休日のひと時
スクーピーを迎え入れて一週間が過ぎていた。エイダールでは七日を一週間と呼び、そのうちの一日を日曜日と呼び休日とする習慣があるようで、今日はいつもの橋梁の現場も休みとなっていた。
いつもなら俺達にはそんな事は関係無く、金を求めひたすら仕事に明け暮れていたのだが、天使という名のマイエンジェルがいる今は、金など二の次だった。
「これは?」
「リンゴ!」
「そう! 正解!」
「じゃあこれは?」
「レモン!」
「そう! レモン!」
頭の良いスクーピーは、絵本をプレゼントするとものすごい勢いで言葉を覚え、今では少しだけなら読み書きも出来るようになっていた。それはエリック曰く、エインフェリア自体が物凄く賢い種族らしく、特に知能に関しては当然らしいのだが、これまたエリック曰く、スクーピーはそんなもの関係無く純粋に賢いと言っていた。
それは当然の話で分かり切っていた事なのだが、そう言いたくなるエリックの気持ちには同感だった。
そのうえスクーピーは生まれ持っての純粋な子らしく、夜は早く寝て、朝は早く起きるという超健康児。その為今日は休む気満々の俺でさえ眩しい笑顔に、朝食前からこうして寝室でスクーピーを膝に乗せ、絵本でのお勉強会をしていた。
「じゃあレモンは何個ある?」
そう訊くと、スクーピーは指でレモンをなぞるように数えだした。その時のスクーピーの真剣な口元が可愛らしい!
どうやらスクーピーは集中すると口元を忘れるようで、アヒルのように尖らせる。それを柔らかい匂いを漂わせる旋毛越しから見るのが堪らない!
「……ご!」
「正解! スクーピーはもう数も数えられるのか? 凄いな?」
「うん!」
正に天才! この子を捨てたエインフェリアはとんでもない子を手放したもんだよ! この子なら将来世界中に名を轟かせるスターになれるよ!
「よし! じゃあ次は……」
「あの、リーパーさん?」
そんなすんばらしい朝のひと時を過ごしていると、やっと朝食が出来たのか、エプロン姿にお玉を持つエリックがやって来た。ここ最近はこれがエリックの正装。
しかし俺に愛しのスクーピーを取られてしまった事が悔しいのか、その表情は不機嫌そうだった。
「あ、飯出来たのか? よし! じゃあスクーピー“朝食の時間だ”!」
「うん!」
まるでスポンジのように何でも吸収してしまうスクーピーには、出来るだけ上品な言葉を使うようにしていた。それだけスクーピーは俺達の動きや言動を見ていて、時に真似をするような事もあった。いや、それはスクーピーだからというわけでは無いのかもしれない。もしかしたら子供は全て、親や大人を見て学んでいるのかもしれない。と思う、今日この頃であったのだが……
「いや、確かに朝食は出来ましたけど、今日は仕事どうするんですか?」
「え? あ、いや……」
折角の良い朝が台無し! こいつは女房かよ!
「きょ、今日は……休もうかなぁ~……って……」
「え? まぁ、リーパーさんが決めたのなら文句はありませんが……」
ピンクのエプロンを巻いてお玉を持ち、入り口で腰に手を当て仁王立ちし、全然納得していない口振りのエリックは、悪魔というより女房としての怖さがあった。
「あ、いや……ハハハハハ……」
超気まずい! 俺だって頑張ってんだよ? 休みくらい頂戴?
モノ言わぬ態度が重々しく寝室を支配する。しかしやはり天使の前ではそんな邪なものなど存在出来ないようで、朝食と聞いて我先に飛び出したスクーピーのお陰で一蹴された。
「こらスクーピー! お家の中は走ってはいけませんよ! それにご飯の前に手を洗わないと駄目ですよ!」
「うん!」
「こら!」
もうエリックは完全にお母さんと化していた。そしてスクーピーも完全にエリックの事をお母さんと認めていた。それが分かるように、走っては駄目だと注意されても、元気に返事をして走りながら手を洗いに行くスクーピーと、呆れたようにため息を付くエリックは良い親子だった。
「ほらリーパーさんも手を洗って下さい」
そして、ついでに声を掛けられる俺は、完全にお父さんだった。
「はいはい」
「リーパーさん。はいは一回で良いです」
「……はい」
それでもエリックは、朝食が始まるといつもの良いお母さんに戻り、幸せな休日の穏やかな食事となった。
「それでは頂きましょう」
「頂きます!」
「いたかぁきます!」
目玉焼き、ベーコン、パン、オニオンスープ、そしてトマトのサラダ。家の朝食は家計が苦しくとも驚異の成長を見せるエリックお母さんの力で、まるで誰からでも親しまれるような貴族の、爽やか且つ優雅な食卓だった。何より綺麗好きエーンド職業柄エレガントさが染み付くお母さんのセンスは、安いながらもテーブルクロスや皿に拘るため、スクーピーが来てからほぼ家は食事に関しては上流階級と言えるほど進化していた。
「ほらスクーピー。手で掴んでは駄目ですよ。食べづらいのならこうやって一口サイズに切り分けてごらんなさい」
「うん!」
そしてエリックは、スクーピーをお嬢様にでも育てるつもりなのか、教育熱心でもあった。
「そう言えばリーパーさん。今日はリーパーさんは休みにするんですよね?」
「え? あ、あぁ……」
確かに家計を管理する側としては少しでも多く収入が欲しいのは分かる。それでもまだ聞く? これが世に聞くドメスティックバイオレンスってやつ?
「でしたら、今日はリーパーさんにはスクーピーの面倒を見て欲しいのですが」
「え? 別にいいけど? なんで?」
てっきり嫌味だと思っていたが、やはり優しいエリックはそういう意味での問いかけではなかったようで、何かやりたい事があるようだった。それは子育てに追われ「私にもたまには休みが欲しい!」という母のようだった。
「いえ。でしたら今日は私が営業に出ようかと思いまして」
「えっ?」
この母は正に鬼神の如き母だよ! 子育てに追われる中で甲斐性の無い旦那に苦労しているのにも関わらず、まさかご自身で出撃なさるとは! もうエリックに勝てる嫁なんていないよ! ただ残念! こいつ男!
もはやインペリアルを上回る成長を遂げたエリックは、そう言いながらも優しい笑みでスクーピーの食事の手助けをしている。母神様降臨!
「じゃあさ! 俺はスクーピーを連れて一緒に見に行くよ! エリックもその方が良いだろ?」
俺は今まで休みになれば出不精と言っても過言では無いほど家から出たくない質だった。しかし今はスクーピーを連れて外出したかった。それはスクーピーにとっても見識を高める教育にもなり、俺達には明日への活力へともなる。そう思っていたのだが、ここでエリックがまさかの反対を口にする。
「それはちょっと……」
「えっ! 何で!?」
「いや……その~……」
正直エリックの手品は技術経験共に一級品だ。もしかしたらエリックにとっては自分の働く姿を家族には見せたくないのかも知れない。いや、それとも家族の前では緊張してしまうのではないのかも知れない。
余りに辛辣な返事に、あのエリックがまさか俺達を邪魔になるとは思いたくはなく、咄嗟にそう思った。
「ダイジョブだよエリック。エリックの手品は最高だし、手品しているエリックはカッコいいもん。だから堂々と俺達に見せてくれ! あ、それとも、やっぱり緊張するのか?」
「いえ、そういうわけではありませんよ。ただ……」
もうエリックは本当に恥ずかしがり屋なんだから。母の威厳はどうしたの? そう思っていたのだが……
「ただ?」
俺がそう訊くと、エリックは困ったような表情を見せ、チラリとスクーピーの顔を見た。
「この際ですからはっきり言いますが、スクーピーはあまり外には出さない方が良いですよ」
「ええっ!?」
諦めたようにため息を付きながら言うエリックからは残念さが伝わったが、それはあまりにも酷な話だった。
「何でだよ!? 理由を聞かせろ!」
別にエリックはスクーピーが嫌いで言っているわけではない事くらいは分かっていた。それでもその発言には怒りにも似た感情が沸いた。
「スクーピーがエインフェリアだからですよ」
「え?」
「エイダールはこう見えても魔界と言われるプルフラムにあるんですよ? ですから……その……」
「なんだよ。はっきり言えよ」
エリックが口籠るのはなんとなく分かっていた。しかしそれでも認めたくない俺は感情的に聞いてしまった。
「エインフェリアは、プルフラムでは異端者と同じくらい嫌われた存在なんです。ですから例えスクーピーが幼い子供でも、周りからしてみれば排除すべき存在なんです。だからそれを知るエインフェリアは、わざわざこの地を選びスクーピーを捨てたんですよ」
正に非道外道の極み! エリックの言う事には納得がいくが、とても許される話では無かった。
「じゃあ尚更連れて行く! そんなの俺達には関係ない!」
「しかし……もしかしたら石を投げられたり、下手をすれば誘拐されるかもしれませんよ?」
「それは俺がさせない! 確かに歴史や風習でそうなっているのは分かるけど、だったら尚更俺達は堂々としなきゃいけないんじゃないか? エリックは本当にスクーピーの母親なのか?」
「そ、それはそうですけど……」
エリックは悪魔であるためエインフェリアに対し偏見を持つのは仕方が無い。しかしエリックはエイダール国民ではない。確かに昔はエイダールに住んでいたとは言っていたが今は違う!
エリックは手品師として各地を渡り歩き生活していた。そんなエリックだからこそ人を理解し、正義と悪を認識している。だからこそエリックには正しい姿勢でスクーピーと向かい合って欲しかった。
「じゃあ決まりだな。スクーピー、今日は俺と一緒にエリックお母さんの手品を見に行こうか?」
そう訊くと、スクーピーはパッと目を広げ嬉しそうにうんと答えた。その笑顔がエリックの心を動かす。
「分かりました。しかし一つだけ条件があります」
「条件?」
「はい。せめてスクーピーのその瞳の色だけでも隠して下さい。そうすれば誤魔化せるでしょう」
スクーピーを想うからこそ、エリックにはもしもも許されないのだろう。しかし俺には、ただでさえ美しいスクーピーなのに、さらに美しく青い瞳は誘拐されても不思議ではないという誉め言葉に聞こえてしまった。
「ああ。それはそうだ。もし誘拐されたら大変だからな」
「えぇ」
多分理由は違うが互いに納得すると、俺達は静かに頷き合った。