到来
頂上に迫るほどに増す圧力のなか、二人と一匹は快適にかつ順調に進んでいた。それは無論アシュティーナが周囲の霊圧をコントロールしているからで、モンスターもいないのでは憚るものなどなにもない。
見通しの良い禿山は、辿るべき道筋をはっきりと示していた。
「あのユウト?」
「ん?」
「これだけの威圧をするのです。かの父は話をさせてくださるでしょうか」
「さぁなぁ~」
こればっかりは、行き当たりばったりだ。
この霊気と接しているアシュティーナの不安は、そのまま持ち主のあり様を表しているに近しい。悠登は気に留めないよう振舞うも、ゲッティング・リッドで通じたままの子供を通し、霊峰全体に意識を向け警戒を深めていた。
山頂が近づくにつれ、緊張に会話が減っていく。
周囲にばかり気を向けていた二人。
「ぐぁぅ」
真後ろで上がったうめき声に、飛び上がって驚き振り返る。
「なんだ、こいつか」
二人が後ろに連れていたのはエルフェレトの子供だ。しかし、苦痛も共有し悠登側から軽減を図っているなかで、悠登は何も感じなかった。念のために様子を見ようと近づいたとき、
「……とうさま」
なんと子供が言葉を呟いた。
「喋った、というかうわ言!?」
「何を驚いているのです? エルフェレトは霊峰の主だと散々言っておりましょうに」
なるほど。アシュティーナはエルフェレトの母親と交流があったというが、真に会話を、女子トークをしていたのかも。
「まぁ、父親とも普通に会話出来るってことだよな。それはよかっ――」
「とう さまぁ」
またも子供は父の名を呼ぶ。
苦悶の表情が浮かぶも、やはり悠登に苦痛が流れ込むことはない。ならばそれは身体的なものではなく、精神的なものか。
「ゆ、ユウト! 周りをみてください!」
焦りの声色に応えて焦点を移す。先ほどまで見通しの良かったそこには、一面に霧が立ち始めており、急速に視程範囲がなくなっていく。
「あーはは、マジで呼んでたのね」
「あわわわわ、心の準備が……」
圧倒的な気配が到来を告げている。
出迎えに姿勢を正す悠登と、及び腰になって悠登の背に隠れるアシュティーナ。悠登は最悪の場合に備えて全身の魔力を握る。
一部の隙も無く二人を囲った霧だったが、ある一カ所だけが蒸発するように掻き消えた。そうして姿を見せたのは、母親など可愛らしいと笑ってしまえるほどの体躯を持ったエルフェレト。
白く、大きく、清廉荘厳な神獣。
ライオンのように見事なたてがみを生やし、その合間から白熱を滾らせたクリスタルを覗かせる。全身を覆う真っ白な毛並みは、その背後に昇る太陽に照らされ同様に煌き、真夏のアスファルトから立つ陽炎がその背をなめる。
話に聞いたとおり。
異変を帯びた母親とボロボロの子供でわからなかったが、精霊エルフェレトはまごう事なき火のエレメントを司る者である。
それと、
「憎き人間 我が子を 返すがいい」
いま彼を焦がしているのは、激情。
純然たる怒りを統べた瞳が悠登を貫く。
対し悠登は姿勢を乱すことなく直立を通す。更には、わざとらしく子供を背にし、
「嫌だって言ったら?」
「ゆゆゆユウトぉ!?」
挑発に吊り上げた口の端だったが、もう目を回しそうになっているアシュティーナに引っ張られて台無しになってしまった。
「おのれ人間 許さぬ 次こそ 引き裂いてくれる」
「次こそ……? お、お待ちください! この者は貴方の子を救ったのですわ! それに、次こそとは一体どういう事ですの!?」
悠登の後ろで身を縮めていたアシュティーナだったが、エルフェレトの発言に思わず飛び出してしまったらしい。彼女はその勢いのまま、悠登を庇うように両腕を広げてどうにか睨み合いを始めた。
「貴様は 泉の女神 なぜここにいる 何故人間を庇うか」
「まぁなんと恩知らずな事でしょう。私とこの者は、貴方の子を届けに参ったのですわ。それを不届き者のように扱いなさる。人間がどれほど多様かは貴方も承知していましょう。御覧なさい、この者と真に面識がおありか?」
神獣と女神。
この間に割り込む余地などありはしない。
今こそ誠実さでもって正面を向き続ける悠登へ、疑念の篭った眼光が射す。一応は女神の言葉に理ありとみたのだろうが、望みは薄い。どうにも神獣という輩は人の判別が付かないことが多いからだ。
この常識が、地球基準であることを切に願うのみ。
「……とうさま」
殺伐としたなか、後ろで漂う弱弱しい気配が懸命にある一言を絞り出そうとしていた。
「ちがうの……とうさま」
「相わかった わかった故 休め」
水玉の中で、気の緩まったか子供の意識は深く落ちていく。その様子を肌で感じていた悠登と、愛おしそうな瞳で見つめる精霊たち。静まった場で最初に動いたのはエルフェレトだった。
「無礼を詫びる そなたからは 奴の気配を感じぬ」
怒気を治めたエルフェレトは、おもむろに腰を落とし前脚も折って身を伏せ、敵意がないとばかりに頭のてっぺんを悠登たちに向けた。
「我が子 救いし事 感謝する」
簡潔でなんの装飾もないが、これが最大限の謝意であろう。
「どういたしまして、ってことで顔を上げてくれ。深い事情があるようだし、そこまで謝られる必要もないしさ」
「そうか 重ねて 感謝しよう」
「だからいいって」
あっけらかんとして悠登は辛気臭さを取り除く。エルフェレトもまた悠登の意図に乗っかろうとしたところで、
「いーえ! 足りません、全然足りませんわ!」
ぷんぷん両手を腰に当てた女神様。
「はいはいアシュティーナはあっちいっててよ」
「あれーっ!!」
神は大概気まぐれだというが、この女神のそれは真に空気が読めないだけのように思えてならない。
まずはアシュティーナに正座をとらせ、悠登はエルフェレトの目鼻先に座りかの神獣を見上げた。まったくあちらは伏せているのに、大きすぎて目を合わせるにも首が痛い。
そんな悠登の内心を察したのだろうか、
「おぉっ小さくなった!」
瞳を輝かせる悠登の反応が面白いのか、エルフェレトはくるりと回って大型の狼程度に縮めた体を披露した。小さくなっても彼の特徴は消えておらず、そっくりそのまま縮尺だけを変えたようだ。
「人は小さい 不便を感ずるは 我も同じよ」
なるほどその気持ちは察せられる。が、
「んなぁあ! 退きなさい、エルフェレト! 先ほどはあれだけ無礼を働きながら――いえ、悠登の膝は私のものなのですよ!?」
「ちょっと何言ってるかわかんないんだけど、俺まだ正座やめていいって言ってないよね」
「女神よ 嫉妬は 見苦しいぞ」
「なぜですのぉぉお」
体を縮めたエルフェレトは、おもむろに悠登へ近寄ると、少し匂いを嗅いでそのまま懐へ潜り身を横たえた。ふさふさの毛を持つ体躯で落ち着ける角度を探し身じろぎをされると、色々とこそばゆくて堪らない。
そんな悠登とエルフェレトを見て、すかさず宙を滑りエルフェレトの毛を引っ張って退かそうとしたアシュティーナ。鋭い指摘に悠登の隣で正座をし直し、袖で顔を覆っておいおいと。
しかしながら、
精霊たちは、
なぜこうも簡単に心許してくるのだろうか……。
「まぁいいか。――なぁエルフェレト、まずあんたの子供なんだけどさ、」
「わかっている 我も 使うといい」
言いつつエルフェレトはぐっと頭を押し付けてきた。
「あぁそれで……うん。助かるよ」
この地の精霊ゆえに、生命力の流れはよく見えるのだろう。加えて同じ精霊である子の状態も、確認さえすれば手に取るようにわかったはず。
悠登は早速エルフェレトからも生命力を頂戴し、父親の分を受けた子供はその表情を一段と晴れやかにしていく。
「はっ! ユウト私の分も――」
「火の精霊に水の精霊の影響を与えたくないから、気持ちだけ受け取っとくな」
しょんぼり甚だしいアシュティーナは肩を落として俯てしまった。悠登は彼女の頭を撫でてあやしながら、事の次第についてをエルフェレトに問う。
「率直に聞くけど、あんたの奥さんに何があった?」
繋げた心の窓から哀色の光筋が流れてくる。
「ニ度の日の出を遡りし日 我らの元に 人間が現れた。 いや 人間ではない やもしれぬ。 人の身で 奴は 瘴気を操った」
「瘴気……アシュティーナ、改めて聞くけどこの世界の瘴気とはなんだ?」
「アンデッドモンスターなど死を所縁とする者か、邪なる悪魔が扱う力ですわ。とても生者が手に出来る類のものではありません」
なるほどなるほど。
「久しき 人の到来に 我らは応じた。 会話の最中 奴は瘴気を 子に向けた。 我は悔いる まこと母は 子に尽くす。 僅かな機微に 妻は身を 投じたのだ」
重い沈黙が降りた。
内容はそれぞれ異なるだろう。
エルフェレトとアシュティーナを抱え、双方を手のひら全体でぽんぽんと叩く。その実悠登は思考を走らせていた。
「……それでそいつは帰ったのか」
「否。 妻が堕つるなか 我らが守りし場 踏み入らんとした」
「それが狙いか」
「おそらく。 妻を抑えれば 侵入を許す。 故に我は 霊峰を不可侵とし 妻共々 奴を追い出した。 我はまたも悔いた 母を救うと 出て行く子を 止めること能わず……」
「そんな事が……友の大事に、私はなにも気付かずにいたなんて」
自分を責め始めたアシュティーナ。
「大丈夫。ここまできたら俺がなんとかしてやるから。――エルフェレト、あんたが守ってる場が何か、聞いてもいいか?」
「秘め事ではない。 霊峰たる所以 集まりし霊脈 交差せし場」
「あーなるほど。でもそんなとこ、瘴気を持つ奴に何の用があるんだ?」
うーんと、一人と一柱と一体は考える。
聞く限り霊脈は生の力の奔流だ。それに対し死の象徴するような力を持つ者にとっては、むしろ避けて通るべき場。取り除こうとて、それは神にも出来ぬ相談だろう。
三人寄れば文殊の知恵。
特に精霊が二体もいて自分は魔術師だ。意見を出し合えば何かわかるかもしれない。となれば、先に、
「考えることは後でも出来るからな。先に子供の治療をはじ――
死。
死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死
――死死な死ニ死こレぇ死エ死死死――」
耳が遠い。
視界から色が抜ける。
胸の奥底から何かが上がってくる。
内臓、そう内臓が口から出て行きそうだ。
「周囲との 繋がりを切れ! 切るのだ!!」
「ユウトぉお!」
――――死。
悠登の奥、
繋がった世界の扉から、死が流れ込んで来る。
死と世界が急速に悠登へと入り込み、世界との境界が無くなっていく。
自分と、世界の区別が、つかなく――
「ぶはぁっ! はぁ、はぁっ。な、なにが、俺どうなって?」
意識を引きずり出されるような感覚のあと、悠登は自我を取り直した。色彩のある視界に映ったのは、びゅんびゅんと高速で過ぎ去る景色だった。
次話
不気味な腕