初陣
一先ず泉に帰ってきた悠登とアシュティーナ。挙動のおかしくなったアシュティーナを連れての道中はかなりの労力を要したが、無事に着いてからはとにかく、泉に浸かって頭を冷やしてもらっている。
霊峰と森。
隣接した場にどちらも名ありの精霊として、親交深かったという霊峰の主。名はエルフェレトというそうだ。本来は灼熱の火を操る精霊で、よくよく話を聞けば、天真爛漫なアシュティーナの面倒をみることもあったらしい。
つまりは、確実に異変を受けている。
「ユウト、なんとかなりますか?」
「さぁてなぁ。俺も悪魔がいないんじゃ、まずかち合うより原因を探すほかないな」
ぶくぶくと、彼女は頭半分だけを湖面から出し、あってないようなはずの息を泡にして出している。
「アシュティーナ、この場所とか歴史とかで、瘴気関連の話はないのか?」
「はい。聞いたことがありません」
今の悠登に出来ることは限られている。出来る事なら戦わずに済ませたい。
こういった力ある者の異変は、大体2つのタイプがある。
1つは暴走。
1つは呪い。
暴走だともう原因をどうにかしても暴れる可能性は大であるが、呪いならば晴らせば済むかもしれない。そうしてここからは悠登の勘だが、あのエルフェレトの様子は呪いによると考えていた。
「一体どうして……」
「うーん、なぁ瘴気の洞穴とか、」
「ありません。あそこは霊峰なのですよ?」
しばらくぶりに空に上がったアシュティーナは、胡坐をかいて唸っている悠登の隣に陣取ると、小首を傾げながら覗いて来た。
その女神に気を向けながらも、悠登は独り言をいうように溢す。
「何かのきっかけで暴走したなら、暴れまわるのが普通だ。それがあの瘴気、エルフェレト本人が原因とは思えないんだよ」
「はい、私もそう思いますわ!」
「……邪なる者が来ていたのかね」
「なっ、こちらの悪魔でしょうか?」
「さぁてね」
やはりアシュティーナは泉の女神様。悠登が抱く可能性には至らないらしい。
(災いの前兆か、人間か。ま、どっちも勘弁なんだけど)
「あの、ユウト。その、悠長にしていて良いのですか? あれはもう霊峰を出ていました。もしや、この森をも出てしまうかもしれません」
ぎゅっと強く彼女は悠登の手を握る。エルフェレトの救出を願いつつも、口ごもるのは悠登を心配してのことだろう。
悠登はなるべく声を落ち着けて、地面に新たな陣を描き始めた。
「あれだけ瘴気を受けていても名ありの地主だ。この森も神聖な類に入るから地続きに徘徊してるだけで、流石にそれ以上は出ていかないと思う。とりあえず、さっきあいつのマナを浴びまくったおかげで、位置はいつでも捕捉出来るから心配すんな」
描いたのは照応の魔術。
その対象を限定し、位置を視覚的に映し出すためのもの。
「……ナニコレ?」
「わぁ! 森と霊峰が見下ろせます! すごぉい!」
陣の上に映し出されたのは、衛星写真のように上からみたこの辺り一体だ。さらに対象には印がついており、そこだけ拡大することも出来る、
――ようになっている。
「なにこれって、ユウトの魔法でしょう?」
「知らない知らないナニコレ知らない!」
困ったことに、普段は陣がレーダー盤のようになって、現在位置が陣の中心に、東西南北があり対象が点で表示されるはずなのだが……。
「あぁあこの世界のマナとエレメントを参照したらこんなことに……。実体を持つにも程があるだろぅ」
思わぬところで頭を抱えることになった。しかしまぁ、これは便利である。エルフェレトがいまどうしているかも見えるのだから。
「別にいいけどさぁもう――っておいアシュティーナ!」
「どうしました?」
「ここ!」
「こ、これは!」
見つけたのは霊峰の麓。
「小さいエルフェレト?」
「えぇ、この子は子供です!」
「こどもぉっ!?」
慌てて対象を切り替え、そこを拡大し、
「ちょっと待て、やばいぞ!!」
映し出されたのはエルフェレトの子供と、
――モンスターの姿。
とんでもないことに、
子供はモンスターに襲われている最中だった。
子供は必死に応戦しているも、既に何カ所から血を流し劣勢である。
「行きましょう!」
即座に立ち上がった二人。飛び出し駆ける速さは、追いかけっこをしていた時とは比べ物にならない。
「ユウト、これをっ!」
走り出してすぐにアシュティーナは何かを放ってきた。
「石?」
「私の精霊石です。これを分体とすれば、泉から離れていても私は力を得られます!」
それはつまり、泉の代わりだ。これを持っていれば、どこだろうとアシュティーナも行くことが出来る。ただ、石から離れられる距離はそう長くはないそうだ。
「わかった。預かっとく」
水の精霊の精霊石。水色に輝くクリスタルのようなそれは、振れば不思議に気泡が立つ。美しく、アシュティーナの分身とも呼べるそれを、悠登は落とさないようポケットにしまった。
「アシュティーナ、ちょっと飛ぶよ」
「はい! ――はい?」
元気よく条件反射で返事をしたアシュティーナ。彼女が意味を理解する前に、悠登は大地を蹴って木々を超え、大空へ出た。精霊石に連れられて、問答無用で彼女も宙に舞い上がる。
「わわっ。わぁああああああああ!?」
悠登が跳躍の頂点へ躍り出た丁度そのとき、強烈な風が二人の背中を追い立て、とぐろを巻いて――
「これは、風の竜!? 風に乗ってる!」
轟轟と猛烈な音と振動を立てながら、悠登は竜にも見える風の塊に腰掛けていた。
竜とはいっても、アシュティーナの知らないだろう、龍の造形。はじめはおぼろげだったそれは、風を取り込みながら進み、次第に鱗の一枚一枚がわかるまでに現れ出でる。
「すっすごい! すごぉおおおおおおいっ!」
強烈に吹きすさぶ風に、豊かな髪を豪快にかき乱されるも興奮に任せて叫ぶアシュティーナ。ここまで喜ばれると、悠登も自慢げになるものだ。
「これが朝霧の自然魔術! うちは白魔術の大家なんだ!」
自然を扱う白魔術。悪魔を扱う黒魔術。
双方共に血筋がなくとも扱えるが、悠登は双方の血筋を引く、いや祖母が嫁いできてから、朝霧家は世にも珍しい白黒両方の血を持つ家となっていた。
「え? 何か言いましたかぁああ!?」
「なんでもなぁああい!」
残念ながら、風の轟音を消す術はないのであった。
さて、上空遊覧はそう長く続かない。空を行けば広大な森も一瞬だ。
目的地に向けて高度を下げていく。同時に地上に目を凝らし、エルフェレトの子供を探す。龍の右側左側に分かれ、アシュティーナと二人で目を向けるも、
「見当たりません!」
「森に入ったんだ! くそ、どこにっ!」
悠登は素早く瞳に魔力を流す。
『星辰の書』から引き出すのは、物事の全てを見通すとも言われる千里眼。その術で、広範囲を一度に見る。
「いたっ!」
捉えた子供の姿。それは森の木々の中でも一際太い幹を持つ木の根元に横たわっていた。幹には血の跡がべったりとついており、ぶつかった衝撃か傷のせいか、子供はぴくりとも動かない。
アシュティーナに場所を伝えようと考えた悠登の視界に、嫌なものが入って来る。
「くそっ!」
「ゆ、ユウトっ!?」
状況をみて悠登は即座に飛び降りる。当然アシュティーナも道連れだが構う暇はない。
巨大な狼が、大口を開けている。
「どっせぇええええええええええええいっ!」
悠登が張り上げた大声に、見上げた狼の脳天目掛けて踵落とし。巨体の割に素早い狼に、渾身の攻撃は空振るも子供との間に割って入った。
「アシュティーナ、子供を!」
「はは、はいぃい」
とても頼りない返事だが、彼女は女神、任せておけば大丈夫だろう。問題は目の前の狼だが、果たしてどうするか。
狼の牙や爪には真新しい血が付いている。誰の血かはわかりきっているが、どうやら食事にはあり付いていないらしい。だらだらと涎を垂らし、邪魔をするなと低い唸りを繰り返している。
(まっずいなぁ、白魔術は基本的に攻撃には向かないんだよね)
いやそもそも、地球はファンタジーではないのだ。神と交信し、精霊の力を借りることは出来ても、化け物は存在しない。争いになったとしても、相手は同じ魔術師か魔術師が呼び出した者、造りだしたモノとなる。
朝霧の白魔術も、自然の力を利用して事物を成すが、決して自然を意のままに操っているのではない。自然を理解し、場の類似性や既にある風を集めて指向性を持たせることは出来ても、風そのものを新たに生み出すことは出来ないのである。
足に力を入れ、今にも突っ込んできそうな狼に、悠登の冷や汗が滴り落ちる。後ろには子供とアシュティーナ。どうあってもここを退くことは出来ないのに、突進を止める術がない。
(ソロモンの秘術さえ使えれば……)
狼がより低く構えた。四肢の力みは相当なバネとなって威力を生み出すだろう。秘術のなかには強力な防御の魔術もあった。だが使えないものに縋っても意味はない。
止められないのならば、突撃自体を潰せばいい。
「ユウトっ!?」
先に飛び出した悠登。狼が走り出す前に、魔術で一足飛びに眼前へ。瞬時に迎撃に切り替えた狼の、鋭い牙と爪が一度に迫る。
アシュティーナの悲鳴を耳にしながら、悠登は厳かに口を開いた。
――『鳴れ』
言葉
音の振動
含まれた魔力
振動とエネルギー
合算し乗算せし"振動波"
解放と同時に爆発的に膨れ上がる波動
音速を超え、暴力的に拡散し蹂躙の限りを尽くす。
もはや目に見えるそれは悠登を中心点に、
至近距離から狼を吹っ飛ばし、
聖なる森の木々を薙ぎ払い、
問答無用で地形を均す。
悠登の背後を除いた放射状数キロに渡る広範囲が、瓦礫と土煙に満ちた更地へと姿を変えた。
「ご、ごめん。ちょっと強かった、かも」
魔術師の詠唱は、魔力を乗せて世界を震わせることに意味がある。今回はこれをそのまま拡声器のように使ったのだが……これまたこの世界のマナの濃度を考えていなかった。
一応、あちらでの射程は十メートルくらいである。
恐る恐る泉の女神を窺い見ると、彼女はあんぐり口を開いてフリーズ状態。苦笑いを全面に押し出して謝るも、頭が働いていないだろうアシュティーナは震える指を荒れた地に指して、
「え、え、えっと、ちょっと? え……」
特段アシュティーナがこの森の主ということはないが、精霊の住まう森を豪勢に破壊してしまったのだ。また女神の怒りが落ちないことを切に願う。
しかし色々とスッキリしたおかげで、あるものの姿はよく見えた。
振動の爆発を至近距離で受けた狼だが、丈夫なのか外見に傷などは見当たらない。のそり起き上がって頭を幾度か振っている。戻ってくるのは時間の問題だろう。
悠登もまた動き出す。アシュティーナとエルフェレトの子供を巻き込まないよう距離を取り、ほとんどが木材の瓦礫のなか使えそうなものがないかと目を凝らした。
「よし、これだな」
取り上げたのは一本の木の棒。真っ直ぐに伸びあがり、しっかりと握りこめる太さがある。悠登はそれを刀剣の類いでも持っているかのように振って握りを確かめた。求めていたものに限りなく近い棒に満足し、掲げる。
「Respice,adspice,prospice
(汝、その姿は真にあらず)。
Vive hodie(されば成せ)、
Durum gladio(強固なる剣)」
詠唱が、棒に伝わり陣を生む。上下挟むように現れた魔法陣が、両方向から棒を内部に進行し、中央で合わさり消えたそこには、一本の剣が悠登の手に納まっていた。
「漆黒の剣!?」
アシュティーナの驚愕が響く。
モノを別のモノに変えるいわゆる錬金術。
黒光りするその剣は、刀身も柄も長い長剣だ。それを今は片手に引っ提げ、警戒に唸る狼へ一歩一歩迫っていく。程よい距離に到り、悠登は狼の頭部に向けて刃を構えた。
じりじりと、互いにつま先で移動し相手を窺う。静かすぎる攻防に、痺れを切らしたのは狼だった。
全身のバネを使い、伸びあがるように狼が迫る。だが悠登は動かない。覆い被さる狼の巨体。鋭い爪を、悠登は悠々とくぐり、
「はぁっ!」
一息に、腕を斬り落とす。軽やかにステップを踏み、離脱を試みる狼のわき腹から背中にかけてを抉る。決死の体当たりを避け、狼と距離を取った。
「うそ……ユリファウロスの毛はドゥリエの岩より硬いはず……」
アシュティーナの呟きは、声量と距離のせいで悠登には届かない。
傷を負ってなお悠登を見据る狼。かなり深い傷に助からないと踏んだのか。瞳に最後の火を灯し、打って出る気のようだ。
再びの膠着は、早々に狼が破った。片腕がない故に、着地を考えない体当たり。悠登はひらり身を翻し、すれ違いざまに刃を当てた。
「なっ!?」
先ほどは通った刃が、弾かれる。驚く暇はない。これを狙っていた狼は、悠登を巨体で押し潰さんとのたうってくる。悠登は脚に魔術を掛け即離脱。
「ユウト! ユリファウロスは、その毛の硬度を変えられるのです! 最大まで硬化されては、刃で傷をつけるのは不可能です!」
アシュティーナの解説を受け、当のユリファウロスがなにやら自慢げだ。まるで、こうなる前にカタをつけておくんだったな、とでも言いたげである。
「硬さ比べね。だったら、
――Vive(魅せよ)。Stella gladio(光耀なる剣)」
「ふぁっ、クリスタルの剣!?」
それは純度100%のダイヤモンド。
悠登が握っているのは、炭素の剣。漆黒はもろさと硬さを兼ね備えた黒鉛であった。
悠登は輝く剣を掲げる。それは光を幾重にも反射し、幾筋の虹を生んだ。神々しい切っ先を向けられて、狼の眉間は険しく歪む。
「行くぜ?」
ニヒルな笑みを浮かべて悠登は駆けた。向こうも飛び込んで来る。刀身と牙が打ち合わされた直後、一筋の虹が走った。
背後で狼の巨体が沈む。しばし瞳を閉じて、ゆっくりと悠登はその場を離れた。呆けるアシュティーナの所へ行く間に、剣を元の枝へと戻して瓦礫の一つに。そうして、アシュティーナの真っ正面に立つも、彼女の焦点は飛んだまま。
「おーい、大丈夫?」
彼女の顔の前で手をひらひらとかざすと、ようやく青の瞳が向いて、
「戦えるではないですか。十二分に……」
「えっと剣の実践は”初めて”だったから、自信なくて」
「は、はじめてぇえええええええええええ!?」
素っ頓狂に叫んだアシュティーナは悠登の襟をつかみ上げ、
「嘘を仰らないでください! 初めての動きではありませんわ! 精霊でもわかりますわ、百戦錬磨の動きです!」
怒気で真っ赤なアシュティーナ。
掴まれた襟が段々と締まってくる。
「いやだから、その百戦錬磨の悪魔に教えて貰ったんだって! 手取り足取り叩き込まれたんだって!」
「なるほど悪魔に……それにしたって可笑しいですわ! 一体どうすれば初めてでもあれだけ動けるようになるのです!?」
「それはあれかなぁ。身体を乗っ取って貰って、直に動かし――」
「ふぁあああああああああああああああああああ!」
「ちょ、なに!?」
「ずるですわ! 反則ですわ! 大反則ですわー!」
徐々に首を絞められ、ギブを示すも取り合ってもらえず、耳元で叫ばれ続ける。それは、後ろのエルフェレトの子供がくぅんとか弱い鳴き声で二人を呼ぶまで続いたのだった。