52話・私にこんなことをしてただで済むと思っているのか?
「おとうさまがトロイルこくに?」
「君のお父上は、我が同胞の旗印となっている」
意味が良く分からなかったけど、これは良くない事ではないかと察した。ハッターレ侯爵は何か悪いことに加担していそうな気がした。トロイルについては、王女さまもよく言ってなかったような気がする。
「お父上は君に会いたがっている」
「うそだ」
「嘘じゃないさ」
「だったらなぜ、ぼくとおかあさまをすてたの?」
「捨ててなんかいない。あのお方は新天地に……いや、祖国に自分の居場所を築かれようとしているだけ。落ち着いたら君を迎えに行こうとしていたのだよ」
本当だろうか? 今までにもおとうさまは自分よりも仕事を大事にしていた。どうしてトロイル国にいるのか分からないけど、侯爵はおとうさまがいずれ自分を迎えに来ると言った。その言葉に疑問が湧いた。侯爵は君を迎えに行こうとしていたと言った。ではおかあさまは?
「おとうさまにとっておかあさまはひつようないの?」
「お父上のお側にはアンナという忠実な女性がついております。所詮、この国の陛下に命じられて用意された相手など必要ありますまい」
侯爵は失礼にもおかあさまは陛下によって勝手に押し付けられた政略結婚相手だ。その相手などおとうさまには必要ないと言い切った。それが不愉快だった。
「だったらぼくはいかない」
「ノア君。これはお父君に会える最後のチャンスかも知れないのに?」
「おかあさまをおいてぼくはいかない。おとうさまとはちがう」
おかあさまを必要でないおとうさまなんかいらない。おとうさまはどうかしている。今度はあのアンナが「あたらしいおかあさま」と、なるのだろうか? そんなのは嫌だ。
「君に来てもらえないとすると困ったな」
「こうしゃくさま?」
侯爵は不機嫌な様子を見せた。それに何だか嫌な予感がしてソファーから立ち上がった。するとハッターレ侯爵は胸元から短銃を取り出し、こちらに向けてきた。
「私は別にきみの体が五体満足ではなくとも構わないのだよ。その足を打ち抜いて身動き取れないようにしようか?」
「……!」
「ガアッ」
そう言ってほくそ笑むハッターレ侯爵は怖かった。直ぐにでも逃げ出したい思いに駆られながらも身動き取れない。
その侯爵にネグロが襲い掛かった。
「うわっ」
「ネグロ!」
驚く侯爵がネグロを振り払う。発砲と同時にネグロは床に叩きつけられた。優位にたった侯爵がノアに銃口を向けたと同時にドアが派手な音を上げ開いた。
「ノア!」
突如、おかあさまの声がしたと思ったら、飛んで来た婦人物の靴が侯爵の顔に当たった。侯爵はいきなり靴を当てられてふら付く。そこへフィーおじさんの「捕らえろ!」と、言う言葉にわらわらと見覚えのある護衛を始め、衛兵が侯爵を取り押さえた。
衛兵に両肩を押さえつけられて、侯爵は膝をつく。おかあさまは「良かった」と、言って抱きしめてきた。
「ノア。怪我はない?」
「うん。ぼくはだいじょうぶ。でも、ネグロが……」
おかあさまの腕の中に収まりながらも、自分を助けてくれたネグロの様子が気に掛かった。ネグロが動かないのだ。死んでしまったの? と、不安に思っていたら、フィーおじさんが気を失っているだけだから心配するなと言ってくれた。
そのネグロはおじさんに抱かれていた。侯爵は悪態をついた。
「私にこんなことをしてただで済むと思っているのか?」
たかが伯爵家のくせにと、こちらを見下した発言におかあさまが反応した。抱きしめていた腕を解くと、鬼のような形相で侯爵を振り返った。




