84話・彼女の身に何もなくて良かった
その日の晩餐は、アントンと二人きりとなった。ここの屋敷の使用人は彼に掌握されているようだ。ミールを始め、私に友好的ではなかった侍女の態度は、ここ数日でがらりと変わった。あまりの変わりように怖いものを感じる。
食堂ではミール始め、侍女らが給仕をしてくれていた。その場でアントンはいきなり謝罪してきた。
「ユリカ。済まなかった。アンナがきみを陰で害していたとは気がつかなかった。ここにいる侍女達から聞いて驚いたよ」
「あなたさまは前から仕事に夢中になると、屋敷のことは私にまかせっきりにしていたのですから。今回はたまたまアンナに任せていたと言う事でしょう? でも、彼女を追い出して良かったのかしら?」
「大丈夫だ。きみを害する者はもうここにはいないから安心していいよ」
私の嫌味にアントンは苦笑した。アントンはアンナを完全に切り離したようだ。私はそのやり方が惨いように思われた。彼は彼女に好き勝手させていたに違いないのだ。だからアンナは堂々と奥さまとして振る舞い、使用人達もアンナを女主人として認めていたのではないかと思う。
それなのにアンナの何が気に障ったのか分からないが、元妻である私をこの屋敷に連れ込み、アンナを不快にさせ、私に当たらせることで彼女の印象を悪くさせた。そして侍女達を操り、アンナを屋敷から追い出した。
一度は情を交わしておきながら非情な行いではないだろうか?
「冷たいのですね? あんなにも懇意にしていたのに?」
「彼女とそんなに親しくはしてないよ。彼女とは契約していたんだ」
「契約?」
「ああ。この国で私の衣食住を提供してもらうことになっていた」
「それなら早く追いかけたほうがいいんじゃないかしら? この屋敷に住んでいられなくなるのでは?」
「その辺は大丈夫だ。衣食住を提供してくれているのは彼女ではなく、彼女の仲間だからね。彼女を切ろうが問題ない」
アントンは事もないように言った。それってアンナを都合のいい女扱いしていたってこと? 屑だわね。
「案外、お二人はお似合いだと思うわ」
「止してくれ。ユリカ。出て行った女のことなどどうでもいいだろう? さあ、冷めないうちに食べよう。きみ、ホロホロ鳥が好きだっただろう? 料理人にから揚げを用意させたんだ。ホロホロ鳥の唐揚げは絶品だぞ」
「……」
ホロホロ鳥は大好きだ。でも、アントンに薬を盛られた一件もあり、素直に手をつける気がしない。どうしようか? と、思っているとアントンが「そこのきみ」と、ミールを呼んだ。
「はい、旦那さま」
「ユリカの為にきみ、この唐揚げを毒見してくれ」
「はい」
ミールは返事をしたものの、毒見と言う言葉に怖気づいてか、なかなか手を出そうとしなかった。それを見てアントンは片眉を上げた。
「なんだ。使えないな。所詮は不満を口にするだけの無能な女か? そんなヤツはここではいらない。辞めてくれて構わないぞ」
「旦那さま。やります。それだけは……!」
ミールには、辞めるに辞めれない事情があるようだ。意を決した彼女はフォークに唐揚げの一つを刺して口に放り込んだ。
「どうだ? 美味しいだろう?」
「は、はい。美味しいです……」
食べ終えたミールは、ホッとしていた。私もホロホロ鳥の唐揚げに毒が入っていないことが分かって安心した。毒見してくれた彼女の身に何もなくて良かった。




