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カルマ


 体はどうしてか固定されている。手足は動くが、何かに胴体を持ち上げられた状態で移動しているようだ。間近で風になびくふさふさの白い毛を辿り、首を限界までひねって上を見上げると、過ぎる景色の先を見据えている大きな瞳がそこにあった。


「エルフェレト? どうしたんだ一体」


 広がるはかの神獣の横顔。


 悠登は、なんと彼の口に咥えられていた。



「ユウトっ、意識が戻ったのですね!」


 姿を見せたアシュティーナは喜ばしいとしながらも、焦りの表情を貼り付けている。精霊石によりエルフェレトと悠登に追随する彼女の後ろには、同様にシャボン玉に入った子供の姿がある。


「なぁ一体どうしたんだ、教えてくれ!」


 必死に訴えかけにアシュティーナが口早に答えた。


「ユウトは瘴気に()()()()()()のです。エルフェレトがそれに気づき、子供との共有を引き受けて、ユウトとの繋がりを内側から切ったのですわ」


「俺が瘴気に? なんでそんな……待て、共有を引き受けるって大丈夫なのか!?」


 共有で行っていたのは生命力の受け渡しだけではない。止血はしているが、傷による苦痛を魔術で和らげていた。見れば子供の様子に変わりはない。つまり、今――



 エルフェレトは子供の苦痛をそっくりそのまま引き受けていることになる。



 骨を断つほどの深い傷はないが、全身に渡りかつ本来ならば命を失うまでのぎりぎりの感覚をも流れ込んでいるはず。その辛苦を受けながらも、彼は全速力で駆けているのだ。


「構うな 猶予はない」


 心配に乱される悠登に、エルフェレトは確然と言葉を放った。有無を言わさぬ短いそれは、とても痛みを抱いているとは思えない。


「わかった。じゃあ状況を教えて」


「我が妻 霊峰に到り。 霊気に混じりし瘴気 世界と通ずる お主も例外ではない」


「……」



 まず、


 ゲッティング・リッドという魔術は存在しない。



 悠登が行使したのは、霊的世界を歩くためのもの。自我を肉体から剥がし(・・・)、世界と同化しないよう確固とした境界を築く魔術の、剥離(ゲッティング・リッド)部分で止めていた(・・・・・)。範囲はなるべく最小限に抑えたが、子供と世界と、悠登はその両方と一部であれ完全に同化していたことになる。


 死をもたらすもの。


 それは世界という漠然とした概念ではなく、生と死を持つ生き物に向く。意味を同じとする瘴気もまた、世界に手を突っ込んだ悠登に殺到したのだろう。


 壁を取り払った悠登に為す術はなかったという訳だ。


「ありがとう、おかげで命拾いしたよ」


 ともすれば瘴気に飲み込まれ、自我を喪失していたところであった。


「それでどこに向かってるんだ?」


 焦りから心配な表情に変わっていたアシュティーナだったが、すぐさま気を引き締めて、


「霊脈の集結点です! エルフェレトは、かの母が真っ直ぐそちらに向かっていると。何分反対側から登っているらしいのです!」


 詳しく聞くと、母親の力が以前と比べものにならないほど増しており、エルフェレトの霊圧をも跳ね除けて止まらないらしい。向こうもどうやら駆けているようで、こちらの方が圧倒的に近いとはいえ急いでいるとのこと。


 悠登が意識を失っていたのはほんの数分ほどだという。もうすぐ着くと言われ、慌ててエルフェレトに声を掛けた。


「すまんが背に乗せてくれないか、って――わぁああ!」


 余裕がないとはいえ、言い終える間もなく放り投げられた悠登。魔術を使おうかと判断する前に、すとんと神獣の背に納まった。

 とはいえ巨大なエルフェレトの背はまたがるなど不可能なので、ふさふさのたてがみに埋もれる形となったが。


 背から顔を出し、一瞬で去っていく周囲に目を走らせ自らの得物を探す。これから確実に荒事が起こるのだ。禿山であるが、枝の一本はどうにか工面せねば。


「みっけ!」


「え、ちょっとぉぁあああ!」


 手頃なものを見つけ、拾う為にエルフェレトの背から飛び出した。ともれなくアシュティーナは道連れである。


 枝を拾い、魔術を用いて一足飛びにエルフェレトの背に戻る。その様子を見て興味深そうに瞳を細めたエルフェレトだったが、何も言わずに駆け抜けていく。


 悠登が手にした枝は、ユリファウロスを倒したものに比べると随分と長い。しかし、それを眺めてうんうんと頷くと、枝の先にペンダントを括り付け、


「Respice,adspice,prospice(汝、その姿は真にあらず)

 Venite(現れよ)、Sacra Lancia(聖遺の槍)」


 またも錬金術で生み出されたのは、なんとも質素な槍。木の長い柄に鉄の穂先。だがそれは――



「ユウト、その槍嫌ですっ!」


「それは ()()()の槍か?」



 アシュティーナは髪を逆立て身を掻き抱き、乗っているエルフェレトのたてがみも静電気を溜めたように粟立っている。


「あぁごめん、神殺しの意味だけでも持たせたくてさ。ホントに殺すために使うつもりは毛頭ないから安心して。でも、まぁ、



――――これくらいはないと太刀打ちできないから」



 間近でアシュティーナが喉を鳴らす。


 この霊圧を物ともしないという母親の力がどれ程かは計り知れない。持つ槍は神殺しの伝説を有するとは言え、実際に刺した神はまたここにいないのだ。言葉の使い方で誤魔化してはいるが、聖遺物というより広義な意味では価値が下がってしまう。


 イエスの腹部を刺したロンギヌスの槍。


 具体的に言えればどれだけいいか。



 相変わらず具体性の求められるソロモンの魔神以下あちらの精霊陣は全滅である。ならば朝霧の自然魔術であるが、自然の力は行き当たりばったりな上にエレメントとの関りが強い。


 霊脈の近くで下手を打ち威力を誤れば、森を破壊した時の比ではなくなる。



 霊峰を丸ごと吹き飛ばしてもおかしくない。



 世界の差が、悠登を縛る。



 魔術師でありながら物理戦闘の方が安パイだとは。



 せめぐ焦燥を放置して、槍を強く握りながら悠登は下唇を舐めた。固定された視線の先に、段々と霊脈の威光が揺らぎ見えてくる。


「ここが霊脈の……いや、これは――」


 そこは、水でも貯めようかというように、どこかの球場ほどの広さの土地がいくらか窪んでいた。例えた水はないけれど、エルフェレトの持つ霊力とは別の、純然たる力そのものが重いドライアイスのように靄だって底で遊んでいる。


 霊脈や精霊が持つ霊力(エーテル)は、生き物が持つ魔力に相当する。そうしてそれは、手順を踏めば魔力への変換が叶う力だ。


「ははっ、まるでエーテルの園だ。こりゃあ暴走させるだけで厄災になるぞ」


 窪地に辿り着いた悠登たち。エルフェレトの背の上からでも強烈なエーテルに酔ってしまいそう。


 襲ってきた者の謀はわからないが、触らせてはいけないと痛感する。


「かの母はどこまで来ていますか?」


「近い 頂の口に到り」


 精霊同士が話すなか、悠登は大きな背を滑ってアシュティーナの隣に降り立った。


「アシュティーナ、ここで子供を頼む。これだけ霊気があれば、精霊石との距離もだいぶ取れるだろ?」


「は、はい。それは可能ですが……」


 両手を合わせ不安を噛み締めるようにしながら見つめてくるアシュティーナ。


「大丈夫だって。ノープランだけど」


「ん~~~~、ユウトぉ~~」


 おちゃらけた悠登の前で、彼女は頬を膨らませもどかしそうに睨んでくる。これまでなら小言の一つでも飛んでくるところで、女神は悠登と額を合わせて武運を祈ってくれた。


「さて、俺はここの手前で待ち構えるけど、あんたはどうする?」


 ほんの少し振り返り、流し目でエルフェレトを捉える。


「愚問よ」


「その状態で?」


「無論」


 見上げる視線と見下げる視線。

 どちらも鋭利なそれは引き下がる事など知らぬもの。


「足引っ張んなよ」


「ふん 小さき者 出る幕なし」


「デカけりゃいいってもんでもねーし」


 体躯差は圧倒的。

 魔術師と精霊。

 人と神獣。


 一人と一体は、場の危うさに表情を強張らせつつ軽口を叩く。


 一方は力を制限され、一方は苦痛に苛まれ。

 霊脈の受け皿を離れ、並び立って呼気を整える。



「来た」



 この場を満たす神々しい煌きに影が差す。真に太陽の熱を背に受けているのは悠登たちだが、正面から真っ黒い影が伸びてくる。


 いいや、伸び広がって辺りを犯す。


 生の力と死の力。相反するそれらはぶつかると、たちまちせめぎ合って双方ともに泡となる。波のように次々と連なる故に消える間もなく泡が宙を舞う。傍から見ればさぞ神秘的だろう、まさしく生と死の言いようのない関係性。



 ズン。


 それは歩く。



 脅かされぬはずの、続く生と繰り返される死。



 ズン。


 機械的な一歩。



 絶対的比重が、ひっくり返されていく。



 息を呑む悠登とエルフェレトの目の前にあるのは、一面の常闇。母親の姿はそれに紛れて、踏み出したときの脚が僅かに確認できるだけ。


 ただ、


 ただ、何よりも暗いはずの、



 ――虚の瞳はこちらを覗いていた。



 止まらぬ接近に悠登たちが身構えたそのとき、闇は持ち上げた足をわざわざ戻してその場に留まった。そうして、


 どす黒い虚の瞳の上から、不気味なほど真っ白い2本の腕が伸び現れる。




「どうモッ、おハヨぅござイマぁ~っすぅぅぁああはははっ!」




 白々しい朝の挨拶が告げられた。


 現れた腕と響く嬌声は疑いなく人の形を持つ生き物のもの。しかして、それはあまりに人間味を欠いた、甲高い金属を擦り合わせたような奇声。


「……何者だ?」


 これでもかと眉根を寄せた悠登。握った槍の穂先を声のした方へ向け、鋭利に研いだ眼光を走らせる。


「あははは、ソれはボクのセリフですヨぉ? ボクはちャァンとヨウイをしテキたのニぃ~ジャマしないデクダさいよォォオ」


「やぁ~だね。嫌なら帰んな」


 余裕のなさをひた隠し、悠登は口の端を吊り上げる。


「くははっ、ヘンなのぉ~。どゥシてボクのジャマをすルノですカぁ? くくはっ、アナタはァ、カンケイないジャなイデすかァ~。 モシかしテぇ、セイギとでモ? くぁっあはははっ!」



「そんなんじゃねぇよ」


「でェハぁあ~、ヒいてックダさぁあイっヒヒ」



「やだっつってんだろ。はぁ、理由が欲しいってんなら言ってやる。――カルマだよ」



「業? こレがアナタの業?」



「そう。俺は魔術師だ。この身を辿る全ての物事は俺の因果に他ならない。しかして、それは業を示すものだ。なら、業は清算しないとだろ? まぁつまりは――」


 息を吸い、殺気を含めた視線を伴わせ、



「――俺の元に手助けを求める者が来た、動く理由はそれでいい」



 意志を託されぴしゃりと言い放たれた言葉に、送られたのは拍手だった。




「かぁッこイイぃ~、あはは。あは、あはははは。でハァ、





――――シんデっ、クダさぁ~い。あーっははははははははは!」





 止まらない嘲笑は次第に遠ざかっていく。


 そうして、


 ズン。



 闇が動いた。





次話

神の名

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