救いの手
女神に首を絞められるなか、小さく鳴ったうめき声。それは悠登たちを呼んでいるようでいて、ただ苦しみに漏らしたもののようだった。
「おいアシュティーナ!」
思わず彼女の名を口走りながら悠登は走り寄る。小さな……いや、大人のエルフェレトに比べれば小柄な子供。その身体に走る幾筋の傷はなんの手当ても受けていない。
「なんで手当もしないんだよ、まさか俺ばっかり気になってた、とか言わないよな」
手早く子供の傷を確認していく。横たわる子供の胴の幅は悠登の目の高さまであり、アシュティーナのように浮遊し動き回りながら彼女へ視線を走らせた。すると、彼女は体を縮こめて、
「ごめんなさい! 私、その、癒しの力を持たぬのです……。手当の仕方もわからなくて……」
物凄い勢いで頭を下げ、その状態を維持する女神。悠登は一瞬固まるも、すぐに彼女の元へ跳んだ。振り返れば何の根拠もなく任せてしまったのだから、落ち度はこちらにもある。
「いや、こっちこそごめん。勝手に思い込んじゃって」
「いいえ、女神と呼ばれながら何も出来ぬ私が、わるぃのでござぃま……わ、わだくじがぁ――ふにゃ!」
向けられた彼女の顔はとてもいい仕上がりで、バッと飛びつこうとしてきたが、悠登はさっさと子供の元へ。そのせいで水の精霊が地面に突っ込もうと構っている暇はない。
エルフェレトは精霊とモンスターの混在する者だが、それは肉体を有する精霊という意味らしい。おそらくだが、肉体のダメージはそのまま死をもたらすのだろう。そして子供の状態だが、かなり血を流したようで重い。
「……まずいな」
「助からぬのですか!?」
縋るように見つめてくるアシュティーナ。それには反応を返さず、悠登はただ組んだ腕の片肘をトントンと叩く。
(うーん俺も手立てないんだよなぁ……もう作るしかないか。なら、時間を稼ぐのが先かな)
不安を全面に押し出したアシュティーナに少し離れるよう告げて、悠登は子供の頭を撫で、自身の体全体で包むように抱いた。緩やかに瞼を閉じ、内にありし魔導書『星辰の書』を引く。選んだページに記述されし魔法陣に必要量の魔力を流し、
「……ゲッティング・リッド」
アシュティーナのいう、悠登がポンポンと魔術を使える理由。それは行使する魔術のほとんどを、己の霊体にあらかじめ記述してあるからだ。非常に便利ではあるがなんでも使えるわけではなく、術式が単純であるもの、または自分の肉体にのみ作用するもの(高速移動や浮遊など)だけ。
「上手くいったか?」
術の終了とともに瞼を開いた悠登の目には、いくらか安らかに見える子供の顔。大きく安堵の息を吐いていると、不安そうなアシュティーナが近寄り遠慮がちに子供を撫で始めた。
「あの、どうなったのです?」
慈しみにくれる彼女の姿を眺めつつ、悠登はゆっくりと立ち上がって背を伸ばす。
「現状維持。とりあえず本格的な処置は時間が足りないから、それまでは止血と生命力を補う」
「そうですか……」
晴れ切らない顔のアシュティーナだったが、子供から離れるとすっと滑り込むように悠登の前に来た。彼女は悠登の手を取り、胸の前でそれを掻き抱いて、
「ユウト、ありがとう」
素直に愚直に向けられた謝辞に、悠登はわかりやすく照れるほかない。
「う、うん。これくらいお安い御用だって」
自分でも呆れるくらいの照れ隠し。それを見てクスリとアシュティーナが笑ったのだから、何事も良しとしよう。
再び子供のそばに戻っていった彼女を視界にいれながら、悠登は次の動きを考え始める。新たな魔術を編むには無論時間を要するが、ガッツリモンスターが現れるのでは場所を移動するしかない。無難に行くなら泉に戻ればいいのだろうが――
「アシュティーナ、水を操って子どもを運べたりする?」
「出来ますわ。私に任せてください!」
彼女はやはり何も出来ないことを悔しく思っていたらしく、出来ることがあると聞いてかパッと跳ね上がった。血色を取り戻し、元気よく悠登に訴えて回る。よろしく、と半笑いで頼めば彼女は早速水を集め、
「これでよしっと。さぁユウト、行きましょう!」
「凄いなそれ、俺も乗ってみたいんだけど」
作業を眺めていた悠登。短時間で完成したその見事なものに、興奮すら持ち合わせて魅入っていた。
ぷかぷか浮かんでいるのは、巨大シャボン玉。エルフェレトの子供はその中だ。
まぁ彼女はシャボン玉など知らないだろうが、これぞホントの水風船というか中に空洞のある水の玉。是非とも興味があります、と言葉でも態度でも、水玉の表面を触りまくるなどの仕草でも示す悠登だが、
「精霊石を持つ悠登が進まねば先に行けぬのですが?」
困ったように諭す女神は、駄々っ子を諫める母親のよう。
「ん~~~、一回、一回だけ!」
「それは構いませんが、泉に着いてからにしましょうね」
「はーい! じゃなくて、泉には戻らないぞ」
「へ? ではどこに??」
想定外にぱちくり瞬きを繰り返すアシュティーナに向けて、悠登は目的地を指差した。
「霊峰」
さも当然のように言い放ち、行くぞと足を出した悠登の肩が後ろから力強く掴まれ、目の前にアシュティーナの頭が逆さまになって降りてきた。
「お待ちください、今霊峰はどんな状態なのかわからないのですよ?」
「まぁそうなんだけど、ちょっと面白い反応があってさ」
悠登は白いチョークを見せびらかし、屈んで地に陣を描く。出来上がったのは航空写真のように辺りを映すあの魔術だ。
「奴の位置は捕捉してるって言ったろ。んで、さっき奴は何かを追いかけるような動きをしてたんだけど――」
陣の上にホログラムよろしく浮かぶ図に、悠登は異変の起きたエルフェレトの道筋を指で追う。
「霊峰に差し掛かった瞬間に立ち止まって、しばらく留まったけど諦めたように引き返していったんだ」
「まさか、霊峰に近づけない?」
陣を見つめていたアシュティーナは、不可思議に首を傾げて悠登を見上げてきた。
「それで聞きたいんだけど」
「なんでしょう」
「子供がいるってことは、当然親もいるよな?」
「えぇもちろん。元々はつがいで霊峰を治めていたので――あ!」
何かに気が付いた彼女は勢いよく陣に目を戻し、霊峰の頂点を指して、
「異変を起こしているのは1体のみで、もう1体が未だ霊峰を維持している!」
「うん。因みに、俺たちが会ったのはどっちなんだ?」
「……母親の方ですわ」
「そっか」
途端に気を落とした様子から考えるに、交流を持っていたのはその母親だったのだろう。どう声掛けしたものかわからず、気まずい時間が過ぎていく。
この霊峰と森は神聖な類に入る。しかし、霊峰と森は主のいるなしという決定的な違いがある。母親は霊峰から来たと思っていたが、すでに霊峰を追われて森を彷徨っていたところと遭遇したようだ。
「という訳で霊峰に行こう。霊峰を維持してるなら話も出来るだろうし、こいつの治療にもその方が都合が良いんだ」
「わかりましたわ、早速向かいましょう!」
情報を共有して同時に立ち上がった二人は、一つ頷きあって歩き始めた。ここが既に霊峰の麓に近くであり、悠登が森を切り開いたせいで道のりは一直線に近しい。
まぁ進むごとに己の大破壊を思い知り胸が痛くなるが。
子供の様子にも気を配りながら、瓦礫のエリアを抜けて霊峰へ。
麓を越え、進むにつれ段々と霊気が高まってくる。
「うーん、霊峰にもモンスターが住まうと聞いていたのですが……」
「モンスターって眷属か? まぁそいつらも追い出されてるんだろうな。この霊気の濃さは半端じゃない」
周囲を見回しながら慎重に進む。
この霊峰はほとんどが禿山のようで、今のところか細い植物が生えてはいても木などは一本もない。岩も散らばってはいるが、基本砂利より少し大きいくらいの角ばった石ばかりが敷き詰められている。
魔術で辺りを少し探ってみるが、二人以外に動く者の反応はない。一歩を出すだけでどんと重石の加わるような霊力の圧では、いくら同種の眷属であっても耐えられはすまい。
「近づけさせない、という意志のようですわ」
「はは、実際その通りなんじゃないか?」
ふらふら見て回るアシュティーナへ軽口を返す。
だが、
(……やばいかも)
悠登には異変が起こり始めていた。
口いっぱいの苦虫を噛み潰したような苦渋に苛まれ、冷や汗をいく筋も流し、目がかすんで視力が急速に失われていく。
そんな状態で、足元の小石を踏んずけたなら――
「わっ!」
「まぁまぁ、大丈夫で――――ユウト?」
豪快にすっ転んだ悠登は、起き上がるどころか地に伏せた。身体に力をいれようとしても、逆に力が抜けていく。
悠登から、子供へ。
生命力の流出が止まらない。
「ユウトどうしたのです!? ユウトっ!」
アシュティーナに抱きかかえられ、耳元で叫ばれ体を揺さぶられる。
「も、もしやユリファウロスとの戦いで負傷を!?」
揺すられ更に目を回した悠登。気分の悪さに硬く瞼を閉じ静まるのを待つ。
――が、
「ちょっ! 待って待って大丈夫だから! ちょっとアシュティーナ!」
「こら動かないで下さい! 傷がないか検めるのです。けど、むむむ、この帯はどうなって……むぅ!」
「やめろって、ベルト壊れる! ちょズボン引っ張らないで! ダメダメダメダメっ! いーーやぁああああああああ」
「よっし! どれどれ――んふぅ傷も打撲も見当たりませんわねぇ」
「うん、そう、そうなの! 大丈夫だからズボン返し、ってぎゃあああああパンツ脱がそうとするな! ユリファウロスじゃない、原因は別なのわかってるのっ!!」
ピタッとアシュティーナの手が止まる。
「ほほぅわかっているのですか。ならば私にも教えてくださいますよね?」
初めてみた。
瞳孔の開いた満面の笑み。
「ああの、子供と俺の生命力をリンクさせてて、その、色々と肩代わりしてるっていうか……あぁあああ俺のズボンがぁあああ!?」
女神は笑顔を貼り付けたまま、無言で悠登のズボンを放り投げた。取りに行こうにも体は動かないし、とんでもない圧力を寄せるアシュティーナがそれを許すとは思えない。
「ユ、ウ、トォ~~~~!」
「ごめんなさいー!」
悠登の頬っぺたを両手で挟み、頬をぷんぷんに腫らして彼女は怒る。
心配したのだ、なぜ言わなかった、と。
そうして彼女の怒気と辛苦は、
――濃密な霊気と混ざりて指向性を持つ。
「ぅぐっ!」
「くぅぅ」
たちどころに巨大な圧に晒された悠登。それは垣根を失った悠登と子供で共有され、子供もシャボン玉の内で微かにのたうった。
「も申し訳ありません! 今払いますゆえ辛抱を!」
霊体そのものであるアシュティーナには、二人への霊気の影響がよくわかったのだろう。即座に彼女自身の励起を治め、それを転じて周りの霊気を押し返していく。
同時に悠登の身体もたちまち軽くなり、ゆっくり身を起こそうとするも、
「こら、動いてはなりません! あれだけの傷を肩代わりしては、ここまで来ただけでも大変なことですわ。まだ休むべきです!」
「いや、本当にもう大丈夫。アシュティーナが霊気を払ってくれたおかげで、すごく楽になったから」
力強く言ってみせる悠登。その顔にはもう苦痛の色は浮かんでいない。
「私のおかげ、ですか?」
「うん。実は周りからちょっとずつ生命力を分けて貰って、それを子供から失われていく分に充ててたんだ。それが、この霊気霊圧で上手く補給できなくなって――アシュティーナ、悪いんだけどこのまま維持してもらえる?」
「もちろんですわ。任せてください!」
悠登はいま、半精霊であるエルフェレトの子供と世界の橋渡しをしていた。
「よし、出発したいから、――ズボン穿いていい?」
「はい、どうぞ!」
「……一人で穿けるからやめてぇえええ!」
二人が再出発したのは、もうひと悶着してからだった。