女神の怒り
召喚士。
それは調教士とは違い、精霊、悪魔、モンスターなどと契約を交わして必要な時に呼び出し命令を下して使役する者。
なるほどソロモンの悪魔を使役してきた悠登には似合いの役だろう。
「となると、まずは契約の魔術を構築しないと」
早速行動を開始だ。
悠登は放りっぱなしだった鞄を拾い、適当なノートのまっさらなページを開くと、すらすらとシャーペンを走らせ始める。すると側にアシュティーナが寄ってきて、ノートを覗きながら不思議そうに、
「新しく作るのですか?」
「うん。あっちの魔術だと上手く作用しないだろうから」
あちらとこちら。契約において一番の違いは、精霊が世に現れているか否か。
地球では、まず精霊を呼び出すところから始めねばならない。しかし、こちらはアシュティーナのように手を伸ばせば届く故に、抜本的に見直す必要があった。
ノートの隅々までが、記された様々な文字記号でみるみる埋まっていく。あれこれと唸ったりぶつぶつ独り言を呟いて、勝手知ったる魔法陣をこちらの世界に合わせていく。
アシュティーナの存在を完全に忘れて熱中すること小一時間。
「よし! これならいける」
「いけるって……まさかもう出来たのですか!?」
ノートを掲げておもむろに立ち上がった悠登を、驚愕の表情を貼り付けて見上げるアシュティーナ。呆気に取られたような彼女に構わず、悠登は鞄からチョークを出すと、地面をある程度に均し始めた。
「ユ、ユウト? ホントに新しい魔法を完成させてしまったのですか?」
「いんや、作り替えただけ。肝心の契約の部分は転用出来そうだったから」
「……作り替えたにしても小一時間は早過ぎますわ」
「そう? 普通じゃない?」
悠登は作業の手を止めない。なにやら女神がどこぞに向かって、あかんやつ、的な叫びをあげているが気に止まらなかった。
綺麗に均された場に満足した悠登は、真新しいチョークを握って迷いなく曲線を引き図を描いていく。
「むむぅ。この数字の列はなんですか?」
進み続ける作業に、女神は諦めたのか戻ってくると、出来行く魔法陣を上から眺めて回っている。その彼女の瞳が映しているのは、組み合わさった図形の端々に並ぶ数字。
「あっちの文字を数字に置き換えたんだ。その方が馴染みがいいと思って」
「文字を数字に……とても興味深いですわ! では、この四隅の図はなんなのです?」
魔法陣が形を成すにつれ、好奇心に駆られたアシュティーナの質問が増えていく。陣の上を縦横無尽に飛び回り、ここはそこはと説明を求める彼女はとても楽しそうで、悠登はその度に手を止めてなるべく丁寧に答えていった。
結局、陣を描くだけにまた小一時間を要したが。
「よし、完成だ!」
「凄いです。内容は理解出来ませんけど、力のあり様は感じますわ!」
流石は精霊ということなのだろう。どういう感覚なのかわからないが、彼女はうんうんと頷きなぜか誇らしげだ。
厳かに広がる二つの魔法陣。
小振りなものと、その二回り大きいもの。内側に描かれる模様も異なり、大きい円の方はいくつもの図形や内円が重なっている。
「じゃあアシュティーナ、そこ立ってくれ」
「はい!」
飛び跳ねて一直線に彼女は、悠登の指示した小ぶりな陣の内側へ。地に足をしっかりつけ、興奮の様相でこちらを窺ってくる。悠登は大きい方の陣の中へ移動し、
「じゃあ始めるぞ」
「えっと、何をです?」
疑問に首を傾げる女神。反応に首を傾げる悠登。
「何をって、契約の儀式だけど?」
「そうですよね。そのための陣ですものね……あれ、つまり?」
「だから、これからアシュティーナと契約して、俺の霊に――」
「ふぁあああああああああああああああああああああっ!?」
あらん限りの声量で叫ばれて、悠登は魔法陣に供給しようとしていた魔力を強制停止。それでも、術者と対象が位置に着き、準備段階に入ったことで円の外周に出来上がった不可視の壁が、何ものも外に出ることを許さない。
閉じ込められたアシュティーナは、必死になって壁を叩き出した。
「勝手に契約しないでください! ダメです!!」
「え、ダメなの?」
「当り前です!」
「どうしても?」
「どうしてもっ!」
アシュティーナは相当に切羽詰まった様子で、ただ事ではないのだと悠登は術式を解除した。互いに魔法陣を出ると、鬼気迫る形相の女神が詰め寄ってくる。
(……やばいかも)
威厳も尊厳も全然ないから軽視してしまったが、アシュティーナは正真正銘の女神だ。または泉の守護者。本物の神と比べれば精霊と呼ぶべきだが、己の神域の内ならば神にも勝る。そんな泉の女神の怒りを買って、無事に済む話は少ない。
「ごめん。つい」
「ついではありません! 私はユウトに使役されるつもりはありませんし、何の了承もなく始めるなど論外です!」
「ごめんなさい」
メデューサのように美しい髪を四方八方逆立て迫ってくる。強烈な圧が悠登を襲い、周囲の空間に漂う魔力が不穏に荒れ乱れていく。今となっては頭を下げるしかない。あらん限りの誠意を持ってひたすら懺悔を唱え続ける。
いくらか経ったが未だ断罪は降って来ない。ならばと今度は手を合わせ、何度も何度も和解を願う。
「ふぅー。一つ聞きます。なぜ了承も得ず私を使役しようとなさったのですか?」
願いが通じたのか、ひとまず髪を撫でつけ、励起させたマナを収めたアシュティーナ。鋭い目つきで悠登を見据え、答えを待っている。
山場。この答え次第で天地が決まるだろう。
「俺の世界では、普段精霊は姿を現さないんだ。だから精霊がいる状態は必ず精霊を使役する時か、力を借りる時といった、精霊と何かを成す場面以外にない。その考えから、俺はアシュティーナを使役する場だと思ってしまいました。ごめんなさい」
嘘偽りなく、人生で一番の土下座を披露し全てを吐露した。
「……わかりました。世界の違いと納得しておきましょう。ユウト、よく聞いてください。この世界ではユウトの世界よりずっと、人と精霊は近いのです。私たち精霊は、ただ利用する存在ではなく、共に歩む隣人。尊重し合わねばなりません。わかりましたか?」
「うん。以後気を付けます」
「よろしい」
体の前で両腕を組み、仁王立ちのアシュティーナ。その前で正座をし、教訓を刻みつつ安堵を溢す悠登。その後も、悠登は彼女のご機嫌取りに勤しむこととなったのだった。
――☆――
頭の頂点からうなじにかけて、白く美しい指が悠登の髪を梳かしていく。それは時折頬まで降りてきて、滑らかな指に頬や首元をくすぐられた。
今悠登は、なぜかアシュティーナに甘やかされている。
「すぐにでも使い魔が欲しいのですか?」
横向きで彼女に抱き寄せられ、暖かいのかひんやりと冷たいのか判然としない彼女に体を預けた状態の悠登。
アシュティーナの怒りを買ってから、彼女の要求に出来るだけ応え続けていたら、最後に愛でさせろという要求を突き付けられて今に至る。どうやら随分と長い間人と関わることがなかったようで、大層嬉しそうに撫でてくるものだから邪険にも出来ずで困っているところ。
「んー、落ち着かないって感じかな。全く知らない世界にいて切り札がないんだ。正直不安になってるんだと思う」
心の内をぽろりと漏らす。ここまで甘やかされては、悠登も絆される他なかった。
アシュティーナの手が止まる。悠登がそっと彼女を仰ぎ見ると、悲しみに濡れた瞳が降ってきた。
「申し訳ありません。私がお手伝い出来たら良かったのに」
「だからいいって。事情があるんだろ?」
「はい……」
詳しくは教えてくれないが、事情があるのに申し訳なさそうな顔をされては、先の失態も相まって悠登も辛くなってくる。どうにか和ませられる言葉はないだろうか。あれこれ考えるも、妙案が浮かんだのはアシュティーナの方だった。
「ユウト! 使役するのは、霊的な存在でなければならないのですか?」
「ものによるけど、絶対ではないな」
閃いたと元気よく顔を覗き込まれて、悠登が狼狽えながら答えると、彼女は更に額をぶつけて、
「では、精霊とモンスターが混在する者はどうです?」
おでこがひんやりと涼しい。じゃなくて、おでこがくっついている。
「そ、それなら大丈夫だと思うけど」
「私に心当たりがあります!」
「ほんとかっ!?」
今度は悠登がでこを押し当てる。
「はい。その者であれば、ユウトの力になること間違いなしですわ!」
「ならまずはそいつだな! どこにいるんだ? 遠いのか?」
「いえ、それほど遠くではありませんわ!」
「よし善は急げだ、早速――」
興奮任せに喋る悠登だったが、唐突にアシュティーナが身を起こして、
「あっ!?」
「なに!?」
何か思い出したように、しまったと表情を固めたアシュティーナ。ギギギと錆び付いているかのようなぎこちなさで、視線だけを送ってくる。
「あの、その者は強者に仕えることを良しとするのです。ユウト、失礼ですが、
――――戦えますの?」
「た、ぶん?」
得も言われぬ空気、空回りする時間。
召喚士への第一歩は、なかなか遠いのかもしれない。
誰であれ無了承は良くないですね
さて、やっと動き出します(遅い…
次話「虚の瞳」