55話・立つ鳥跡を濁さず
テーブルを挟んでその向かい側の席にいた私は、彼がその様子を思い出したらしく、くっくっくっと体を倒して笑い出したのを見て気になった。
「何よ。思い出し笑い? 何があったのか教えてよ」
「ネグロが縛られていた侯爵の肩に乗ったと思ったら、嘴で髪の毛を毟り始めたんだよ。そのせいで侯爵の頭には禿が三つ出来た」
「そう。自業自得よね。あの男、禿にするぐらいでは私の気は収まらないわ。どうせなら全部毟ってしまえば良かったのに」
「さすがにそれは……。ネグロも腹を壊す」
「妥協するしかなさそうね」
「でもそのおかげですぐに侯爵が白状してくれて助かった」
何でもネグロは髪の毛を毟るのに容赦しなかったらしい。このままでは髪の毛が無くなってしまうと恐れた侯爵は「何でも話すから、このカラスを止めさせてくれ」と、早くも降参したそうだ。
侯爵は最近頭皮のことで悩んでいたらしい。そう言えばあの男、髭は濃かったけれど頭の方は少し薄くなっていたような気がする。
「で、そのお手柄なネグロのおかげで何が分かったのかしら? フィー叔父さん?」
「ハッターレ侯爵は、トロイル国と繋がりがあった」
ノアを真似して言えば、フィーは真顔になった。
「侯爵はあの人と関係ある?」
「ユーリの勘が当たっていたよ。彼が協力者だ」
「やっぱり……!」
あの人とはもちろん夫のアントンのことだ。二人が駆け落ちして思った事は、ふたりがあまりにも段取りよく行動出来ているということだった。
駆け落ち自体はそう珍しいことでもない。たまに恋に落ちた身分の違う若い二人が周囲を省みずに、情熱だけで行動して駆け落ちする例もある。でも、大概親に連れ戻されたり、自ら帰ってきたりする。
なぜなら貴族という贅沢な暮らしの中で育ってきた者が、勢いだけで家を飛び出してみても、質素な暮らしに耐えられず実家に戻ってしまうのだ。一緒に逃げた側も相手が恵まれた生活環境で暮らしてきているのは分かっていても、愛さえあれば乗り切れるなんて甘い幻想を抱いているので、いざ一緒に暮らし始めると、相手から散々、不満を漏らされて面白くなくなる。
そしてすぐに愛が冷めて……と、いうパターンだ。
だが、アントンは用意周到な気がした。アントンは貴族の生活しか知らない男のはず。世間一般の流れで見れば、じきに愛人との生活に耐え切れなくて帰ってくるパターンに思えたが、彼がいなくなった後の執務室があまりにも綺麗だったことが不思議に思えたのだ。
立つ鳥跡を濁さず。と、何かの小説にあったような気がするけれど、アンナとの駆け落ちは初めから用意されていたように思われてならなかった。舅が捜索隊を直ぐに出したというのにも関わらず、その捜索網を潜り抜けてトロイル国まで逃げおおせただなんて二人きりでは無理だろう。誰かトロイルに通じた者の手引きがあるのではないかと、舅やフィーは疑っていた。




