19話・私はここに居て良いのでしょうか?
「ユリカ。この度は済まなかった」
「お義父さま」
「ふたりは必ず連れ戻す。気落ちしているだろうが、そなたの悪いようにはしない。あいつにはもう二度とこのようなことをしないように言い聞かせるから、此度ばかりは許してやってはくれないか?」
義父は応接間に入るなり謝ってきた。てっきりアントンが仕出かした事で、実家に帰されるものと覚悟していたのに、義父はアントンとやり直して欲しいようだった。
「お義父さま。頭を上げてください」
「これはあくまでも私の望みだ。ノアはきみを本当の母親のように慕っている。ノアの為にも目を瞑ってはくれないか」
「それは……」
義父の気持ちは痛いほど分かる。でも、私はアントンを許せそうになかった。アントンはノアや私を最悪な形で切り捨てたのだ。ノアと私は彼を信じていた。その気持ちを踏みにじった。その男のとった行動をノアの為にも許せないか? と、言う義父の発言には頷けなかった。
私の反応で見て取ったのか、義父のデニスは深いため息を漏らした。
「やはりそうか。当然だな。アントンはきみに離婚話を持ち出していたことも聞いた。そのようなことを私は認めていない。ユリカ、きみはうちの嫁だ。アントンは勘当することにする」
「お義父さま」
義父の思い切った発言に驚く。義父は嫁の私を取り、アントンとは縁を切ると言い出した。
「きみはあいつには過ぎた嫁だ。きみは嫁いで来てから屋敷の事、使用人や、ノアのことに常に気を配ってくれていて、私たちはそれに感謝していたんだ。アントンは気難しいところがあるから、きみに迷惑をかけていなければいいがと心配していたのだが……馬鹿な男だ」
義父は目頭を指で押さえた。やや、顔に疲れのようなものが見えた。国一番の最強の将軍さまも、自分の息子が仕出かした事には頭が痛いようだ。
私も信じられない思いだった。あの真面目が取り柄と言っても良いはずの夫が、侍女と駆け落ちするなんて誰が想像していただろう? しかも夢みる乙女のようなセリフを書き残して、姿を消すなんて思いもしなかった。
────運命の女性に出会った。後悔のない様に生きたい。
彼は、アンナと懇ろな仲だったことを暴露する文を残していた。その文中に記されていた運命の女と、後悔のない様に生きたいという言葉。それらに頭を金槌で殴られたような衝撃が走った。
アントンはアンナが運命の女性だと書いていた。後悔のない様に生きたいとの言葉には無責任なものを感じた。
私やノアと暮らす事は、彼にとっては悔やんで取り返しがつかないことらしい。つまりは私との結婚生活を否定されたように思われて不愉快だった。
この人ならと思って一緒になった。その私の判断は間違っていたらしい。このような結果をもたらしたのだから。
アンナもアンナだ。私達夫婦の間に恋愛感情のようなものはなかったけれど、お互いに想いあっていた。その事は彼女も知っていたはずなのに、その主人と懇ろな仲になるなんてそのことに何も思わなかったのだろうか?
あの日、私がアントンに離婚話を言い渡されたときも、表向きには私を気遣う振りをしながら内心ではあざ笑っていたとか?
そう思うと悔しくてならなかった。私が夫の帰りをノアと心配して待つ間、夫はアンナと共にいたのだから。フィーが言った言葉では無いが、ふたりの行動は私達のことを本当に馬鹿にしていた。
でも義父に嫁として認められているのはあり難かった。私が嫁いできた三年間を無駄にしたのは夫だけど、私の頑張りを認めてくれる人がここにいる。
「お義父さま。私はここに居て良いのでしょうか?」
「もちろんだ。きみはノアの母だ。ノアも私も使用人達も皆がそれを望んでいる」
夫には出ていかれたけど、ここに居て良いと舅からお墨付きを頂いた。それで良いような気がする。夫には失望したけど、これでまたノアと一緒にいられる。そのことが嬉しく、夫を失う悲しさよりも、ノアと一緒に居られる嬉しさが上回った。
「きみには面倒をかけるがよろしく頼む。この後、陛下に呼び出されていてね」
と、舅は立ち上がった。きっとアントンがいなくなったことで宮殿の方も落ち着かないのだろう。近衛総隊長の後任や、アントンの処分で義父も気が重いようだった。
アントンやアンナの仕出かした事は周囲の誰も幸せにしていない。皆が気に病み、その後始末に追われている。そこまでしてふたりは何がしたかったのだろう?
義父の背を見送りながら、アントンが後悔するのはどちらのことなのだろうと思っていた。