85話・奥さまじゃないです
「さあ、ユリカ。毒は入ってないよ。薬も入れてない。お食べ」
口角をあげたアントンを睨み付けて、私は好物のホロホロ鳥の唐揚げを口にした。それでも一応、用心して食べてみたが、おかしな味はしなくて安堵した。
これでまた変な薬とか盛られていたりしたら、トラウマになって大好きな唐揚げが食べられなくなってしまう。それだけは嫌だ。
「完食したね。良かった。きみは食事を全然摂っていなかったから心配したんだ」
「変な感じですわね。向こうではアントンさまはお仕事が忙しくて、なかなか二人で顔を合わせて食事する機会なんてなかったのに」
「そうだな。それについては謝る。悪かった」
以前のあなたなら私のことなど全く気にしていなかったくせに。と、言えば、アントンは気まずそうな顔をしていた。謝罪してきたが本心だろうか? いまいちアントンについて信用が出来無かった。
懇意にしていたアンナを、あんな形で屋敷から追い出すくらいだ。彼は私のことも何かで利用する気なのでは? と、疑いの心しか湧かなかった。
「謝罪はいりませんわ。謝って頂いても無駄ですから」
「ユリカ」
「ご馳走さまでした。ホロホロ鳥の唐揚げ美味しかったです」
席から立ち上がると、アントンが引き止めたそうにしていたけど、私には彼が何を思っているのか分からなかった。別に分かろうとも思わないけど。もう赤の他人だし、彼が私にしていることは誘拐と監禁だ。褒められた行動ではない。
取り合えず用意してもらった食事のお礼だけ言って食堂を出た。
廊下に出ると、ミールが後をついて来た。自分に宛がわれている部屋に戻ると、ミールが頭を下げてきた。
「申し訳ありません。ユリカさま」
「いきなりどうしたの?」
「知らなかったとはいえ、あなたさまに失礼なことを致しました」
「止めなさい。別に今更、謝られてもあの人への取り成しなんて出来ないわよ」
「分かっています。そんなこと望んでいません。ただ、ユリカさまにはあんたなんて失礼な事を言ってしまって反省しています」
ミールは保身の為にアントンへの取り成しを私に頼んできたのかと思ったのだけど、そうではなかったらしい。
「この事は旦那さまもご存知です。私から言いました」
「それで?」
「旦那さまは命かけて奥さま、あ、いえ、ユリカさまを守れと言われました」
「……!」
先ほどの毒見の件は彼女を試したという訳か? アントンのあざとさが垣間見えた気がする。
「馬鹿じゃないの」
「ユリカさま」
顔を上げたミールを見返せば、彼女はきょとんとしていた。
「戦時中じゃあるまいし、今時ねぇ、忠誠なんて流行らないわよ。あなたアントンさまに何か弱みでも握られているの? 私はあなたにそこまで求めない。安心しなさい。逃げたくなったら逃げていいわよ」
「ユリカさまって面白い事、言いますね」
「そう? あなたが堅苦しく考え過ぎなのよ。もう終わったことだから気にしなくていいわよ。私だってあのような状況だったなら、あなたと似たような行動をとっていたかもしれないしね」
「ありがとうございます。奥さま」
「奥さまじゃないって」
ミールは泣きそうになって笑っていた。




