78話・私は悪妻です
翌朝。私は最悪な気分だった。柔らかな陽光が振り注ぐテラス席で元夫と、その愛人と三人で食卓を囲む事になろうとは思いもしなかった。壁側には数名の侍女がいたが皆、無言で冷たい目を私に向けてきた。その中にはアンナがミールと呼んでいた侍女がいた。きっと彼女が仲間に私がアンナを殴っていたと言ったのだろう。
ここにはアンナと私の関係性を知る者はいないようだ。ここではアンナはアントンの妻として周知されているのかも知れなかった。
私は旦那さまの命により連れられてきた素性も知らぬ女性。そんな女性が自分達が仕えるアンナに手を上げたと思ったなら良くは思わないだろう。
私の複雑な思いも知らず、元夫が機嫌よく声をかけてくる。
「昨晩はどうだったかな? 枕が変わると寝れない人もいるらしいが、ゆっくり寝れたかい? ユリカ」
「私にはトロイル製の枕は合わないようです。最悪な目覚めでしたわ。早くリギシア国の寝具で眠りたいものですわ」
「そうか。でも、それはじきに慣れるだろうよ」
だからさっさと国許へ帰してもらいたいと願ったのに、アントンはしばらく帰す気はないようだ。この国に慣れれば良いと言ってきた。元夫婦の私達の間に挟まれてアンナは居心地悪そうに、一人黙々食事をしていた。
「ユリカ。食事の手が進んでないようだが? 嫌いだったかい?」
「いえ。別に……」
アントンに気遣われるが全然、嬉しくなかった。アンナに言われた「子供の世話係」と、言う言葉が気に掛かって。私はこの人の妻であろうと頑張ってきたつもりだ。いい妻であろうと振る舞ってきた。それなのに夫には妻として求められていなかったと聞かされては、このアントンの私に対する気遣いが白々しく思われた。
朝食はポーチドエッグに色とりどりの生野菜が添えられ、白パンに野菜のコンソメスープとヨーグルトが出ていた。
「毒なんて入ってないぞ。私が味見をしよう」
アントンはそう言いながら、私のお皿の中の卵や野菜や、スープ、ヨーグルトを一口ずつ食した。毒見のつもりらしい。
「ほら、安心して食べていい」
「はあ」
別にこの料理に手を付けられなかったのは、毒が盛られていると疑ってかかった訳じゃなくて、食欲が湧かないからなんだけど。彼の得意顔を見ていたら、尚更、食欲が失せていく。
それでもアントンがまだ手を触れてなかった白パンに手を伸ばそうとしたら、先回りされてしまった。アントンは口付けた後、誇らしげに「良く焼けているよ。お食べ」と、差し出して来たので完全に食欲が失せた。
「ごちそうさまでした」
「全然、食べてないじゃないか?」
「食べる気にならないので……」
大体、離婚したとはいえ、何が悲しくて元夫とその愛人と食卓を囲まなくてはならないのか。私の前に置かれていた食事は、夫が手を出す前は美味しそうに感じられていたのに、彼が触れた事で汚らわしいものに思えてきた。
「退出したいわ」
「ミール。ユリカさまをお部屋まで案内して」
アンナが壁際に控えていたミールに指示を出す。ミールは一瞬、面白くなさそうな顔をしたが、その言葉に従った。彼女の後について退出すると、忌々しそうに言われた。
「あんたね、何さまのつもりなの?」
ミールは私より年下に感じられた。でも、その年下女性に「あんた」呼ばわりされる覚えもないし、アンナを叩いた事に関しては、私は自分が悪いとは思えなかった。
「驚いたわ。こちらのお屋敷では侍女の躾がよく出来てないようね。私が何さまですって? お客さまではないの? 御主人様であるあの人に伺ってみたら?」
そんなこと、子供でも分かることでしょうに? と、嫌味ったらしく言えば、ミールは不快そうに睨み返してきた。
「あの人って? アンナさまって呼びなさいよ。愛人のくせに失礼な女ね」
「はああ? この私が愛人ですって? 誰が言ったの? そんなこと」
「誰も言ってないけど……、見ていれば分かるわよっ」
私が憤りを含んだ声を発すると、ミールは後退りした。その彼女を廊下の壁際に追い込み、私は彼女を囲い込むように壁に手を付いた。
「誤解のないように訂正しておくわ。私はね、あの人の元妻。子供だっている。あの人は信頼していた侍女のアンナと手に手を取り合って駆け落ちした。私は捨てられた側よ。失礼な女で悪かったわね」
「ひっ……!」
「全く失礼しちゃう。どちらが失礼なのかしらね? まあ、自分が悪妻なのは認めるわ」
使用人を脅している辺りでいい人ではないわよね。私は脅えている彼女から離れた。
「あなた達には退屈しないネタでしょう? いいわよ。好きに話しても。私はこちらの事情も知らないくせに、好き勝手言うあなたに呆れただけだから」
ミールはもう何も言わなかった。私は彼女を置いて、自分に宛がわれた部屋へと一人戻った。




