嘘つきと女狐と
「あー!忘れてた!委員会の当番だった!ごめんカレンちゃん、先に帰ってて!」
「またなの?ミコト。しっかりしなさいよね全くもう」
「ほんっとごめんね……」
「あーもう、スカーフ曲がってる。じっとしてて。うん、これで大丈夫。ほら行ってらっしゃい」
「うん!また明日ね!」
手をぶんぶん大きく振ってから全速力で走っていく彼女を見送って溜息をつく。
中学からの友達のミコトはいつもこうだ。やらなきゃいけないことをすぐ忘れるし、どんな手入れしてるのかわかんないけど服や髪も気付いたらいつも乱れてるし、独り言も多いし、なんか抜けてるんだよね。
この前の休日も二人で待ち合わせしてパンケーキ食べに行くはずだったのに時間になってもなかなか来なくて、しかもニュース速報で、ミコトがいつも使ってる路線の電車内で爆発騒ぎがあったって入ってきて。こっちは生きた心地しなかったのに、すがるような気持ちで電話したらあっさり出て
「ごめーん今起きた!」
ときたもんだ。
先週の体育の授業前だってそうだ。いきなり
「き……きのうアイス食べ過ぎてお腹痛くなってきた……」
って言って保健室に駆け込んでその授業まるまる休むわ、その後心配して様子を見に行ったらベッドの上で
「痛いの治ったらお腹すいてきちゃった!」
ってチョコ食べてるわ。
そんな感じでいつも振り回されているのだ。
そういうところも含めて「愛されキャラ」なんだと思うよ?実際ちょっと男子からの人気も密かに高いしね。黒髪ロングの清楚系はモテる、それは都市伝説でもなんでもない、れっきとした事実だ。でも残念。
「えー、彼氏とかいらないかな。高校の勉強難しいし、ついていくだけでせいいっぱい。それに私にはカレンちゃんがいるから大丈夫」
「こーら、いつまで私に甘えるつもりなの!」
「ふにゅう」
そんなやり取りをしたのは先月のことだ。
いつまで経っても世話が焼けるんだから。
でも、そんなミコトと一緒にいすぎたのかもしれない。
「やば!ノート提出すんの忘れてた!締め切り今日じゃん!あーっ、まだ書けてないところがある!」
私までこんなしょうもないポカするなんて。
それから15分くらいでマッハで手直しして、どうにか提出できる形に仕立て上げて職員室に駆け込む。何はともあれ無事に提出できてよかった。ちょっと息切れしながら廊下の窓側の壁にもたれかかる。
その窓のすぐ下に校庭が見えた。
ミコトは園芸委員で、週ごとに当番が二人ずつ割り振られているって聞いてた。だから、視界の端で花壇を整備してる二人組のどちらかがミコトだと思ってそちらに視線をふと向けた。
そこにいたのは、明るい茶髪の女子と、眼鏡をかけた男子の二人組。
ミコトじゃない。
いや、当番じゃない人がたまたま手伝いに来ただけかもしれない。そう思って二人の様子をしばらく見てたけど、ミコトは一向に現れず、手押し一輪車を倉庫に片付けて作業は終わったようだ。
私はその光景を呆然と眺めていることしかできなかった。
委員会の当番なんて嘘じゃない。ミコト、私に嘘ついたんだ。
その事実がぐるぐる頭の中を回って、家に帰る気にもなれず、用もないのに誰もいない教室に戻ってきてしまった。
息してる感覚がない。知らない人のインスタ見てても気が紛れない。最終下校のチャイムが鳴ってるのに足が動かない。
ミコト、なんであんな嘘ついたの。
私と帰りたくなかったの?どうして?
私がいるから大丈夫だって言ったじゃない。
それとも気が変わっちゃったの?他に一緒に帰りたい人ができたの?好きな男の子とかいるの?そんなの今まで言ってくれなかったじゃない。
私、応援するよ。言ってくれたら絶対応援したのに。
……ううん、それこそ嘘だ。ミコトが誰かに取られちゃったら嫌だなって、ちょっとだけ思ってた。変な奴だったら殴ってやる、私が守ってあげなくちゃ、くらいには思ってた。ミコト、そういう私の態度を鬱陶しいって思ってたのかな。
二人で休みの日に遊びに行くの、ほんとは嫌だったのかな。
ソフトテニスの授業でいつも私とダブルス組むの、ほんとは嫌だったのかな。
ほんとはミコト、私のこと嫌いになっちゃったのかな。
そんなことを考えているとじわじわ涙が出てきた。
帰らなきゃいけないのに。こんな顔誰にも見せられないから泣き止まなきゃいけないのに。そう自分に言い聞かせるほど、視界がぐにゃぐにゃに歪んでいく。
もうなんにも見えない。目の前が変な風に見える。
だって、おかしいよ。
目がいっぱいある巨大な蜘蛛が私に襲い掛かってくるなんて、絶対何かの見間違いだよ。
「……ひっ!」
見間違いじゃない!目の前にいる!人間より一回りほど大きい、黒い巨体が前の扉から入って来るなり、机や椅子をなぎ倒しながら寄って来る!
後ろの扉から出ようと走り出したのに、一時停止ボタンを押されたように突然足が動かなくなる。
足だけじゃない。手も動かない。
ゆっくり視線を下げると、私の胴体に白い糸が巻き付いているのが見える。
「いや……!」
抵抗むなしく、なんて言えるだろうか。手も足も動かせなくて、必死に身体をくねらせながらもゆっくり引きずられていく私なんて、抵抗しているうちに入るんだろうか。
悪い夢を見ているみたいだ。でも本能が「現実の死」が近付いてると教えてくれる。額に汗で髪が貼りつくのも手先が鬱血するのも、やけに遠くに感じられる。
ぼんやりと正面を見る。ああ、蜘蛛の口ってそんな風になってるんだ。
このまま私、食べられちゃうんだ。
「何してくれとんじゃ死ねやゴラア!!!悪霊退散!!!」
突然響き渡った声とほぼ同時に蜘蛛が真っ二つになる。
ぱっくり割れた巨体がしゅうしゅうと煙になって跡形もなく消えていく。
私の身体を縛っていた糸も消えて、急にいっぱい空気を吸えるようになって咳き込んでしまう。
その場にうずくまりながら、さっきの声の主を見上げる。聞き間違えるはずがない。
いつものセーラー服に不釣り合いな、ゲームで見るような日本刀。見慣れた長い黒髪が見慣れない高い位置で結ばれている。
「ミコト……?」
「カレンちゃん!」
名前を呼ぶなり、駆け寄って抱き締められる。
「先に帰っててって言ったのに、どうしていつも!あーん無事でよかったよお!」
「ミコト、あんたこそどうしてこんな格好してるの!?ちょ、鼻水!鼻水出てるから!はいティッシュ、チーンして!」
「ふがふが」
さっきまで泣いてたのは私なのに、それにすっごい怖い思いしたのに、ミコトがそれよりもっと大きい声でわんわん泣きじゃくるもんだから必死に背中をさすって顔を拭く。たっぷりあったポケットティッシュがすっかり空になってしまった。
そうこうしているうちに、ふと気付く。
「さっきまで持ってた刀は?見当たらないんだけど。っていうかアレどこにあったの?剣道場とか?なわけないか、日本刀で試合する剣道部とか無いよね」
「ここだよお」
ミコトが手を宙にかざすと、光の粒がぎゅっと集まってきて刀の形になる。
「……なにこれ」
「霊力の塊を武器の形にしてるの」
「霊力?さっき悪霊退散とか言ってたけど……」
「そうなのだムキュ~!」
「きゃあ!」
いきなりミコトの胸元から小さい犬みたいなふわふわした白い小動物が出てきてミコトの首に巻き付く。
「ちょっとシュシュ!出てこないでって言ったじゃん!」
「えっなにそれ?ペット?」
「シュシュはシュシュだムキュ~!シュシュが気配を感じ取れるんだムキュ~!今日は校舎の中が濃かったムキュ~!」
「は、はあ」
「カレンちゃん、気にしないで良いよ。ああいうバケモノ、昔からいるんだけどね。電車とか学校とか、人が集まるところに潜んでは獲物を見つけて捕食するんだよ。怖い思いさせてごめんね」
「……大丈夫なの?」
「うん、もうやっつけたから大丈夫だよ!」
「じゃなくて!」
自分でもびっくりするくらい大きい声が出て、ちょっと恥ずかしくなって誤魔化すみたいに徐々にボリュームを落としながら問い掛ける。
「……ミコトは、あんなの退治して、危なくないの……?」
ミコトの目がまんまるに見開かれて、ふっと細くなる。
「カレンちゃんはいつもそうだね」
ふわっとミコトの手が私の目を覆い隠す。
「いつも信じられないくらい怖い思いしてるのに、私の心配ばっかり。私ね、カレンちゃんのそういうところ」
何か言いたいのに、意識が薄れていくのを感じる。
「大好き」
暖かい空気に全身が包まれるような感覚がして、目の前が真っ暗になった。
「だから全部忘れてね」
教室の中で目を開けたら、見慣れた長い黒髪が揺れていた。
「あれ?ミコト?私達なにしてたんだっけ?」
「覚えてないの?帰り道で、学校に忘れ物したから取りに行くって言ったらカレンちゃんがついて来てくれたんだよ」
「あれっそうだっけ……あー、そうだった!もー、下校前に荷物はしっかり確認しなさいよ!もうこんな時間じゃない、早く帰るよ!」
「ふにゅう」
窓の外を見ると真っ暗になっていた。校舎から出ると冷たい風が吹いて
「へきちっ」
とくしゃみが出る。……あれ?私、カーディガンにポケットティッシュ入れてたはずなのに、無いなあ。どこかに落としたのかもしれない。
世話の焼ける友達と一緒にいると自分までぼんやりしてくるのかなあ。そんなことを思いながら歩いているとミコトが話しかけてくる。
「カレンちゃん」
「ん?どうしたのミコト」
「えへへ、これからもずっと一緒だよ」
「なにいきなり。変なの」
「むー!」
駅で別れて、電車の中でふうっと溜息をつく。宿題、今日多いなあ。早く帰りたかったのに。
まあいいや、今度ジュースかなんかをおごってもらってチャラにしよう。
次の休みはミコトとどこに行こうかな。
石段を上っていると、首元であいつがもぞもぞ動き出す。
周りに人がいないとすぐこれだ。
「『もうやっつけたから大丈夫』なんてミコトは嘘つきムキュ~!」
「うっさいクソ害獣。尻尾ちぎるから」
「毎回毎回こんな誤魔化し方ができるとは思わないほうがいいムキュ~!記憶一つ消すのにどれだけの霊力を消費すると思ってるんだムキュ~!」
「一般人に物の怪の記憶なんかなくていいに決まってんだろ、勿体ないもクソもあるか」
「一般人じゃなくなればいいと思うムキュ~!」
「……」
「カレンはとびっきりおいしそうだムキュ~!先々週の駅のも、先週の更衣室のも、今日のもカレンに引き寄せられて現れたんだムキュ~!その素質を霊力に活かせばミコトと同じくらい活躍できるに違いないムキュ~!」
「黙れ」
「ムキュ?」
「ベラベラとよく回る口だな。もう一度封印してやろうか?」
「あれ?そんなこと言っていいのかムキュ~?」
握り潰そうとした手をするりと抜け出して、厭らしく煌びやかな着物姿の背の高い女が目の前に現れる。
耳と尻尾が狐のそれは、朱い口角をニイっと上げて私の顎を二本の指で持ち上げる。
「……っ」
「ミコトの家のオンボロ神社が潰れてもシュシュには関係ないから別にいいムキュ~!」
「クソ狐。契約通り、私がこの街の物の怪全部倒して、お前を頂点に立たせてやる。対価の金ももらう。……でも、それが終わったら私は自由だ。いつか絶対殺す」
「おお、怖い怖いムキュ~」
わざとらしく言ってのけてから小さい狐の姿に戻ったそいつを鞄の中に押し込んで鳥居をくぐる。
「呪呪、今度カレンちゃんに話し掛けたら耳の毛全部むしり取ってやる」
「ほんっと物騒と暴力が服を着て歩いてるみたいな女ムキュね~」
うっさい死ねカスボケ。
本当の私は、ぼんやりしていて世話の焼ける、カレンちゃんの友達だ。
カレンちゃんに優しくしてもらえる日常こそが、本当の生活だ。
霊力が命を削ってもたらされるものだとしても、そのせいで私があとどれだけ一緒にいられるかわからなくても、カレンちゃんを最後まで守り切ってみせる。
「何でもいいけど次もしっかり働く無休!!!」
セーラー服だったのに急に無からブレザーが生えていたことに投稿後に気付いてめっちゃ笑いながら直しました。
ぼんやりした子を書いていたら筆者までぼんやりするのかなあ。