アシュティーナ
エルフェレトによりアシュティーナの元へと投げ戻された。目測違わずエーテルの園へ落ち転がり、即座に身を起こそうする。その悠登に、白く美しい腕が射し伸ばされた。
「アシュティーナ! 神界の女神だって本当か!?」
グイッと引っ張られたそのままに、悠登は女神の両肩を掴んで揺さぶる。はじめは悠登の勢いに驚いていたアシュティーナだったが、段々と表情が強張り体を震わせていく。
「ど、どうしてそれを……」
薄く開いた唇から、漏れ出た言葉は続かない。
「エルフェレトから聞いた。本当なんだな?」
彼女の反応をみれるだけで答えはわかる。それでも確認にと問いかけるも、彼女は動揺を強め、目線を彷徨わせたまま。
神獣のいう、神界の女神。
おそらくではあるが、神界というのだから次元の神ジャールや女神イリスといった神々の住む世界で、アシュティーナもその一員ということだ。
そんな真正の神が、ただの泉に居つき精霊と同等の力をみせている。それには相当な理由があるのだろう。
それでも、
「アシュティーナ頼む、力を貸してくれ!」
今この状況を変える手立てはない。
「……出来ません」
「アシュティーナ! もう他に手がないんだ!」
俯き震え続ける女神に悠登は縋る。
「出来ません。今の私に、神としての力はないのです――」
「いや、神の力はいらないから大丈夫」
「――へ、あ、え?」
悠登はけろりと当然のように言ってのける。
アシュティーナは呆気に取られ顔を上げる。
「いえあの、力を貸してほしいのですよね?」
「うん。でも神の力じゃなくて、普通に協力して欲しいって意味だったんだけど」
「いやいやいや、普通この状況で力を貸せと言ったら他にないでしょう!?」
「え……ごめん」
「謝られたっ!?」
なんで、なんで!? と女神は小うるさい。しかし、神の力を必要としていないのは確かなのだから、そう迫られても困るだけ。
もとより、あちらの神は、神の力など貸してはくれないのだ。
それ故に、神の力を必要とする魔術は持ち合わせがないのだ。
ならば――
「俺が欲しいのは繋がりだ。神との接点。とっかかり。だから、真名を教えてくれ」
世にある言葉。その全ての中で最も力を持つは神の名である。
その神の名を核とし、神の力の情報を加えてそれを再現し、具現し、利用する。あちらの魔術において必要なのは、力を再現するための情報。
「……真名、ですか?」
女神の瞳は不安にか揺れ動いている。
この世界では神に頼み込み本人に力を発揮してもらうことが、神の力を借りることなのだろう。となると、真名を知られることで力の利用が容易くなる可能性が高い。
葛藤をもたれるのは当然だ。
「頼むよ。絶対悪いようにはしないと誓うから」
彼女の肩を掴んでいた手を外し、今度は彼女の手を握りしめる。
たった半日足らず。少ない時間で築いた信用信頼に賭けた。
けれども、
改めて向いた不安な瞳。その不安の方向性がなにやら怪しげなのだがどうしたことか。
「あのぉ、――真名ってなんですの?」
「えぇー、マジ?」
パチパチ。女神の瞳が不思議に揺れている。
一瞬危機感を忘れて二人は見つめ合った。大きく見開かれた目と、薄く細められた目だ。
「えぇと、こっちの神様は名前が一つだけなのか?」
「はい。あちらの神様は名前が二つもあるのですね?」
総じて異世界問題である。
「ん~じゃあなんでパスを感じないんだ?」
強力な力を持つ神の真名は、何も知らない一般人に言わせても膨大なエネルギーを得てしまう。故に、あちらでは真名を伏せ、二つ名で呼ぶのが基本であった。
つまり、悠登はずっと真名を呼んでいたのだ。
しかしながら、魔術師が呼べば諸力が動く。繋がりが生じる。
彼女の名をこれまで何度呼んだろう。だが、感じるパスは精霊石に依るものだけ。
悠登に疑問をぶつけられて、アシュティーナは戸惑いがちに返答をし、その内に己が名を告げた。
「さぁ、私に問われましても。私には調和の女神という名しか……」
女神と悠登。
双方が彼女を神の一柱と位置付けた中で初めて告げられたそれは、
「調和の女神?」
「どうかしましたか?」
はいそうですよ、とでも言わんばかりのアシュティーナ。
対し、悠登は自身の内に確かなものを得ていた。築いた絆も加わり強固なパスが通っていく。
「わわっ! み、水が!」
強力なパス。それに周囲のエーテルが反応し、一部が水へと姿を変え舞い始める。
「ありがとな」
「これで、お力になれたの、ですね?」
もちろん。微笑を浮かべて発した応えは――掻き消された。
背後で鳴った、
「――$@%##############################!」
近い。
かなり近い。
バッと振り返った二人の視界には――
「エルフェレトっ!!」
先の悠登よろしく、勢いよく宙を舞う神獣の姿。
目を背けたくなるような着地をし、大きな神獣は倒れ伏す。
「おい、大丈夫か。おい!」
駆け寄り声をかけるも彼は苦痛に呻くだけ。肢体は傷だらけで至る所が瘴気に黒ずみ、息は粗く返事どころか瞳を開くこともない。
限界であろう。
もとより彼は、子供と生命力を共有しているのだ、それだけでも相当な負担であったはず。それでも時間を稼いでくれた彼に、送るべきは謝罪ではない。
「ありがとう。あとは任せて」
自分はここにいると、寄りかかるようにして毛並みを梳いた。僅かに頷いたような彼に、悠登は頷きを返す。
ずん。
今この時も、闇は歩みを止めはしない。
闇が一歩を踏むごとに瘴気が世界を侵していく。されど霊脈の上。エーテルの園まで来ると、光と闇は拮抗を始めた。
悠登は闇と対峙する。こちらを見止めた闇は足を止め、早速瘴気を蠢かせた。ゆらゆらと揺らぎながら闇の体積は増していき、溢れたものから宙へ出でて球状となる。
「情緒の欠片もねぇな。しかしま、もう負ける気しないわ」
不敵な笑みを浮かべる悠登。
ぺろりと下唇を舐めて、
「神よ。これよりその御名を清め、御身を敬いし者に示したまえ」
詠唱はラテン語ではなく日本語で。
内容はあちらと変わらないが、聞き届かせたいのはかの女神だ。
悠登は闇に向かい立つ。
闇を見据えて詠唱を詠う。
「大いなる御力を、
――手刀を掲げ――
大いなる勢いを、
――目の前の宙に――
大いなる働きを、
――五芒星を描く――
その御名、調和の女神の名のもとに」
闇と悠登。
共に用意は出来た。
「――##############################!!」
一斉に撃ちだされる瘴気の弾。その数ざっと百。
「――絶対秩序の白き聖域」
地に走るは純白光の魔法陣。悠登、女神、神獣親子を容易に包みて円の縁より水の壁が立ち上がる。
殺到する瘴気弾。それは水壁にぶち当たる。
途絶えぬ攻撃は、全て水に流されていく。当たれど当たれど、水の壁は絶えず潤い膜を張り続けた。
アシュティーナは調和の神。それと現在の水への親和性を利用し、悠登たちがいる陣の内を乱させぬ、急ごしらえの結界魔術。
「すごい……。それに、私の力も強くなったような……」
前方で巻き起こる水の動きか、はたまた一面を白く染め上げる聖域にか。女神アシュティーナは脅威のなか感嘆の息を溢している。
「神様の目の前で使うなんてないからなぁ。たぶん、名を使われたこと自体と、その名で作られた聖域の中にいるからじゃないかな」
のんきな会話。結界が破られる気配がないからだが、のんびりするつもりはない。
瘴気の弾を撃ち終え警戒に身を震わす闇。悠登は脚を踏み出し、一歩一歩と闇に近づいていく。
「随分とかかっちまったな。やっと、あんたを何とかしてやれそうだ」
形勢逆転か。
白き聖域の内と外。
佇む悠登と唸る闇。
いいや、エルフェレトの母。
「さて、そろそろ機械仕掛けの神にでも登場してもらおうぜ」
大仰に語るそれは、何のことは無い。ただの舞台演出への批判の用語だ。大きな困難を前にして、主人公なりが自ら乗り越えるでなく、ただ神を登場させその導きでやり過ごす展開に。
からくり仕掛けの舞台装置を使い神役を登場させたことから、機械仕掛けと揶揄された。
今ならば苦難に立ち向かっているのは悠登だろう。
悠登本人が神を登場させるのはおかしな話だろうか。
「そうだな、んじゃ魔術仕掛けの神ってことで」
まぁなんであろうと構いやしない。
が、
こんな事態を引き起こし、今もどこかで状況を窺っているだろう不気味な腕の持ち主に、挑発の一つでもくれてやらねば気が済まない。
悠登は一度、どうしてか気になった方向へ視線をやった。ぼろっぼろではあるが、意地の悪い笑みを送る。
再び闇へと姿勢を戻した悠登。
アシュティーナとの繋がりを意識しながら、ゆっくりと口火を切る。
「大いなる神々よ。真なるかな、上なるものは下なるものの如し、下なるものは上なるものの如し――」
「わわわっ!?」
後ろで女神が狼狽えている姿が目に浮かぶ。
「一なるものの奇跡を成就せんがため、汝らの尽くを我が前へ――」
偉大なる錬金術師の碑文を引用し、下界に居るアシュティーナと神界の神々を繋ぐ。
「我全能なる神の御名において汝を祓わん――」
世で最も力を持つは神の名である。
それは何も、個人名でなければならぬ理由はない。
そう、個人という括りのない、
神という存在そのものを指す言葉。
”神”の真名。
天へと掌を突き上げる。向ける先に、
「まっ、魔法陣!? なんて大きさ……」
直上に広がる大魔法陣。
正円の内の五芒星。
五芒星の各頂点に、文字が一つずつ。
それだけ。
簡素、簡易、略式、
いいや、
これぞ全てだ。
霊峰をすっぽり覆う巨大魔法陣の円環は、もはや時をまたじと昂輝を増して明滅する。悠登は一度それを確認し、結界である白き領域を解除。
そうして、意志強く闇を見据え、
天にかざした手を振り下ろす。
「光へ連れ行け――永遠なる聖五文字っ!!」
天空より、一本の光の柱が降ってくる。
直径は巨大魔法陣と変わらない。
空の天板が降りてくる。
闇も、悠登も、女神も、神獣の親子も、霊脈も関係なく。
皆、全なる光の内へ。
光の柱に飲み込まれた眩い空間のなか、悠登はアシュティーナとエルフェレトの親子を視認した。
近くで身を縮めていたのは女神アシュティーナ。襲い来る光に備えたらしいが、いつまで経っても覚えない衝撃に気付いたのだろう。恐々瞳を開けて顔を上げ、微笑む悠登を見止めて安堵したように息をつくと、そそくさと悠登の傍へやって来る。
小首を傾げ彼女は状況の説明をねだったが、
「む これは……」
「エルフェレト! 気が付いたんだな、具合は?」
長い長いまつげを震わせ、エルフェレトは静かに瞼を開いた。アシュティーナと共に駆け寄ってみると、彼の肢体から傷がみるみる消え、瘴気の黒斑もなくなっていく。
「治ってる?」
あっという間に美しい毛並みを取り戻したエルフェレト。その様子に驚いていると、彼の隣から心地よさそうな鳴き声が届く。
「くぅ」
光に飲み込まれたことで、父同様、地に横たわったエルフェレトの子供もまた傷口が跡形もなく消えていた。
「ユウト、この光は一体?」
「うーん、何者でもないもの、かな」
「ど、どういうことですの? 教えてください!」
焦らすような悠登の回答は、やはりアシュティーナの頬を膨らませるだけだった。だが腕にしがみつく彼女だけでなく、エルフェレトからも視線が寄越される。
「純粋に神の光。けど、神ジャールでも女神イリスでも女神アシュティーナでもない、神という大きな括り、万物を司る者たちの光。これには全てが含まれる故に聖も邪も持ち合わせず、あるのはただ、全であり一であるのみ」
「えーっと、つまり?」
「あるがままってとこかな。本来あるべき姿への回帰。これで母親を元に戻そうって思ったんだけど……傷まで治っちゃったなぁ」
使った術式は、とても単純なもの。すなわち、全なる光を放出するだけ、天の蛇口を捻るだけの術である。
迸る光のシャワーで要らぬものを洗い流してしまおうと。
悠登は、光が満ちる前まで闇がいた辺りに目を向けた。そこは未だ強く輝きを放っており、ある意味浄化と呼べる洗い出しが終わっていないのだろう。
ゆっくりと身を起こしたエルフェレトの父は、そっと眠る子供の毛並を繕っている。
「ユウト 奴はまた 手を出してこようか?」
「……狙ってくるとすれば、光の収束直後だな。すぐに結界を張るけど、気は抜かないでくれ」
「あいわかった」
エルフェレトは立ち上がり体の様子を確かめる。
話の間もアシュティーナはずっと悠登の手を握っていた。悠登は彼女に向き直ると、手をほどきつつも互いの額を合わせて不安を隠さない蒼い瞳を覘く。
「アシュティーナは母親と子供を頼むな。大丈夫、今度はちゃんと策があるから」
「わかりました。ご武運をお祈りいたしますわ」
泣きそうなのか潤む瞳が麗しいが、
「女神に祈られたら、俺どうしたらいいの?」
「もう、揚げ足を取らないでください!」
ぷくっとむくれる彼女に笑いかける。だがすぐに、悠登とエルフェレトの視線が鋭いものへと変わった。
ある個所の光が和らいでいく。淡く溶けるように光のヴェールが取り払われ、その奥で眠る純白の神獣の姿があらわになる。
3つの安堵のため息がこぼれた。悠登、女神、神獣は互いに顔を見合わせ、無言のままに歓喜を分かち合うと、瞬時に表情を引き締めた。
「いくぞ…………術式終了!!」
天上に開いた光条の扉が閉じていく。そうして、世界は再び動き始めた。
最終話
デウス・エクス・マキナの先に