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お説教

 毎日のようにイルに会いに行って勉強の手伝いや私も勉強。これまで通りだけど前と違って私はシエルの事をイルに相談するようになった。

 初めに言い出したのはイルだ。男の気持ちは男の方がまだ分かると思います、と言われた。

 それでお出掛けの日の事を話したら嫉妬心と焦りを刺激した悪手と告げられてしまった。

 両家顔合わせの時はこれまでの流れだと拗ねた振りが無難。

 シエルと縁がなくなればそれはそれで良いし、縁があればシエルが私に誠実に接し続けようと思うかもしれないからと言われた。

 口説かれるだろうからそれには素直な反応をする。これも拗ねや多少の嫌悪で破談に出来る家や相手なら助かるし、親に注意されるなら諦めるしかないし、口説いてくるシエルに心が動くかもしれないと告げられた。

 イルにシエルと上手くいくかもしれないと言われると傷つくけどこの程度で心を移す想いなら一緒にはいられないという意味な気がするので文句は言っていない。文句を言う資格はない。

 嫉妬して燃え上がってくれないかな、という期待はしている。その気配はまるでない。


 結納時期を伸ばす案はこれ。家族との会話で初心(うぶ)だと発覚して結納するとわりと手を出されても良いという意味になるから、怖いし恥ずかし過ぎて無理なので結納まで心の準備が欲しいととにかく頼む。

 下準備として事前に母親に春画とは何かなど聞きまくった。

 結納だとほぼ手前まで触れ合うことは常識的なことだと友人に聞いたから知らないと怖いみたいに。

 そういう下準備をしてから、怖いし恥ずかしいと頼み込んだらどうだとイルに提案されたので両親にそういう話をした。

 変に知識が増えて動揺しているところに慣れない異性とビクビク会うよりも気楽に会いたい。

 交流が増えて気持ちが変化したらすぐに結納とか、思い出が出来た時に結納にするのは憧れる。

 結納はそうやってわりとすぐに出来る。私は両親にそういう話もした。

 急がないから春か来年の秋に結納にしよう。書面半結納でも婿候補として修行はあり、みたいに父はそう口にしてくれた。


 今日はイルにそれを報告。お礼に佃煮を買って持ってきて、今さらだけど稽古前ってお腹が減っている気がして味噌味の握り飯も持ってきた。

 いつものように見えない位置に座る前に渡したら嬉しそうに受け取ってくれて幸せ。

 それで渋々だけどこれは彼を守る大事な規則だと言い聞かせて定位置に移動して切れ目縁に腰掛けた。


「そこまで大きい家ではないと言うていましたし、嫌いな男に絶対嫁げ、みたいな両親じゃなさそうだから成功すると思ったらしましたね」

「イルさんは凄いです」

「駆け引きは苦手です。でも親子心というか兄心なら分かります。祝言を急いでいないなら結納もで両親や相手が欲しいのは前向きさとか約束だと思ったので」

「その通りです。お母さんもですがお姉さんがせっかく恋仲結婚みたいなのに何の思い出もなく結納なんてつまらないですよね、とか言ってくれました」

「交流してお互い気が合わなければ円満に破談もありそうです。なにせ相手の家は君の家が強く欲しいのではなくて相手が君がええ、だから。俺が結納したら嫌、の意味も分かったと思います」

「と、とん、とんでもないハレンチ行為がこの世界にはありました。春売りなんて、大金を稼げてもあんな事は出来ません!」

「かなり安い場合もありますし、金がないと悲惨なのでそれよりはとか、売られて逃げられないとか、ド貧乏から成り上がろうとか、女でも色好きだからとか色々ですよ。女が女、男が男を買ったりとか」


 それは衝撃的な話。淡々と告げられたのがまた衝撃だ。

 売られて逃げられないのは知っている。古典文学でちょこちょこある話。

 お金で体を撫でられたりキスとは次元が違う。物語が別物に見えると思った。私は世間知らず過ぎるということだ。これでは大黒柱は遠すぎる。

 夜の接客は夫婦か旦那が行く、という意味も頷ける。

 イルの声はとても静かだった。いつもと様子が異なる。


「イルさん?」

「路地が危ないとかはそういう事を無理矢理、暴力込みでされたりするから気をつけなさいという意味です。ポチポチ犬を忘れないようにしましょう」

「はい。唐辛子入れも持っています」


 前にイルに防犯と言われて帯の間に唐辛子入れを増やしてある。イルに片手でさっと蓋を開けて前にかける練習までさせられた。

 無防備なお嬢さんだから遊んでしまえ、と言う人はそんな事しないと思う。


「なので手紙に書いてあった抜け出すから花火大会に一緒に行きたい、は却下です。抜け出して会うまでに何かあったら困ります。迎えに来ました。送ります。付き添いもお願いします。そう言えないからダメです」


 この間川へ行った日よりも低い声。初めて聞く声色だ。怒っている気がする。怖い。


「あの、何か怒っていますか? 初めて少し怖いです」

「すみません。昨夜見回りをしていたら連続通り魔の被害者の発見者になってしまって。子どもを明るめの時間に拐って後からという疑惑で君や妹達や近所の子ども達を考えるとピリピリします」

「連続通り魔の話なんて知らないです。危ないです。学校で聞いて友人達やお姉さんや女性の奉公人に言います」

「瓦版が出てるって聞きましたけど回覧が遅いんですかね。両親に見回り兵官に言われたって言うて男も気をつけた方がええです。前々回の被害者は大人の男です」

「そうします。情報をありがとうございます」


 ケイ達にも唐辛子入れを持つように言おう。夕方に散歩している私に親切な見回り兵官が教えてくれたと言えば良い。

 散歩をやめろと言われたら昼間に誘拐されて後から疑惑のことや両親にポチの優秀さを再度確認してもらう。

 大人の男性も被害者にいるならシエルにも教えないと。


「ったく。あんな幼いのを痛ぶって弄って突っ込んで何が楽しいんだか。小刀で印までつけて誇示して五人目ですよ五人目。学生じゃなきゃ全力で見つけ出して捕まえるのに」


 突っ込んで、という言葉の時に咳が出た。それから幼い、という単語でゾッとする。


「幼かったんですか?」

「三番目と四番目の妹達くらいなんでわりと。半元服前後です。ダメだな俺は。イライラして何も頭に入りません」

「散歩、散歩に行きましょう! それで世間は怖い話を教えて欲しいです。世間知らずでは大黒柱にはなれません。子どもが生まれた時に守れません」

「散歩の気分にはなれません」


 散歩を拒否されてしまった。本当に低くて怖い声。知り合って半年も経過していないから知らない面ばかりで当然か。彼を沢山知っている気分になっていた。


「ああ。はい。あの、私は素直な良い子と言われているのにこの通りです。気をつけているつもりでも理解が乏しいから夜に抜け出したいなんて呑気でした。叱ってくれてありがとうございます」

「俺の親は貧乏暇なしでももう少しキツめに娘達に自衛の大切さを教えています。色話は深くしなくても。世間知らずで不安になったと親と話し合った方がええです」

「そうします」

「怪我をして覚えるみたいに怖い目に遭ったりこうして誰かに指摘されて学びますけど最初の怪我が死だと悲惨過ぎます。最終的に自分の身を守るのは自分です」


 やはり怖い声。優しくて私に少し気のあるイルなら家を少し抜け出した私と美しい花火を見たい、自分は鍛えているから大丈夫みたいに言ってくれると思っていた。

 そうやって忘れられない綺麗な景色を眺めて仲を深める。そうなったら素敵だと思ったけど本当に文学世界と現実は違う。

 今のイルの発言こそ優しさだ。紅葉草子の相手役の男性を前は熱烈で優しくて素敵と思っていたけど危険な事をしただけで相手を大事にしていないという感想に変化した。


「ポチポチ犬。お前は優秀だから信頼しているぞ。君の両親もこいつの有能さは知っていますよね?」


 優しい声に変化したので笑っているかなと覗き込んだら彼は笑顔だった。

 今日もポチはイルの近くに寝そべっていて今は撫でられている。本当に妬ましいズルい犬で羨ましい限りである。


「散歩を始める前に親や叔父と確認しました。通り魔の話をしてまた確認します。昼間に誘拐されるなら登下校にポチを連れて歩けないか聞きます。それか見張りを増やすとか」

「おお、それはええです。それは安心します。夕方だから手紙だけにしましょうと言おうか悩んだけど過保護ではずっと箱入り娘さんです。どんな人生でもそれでは生きづらいかと」

「私もそう思います。あと待ち合わせて来ないからまだ待とうとか、その方が私には危ないです。いつも同じ時間にここ。居なかったら帰るのが安心です」

「俺も間があいてたまたま嫌すぎることがあって誰にも相談出来なくて変な時間に家を出たとかそういう事の方が良くないと思います」

「いくつか経路を分けてこの辺り以外では挨拶をして顔を覚えて貰うようにしています。お店の宣伝をしていますが防犯にもなるかと思っています。誰かがこっそり私に近づこうとしても人に話しかけたら近寄りづらいです」

「ええです。そういう意識が大切です。お店の宣伝も兼ねてってそれはなんだか賢いですね」

「ズル賢いの方です」

「その作戦は上手いなって思う事とか俺が考えていない事を考えていたりするのに抜けまくりとか愉快ですね。あはは」


 声がさらに明るくなったから嬉しい。覗き込んでいたから優しい笑顔の彼と目が合って嬉しい。

 彼は少しだけ私を見てから筆記帳に視線を落とした。私も勉強だ勉強と彼を覗き込むのをやめた。


「そういう訳で花火大会は家族で行くとええです」

「イルさんも家族と行きますか? 私が行きたかったのは六番地で唯一の例の花火大会です。他は遠いです」

「その日はそもそも臨時半見習いです。人手の追加。代わりに平日一日半見習いなしです。それを地元の夏星祭の日にして幼馴染とかとダラけつつ酒かなぁ。それか妹達と遊んでもええし」

「人手ということは花火は見られるのですね」

「いつも長屋の屋根の上から少し見えます。花火を半分以上無視して飲んで騒いで歌って踊ってわちゃわちゃしていますけど」


 踊るんだ。ド貧乏でもお酒は飲むんだな。そのくらいの息抜きはするか。かなり安いお酒もあるし。


「別々の場所でも同じものを見られるから後で感想を言えますね。私は毎年花火大会を楽しみにしています。奉公人達が出店を出します。家族はちゃっかり休み。それだとズルいので毎年交代で今年は家族と奉公人達の半分が休みです」

「紫陽花の時にしなかった事ですね。出店では何を出すんですか?」

「味噌田楽です」

「おお。このたまに作ってきてくれる味噌の握り飯も美味いです。おまけに海苔つきだし。味噌の値段を教えて下さい。予算内なら母ちゃんが買うと言うかもしれません」


 手元にある筆記帳の最初の方にお店の商品について色々書いてあるのでその(ページ)を開いて「これです」と彼の方へ差し出した。我が家で一番売れる自慢の味噌だ。

 

「ちなみにこれって握ったのは君ですか?」

「残念ながらお嬢さん特製の握り飯ではありませーん」

「お嬢さんだから誰でもええはないけど……いやわりとあるな。どちらにしても残念です」

「嘘です。私が作りました。元気いっぱい稽古を出来ますようにって」

「おお。それは朗報です」

「嘘です。張り切って作ると怪しまれるから散歩中のおやつにお願いと使用人に頼んでいます。長く勤めているご年配の方です」

「うわっ。嘘つきお嬢さんは相変わらず嘘つきです」

「それで男性です」

「あはは。まじか。悲報だ。そこはせめて年配女性に頼んで欲しかったです。ジジイ握り飯かよ」

「掌くるくるでしょうもない方ですね。それも嘘でシエルさんとお出掛けの時にお弁当やお握りを作る練習と言いました」

「それは良さげな嘘。駆け引き上手になりましたね。掌くるくるでしょうもないってその通り。あはは」


 少しして筆記帳が返ってきた。そこに花火の絵が落書きがしてあって嬉しい。


「そうでした。散歩が嫌なら素振りを見てみたいです。少しだけ。以前から見てみたかったです。それは気晴らしになりますか?」

「雑談で気晴らしになったけど素振りは更にええ気がします。よし、見せます」


 しばらくして竹刀を持ったイルが私の前に立った。真剣な眼差しで一礼をされたので思わず小さく拍手。彼は体の向きを変えて竹刀を構えた。

 凛々しい横顔もスッと伸びている背も竹刀を持っている姿も何もかもが格好良い!


「散歩を断ったのは人目について強制終了が嫌なのもあります。ここには全然人が来ません。街中を堂々と出掛けたいけどまだ無理ですね」

「歩けます。散歩は咎められません。助けられて送ってくれましたとか言いようがあります」

「助けられた、だと心配されるので迷子かな。半見習いの身分証明書があるから一度はその手が使え……おい、邪魔だポチポチ犬。格好つけるから見学していなさい」


 格好つけるんだ。そうなんだ。イルはこのようにいつも素直。つい笑ってしまった。

 私は切れ目縁から降りてイルの周りをぐるぐる回るポチを抱き上げてまた切れ目縁に腰掛けた。

 ポチは最初は少し嫌そうだったけど撫でたら嬉しそうに私の膝の上にだらんと乗って落ち着いた。

 なぜ横に寄り添うではなくて膝掛けみたいになる。ポチの毛は短いけど夏だから暑苦しい。

 

「まずは普通の素振りの簡略化。格好つけで次々型を変えます。暑くなりそうだから脱ぎたいけど初心(うぶ)なお嬢さんには刺激的だろうから悲鳴で捕まりそうなので我慢します。あはは」


 軽口を叩いて笑った後にイルはまた真剣な眼差しで凛々となって素振りを始めた。美しい動きで目が離せない。


(格好つけってこれは格好良い……)

 

 剣術大会に見学に行くと選手に一目惚れして熱を上げて破天荒になったりするから理性が形成されるまでは行かないようにってこういう事かもしれない。

 色男ではないイルが五割増の色男に見える。普通の人なら二割増しくらいかな。

 惚れている私からすると胸がキュンキュンしてかなり苦しい。


「俺が得意なのは突きと抜刀術です。磨けと言われていつもけちょんけちょんに言われています」


 帯刀のように腰に竹刀を移動させた後にイルは抜刀の所作をした。速くてかなり驚き。それでそこから続けた突きと薙ぎ払いも素早い。見惚れるってこういうこと。


「軽くでしたけどどうでした? あっ。どうも。その顔は格好ええって意味です。老若男女問わずちょこちょこ見かけます」

「は、はい! 剣術大会でですか?」

「ええ主に。俺はまだまだ弱過ぎて負けるんですけどね。勝ったことがないです」


 そうなんだ。こんなに凄かったのに彼は強くない世界なんだ。


「剣術大会の応援に行きたいです。もともと観たくて友人達もきっと観たいです。一目惚れからの破天荒にならないように女学生は見学禁止だけどこっそり行く学生もいます」

「負けて格好悪いから嫌です。来ないで下さい。教えません。惚れるの逆になります。今のできゃあきゃあしておいて下さい。ああっ!」


 イルは突然大声を出した。


「どうしました?」

「今後が明るくなってから口説くとか格好つけるならともかく今ではなかったです! これではイジメになります! 気をつけているのにしまった」

「えっ」

「負けた情けない姿に幻滅の方がええから来てもらおうかな。いや俺はかわゆい女学生さん達にそんなの見られたくないです」


 ヤベえと項垂れて首の後ろに手を当てて駆け足で私の前から自分の領域に戻ったイルを見て私は吹き出してしまった。


「あはは。イジメて下さい。このくらいではうっかりしません」


 既にうっかりしているからトキメキは増すけど悪影響にはならない。多分辛さが増すのは彼から気持ちを返された後に別れが来た時だ。


「俺は格好つけと思ったけどそうでもないってことですか。今後口説きに使えませんね」

「いえ。使えます。色男さんに見えました」

「色男さんに……あはは。普段は見えていないってことです。俺は平々凡々地味顔ですからね。言われます。お前は常に竹刀を握って真剣な顔で無言ならまだマシなのに喋ると台無しって」

「喋ると台無しはたまにというか、口滑りは直した方が良いです。お嬢さんなら誰でも良いみたいな発言ですとか」

「いやだってキチッとしていてかわゆいです。登校中の女学生さん達に毎日見てくるあの男は気持ち悪いと噂されたくないから見ないようにしています」

「私の友人は美人揃いだと思いませんか?」

「腐り目って言われるんですけど俺の目だと美人ではない女性の方が少ないです。つまり目の保養が沢山なので得な人生ってこと」


 イルは前よりも軽口が増えた。私はそれがとても嬉しい。私の嘘が減ったからだと思う。

 楽しい時間の終わりを告げる鐘の音が響いて私達は挨拶をして解散した。

 ポチを前みたいに吠えさせてみて欲しいと頼まれたので少しだけ吠えさせて終了。

 その後は前に教えた唐辛子攻撃は出来ますか? と言われたのでそれもした。


「よし。まだわりと明るいですけど気をつけて帰って下さい」

「ありがとうございます」

「ごちそうさまでした。金はないのでお礼は物以外で考えておいて下さい。一緒に花火大会は却下です。夜の散歩も絶対になし。俺との事でなくても夜に勝手に家を抜け出すのは禁止。理由は言いました」

「はい。見回りしつつ少し花火を見てください。感想を言い合って一緒に見た気分になりたいです」

「分かりました! それじゃあ! また明日か近いうち!」


 手を振られて手を振りかえして走り去る彼が見えなくなるまで眺め続ける。

 間も無く八月。結納が来年の秋になってイルと二回目の夏を迎えられますように。

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