エイダール
「リーパーさん! やはり駄目です! このままでは押し潰されます!」
「じゃあどうすんだ! おめぇまだギルドとの契約あんだろ! 途中放棄したらリリアがあの世まで追いかけて来るぞ!」
嵐の中突如シェオールに現れたハクウンノツカイ。最初は大人しいただの神獣として何事も無く終わるはずだった。しかし三大勇者タナイブのパーティーにいた三名の冒険者の行為により脅威となった。
その力は予想を遥かに上回るほど強大で、Aランクハンターのクレアとミサキ、さらに自警団が加わったチームでさえ手に負える相手では無かった。
「分かってますよ! だからここはアドラさんに任せて私達は一旦飛びます!」
「トブって! 俺はこんなところで死ぬわけにはいかねぇんだよ! 俺の命使ってもいいから何とかしろ!」
「だから飛びます!」
「諦めんな!」
「だから違いますって! とにかく! リリアさん達には怒られますが! リーパーさんは死なさせませんから少し私に時間を下さい!」
そんなシェオールの危機に、突然悪魔と名乗ったエリックと共に小さな自尊心で立ち向かった俺だったが、案の定窮地に陥った。
「時間って!」
「ああもうっ! とにかく飛びます!」
そして気付くと、赤みがかる不気味な空が見える森の中にいた。
この物語は、シェオールの英雄とまで呼ばれた俺が悪魔が闊歩する魔界で成り上がり、伝説の勇者と呼ばれるような物語ではなく、見ず知らずの土地で無一文になり、そこから実家へ帰るため日銭を稼ぎ、労働という戦場でホームシックと戦いながらお家へ帰る話である。
――大通りを行き交う車は騒音をまき散らし、高い建物は空を狭め方向感覚を狂わせる。地面を覆い尽くすアスファルトは冷たさを伝え、街全体は生き物のような臭気を漂わせる。
「一服~!」
シェオールからエリックと共に飛ばされ早二か月が過ぎていた。
最初は魔物がうようよいる森でエリックの回復を待ちながら耐え忍んでいたが、エリックが動けるようになるとルザドとかいう小さな町に移り回復を待った。しかしそこもかなり治安が悪いうえ、エリックの手品ではとても日銭を稼げる状態では無かった事から、ここエイダールに拠点を移した。
「おいエリック、一服だってよ」
「はい。聞こえてますよリーパーさん」
エイダールはプルフラム領にあるまごうことなき魔界にある都市だ。しかしエイダールを治める首領様は大変奇抜な方のようで、どんどん外国の文化を取り入れ、今では街のほとんどを石コロのようにお固めにしてしまった。その為街並みは大変堅苦しく、まるで植物に恨みでもあるかのようにコンクリートやらアスファルトで街を覆い、要塞のようにしていた。
「おいお前ら」
「はい!」
「ちょっとジュース買って来い、金やるから」
「はい専務! 行くぞエリック!」
「はい!」
しかし魔力がほとんどないと言われる異国の文化を取り入れたエイダールは、油や電力で動く機械という不思議な力や、科学と呼ばれる学問のお陰でとても便利で労力の少ない快適な生活が送れ、学校なる物の施設で教育を施す事により住民の知識を向上させた事で治安が安定していた。そんなエイダールは魔界とは思えないほど管理され、平和でスマートな社会基盤が確立されていた。
そして一番の驚きは、これだけコンクリートやアスファルトで固められた中でも、水道、電気、ガスなどのインフラが整備されていて、夜は明るくどの家庭でも医療機関並みに清潔な環境が整っていた。
それは正に夢の国のような統治された世界で、あまりに進んだ文明に魔力に頼るのが馬鹿臭くなるほどだった。
しかし! 残念な事にこれだけ素晴らしい世界でもお金は絶対の存在らしく、例え夢の国でも金がなければそのひもじさは夜景に相まって倍増する半面を持っていた。
「今日何人だっけ?」
「え~……九人です。……あ、やっぱり十一人です。監督も入れたら十一人です」
「だと思った。なんか足りないと思ったんだよ」
「すみません……」
「良いよ別に。足りなかったらエリックの分無いだけだから」
「ええ!」
「冗談だよ」
そんなエイダールで俺達は、エリックの回復を待ちながら生活費と帰るための路銀を稼ぐため、今日も橋梁工事の現場に日雇いで入っていた。
「そう言えばエリック。明日休みだけどまた手品やるのか?」
「えぇ。特にやる事も無いですから」
「お前には早く回復して貰わなきゃ困るんだよ。何がやる事無いだよ」
「だって寝ていても別に回復が早くなるわけじゃないんですよ?」
エリックはエリアルという菌のような存在で、本来なら森などに生息し縄張りに入った生物に憑りつき捕食する自我を持たない植物のような悪魔らしいのだが、何故かこんな状態だ。その為回復には自身の細胞を増殖させる必要があるようで時間が掛かる。
「それは聞いた。なら栄養ドリンクでも飲んでなんとかすれよ。こっちは努力してますって感じが欲しいの」
「そう言われましても……大体まだ帰るためのお金だって足りないじゃないですか? 下手したら私が回復する頃でもまだ足りないかもしれませんよ?」
「仕方ねぇだろ。エイダールは物価がめちゃめちゃ高いんだから」
エリックの言う事は正しかった。エイダールはほとんど外国としか貿易をしておらず、物価だけなら魔王様ですら膝が震えるほど高額だった。そのお陰で帰りの汽車賃も高く、魔物がうようよいる森を抜けて帰れない俺達にはプルフラム領を出るだけでも苦労していた。
「だったら尚更私の営業が必要でしょう? こう見えても私、稼ぐときは五万は稼ぎますよ」
「くぅ! まるで日当八千円が馬鹿みてぇじゃねぇか!」
エイダールでは外国の通貨が使用される。その単位は円で表され、一円はゴールドに直すと約百五十ゴールドほどとなる。超インフレ! ちなみにユリトまでの汽車賃一人ハツ万円! 超インフレ!
「まぁそれに、私の回復はまだ一か月は必要ですよ? だからそう焦っても仕方がありませんよ?」
「そりゃそうだけど……でももう二か月過ぎてんだぞ? さすがにヤバいだろ?」
シェオールがあの後どうなったのかは未だに分からない。それでもシェオールのハンター達は根性もあり強く団結力もある。だから今はそれを信じて俺は自分に出来る事をやろうと覚悟を決めていた。というより、シェオールにはアホみたいに強いアドラもいるし、早くお家に帰りたい思いからやるしかなかった。
「あぁそれなら大丈夫ですよ。遅ければ数年は帰れないと伝えろと分身に言ってありますから、多分リリアさん達は分かっていると思いますよ?」
数年!? こいつそんな感覚で俺ばここに飛ばしたの!? 危うく一服のジュース落とすところだったよ!
「てめ~! それ最初に聞いてればここには来ねぇよ!」
「ええ!? それは言いこなしって言ったじゃないですか!?」
「それとこれは別だ! ……はぁ~、とにかく戻るぞ。早く戻らないと一服無くなっちまう」
「そうですね……戻りましょう……」
エイダールに来てやっとまともな生活が出来る基盤は出来た。しかし帰るだけの資金はまだまだ足りなかった。そのうえ超高度成長期にあり、尚且つ驚く程の技術を持つ文明が栄えるエイダールでの生活は、シェオールとは比べ物にならない程快適で夢が溢れていた。そんな環境がただ帰るだけという目的しかない俺達には複雑な思いを募らせ、特にここ最近はスッキリしないモチベーションが続いていた。
そして今日も仕事を終えると、季節がシェオールとは真逆でこれから夏に向かうエイダールの華やかな街を二人でとぼとぼ歩き帰る。
オレンジの空に煌びやかな街灯。一日中日が沈まないと言われるほど夜も栄えるエイダールの街は、これから花を咲かせにはしゃぐ者や、温かな家族が待つ家庭を急ぐサラリーマンが犇めく。
そんな街を、今日もクタクタになった俺達は汚い作業着姿で我が家を目指す。
俺達が今雇われている現場は、電車を使えば三駅で終る。しかし少しでも節約して路銀を稼ぐため俺達はいつも歩く。何よりこのくらいの距離に電車など必要なのかと思う俺達にとっては、怠惰の産物にしか思えなかった。
だがいつも通るこの道は、貴族並みに綺麗でお洒落な装いの者が多く、周りの建物、道、街灯、あらゆる物が華やか過ぎてとても息苦しい。
それでも早くシェオールにいる皆の所へ戻る為、エリックと二人みすぼらしく年季の入った自宅を目指し家路を急ぐ日々だった。