告白1
放課後、いつものようにポチとヤイラ小神社へ向かった。日傘を持ってイルを散歩に誘う下準備。
今日もいるかな、と確認したら今日もいつものように勉強していた。
(私は今日から天気が酷くなければ毎日来る)
イルと恋仲にならないと話にならないと分かった。それでこの恋を諦められないなら彼をどうにか口説き落とすしかない。
(単に恋仲では意味がない。私は彼と結婚前に遊びたい訳じゃない。イルさんに覚悟が生まれる程慕われて、その上でシエルさんと比較されるくらいの条件がないと切り捨てられるのは分かった……)
父を説得出来そうなその条件が私には思いつかない。秋に結納までにイルの気持ちがそこまで大きくなるとも思えない。
反対側から回っていつもの位置へ来たらポチが早くイルのところへ行くと動いたので紐を離した。
私は自分の定位置に腰掛けて少しイルとポチの確認。
ポチは切れ目縁に登って笑顔のイルに迎えられて今日も撫でられた。本当にズルい犬。
最近イルは私ではなくてポチと会いたいのではないかと思う。私はお嬢さん情報を入手する相手。なんなら彼には自分好みのお嬢さんを私に紹介してもらおうという下心があるかもしれない。
「来たかポチポチ犬。暑いから向こうへ行ってくれ。いつも言っているけど臭いから舐めるな。また顔を拭かないといけない。あはは」
きっと楽しそうに笑っているけれどここからでは見る事が出来ない。
似たようなやり取りの後にイルは私の方を見ないで声だけの挨拶をしてくれる。それで私も顔を出さないで挨拶を返す。
しかし今日は違った。私が切れ目縁に座って手提げからうちわを出して扇いでいたら右側の小脇にポチを抱えたイルが私の前に来てくれた。左腕を後ろに回している。
「こんにちは」
「こんにちは」
切れ目縁から降りようと思ったら首を横に振られた。それで彼の左腕が前に登場。その手には小さい竹が握られていた。朝顔が三つ結んである。
「短冊は飾りました? 今月は七夕月なので願掛けしないかなって思いました」
そうか。もう七月になった。贈り物をくれるなんて思っていなかったのでこれは予想外で嬉しすぎる。
「ありがとうございます。短冊はお店の七夕飾りに飾りました。朝顔を飾っている七夕飾りは初めてです。とてもかわゆいです」
「いやあ、妹達が兄ちゃんも作れとか一緒に作るって言うから作ったら近所で欲しいとかくれとか騒がれて。こんなのやるよって雑にその時いた奴に渡しても喧嘩になるから俺のだって言うて今ここです」
そう告げると彼はそっぽを向いて右足で軽く地面を撫でた。多分照れている。
「騒がれてって女性ですか?」
「まぁ、成り上がりそうだから少し寄ってくる的な……」
喧嘩になるからって複数人!
今ここです、と私に差し出してくれたって事は私は選ばれた。
いや、私だと喧嘩にならないからかな。私の気持ちを理解しているから贈ったら喜ぶだろうという優しさ?
「私なら喧嘩しないからですか? ここには他にポチしかいないので喧嘩になりません」
「俺の地元だとサッサの葉に願いを書いて縛って川に流すとええって言うけど知っているかなって思ったからです。何かあれば叶って欲しいなと」
残念なことに口説きではなかった。君のために作りましたとか君に渡したいから他の女性には渡しませんでしたと言われたかったな。
でも嬉しい。とても嬉しくてならない。私はお礼を告げて小さな竹をそっと受け取った。
「知らない風習です。また大丈夫な日に息抜き散歩をしたいと思って日傘を持ってきました。川に流したいです」
「今日は息抜きしたい気分です。サッサの葉もあります。削り書きするものもあります」
彼の懐からサッサの葉とキリが出てきた。キリを懐に剥き出しでいれるって大丈夫なのかな。
「ありがとうございます」
「文字を見られたら叶いにくいから削り書きらしいです。誰が言い出したんですかね? 地元の風習だから長屋の誰かが勝手に始めたんだと思います」
そう告げるとイルはいつもの定位置へ移動した。彼の姿が見えなくなったので込み上げていた涙を流して小さな手拭いを出してそっと涙を拭く。
恋仲になれないなら単に辛くて、恋仲になれても未来がない。
あるのかな。恋仲なら二人で考えて何かしらの覚悟が生まれて二人で生きていく将来が現れたりするのだろうか。
今のままだとこの関係は秋にはもう終わりだ。イルを騙し続けて密会を続けようにもきっとどこかで破綻する。
結納後の私への縁談お申し込みは書類まで。恋仲になったイルが我が家にお申し込みをしてくれても若干恋仲からと思われているシエルと無償結納破棄になんてならない。
シエルに圧倒的に勝てる条件を提示出来たら別だけど無理そう。
イルと恋仲なので、という言葉を出したら有償結納破棄なので慰謝料の支払いだ。
そもそも結納していたと教えないで二股した私に律儀なイルが何かしらのお申し込みをするとも思えない。
「イルさんは何を願いました?」
「書きたいことがありすぎてしていません」
「願いが沢山あるのですね」
「ええ、大小様々です。一つだけと言われると決められないからしていません」
「一つだけなんですね」
「欲張りは全てを失うと言うかららしいです」
「一つだけ……。大小様々ならその大きい願いを頼むと良いのではないでしょうか」
イルと夫婦になって死ぬまで一緒にいられますように。そう削ろうとしてイルは本名ではなかったと思った。
(初恋の人……。幸せになりますようにだな。彼が幸せになりますように。私が彼を幸せにする存在なら縁結びしてもらえる。違うなら……。仕方ない……)
嘘つき娘と危険を省みずにコソコソ会ってくれていつも優しい彼は幸せになるべきだ。この間もまた転んだ子どもをサッと助けていた。
「んー。その大きい願いが一つではないから選べません」
「いくつか同じくらい強い願いということですね」
「ええ。妹達には全員元服して欲しいです。あと俺は成り上がって大豪邸を建てて大家族で楽しく暮らしたいです。今も楽しくて幸せですけど生活の質を上げます。大豪邸ってことは豪家なので妹達は全員婿取りにして同じ苗字です」
嬉しそうな声色に私の心は沈んだ。イルは婿入りなんて頭にない人ってこと。薄々そんな予感はしていた。
「全員同じ苗字ですか」
「息子が豪家だと親はどうなるんですかね? ばあちゃんもいるな。調べてないです。上の妹達は嫁入りしてる予定だけどそこそこの平家男だろうから旦那を養子にしたら妹二人も同じ苗字です」
「親は多分平家ですからそれも養子でしょうか。調べないと分からないです」
「まあ、そこら辺は後から調べたらええです。拝命時に役人に聞くとか出来るでしょう」
「ええ、そうですね。削って結びました」
「それなら川まで散歩へ行きましょう」
彼の顔を隠すものがないけど私だけ隠れたら良いか。ポチの模様はまた手拭いで隠すとして。
「はい。いえあのその前に。顔を見ないで尋ねたい事があります。世間知らずなので教えて欲しいです」
「ん? なんですか?」
「友人が知らなかったので。その。春画ってなんですか?」
「ゲホゲホッ! ゴホッ! ウオホン!」
……。聞かない方が良い事だった疑惑。父親だだって娘の私に話したくなさそうだったのに他人の男性である彼に聞く話でもないけど解答によって彼の性格がより分かるかなと思ってつい。
「その、その名称をどこで聞いたのですか⁈」
「お姉さんです。私が初心なのは友人達もそうだから。自分達は違ったと。お姉さんの時は友人が春画を学校に持ってきたみたいな会話があってそれが何か教えてくれなかったから気になりました」
「お嬢さんが学校にそれってとんでもない話です。えええええ。学校に持っていくってそもそもどこから入手……兄弟か。へえ、お嬢さんも長屋女と似たようなものなんですね。いや君達周りは違うからお嬢さんも色々ってことか」
つまり男性の持っている画なのか。
「元服したら教えられる話だけど先に知っているもの、みたいに言われました。辞書にも載っていませんでした。辞書って元服前と後で違うから父の書斎から借りようかな、的な」
「今年元服なので待っていたら知れます。きっと母親か学校でしっかり大事な話を聞きます。多分? どうなんだ? どうなっているんだ? 俺には分からない世界です」
「同じ世界のはずなのに姉と違うから私にも分かりません。文学の夜を共に過ごすってそれ関係ですか? 触るのとキスだと思っていました。キスに種類があるのも最近知りました」
「以前の会話で知識不足なのは知っています。なんでも疑問事は気になったら止まらないのは分かります。とりあえず男に聞く話ではないです」
私に教えないし最初だけ慌てふためいたけど冷静そうな声。それで男に聞くな、か。新たな彼の一面は特に現れなかった。
「はい。はしたなくてすみません」
「いや、はしたないではなくて警戒心不足の方です。手取り足取り教えると言う大バカがいるから禁句です禁句。色も春もそもそもキスなんて単語も嫁入り前のお嬢さんがそこらの男には禁句です!」
体を撫でられたり過激なキスより凄そうな行為って何。それを知らない女性に手取り足取り教えるって大バカというよりも非常識で不誠実。
「分からなくてもこの話題を出して手取り足取りなんて言われたら体を撫でられる以上だろうから逃げます」
「逃げる前に話題を出さないようにして下さい。前にキス話が出た時に言うべきでした。睨まれたり動揺していたからうっかりだ」
あの日の私は彼を睨んだんだ。
「イルさんは以前の女遊びで春画のこともしました?」
「ゲホゲホッ! そこまではしてません! キツく言われて育っているんでお嫁さんにしかしません! もしガキが出来ても今は責任取れません! 育てる金がないから今は絶対しません! だからその単語は言わない!」
春画の春は春売りの春と同じでそれをすると子どもが出来ることがある。それは確定みたい。キスでは子どもは出来ないからキスしまくりまでは許される。そういうこと。
花街の色春売りって子どもが出来るかもしれないの⁈
悲恋ものの有名文学だと花街舞台は定番だから調べたら分かる?
辞書みたいに成人用が本物の話で未成年には略した書物とか分かれてる?
色々気になってきた。
「私は夫婦になると子どもが自然に出来る可能性があると思っていました。夫婦として縁が悪いと出来ないとか」
「不安になってきた。母ちゃんはどう教えているんだ? 身の安全のためにもある程度は知っている方が……。でもお嬢さんもキスとか撫でられて危ないとか相手が嫌だと怖いって知っているから知っているか?」
敬語ではないからこれは多分独り言。イルはしばらく「妹に色話なんてしたくない」とか「それを話せと親父や母ちゃんに言うのも嫌だ」みたいな事をブツブツ呟いた。
私は手提げと竹と日傘を持って切れ目縁から降りてイルの前へ移動した。
「変な話をしてすみません。息抜きの散歩へ行きたいです」
「はい! 行きましょう。先程の話は終わりです。言うておきますけど下街女も身持ちは固めです。気が緩んでいるのか慎みはないけど。女には慎んで欲しいです。男に平気で見られたり触られてもええ女は謎です謎」
「謎ですってイルさんは触りたいからそういう女性がいるのは嬉しいのではないですか?」
並んで歩き出して今日も彼は荷物と一緒にポチの紐を持ってくれた。二度目のデートも間にポチが歩くことになったのでお邪魔虫。
「うわぁ! しょうもない印象しかついてないです。口は災いの元です。気をつけよう。またその冷めた目で怖いです。俺は律儀になります。いやもうなっているから続けます。そうですね。清楚可憐で純情な方が望むのは誠実な男です」
「清楚可憐で純情な女性が好みなのですね」
「はい。……いやあの、はい。どんどんそう思うようになりました。学んだのでしょうもないのは改善中です。一切何もしていません」
可憐はともかく初心とか純情と呼ばれる私が隣を歩いているのに惚れてくれないの。私は道の小石を軽く蹴飛ばした。
今日のイルは突然の散歩なので草鞋を履いている。それでいつもの色褪せ気味の黒い草鞋掛け足袋。
下駄ではないのは半見習い時の走りやすさ重視。足袋は怪我防止と言っていた。
「……イルさん。しょうもないのは私です」
「どうしました?」
歩きながら小石を蹴り続ける。
「失敗しました。上手く嫌われようと思ってはじめてのお出掛け日に雑な化粧や雑な髪型をして素っ気なくしたのに逆になりました」
「……保険の家の男ですね。お出掛けしたんですか」
「他の女性に惚れてしまえと友人達と一緒にしてもらいました。美人で優しくて楽しい子達を連れて行ったのに、お互い惚れてしまえって祈り続けたのに……」
「失敗しただから嫌なんですね。雑な化粧や雑な髪型って元が良いと意味ないですよ。髪型なんて少し整えたら大して意味ないです。無意味です」
そうなの?
その髪型の方が似合いますよ。かわゆいですよっていうのはないの?
私はイルにかわゆいと褒められたくてあれこれ髪型を変えているけど無意味だったってこと。
文学だとあるけどそうなんだ。元が良いと意味ないって私は今褒められたの? 一般論?
シエルは私の髪型を褒めたけど、あれはつまり私自体を可愛らしいと言ったってことなの?
「何が嫌なんですか? 俺らの家柄でも親兄弟が相手について調べるからしょうもない人ではないと思いますけど」
「その方は多分良い方です。容姿端麗で優しそうで雅でした。親が彼は好青年だって。でも誰でも嫌です。私は他の方は誰でも嫌です。絶対に嫌……」
涙が出そうで少し黙っていたら彼も話さなかつたので沈黙になった。
この流れは私は彼に告白したようなものだ。しまった。つい。
イルは前を見据えて顔をしかめているので悪い予感しかしない。




