死の三日よりも以前に願う詩(~届けば、少し、楽しくもあり)
臨死体験を信じてはいません。逆に、あればいいのになとは思います。もっと、言えば、どうせ肉体がなくなるのなら、本当に「霊魂」というものがあって、その姿で、逢いたい人に逢えたらいいのになと思います。もちろん、相手にみえるはずもなく、私自身が一方的に逢いに行くだけなのですが。
もしも、わたしが尽き果てる いのちの期限知るならば
どこにいるやら死神を 探して、愛想笑いして
拝み倒して、取引を してみたいとも思います
最後の3日あげるから その1日を、「魂」で
この世に残してくださいと 叶わぬことの叶うよう
願い倒して、死神を 口説きたいとも思います
叶えば、先ずは、知り合いに お礼参りをいたします
迷惑顔をされぬよう
そっと離れて、手を合わせ 「それは逆だ」とならぬうち
消えてみようと思います
次は、家族が悪口を 懐かしそうに話すのを
わたし自身も聞きながら ともに笑って、さよならを
ひとりひとりに呟いて ぞっとさせては消えましょう
そして、最後は、風に乗り きみのもとへと馳せ参じ
たぶん、消えない痛みもて
愛しくも、また、哀しくも 眺めたくとも、妄執に
迷わぬほどに切り上げて
「待たせました」と死神と あの世とやらにゆきましょう
死ぬ時を知っていて、3日短くする代わりのこの条件なら、実際に、その時間を使って、会いたい人に逢ったほうがいいとお考えになられたあなた。あなたは、至極、常識的な方です。でも、そういったことも全部含めて、その人なりなのだと思います。
たぶん、わたしは逢えるとしても逢いには行きません。万が一、行くことができたとしても、そっと見て帰ってくることくらいしかできません。だったら、遠慮なく(一方的に)逢えるぶん、魂のほうが効率的なのです。
もちろん、夢のまた夢。叶うわけもありません。