告白2
サラサラと風に吹かれて揺れる笹の葉と朝顔を眺めながら私は瞬きを我慢した。
視界が滲んでいるのは涙のせいなので瞳を閉じると涙が落下してしまう。
「俺はわりと理性的だったみたいで踏み込むなと提示されているからイマイチ。色と恋の違いもイマイチ分からないです」
足が震えてきた。惚れてもらえない理由はまずそこなんだ。
つまり今の状態で彼に付きまとっても私は彼に恋心を抱いてもらえない。
「大きな家である程常識は大事です。ド貧乏平家娘の相手でも非常識な男は嫌です。親父の横に立って兄として追い払います。友人以上になるなら、ここから先は絶対に親の了承が必要です」
その通りでど正論。私は目を閉じた。頬に涙が流れて吹きつける風が肌を冷やす。
ゆっくりとまぶたを開いて歩みを止められない足元を眺めた。イルが直してくれた鼻緒はずっとそのまま。蝶結びの布が足の動きに合わせてゆらゆらと揺れている。
ドクン、ドクンと嫌な音が自分の内側からずっと響いてくる。
「ええ。常識が大切な事に身分は関係ないです」
「なのに毎日飽きもせずにあの神社で待っているのは大事だからです。大切な時間です。今年は結構疲れていて。嫌な目にもわりと遭うし」
「……」
そうなの?
優しいから私の我儘に付き合ってくれているのとお嬢さんに興味があるからではないの。嫌な目に遭っているなんて話は初めて聞いた。
「こう、来た時に俺の顔を見てパッと笑ってくれたり、俺の言動で一喜一憂とか見たくて。他にも似たのはいるけど鬱陶しいから他の女だと逃げます」
「逃げるんですか」
「ええ、逃げています。難癖結果になったら嫌だからです。なのにあの神社は逆です。癒されたくて毎日行くので」
これは私に癒されるから会っている。気を持たせると理解しているのに会いたいから会っている。自分に気のある他の女性と私は異なる。そういう意味だ。
「でも恋かと言われると分かりません。壁を作って離れているから俺の気持ちはこれ以上になる気がしません」
「はい」
「正々堂々、文通や付き添い付きで出掛けて良いという許可を得たら今とは気持ちが変わる気がします。そういう予感がします。でも俺の将来像だと難しいって事ですよね?」
ポタリ、ポタポタと乾いた土に吸い込まれていく。私は首を縦に振って横にも振った。
悲痛と歓喜が両方一緒に来訪するとは思わなかった。
娘さんと文通して付き添い付きで出掛けたいです。お願いします。彼がそう言ってくれるくらいの気持ちを抱いてくれているなんて思わなかった。
シエルさえ居なかったらイルのお申し込みを検討くらいしてもらえるのに……。
「こちらの素性は明かしてあるから調べたでしょう。親目線でしっかり調べて好青年なんてそりゃあ俺も妹達に望みます。自分の家が保険なら格上の家の男です。俺の事を話しても門前払いってことなんでしょうね」
「……。もしも恋仲の者がいて相手に覚悟があるなら検討くらいすると言われました」
「恋仲ではないし覚悟もないです。格上の良家のお坊ちゃんで容姿端麗な好青年。何も問題ないです。まだ一度しか会っていないってもっと交流しないと」
恋仲ではないし覚悟もないのはその通りだけど言葉の刃がグサグサ胸に刺さって痛い。
おまけに最悪な台詞を聞かされた。好きな人に他の男性と何度もデートしろなんて彼は残酷だ。
しかしこれもど正論。彼は正しい。私は正しくなんてなれない……。
「大黒柱に……。なろうと思って……。思いまして。勉強を増やして……。そうしたら私はもう少し自由です。家の事は私と奉公人達が背負えばしっかり働いている方なら隣に並んでもらえます」
「それよりも二本柱と思うのが親心です。兄の立場だったらどう思うか考えてもそうです」
「その通りです……」
「君は内助の功が出来るように育てられていますよね。今まさにそう言いました。今の発言だと相手は婿候補ってことだから経営上手そうとかその辺りについても調査済みでしょう」
イルは自分のことをバカだと言うのが口癖だけどこのように頭は悪くない。むしろ考察能力は高めな気がする。
「全てその推測通りです」
「例えばその、相手を断れない理由とかこれなら許されるってなんですか? 俺は何も知らないので。君の事も家の事も何も。その前に俺の話をしておきます」
「はい」
贈ってもらえた七夕飾りを川に流した後に口を滑らしたら良かったな。胸が軋んで歩くたびに崖へ向かっている気分。
「俺はもう戦場兵官にはなれるんです。入学前からなので正当な理由なく戦場兵官希望だと意味のない学生生活だから今の学費支援分が借金になるのは確定です」
「そうなのですね」
「地区兵官採用試験免除がほぼ決まったのであと半年間同じように過ごして卒業。兵官の下級公務員試験を突破したら地区兵官の準官です。自ら退学したり戦場兵官にならなければ借金なしで半見習いから昇格ってことになります」
彼が今している話は私の想定の範囲内の話だ。
「ええ。そうでしょう。少し話を聞いています」
「バカだから学校経由の方が下級公務員試験突破の確率が上がるし早い。それに加えて若いうちに学校経由の方が後々の出世に良い影響らしいです。なのに一年浪人して入学なのは情けないです」
私は首を大きく横に振った。一年浪人したのは去年だと学費全額免除を得るくらいの入学試験結果ではなかったからではないだろうか。なにせ貧乏だから学費を出せない。
「でもまだ若いうちの範囲で今の成績は悪くないです。つまり今の進路とそこらの地区兵官よりは上に登りやすい予定です」
「私はイルさんが沢山努力されているのを少しは知っています」
「一方、何の家業か知らないですけど婿入りという条件に合わせるなら俺は戦場兵官になってド貧乏の家にドンッと金を入れて借金も返す大活躍狙いをしないとなりません」
私の涙の量はさらに増えた。惚れてないと言われた上に条件が合わないと淡々と告げられるのか。
「軍師とか参謀みたいなのは苦手です。戦場兵官は苦手分野だから稼ぐのに時間が掛かります。多分地区兵官の方がマシ。短期間狙いは最前線で大活躍なので多少強くてもまだまだ弱いから死ぬ確率の方が高いです」
喧嘩になるから私に、ではなくて本当に私を選んで小さな七夕飾りを持ってきてくれたともう分かる。嬉しい分苦しくてならない。
「戦場なんて行かないで欲しいです……」
「金問題がないとして、何の家業か知らないですけど細かい作業の職人は不器用なので無理です。勉強は努力出来ます。人付き合いは得意です。体力も力もあるからそれ系の仕事は出来ます。俺に出来るのはそういうことです」
私は歩き続けながら顔を上げて彼の横顔を眺めた。彼は真っ直ぐ前を見据えて顔をしかめている。
「でもあまり。金がないからという理由で戦場兵官になる。それはお前やお前の家族になら金を貸すからやめろと止められています。親は俺の心配だけど師匠や番隊長とかからは戦場で指揮官は向いてないって言われます」
彼はますます顔を曇らせた。そりゃあ親は息子が平家からは難しい王都中央街を守る地区兵官になれる可能性が高くて、おまけに若いうちから学校経由で出世街道に乗れそうなら借金をしてでも戦場兵官なんて止める。
おまけにイルは一浪しても学費全額免除を勝ち取ったんだからなおさら。
「でもわりと強いし最初は指揮官の下だから前へ前へ出たら稼げると思います。なのでいつも迷っています。とても……。俺は別にド貧乏でも楽しいし幸せだけど妹達は違うかもしれないです。女だから飾ったりとか色々」
こういう考えなら親はやはり止めるだろう。戦場で大活躍をして皇居守護兵になりたいみたいな野心があるならともかく。
なにせ彼の前にはもうある程度稼げる道が拓かれている。こういう兄が妹達に嫌われているなんてことはないだろうから妹達こそ自分達のためにやめてと嫌がりそう。
「世の中金はあればある程ええです。だから俺はどちらかというとさっさと稼げる方がええです」
「戦場が怖くないのですか?」
「暴れ組と殴り込みや喧嘩とか今も今までもありますけどまた違うし行ったことがないから分かりません。想像ではそんなに」
私は思わず七夕飾りを握りしめた。今も安全な仕事ではないことに今気がつくなんて私は浅はかだ。
「親はこれはダメみたいな事は言うけど難しいことは分からないから師匠と決めろで、師匠はお前はバカだから何も考えずに言われた通り励めって言います」
そうなの?
いきなり雑な話が現れた。損得を自分で考えたのではなくて師匠に丸投げで、親も親で師匠に投げてるってこの親だからこの息子?
「稼ぎたいなら言った事をやれって。なので俺が稼げるのは地区兵官です」
考えるなと言われても考えて稼ぐのに戦場兵官はありと思っても師匠の言葉でこうなるんだ。
しっかりしているのかしていないのか分からない。それで私にも彼の能力などでどちらが稼げるのか考察不可能。
どちらにしても大金をいきなりは難しいのは理解した。危険な戦場にも行かないで欲しい。これは婿入りは絶対に無理という話だ。
「親父は息子が跡取り職人になれなくてガッカリではなくて、俺に合う道を探して示して立派になれよと背中を押してくれました。母もです。ずっと応援されています」
「きっと自慢の息子さんだと思います」
「まだです。俺はなにも為していないです。ド貧乏でもバカにされても不当に邪魔されても構わないです」
「そのような目に遭っているのですね」
「世の中なんてそんなものです。踏ん張れるだけ踏ん張って一番手が届くところまで行きます。金を稼ぐだけが甲斐性じゃない。喧嘩ではなくて俺の両親は立派だと俺が証明します」
身分ではなくて彼と私は生きている世界が違う。一歳しか違わないのに何歳も離れているみたいだ。
私の両親は彼と真剣に話をしたら私に身を引けと怒る気がする。
学費返還分は我が家が用意するからと頼んで済む話ではない。単に地区兵官を諦めて努力が水の泡で終わる話でもない。
進路を変えることは彼を応援してきた家族の気持ちに砂をかけて彼が親の為にしたい目標も捨てさせることになる。
それで彼は私への気持ちはそんなにない。
シエルは嫌だ。イルでないと嫌だと言うのは私なのだから彼の条件に合わせてお申し込みをするべき立場なのは私だ。
相手に捨てさせようというのは虫のいい話。どう考えても彼が欲しいならあれこれ励むのも捨てるのも私だ。
「兄や弟がいたらよかったんですけどいません。妹が五人で美少女が混じっているから拐われかけて取り返しました。定期的に人買いが来ます。売らない両親がいるけど俺の目や力もあった方がええです。それも家を出たくない理由です」
拐われかけて取り返しましたって、定期的に人買いが来ますって、それはとても心配な話だ。
「つまり俺は婿入りが条件の家の娘さんの家の門を叩いて文通したいです。お出掛けしたいです。検討して下さいとは言えません。余程でないと言いません」
彼が歩くのをやめなくて私も帰りたくないから足を止めない。
私は今まですみませんでしたと帰るべきなのかな。そうだよな……。
「君相手なので何かないか考えたいので君の家や事情を教えて欲しいです。今すぐ俺に背中を向けて去りたくないなら。俺としては話し合いくらいしたいです」
私とこの先の関係が欲しいなんて嬉しいのに辛い。私達の別れは今日だとはっきりした。
話し合いくらいしたいってこれも嬉しいけど悲しくてならない。
まだ今日は彼と別れを告げる鐘は鳴っていない。せめてそれまで、最後ならせめて話し合いくらいは私の方こそ頭を下げて頼むべきことだ。私は「帰りたくないです。お願いします」と項垂れた。




