87話・今更です
私が知っている近衛総隊長としての彼は、生真面目で融通が利かない部分があったけど、こんなにも女性を翻弄させる物言いをする人だったのかと、この屋敷に来てから驚いた。
私と会話する機会も増えて、リギシアにいた時の彼とは別人のようだ。いっそのこと別人だったなら、どんなに良かったことかと思わずにはいられない。
私の夫だった男は、目の前で甲斐甲斐しく私の世話を焼こうとする。アンナの次は私の番だとしか思えなくて警戒心しか湧いてこなかった。
「きみ達、退出してくれるかな? 妻と二人きりで話がしたい。ここには誰も通さないように」
アントンは静かに様子を見守っていた侍女達を退出させた。彼女らに聞かせてはまずいことでもあるらしい。だとすると彼はここの使用人の誰も信用してないということになる。
「私にとってきみは都合のいい女なんかじゃない。何よりも大切な女性だ」
二人きりの食堂で、彼はきっぱりと言い切った。私からすれば今更な言葉だ。
「その大切な女性に離婚を言い渡したのは、どこのどなたさまでしたかしら?」
「私が悪かった。あの後、アンナとこの国に渡ってきてから深く後悔したんだ」
「もう遅いですわ」
私達は離婚している。今更、復縁などお断りと思っていると、アントンが言った。
「きみが私の事を許せないのは分かっている」
「だったら速やかにリギシアへ帰して頂けませんか?」
「それは出来ない相談だ」
「なぜ?」
「きみがアンナの仲間に目をつけられたからだ」
「はあ? それならあの時、桟橋から私を連れ出さなければ良かったのに?」
「あの時、きみが仲間に見つかった事で私は連れ帰る事しか出来無かった」
アントンの話はいい訳にしか聞こえなかった。しかも、私が桟橋に現れたのが悪いような言い方に聞こえた。
「きみがあそこに姿を見せたのは、想定外のことだったんだ。彼らはきみが私の妻だと知らなかった。彼らはあそこの地を所有する領主の娘に、私達が密入国しようとしているのがばれたと思って、きみを眠らせトロイルに連れ去って慰み者にした後、娼館にでも売りつけ様としていたようだ」
「……!」
「薬で眠らされたきみを見た時、大変驚いたよ。そのまま放っておいたらきみは酷い目に遭わされるのが分かっていたからね。保護したんだ」
「それは有難うございます」
今度は正義の味方気取りらしい。自分が助けなかったなら、きみの身はどうなっていたか分からないと言いたいらしい。そこをすくってやったのだから感謝されて当然と思っているのかも知れない。
私としてみれば、アントンのせいで巻き込まれたとしか思えないのに。
「納得のいかない顔だね? そんな目くじら立てていると皺が増えるよ」
「いけませんか? 大きなお世話です」
顔のことまで言われる筋合いはないと思う。アントンは意地悪そうな顔をして笑った。私やノアの前では無表情の多かった彼は、そんな表情も出来たらしい。新たな発見だ。
「それよりもあなたさまは、ここに来て何をやろうとしているのですか? そのあなたが持つロケットペンダントの中の絵姿はお義母さまですよね?」
私はこの間から考えていたことがあった。アントンはアンナと単なる駆け落ちなんてする男ではないだろうと。駆け落ちはきっかけに過ぎなくて、彼には何か思惑がありそうだと。何か企んでいて、それにアンナを巻き込んだ気がしてならない。
駆け落ちも計画の上だったのだと。




