。多分彼が譲れないのはこれです」
これは両親にも話したしその場にいた姉にも話したけどもう一度説明した。
「元服祝いに着物と下駄を大旦那さんが奉公人の息子に贈るって、彼の父親はかなり信頼されているとかお店に必要な方なのでは?」
「イルさんはお父上の事を稼ぐ甲斐性はないけど真面目が取り柄と言っていました」
「人に教えるとかまとめるのが上手いのかもしれません。父親がお店に必要とされているなら彼には大店関係者がそこそこついてくるって事です」
私はこういう考察を全然していなかった。怪しまれないように日用品店ひくらしや大旦那について調べられなさそうだから調査を放棄してイルから入手した情報から推測もしていなかった。これでは大黒柱への道は遠過ぎる。
「簡易見合い程度の話に師匠が首を突っ込んでくれそうということは彼は手習先でも大事にされているということです」
「それは私もそう思います。番隊長さん達と師匠さんが話して職業訓練時間を決めたり密そうです」
「そうなるとそこは単なる手習先ではないです。彼が素性を明かしてくれたのはそういう意味もあったのでは?」
「私は隠れないととか今だけとか話したら諦めるとか、シエルさんとの縁が切れろとそんな事で頭がいっぱいでした。怪しまれないで調査が出来ないと投げ出して……」
「私も同じことをしそうです。今はお父さん達の話を聞いてそうなのかって思った事を話しているだけです。つまり拗れる前なら彼をダエワ家の保険に出来たってことです。一回は確実に会えたかと」
これも姉の推測ではなくて両親がそう話していたのだろう。
つまり私は思慮の浅さや自己保身に諦めなどでイルとの縁を遠ざけてしまったって事になる。
「昨夜はここら辺までで盗み聞きがバレて追い払われました」
「私は私のせいでこんな事にしてしまったという事です」
「お父さん達もです。メルさんの態度や様子の変化を思い込みで確認せず。これは私もです」
ほらほら、終わった事は反省して次に生かすしかない、食べなさいと姉に促された。
「五年十年で彼の評価はガラリと変わるかもしれません。今のうちから彼に恩を与えたら返してくれるのでは? 特にメルさんに」
「なのに私は分からなくて我が家とダエワ家が業務提携を強化したのも知らず……。ここに目を光らせておかないといけなかったのにシエルさんに会いたくないとかそんな小手先の事ばかり」
「その通り。メルさんは悪いけど悪くないです。私も似たような事をして何も気がつかなそうです。むしろ良くそんなに会っていましたね。衝撃です。つまりどちらを切るのが長い目で見て得なのか不明って事」
「長い目で見て……」
「なのにこの状況だと彼側も我が家のメルさんで首を縦に振らない気がします。非常識行為で騙して拐かして家を背負ってくれーなんて。彼を堂々と招かなかったくせに。そう言われます」
「その通りです。私は彼に頼みません」
「メルさんが頼んでなくても彼は悩みまくりってことは同じです」
「相手からしたら印象最悪です。言いません。彼には譲らせません。背負うのは私です」
「そうなると彼のお金問題や妹さん達のことは解決です。地区兵官として励んで下さい。そうなります。邪魔なのはダエワ家です。この二人を両天秤にして両者から得を引き出してより得な方を釣り上げるのが商売人です」
ほら、食べないと力が出ないと言われて私はあんみつを口に運んだ。
「シエルさんとイルさんを両天秤にしたらイルさんの噂がある程度広がります。そうなると彼は我が家以外の似たような家からもお申し込みされます」
「ああっ。その考えはなかったです」
「初めて知り合ったお嬢さんに少し気がある。そこに他も来たら比べますよね? なにせ彼はお金や家のことがあるからゆっくり伴侶を探したい人かと」
「そうです。恋仲ではないからそうなってしまいます」
「ダエワ家の印象を悪くした挙句にイルさんも失ったら我が家は大損です」
こういう意味でも私がイルに恋慕われていないのは悪影響ってこと。
「私とハンさんで三本柱。女学校に私も行っておけば良かったです。作るのに魅せられたなんて言わずにメルさんの重荷とか。両親と大喧嘩したけど喧嘩が足りなかった。ごめんなさい」
「学費を浮かせて私に区立女学校ではなくて国立女学校と言ってくれたのは知っています」
姉はズルいだけではないのを私は知っている。誰かを想ってうんと悩んで出した結果が別の結果、それも悪く見える方に現れるなんて世界は残酷だ。
「でも予定通りメルさんから学べるから時間があれば私とメルさんはお互いに学んだ事を共有出来ます。私達はわりと仲良しだからそういう教育方針でした」
「はい。卒業したらお姉さんに講義をしたり手習を交代で私は自主稽古に切り替えです」
「つまりそんなに裕福ではないんですよね、我が家は。奉公人達に結構還元しているし工夫して貯金に回したり。備えあれば憂いなしです」
イルのお金はあればある程良いという言葉が蘇る。
「その貯金を使ってイルさんを捕まえるにも逃げられる可能性があると投資出来ません。他の事に使いたいし没落しない為の貯金です」
「そう。そういう事になります。私達がこうして思いつくことくらいはお父さん達ならすぐ分かります」
「そこに煌護省が許さないかもとか、イルさん側は私みたいなお嬢さんは嫌だとか……。ないです。道が見当たらないです」
「ダエワ家の奥さんが勝ち気でうるさいのがまた。格下相手に譲って業務提携までして両天秤は慎重にしないとあの母親が恐ろしそう。何をされるかな。それも問題」
「えっ。そうなのですか?」
「御隠居さんや旦那さんだけならシエルさんとはガッツリお出掛け、良縁も紹介する、イルさんとは見張り付きで小一時間犬の散歩のみ。それくらいの差をつけて両天秤なら上手くやれば怒らなそうだけどあの母親は怖いです」
それは私の下調べが足りなかった。
「私はその女性が姑になるのが怖いです」
「ええ。なので我が家はメルさんの嫁入りは拒否です。あれこれ理由をつけて逃げました。婿が欲しいのはわりと当たり前なのでそれは逃げられました。メルさんはシエルさんに結構惚れられているみたいです」
「なぜですか⁈」
「さあ。一目惚れからの理想化? 登下校もたまに見ているそうですし琴の発表会にも来たり。恥ずかしいのとお母上が軟化するまで遠巻きだったそうです」
「一目惚れからの理想化は今の私には少し分かります……」
「両親というか父はその辺りも含めてもっとメルさんと話し合ったり慎重にいくべきでした。目先の利益と願望で得に食いついたつもりがメルさんはこんなだしイルさん以外にも良い相手がいるかもしれない。商売に焦りは禁物。でも決断が遅くても損をします」
私は決断する時期を見誤って大損状態だ。でも私だけの言動で焦ってイルの話を両親にしても一蹴されていたかもしれない。
「お姉さんが私の立場ならどうしますか?」
「サッパリ。孕んだとかではないし両天秤手前には出来た訳だから尻拭いは家族皆でするから好きに大決断してみたらどうですか? 私の我儘だといい加減にしなさいだけどメルさんは逆。相手がまた悪い男ではないから」
「は、はら、孕んだなんて単語をこのような場で……」
「ねぇ、キスくらいしたの? 本当に恋仲ではないの? これはかなり大事です」
「して、していません! 近くで花火をするのにポチが邪魔だから縛って欲しいけど見張りを縛るから唐辛子入れを持てと言う方です!」
「へぇ、面白い人。メルさんはかわゆいのにされないんだ。花火をしたのね」
私は姉に思い出を語った。あの牡丹花火と花咲花火が十五年間で最も美しいものだったという話もする。そこから他の事もあれこれ話し続けた。
「嘘……。そんな……」
「私は話すべきだと思うので教えました。メルさんは嘘でこうなった訳ですから」
「あっ、イルさん」
今日は土曜日で半日授業だった私と違ってイルは夕方まで授業だ。涙が溢れそうになる。
あんみつは全然食べていないけど会計済なので私は立ち上がって彼の後を追うことにした。
食べ物を残さない! と思って慌ててかき込んで咳き込む。それで姉とポチと急いでイルを追いかけた。
「どの方?」
「藍色の着物——……」
イルを良く見ている同じ女学校らしきお嬢さんが彼の後ろにいる。私達は彼女の後ろだ。
(話しかけるの?)
それは嫌。彼女は大手を振ってイルを迎えられる女性かもしれない。私はとことんイルと縁がないのだろう。
私は少し迂回してイルと彼女の間辺りを歩いた。ここでイルに話しかけたら彼女は気後れして引くだろう。しかし彼女の表情があまりにも必死というか苦しそうだったので邪魔をやめた。
「メルさん。佃煮屋さんってあそこ?」
「お姉さん、静かに」
「えっ? 会いたくないのですか?」
「心の準備中です」
イルは笑顔で佃煮屋の男性従業員に話しかけて手紙を受け取った。あれはきっと父から彼宛の手紙だ。
それから彼はお店の奥へ入って少しして竹刀袋と剣術道具鞄らしき物を持って出てきた。
恋敵のかわゆいお嬢さんがイルの方へ少し近寄る。
(あのお嬢さんはイルさんに用がある。実は二股? それなら諦めがつくな。誠実なところが好きだったから幻滅する。でも違う。イルさんはそんな人ではない。かわゆいお嬢さんはついに勇気を出したってことだ)
これまではイルに話しかける勇気や時間がなかったけど縁談が来て慌てたとか?
「いつもありがとうございます。本当、あれこれ面倒。しょうもないです。実力で黙らせるならまだしも。手紙もありがとうございます」
荷物をここで預かってもらっていたのは学校で何かされるからって事。嫌な目の一つはこれだろう。
「君には助けられたから通学中はずっとでええからな。深く尋ねる気はないけど君はどうする気なんだ? 余計なお世話かもしれないけど心配で。どこの方か知らないけどどう見ても無理だろう君達は」
ドクン、ドクンと自分の心臓の音がかなり大きくなった。なにせイルの横顔は苦虫を噛み潰したような表情だ。とても辛そう。
「んー、まあ、ずっと待ってくれるなら。そもそも何もです。約束とか何も。お互い分かっていて少し一緒にいるだけなので。稽古があるんで失礼します」
そう告げると彼は従業員に会釈をして歩き出した。
(お互い分かっていて少し一緒にいるだけ……。違う事を言ったりしないかなって少し期待した私はバカ……)
お互い、だから私がイルを選ばないとも思われている。私は彼の為に何かを諦めるとか譲るなんて話をした事がないから当然だ。
「お互いそうは見えないけどな……。あの手紙の内容は大丈夫なのか?」
従業員は髪を軽く掻いて来店客に話しかけた。
イルの後ろをお嬢さんがついていく。彼女は意を決したというように両手で着物を握りしめて叫んだ。
「あ、あの! そちらの藍色の着物の方! すみません!」
小さな叫びに速足のイルは気がつかなかった。どんどん遠ざかっていく。
「待っ……」
お嬢さんは足がもつれてよろめいてしゃがんだ。しゃがんだというよりも崩れ落ちたみたいだった。
「待って……。お願い……」
あまりにも必死というか悲痛そうなので胸が痛いけどこんなの会わないで欲しい。優しいイルはきっと彼女に手を差し出す。
お嬢さんの目からほろり、ほろほろ、ほろりと涙が流れて落ち始めた。
(おかしい。こんなの変だ。嫉妬している場合じゃない。これはイルさんに言わないと。いや、彼女をヤイラ小神社に連れていけば良いんだ)
彼女に近寄って話しかけようとしたら男子学生らしき男性が彼女に話しかけた。
「す、すみません、すみませんお嬢さん。フューネ家のお嬢さんではないでしょうか。兄上の友人の妹さんだと思いまして。クレマ・ノドスと申します。た、立て、立てますか?」
クレマは手拭いを乗せた手を差し出した。直接は触れません、という意味だから身なり通り教養のある男性だ。
「帯……」
「えっ?」
「帯を持って助けていただきたいです……」
「は、はい! そうですね! 触れません!」
私は少しお嬢さんを見つめた。虚な目をしている。私の人生ではこのような表情を見たことがない。
(帯を持って……。イルさんとの思い出……)
「ありがとうございます」
「別人かもしれないと思ったのですが似ていらっしゃたので。お一人に見えますがこのような時間にどうされました?」
「……。いつ歩けなくなるか分からないので淡い恋心をほんのわずかでもお伝えしたくて……。無理でした」
「えっ? ええっ? あ、あの!」
お嬢さんの大きな瞳から涙が溢れて次々と落下していった。
(えっ……。いつ歩けなくなるか分からない?)
彼女はクレマが手拭いを両手で差し出したので両手で受け取って顔を埋めた。
「う、うえええええん……」
私はお嬢さんのあまりの泣きように途方に暮れた。
(歩けなくなるって何? 大通りでこんな大泣きなんて……)
これは嫉妬なんて言っている場合ではない。彼女は私の仲間だ。私が浮かれたり幸せだった期間、彼女はひたすらイルを見つめていた。
縁がない相手だと思って諦めていたならずっと苦しかったはずだ。それは今の私と同じ気持ち。
(歩けなくなったら二度と会えないから話しかけようとしたんだ。行かないと。イルさんに教えないと。月曜の朝に教えるから彼女に話しかけてって)
いや、歩けなくなるなんてお嬢さんは教えたくないかもしれない。私は少し彼女から離れた。
向こうも私を知っている可能性もある。恋敵だと嫌がるかもしれない。
「お姉さん。お姉さんならどうするか教えて欲しいです」
「二股疑惑かと思ったら違う雰囲気でしたね。あのお嬢さんは大丈夫でしょうか。歩けなくなるって何かしら」
「転びかけたあのお嬢さんをイルさんは帯を持って助けてサラッと去りました。春のことです。お嬢さんがお礼を言ったら優しい満面の笑顔で振り返って羨ましかったです」
「知っている女性だったのですか」
「登校時間が被る時があって見ていました。いつもイルさんを見ていて少しして顔を背けて……。誰にどう教えるのが優しさですか? あれは只事ではないです。お嬢さんはイルさんに足が悪くなるなんて知られたくないかもしれません」
「うーん。彼女は帰るようですからこのまま後をつけて家を確認して彼の事を教えるのはどうですか?」
「そうします!」
私と姉はポチを連れてフューネ家のお嬢さんとクレマの後をつけた。つかず離れず気がつかれないように。全然気にされていない。
何を話しているのか分からない距離だけど二人の姿は見える。お嬢さんはクレマの腕にしがみついてよろよろ歩いている。
蝉爆弾に驚いて止まったりもしたけどゆっくりゆっくり歩き続けている。どう見ても支えがないと辛そう。
「歩けなくなるって既にかなり辛そうです。見かけた時は駆け足だったのに」
「はい。病気なのでしょうか。こんなに急にってそんな病を知りません。いえ、病気についての知識は乏しいです」
「私もそうです」
蝉の声がうるさ過ぎる。あまりにもうるさい。とても不快なので今の私の行動が間違いだと告げられているような気分になる。
あちらです、みたいにお嬢さんが家を掌で示した。その手はかなり震えている。
「早く、イルさんに早く教えた方が良い気がします。お姉さんはお嬢さんを頼みます。行かないと。行かないといけない気がします。私の勘はわりと当たります。歩き慣れているし武器もあります」
「メルさん。家も分りましたしそんなに急がなくても大丈夫じゃない?」
「お姉さん。様子を見てお嬢さんには隠して家族と軽く話して下さい。行かないと! 今行かないといけない気がするんです!」
私はそろそろと姉から離れて背中を向けて走り出した。予感がするのは私の事もだ。私とイルはまもなくお別れ。道がないからもあれけど毎日ヒシヒシとそう感じる。
(私はこれ以上しょうもない人にはなりたくない)
間違えた道ばかり行くのでお嬢さんに余計なお世話で私はイルにもお嬢さんにも恨まれる何かが起こるかもしれない。
けれども行かないと、という衝動はまるで消えなかった。




