告白3
鐘の音が別れのお知らせなのは毎回だけど今日こそ鳴らないで欲しいと強く願う日はない。
「色々ありがとうございます。知らない事も知れて良かったです。我が家はそこまで大きくない醤油と味噌を売る商家です」
「おお。醤油と味噌なら力仕事もあるから一から奉公人はいけそうだけど説明した通り金が問題です。金と時間」
「はい。イルさんの両親への気持ちのこともあります」
「そこは別に商家の旦那でもええことです。何年かかってもええことなので。でも婿入りは金問題的に無理だから却下です。この時点でお出掛けすら拒否されるでしょう。他の縁談があろうがなかろうが」
「はい。そうです」
「でも君は自分が大黒柱になるって言いました。つまり俺は地区兵官でええです。他に縁談がなければどうですか? 保険として確保くらいしておこう。君の親は俺にそういう評価をつけますか?。ああ、その前に」
話し合いってこんなにしっかり向き合ってくれるんだ。
「どんどん脱落していくものだけど俺は一応番隊長候補らしいので走り続けて成せたら見栄えがええし浮絵になって大宣伝とかあります。どうですか?」
「私もそう考えました。明るくて気さくな方でそれなりに出世するなら宣伝や営業担当としてとても良いです。今の縁談がなければ門前払いはしないと思います」
「保険のうちに頼まなかったのは俺についての情報不足で門前払いされると思ったからですか?」
「手紙の返事をもらう前の日に保険ではなくなりました。父にそう言われました」
「おー。そんな前」
非難される覚悟で彼の方を見たら彼は怒り顔ではなくて困り笑いを私に向けてくれた。この発言に対する感想は言わないみたい。
「恋仲でもない会ってもいない相手よりもシエルさんと会いなさいと言われます。だから親にイルさんのことを隠しました。つい最近仮定話として提示したらそういう事を言われました」
「それであの二回目の手紙になったと。まあそうなります。俺が君の父親ならそう言います。お相手はシエルさんと言うのですね」
しまった。シエルの名前を出すなんてまたしても口滑りだ。
いや、別に彼は気にしないしシエルがどこの誰とも分からない。分かっても何も起こらない。
「はい。シエルさんは料亭を三店舗経営する豪家の三男さん。イルさんの話した通り条件が良くて……。家業にも良い影響の家です……。なぜか知らないけど私自体も好まれています……」
私は出掛けたら誤解が生まれて結納話に発展した事を簡単に説明した。
「私は不誠実で我儘で嘘つきです。隠したというよりも騙したようなものです。最初から事情を話したらイルさんは逃げると思って自分の気持ちを優先しました。未来は確定ではないからと諦められなくて……」
「俺も不誠実で我儘で優しくないです。君と話したいし文通したいし疲れてて癒されたいから自分を優先して現実から目を逸らしました。事情を聞かないといけないのに無視したんですから」
俺もか。
それに「君はそうではないです」と言わないんだな。イルはわりと正直者だから違うと思っていたらそう言ってくれそう。
「そんなこと……あります。私がまさにそうです。保険だからと言った時は本当にそうでしたけどすぐ変わったのにそこでやめないで今日です」
「今だけ自由とか思い出に散歩と釘刺しされたんだから最初に袖振りしたら今の顔も涙も見なくて済みました。そんな顔をさせないで済みました……。普段はそうしてるのに……」
はあ、とかなり長いため息をつかれてしまった。これが私達の最後。手にしている七夕飾りを私はギュッと握りしめた。
彼は初めてではないからせめて思い出にキスして下さいと言ってみようかな……。
「俺は成り上がるから、励み続けるから、保険が消えたらなくはないらしいとか、そこまでの気持ちはまだないから後回しとか、縁が終わったら怖いから君から話を聞きませんでした。君をかえって傷つけるのにそれを無視して自分優先。現実逃避です」
「私はズル賢いのでまだ諦めていなくて、付き添い付きデートにお姉さんや友人を常に伴わせてお姉さんや友人に惚れてもらおうと思っています。家の為にはお姉さんが良いです」
姉は無理そうだけど可能性はゼロではない。
「……おお。家も彼も両取りして自分は逃亡って事ですね」
「とにかく元服頃に合わせて秋に結納なんて早いから嫌だとゴネたけど話が下手で失敗しました。大失敗です」
「結納? 秋に結納するんですか? それは早いな……」
イルは腕を組んでまた深いため息をついた。
「結納をとにかく遅らせる。もっと言えば相手と円満に縁切りしたい。その方法を探し中です。考え中です」
「話をまとめると今までありがとうございました。楽しかったし勉強になりました。さようなら、がお互いにとってええ道です」
「……」
嫌だ。それは嫌だ。だけどこんなのどうにもならない。
私の想いが強くてイルとの縁結びのとっかかりが難しいのは私側のせいなので彼にはどうにも出来ない。
「また泣く。言うたようにイマイチ恋とか分からなくてかなり半端な気持ちです。だから同情とか君に対して悪者になりたくないだけな気もします」
文学作品ならこういう話にならなくて必ず一緒になろうと仲を深めるのかな。そういう場面で抱きしめあったりキスしたりする訳だし。なにせこのような場面の登場人物は恋人同士だ。私達はそうではない。
「でも他の女にはこんな悩まないしむしろ傷つける方が親切だと思うのに出来なくて……。だから俺は君とじゃあ、とこれでお別れは無理そうです」
「私がこんなに泣いたり嫌だと言ったからですよね。すみません。優しさに漬け込むような事をして」
これでは私は彼の優しさや同情心につけこむ悪女だ。もうお別れで悪女なら思い出にキスして下さいって頼んだらしてくれたりしないかな。
彼は初めてではないしたかがキスって言う人だ。それでお嬢さんが好みだし。
「いいえ。中途半端に特別だからです。お姉さんに惚れてもらう作戦が上手くいったら君はまた自由です。今の君も結納前の自由の身です。気が変わるかもしれないけど今日、今ここで投げ捨てる気にはなれないです」
イルは空いている手を首の後ろに当てると私と同じように小石を蹴った。少し不機嫌そう。
「まだ私の我儘に付き合ってくれるのですか?」
「いいえ。俺の意思です。そこらの女の我儘は癒されるのと逆で疲れるから泣いたって聞きません。ほらほら、他の男がええぞとか俺は気がないぞと逃げます」
「ああ……」
「似たような事はもう言いました。こうして逃げないのは多少捕まったから。それも言いました」
確かに言われた。条件も人柄も良さそうなシエルともっと会えと言われたし中途半端に特別だから私を切り捨てられないとか私に癒されるとか話してくれた。
私達はここからどうなるの?
友人以上恋人未満ってこと?
彼の機嫌が少し悪くなったのはここまで言ったのに理解が遅いとかとんちんかんなせいか。
「結納したら相手に触られるってことですよね……」
「えっ。あっ、はい。それは常識の範囲です。嫌ですけどそうです」
「惚れてるから嫌ではなくて他の男が大手を振って触る女の相手になるのは嫌です。それを出来る女が嫌いです」
「は、はい」
これは結納した女性と深い仲になるつもりはないという宣言だ。イルの声色は低い。
「今の状況で色仕掛けとか迫られていたら逃げられたのに。遊びはやめたし元々本気には本気しか返さないから逃亡一択です」
私はもしかして首の皮一枚繋がった?
思い出にキスして欲しいと頼んだらイルは私から逃げていた。
「今の君の俺への要求は自由な間に俺と友人でいることです。他には何も頼まれていません」
「はい。そうです。私側の問題ばかりなので頼みません」
「それでお互い友人よりも先を望んでいるけど無理なのもハッキリしました。つまり結納までですね。結納までにしましょう。二人とも現実逃避は終わりです」
私の恋は延命したけどはっきりキッパリ線引きされて期限まで決められた。
「はい。つまり秋まです。日付はまだ未定です」
「結納を引き伸ばせるならもっと。俺には何も出来ません。作戦考案は下手くそだけどないよりマシかもしれません」
「それって……」
「中途半端な俺はズルいから可能性ゼロまではあまり。こんなに泣く君にかなり悪くて酷いけど門を叩いて土下座する気持ちはないです。そもそも密会男は門前払いですし」
「はい」
「結納までこのままとか、結納を引き伸ばす間は待つとも言えません。今日の気持ちなだけです。明日来なくなるかもしれないです」
「はい」
「ただ逆もあるかも。俺の知らない何もかも捨ててもどうしてもこの人という気持ちを明日知るかもしれません。今と気持ちが変わったらまた自分はどうするか考えます」
私は大きく目を見開いた。瞬きしていないのに大粒の涙が溢れた。
「……はい。はい。ありがとうございます」
「別に君の為ではなくて俺の意思です。感謝されることではないです。俺はお人好しではありません」
いや、お人好しだからいつも誰かを助けているんだと思うけどな。でも同情だけなら私に猶予は与えないのはハッキリ言われた。
「二人とも悪いから一人で悩んだり考えなくてええです。二人で悩んで二人で考えたら何かあるかもしれないから今日から二人三脚です。今日から苦悩は二人で背負いましょう」
「二人で……。ありがとうございます」
「とりあえず気になって仕方がないからと言って春画や色話を母親に聞いて、一日二日おいて結納したらどこまでって友人に言われたから怖いとか嫌だとかゴネたらどうですか?」
「ああ。はい。気になるから知りたいし既に嫌だから嫌だと言います。触られたくないです」
「どう結納に転がったのかもう少し詳しく教えてくれたら他にも考えます。衆力功をなすって言いますよ。バカなりに考えます」
バカなりにってあれこれバカなのは私だ。
イルは大きく息を吸って空を見上げた。鮮やかな夕焼け空にほんの少しだけ白い雲が浮かんでいる。
今日はこんなに美しい晴天だったのか。綺麗……。
「暑くて汗を拭きまくった手拭いしかないから渡せなくてすみません。小さいものも懐に入れるべきだと学びました。雑にしてええ相手なら袖で拭くんですけど」
「私は雑にしたくないってことですか?」
今の会話の流れでこれは不正解ではないだろう。
「半々です。いや三分の一です。面倒だし悩みたくないし胸が痛いから逃げよう。かわゆいお嬢さんが無防備だから遊んでしまえ。なにせこんな好機はないというか初だ」
「…… 三分の一なら一つ足りないです」
「もう一つはこの年でもまだ分からない噂の恋穴に俺を落とす女性はこの人かもしれないから今からしっかり大事にしよう、です」
また困り笑いを向けられてしまった。私はいつも楽しそうに屈託なく笑うイルが好き。
私はこれからこの表情しか見られなくなるのだろうか。それなら罪悪感が大きくなって私はイルから離れそう。
目一杯の感謝と謝罪を込めてお別れをする。次の瞬間、イルは破顔した。
「挨拶をする前にも見せてくれるその嬉しいっていうかわゆいはにかみ笑いを見ると離れがたいです。くすぐったくて癒されます」
私の恋心は他の女性とは違って癒されると思ってくれているという意味。
それは恋とは違うのだろうか。彼が違うと言うから違うのだろう。
「ありがとうございます」
「ようやくしっかり笑ってくれましたね。もう川です。願いが叶いますようにって二人で祈りましょう。今日から二人で嘘つきです。そうやってなんでも二人で!」
「はい。ありがとうございます」
そうして私達は二人で川に七夕飾りを流した。
遠く、遠くへ流れていく竹を眺めながら私はこう思った。
イルは竹みたいだ。竹製の下駄を贈られたのは父親が竹細工職人だからとか竹が真っ直ぐ真っ直ぐ上へ伸びていくように成長して欲しいという願掛けだけではなくて彼が竹みたいだからという意味も含まれていそう。
予感がする。私は最初を間違えた。彼が恋慕う人は誠実で優しくて嘘が苦手な人。
(つまり私が居る場所は袋小路だ……)
私は変われるだろうか。変わりたい。でないとこの恋はきっと叶わない。




